TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「シンシナティ・キッド」*ノーマン・ジェイソン

The Cincinnati Kid_uk

THE CINCINNATI KID
監督:ノーマン・ジェイソン
原作:リチャード・ジェサップ
脚本:リング・ラードナーjr、テリー・サザーン
編集:ハル・アシュビー
音楽:ラロ・シフリン
主題歌:レイ・チャールズ
出演:スティーヴ・マックィーン、エドワード・G・ロビンソン、アン=マーグレット、カール・マルデン、チューズディ・ウェルド、リップ・トーン、ジョーン・ブロンデル、ジャック・ウェストン、キャブ・キャロウェイ、ジェフ・コーリイ

☆☆☆☆ 1965年/アメリカ/102分

    ◇

 『大脱走』('63)でアクション・スターの座を掴んだスティーヴ・マックィーンが、当時ライバルとも云われたポール・ニューマンの『ハスラー』('61)と同じギャンブラー役で、演技派としてスターダムに駆け上がろうと執念を燃やしたのがこの『シンシナティ・キッド』。共にギャンブラー映画の双璧。
 結果、『砲艦サンパブロ』('66)『華麗なる賭け』('68)『ブリッド』('68)と続く、マックィーンの成功への道筋となった傑作である。
 
 ジャズの街、ニューオーリンズ。
 ディキシーランド・ジャズの伴奏で、陽気にパレードする黒人の葬式から始まるオープニングは忘れがたい名シーン。黒人の靴磨き少年とのコイン投げゲームはラストシーンにも使われるエピソードであり、あの頃、この映画を観た少年たちはみんな真似をしたはず。

 年は若いが度胸と勝負勘は一流のエリック・ストーナーこと“ザ・キッド”(スティーヴ・マックィーン)は、川向こうの街で素人相手に小銭稼ぎをしては、友人でありこの街の古株ディーラーのシューター(カール・マルデン)に嗜められていた。
 その日キッドはシューターから、伝説のギャンブラーと讃えられる“ザ・マン”ことランシー・ハワード(エドワード・G・ロビンソン)が街に来ていることを知らされる。
 ランシーは街の名士スレイド(リップ・トーン)と対戦することになっており、ディーラにシューターが指名されていた。
 小さな街でケチな勝負師だけでは終わりたくないキッドにとって、30年にわたってタイトルを保持しているランシーを打ち負かし、名声を馳せるには絶好の機会が来たと感じる。キッドの自信過剰な若さを危惧するシューターだったが、ランシーにキッドとの手合わせを準備することになった。

 エドワード・G・ロビンソンは戦前からのギャング・スターだけあって、眼光鋭く、葉巻ひとつ持つ手つきからして存在感を醸し出しているが、当初のキャスティングは別の大スターだった。
 実際この作品は、撮影時から問題を起こしていた。MGMのプロデューサー、マーティン・ランソホフはマックィーンを主人公に決めて原作の映画化権を手に入れ、監督はサム・ペキンパーに依頼。“ザ・マン”の役は、マックィーンが敬愛するスペンサー・トレーシーだった。
 しかし撮影3日目にしてペキンパーとランソホフが衝突してペキンパーが監督を降板、代役の監督が実績のない若手監督のノーマン・ジェイソンになる。そしてトレーシーも降り、代役がエドワード・G・ロビンソンとなったわけだが、結果、ノーマン・ジェイソンのスリリングな演出が若いギャンブラーの生き様に反映された傑作となり、一躍の出世作となった。(音楽のラロ・シフリンと、編集のハル・アシュビーにとっても出世作である。)
 ノーマン・ジェイソンはこの後、1967年の『夜の大捜査線』でアカデミー作品賞を受賞(監督賞は逃したが編集賞で朋友のハル・アシュビーが受賞)したし、マックィーンとは『華麗なる賭け』('68)でふたたび傑作を世に送り出している。
 ペキンパーはこの事案を後悔し、1972年にマックィーンと『ジュニア・ボナー』と『ゲッタウェイ』を撮っている。
 そして“ザ・マン”のエドワード・G・ロビンソンも、圧倒的な存在感で老練な貫禄をみせているのだから、ケチのついた交代劇も結果オーライとなった良い見本であろう。

 ふたりの女性が登場する。
 キッドの恋人クリスチャン(チューズディ・ウェルド)はキッドを深く愛し、安定した家庭を築き子供を産みたいと願っているが、キッドの浮き草暮らしと煮え切らない態度に愛想をつかせ、実家の田舎に帰ってしまう。
 シューターの若い妻メルバ(アン=マーグレット)は、シューターに男としての魅力を感じず、キッドを誘惑する奔放な女。
 物憂げにベットの上でジグソー・パズルをしている登場シーンは、メルバという女の性格を端的に表していた。

 アン=マーグレットはセックス・アイドルだったイメージが強いが、70年代初めに事故で再起不能と言われながらも見事にカムバックし、数々の賞を受賞する実力派でもあり、女優になる前から歌手としても有名。グラマー女優で名を馳せてはいるが、1967年にプレイボーイで鳴らしたロジャー・スミス(『サンセット77』)と結婚して以来、円満家庭を築いている。

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 反対に、子役モデルから映画にデビューしたチューズディ・ウェルドこそセックス・シンボル的存在で逸話も多く、私生活では3度の結婚。スタンリー・クーブリックの『ロリ-タ』('62)や、アーサー・ペンの『俺たちに明日はない』('67)のオファーを蹴ったくらい実際にはかなり不敵な女優だ。
 映画では純情可憐なチューズディ・ウェルドと妖婦のアン=マーグレットだが、容姿だけでは判断できないくらい私生活はまったく正反対のふたりなのである。


 ランシーと30時間にも及ぶ勝負で6000ドルも負けて気の収まらないスレイドが、金のかかるメルバに手を焼いているシューターに借金の返済を持ち出しカードの細工を強要する。キッドの預かり知らぬところでは諸々の事情が絡んでいた。
 小心者のシューターには、ベテラン俳優のカール・マルデン。マックィーンとロビンソンとの白熱の演技のなかで、一歩後ろに引きながら味のある演技を見せてくれる。

 ホテルの一室で、頭脳と気力を尽くした勝負がはじまる。
 行われるポーカーは、“ファイブ・スタッド”。
 一般的な“クローズド・ポーカー”はカードの交換を行うものだが、この“ファイブ・スタッド”は交換しないのがルール。
 最初のカード1枚は裏返しで配り、残りは一枚づつ絵札を見せて配り、相手の持ち札を見ながら駆け引きするゲームだから、勝負としての緊張感が多くまさしくギャンブル。
 ポーカーを知らない人が見ても、スリルとサスペンスに満ちた、息詰まる緊張の連続に惹き込まれるだろう。カードの配り方や紙幣の持ち方、張り方などの手さばきにシビレた少年がいっぱい居たはずだ。

 ゲームはキッドとランシーとディーラーのシューターのほかに、ピッグ(ジャック・ウェストン)、イェラー(キャブ・キャロウェイ)、ドク(ジェフ・コーリイ)の6人ではじまる。
 順調な出足だったピッグは早々にランシーの策に嵌り脱落。途中、“レディ・フィンガー”と異名をもつ女ディーラー(ジョーン・ブロンデル)に交代したりして延々とつづき、夜が明けるころにはイェラーとドクも席を立ち、いよいよゲームはキッドとランシーの一騎打ちとなる。

 キッドの優勢がつづくが、シューターの行動に不信感を抱き、キッドは休憩時にシューターの細工をなじる。自分の力で勝つ自信があることを伝え、一切の手出しをはねつけるのだった。

 ゲームの再開。何が起きようと悠々とゲームを進めるランシーは、徐々にキッドを追いつめていく。
 俯瞰とクローズアップのカメラワークと重圧感ある音楽がサスペンスを盛り上げ、最高にスリルある数分間だ。マックィーンは、大ベテランのエドワード・G・ロビンソン、カール・マルデン、ジョーン・ブロンデルをも圧倒する演技を見せつけてくれる。

 キッドはディーラーを“レディ・フィンガー”に交代させ、最後の勝負に挑む。
 キッドの手はフルハウス。ポーカーフェイスだったキッドの口元が微妙に緩む。
 ギャラリーもこれが最後の勝負と感じ、会場の空気が張りつめる。

 勝利を確信したキッドを、ランシーのストレート・フラッシュが打ち砕いた。

 呆然とするキッドに“ザ・マン”が言い切る。
 「君は優秀だが、ナンバーワンにはなれない。私がいるかぎりはな」

 放心のキッドには、シューターの労いやメルバとスレイドの悪態も耳に入らない。
 完膚なきまでに打ちのめされたキッドはホテルの裏口に座り込む。
 そんな所に靴磨きの少年からコイン投げゲームを挑まれる。しかし今のキッドには、この少年に勝つことさえ出来ない。
 プライドまで失ったマックィーンの虚ろな顔にカメラがズームし、カットアウト。
 そこにレイ・チャールズの歌が流れてくる………。
 シビれるほど、カッコいいクロージングである。

 アメリカン・ニューシネマ以前のアメリカ映画で、主人公が救われないまま終わる作品など皆無だった。それだけにこの終わり方は衝撃的であり、観客の記憶にいつまでも残る作品になっていたはず。

 しかしこのラストシーン、実は2つのヴァージョンが存在していた。

 この映画の初見は40年以上前「日曜洋画劇場」で放送された時だった。その後、何度かの再放送の記憶や、25〜6年程前に購入したビデオはこのカットアウト・ヴァージョンだったのだが……。

 今回鑑賞したNHK-BSで放送されたもの(DVD版)はアメリカ公開時のオリジナル・ヴァージョンと言われるもの。
 少年が見切れた後、キッドが街角を曲がったところに去ったはずの恋人が待っていて、抱擁して終わるのだ。

 ノーマン・ジェイソン監督はカットアウト・ヴァージョンで通すつもりが、プロデューサーのマーティン・ランソホフをはじめ会社側はハッピーエンドを求めた。当時のハリウッドでは当然だろうから、こんなセンチメンタルな終わり方を強引に撮影させたようだ。(カットアウト・ヴァージョンは一部アングルが違うため、単純にオリジナル・ヴァージョンをカットしたものではないことが判る)
 新人だったノーマン・ジェイソン監督は引き下がるしかなかったのであろう。

 冷静で不敵だった男が一瞬にして転落する無常感が一気に吹き飛んでしまうセンチメンタル・ヴァージョンなんて、愚の骨頂の産物である。
 日本初公開時がどちらのヴァージョンだったのかは判らないが、すでに40年以上前のテレビ放送やVTRではカットアウト・ヴァージョンになっていたのだから、現行のDVDがオリジナル・ヴァージョンだというのは気に入らない話だな。 
 DVDには特典映像でカットアウト・ヴァージョンが納められているのだろうか。




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Comment

蟷螂の斧 says... "キッド"
>しかし今のキッドには、この少年に勝つことさえ出来ない。

あの場面は、いいですよね。

>去ったはずの恋人が待っていて、抱擁して終わるのだ。

カットアウト・ヴァージョンの方が勿論良いでしょう。
監督が製作会社にやられる。
そう言う例が多いんでしょうね。
2013.02.07 18:26 | URL | #AU7zw/Lo [edit]
mickmac says... "Re: キッド"
蟷螂の斧さん  

ラストのカットアウト・ヴァージョンは1970年のリバイバル公開時ものでした。
だから、日本での初公開は救いのある甘い終わり方だったんです。

好みはやはり、見慣れた「非情版」ですかね。
2013.02.08 00:21 | URL | #- [edit]

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