TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

舞台「死と乙女」



原作:アリエル・ドーフマン
翻訳:水谷八也
演出:木村光一
出演:風間杜夫、余貴美子、立川三貴
公演:2003年9月18日~28日 紀伊國屋サザンシアター

    ◇

 過酷で長い軍事政権の圧政から、やっと民主主義体制に移行したばかりのある小さな国。

 ポリーナ(余貴美子)は、かつては恋人であり現在は夫でもあるジェラルド(風間杜夫)とともに、軍事政権によって理不尽にも次々に虐殺される人々を守ったり、亡命者を手助けする危険な反政府運動に力を尽くしていたのだが、ある日の午後、秘密警察に拉致され監禁されたうえ、残虐な拷問を受けさらにはレイプまでされた。
 いまだに身体的にも精神的にも、その大きな傷はまったく癒されていない。

 夫のジェラルドは、いまや新体制下の大統領直属の人権調査委員会のメンバーに選ばれた。軍事政権時代に行われた殺戮や人権侵害を調査し、この国の新しい未来への道を探そうという使命感に燃える弁護士である。

 ジェラルドが大統領から正式に調査委員会に任命された日の夜、ポリーナの待つ海辺の別荘に帰る途中、彼の運転する車がパンクし立ち往生してしまう。そこへ偶然通りかかったの医師ロベルト(立川三貴)の車。ロベルトはジェラルドを親切にも別荘まで送ってくれる。ジェラルドは、夜も更けていりこともあるのでロベルトに泊まってもらうことにした。

 寝室からロベルトの声を聞いたポリーナは、彼こそシューベルトの甘美な弦楽四重奏曲『死と乙女』をかけながら自分をレイプした男だと確信する。
 深夜、彼女はピストルを持ち、寝入ったロベルトを襲い、彼を椅子に縛りつけた。やがて朝がきた。その光景を見たジェラルドは愕然とする……。

    ◇

 「あぁ、わたしはあの美しいシューベルトを、透明な風の囁きのようにはもう聞けない」
 「さ、殺せ、純白なわたしを! 狂気の女に暴力的に扱われるのはもうたくさんだ」
 「あまり深く真実を知ろうとすると、人は死ななけりゃならなくなるぞ」

 全てに対して圧倒される舞台であった。原作者のアリエル・ドーフマン自身が経験した現実に起こった事柄といえ、その国の歴史や文化を何も知らない我々には、どこまで理解できるのか判断ができないほど、苦しくて重たいテーマだ。

 忘れられない人間と、忘れてしまいたい人間と、忘れさせたい人間がぶつかり合う。
 この三者は、どうやって癒されていくのか。
 傷ついた者同志が理解することの難しさ。しかし、理解しなくてはならない寛容さが人間には必要だということ。最後の観客の拍手が鳴り止んだあとも、三人の心の傷痕は癒されないほど深い………。


ここからは閉鎖中の余貴美子非公式応援サイト「Y's Passion」に綴った作品レヴューのため、余貴美子さんにスポットを当てた文章になっています。

     ◇              ◇


【第一幕第一場】
 板付きで登場の余貴美子さんは、淡いベージュのカーディガンに濃茶色のワンピース姿。
 ポリーナの不安定な感情が、余さんの細かな仕草と表情によって観客の前に投げ出される。
 帰宅したジェラルドとの会話で次第にヒステリックになっていく様子は、今まで映画やドラマで見なれてきた穏やかな余さんとは違う姿と化し、風間杜夫さんの腕の中で落ち着きを取り戻していく余さんは、とても繊細で壊れやすく愛おしく思える存在に映った。
 そして、このほんの短い間の繊細な心の動きが、この後に表出する狂気への予兆として観客に示される。

【第二場と第三場】
 突然の来訪者ロベルトを束縛するまでは、余さんの芝居は無言で続く。
 大きくスリットの入ったナイトウェア姿の余さんの大胆な動きは、静寂の世界を官能的なサスペンスに仕立てている。映画版「死と処女」のシガーニー・ウィーバーの同じように、ナイトウェアの下のパンティを脱ぐところは、断然シガーニーよりもセクシーである。ましてやそれを立川三貴さんの口に押し込むところまでするとは思わなかった。
 狂暴さがセクシーに見えるのも、余さんの素晴らしい表現力だ。

【第四場・夜明け前】
 余さんの衣裳は、赤のシルクっぽいシャツにエンジ色のTシャツ。スカートは巻き状のもので、ウラ地が着物のような感じでお洒落なスタイル。
 余さんが銃を片手にシューベルトの『死と乙女』のテープを流して聞くシーンは、徐々に悪夢を思い出していく様として、哀しく、そして切なさが感じられる瞬間だ。

 第五場になるとポリーナの狂暴性はもっと増し、低い男の声色を真似て汚い言葉を吐く姿と、過去を回想する分裂症的な姿が目の前に現れる。
 まさか余さんの口からこんな汚い言葉を聞くとは思わなかったが、不快感を感じなかったのはこの芝居全体を包む空気の中での、余さんの品性がバランスを崩さなかったからだと思う。

 テラスでのポリーナとジェラルドの対立は、余さんも風間さんも汗みどろで白熱さを増す。
 余さんの汗と涙が目の前でキラキラと光り、観客が映画やドラマでは体感できない、一種神々しく崇高な姿を見ることができた。
 冷静な風間さんが、立川さん相手に自分の胸の内をぶちまけたあとの「誰が彼女の話に耳を傾けてやれるんだ?」という台詞は、この芝居の中の罪と罰を計る重要なポイントで、風間さんの誠実な役どころからくる優しい言葉となり響いてくる。

 余さんの台詞の量は半端ではない。それ以上に、感情豊かな余さんの姿にはファンとして痺れる。間近で見る余さんの表情は、怯えた顔から真実に立ち向かう凛々しい顔になり、そして、狂気を帯びた顔へと変貌する。目の前に居るのは女優ではなく、過去に苦しむポリーナ自身が立っているかのような姿。
 コテージでのラスト、ロベルトに銃を突き付けながら悲痛な叫びをあげるポリーナの言葉は、社会の中で犠牲になる弱者の抑え続けられてきた感情が手に取るように感じられた。

 舞台に艶やかな女優がいるわけではない。台詞から人の人生を辿り、傷ついて怯えた生身の人間の声が発せられたときに、観客は感動を味わうことができるのだ。

 終幕、会場が鏡張りになりコンサートホールとなる舞台装置のなか、客席の後ろから下りてくる黒のドレスに身を包んだドレッシーなポリーナ、余貴美子。別の席からは、彼女をじっと見つめるロベルト。ふたりの視線が絡み合った先には、いったい何が見えていたのだろうか……。

     ◇              ◇

 6列目の真ん中15番の席、張り出し舞台になっていたため2メートルほどの距離で、汗と涙、目元のシワや素足についた赤いアザ(暗転の時や稽古の時についたものだろう)など“生”の余貴美子さんをしっかり目に焼き付けた舞台だった。すべてにセクシーで、力強い余さんは素敵だ。

 ぼくにとっての余貴美子さんの魅力のひとつは、声。
 時には如何わしく淫行に、時には哀れで痛々しく。ヒステリックに叫ぶだけではなく、猛々しく自己を主張する声。ぼくはこれからも余さんの声に惹かれ、魅了され続けていくのだろう。


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