TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「黒い画集・紐」

本文は、閉鎖中の余貴美子非公式応援サイト「Y's Passion」に綴ってきた余貴美子出演作品レヴューを再録・加筆修正したものです。敬称略。

原作:松本清張
脚本:田中晶子
監督:松原信吾
出演:余貴美子、真野響子、内藤剛志、大地康雄、石橋蓮司、萩原流行、小沢真珠、根岸季衣、山田純大

初回放映:2005年1月12日 テレビ東京「女と愛とミステリー」


 原作は1959年に出版された中短編集『黒い画集』の中の一編。
 アリバイトリックをめぐる本格推理劇だが、同時に、松本清張の世界に流れる細かな心理描写を丹念に描いた人間ドラマとして見応えのある作品に仕上っている。

 佐渡島の古い神社を親の代から継いだ神主の梅田安太郎(内藤剛志)は、妻の静代(余貴美子)の反対を受けながらも、学生時代の友人難波(萩原流行)の誘いで中国に不動産会社を設立し事業経営をする計画に熱を上げていた。神社を担保に入れ、さらに金策に走る安太郎は、東京に住む実姉の繁子(真野響子)からも夫(石橋蓮司)に内緒で500万円を出資させていた。

 一週間後、「すぐに法人登録する必要がある」と難波からあと2000万円を要求された安太郎は、かつて神社を無理矢理に継がせた負い目のある繁子に、自宅を担保にさせて借金するように頼み込む。
 しかしその半月後、東京の難波の事務所が空になっているのを目に、唖然とする安太郎の姿があった。難波が初めから騙していたことに気づいた安太郎は、繁子に「難波を見つけるまでは家に戻らない」と連絡をし,その日から姿を消してしまった。

 10日後、東京多摩川辺りの河原に安太郎の絞殺死体が発見される。死体は両手両足をビニール紐で縛られ、うつ伏せに倒れていたが、詳しく調べてみると死体は死後2~3時間は仰向けにされた状態で、後にうつ伏せにされたことが判明した。誰が、何のために?

 警視庁捜査一課の田村警部補(大地康雄)は難波以外に身内の犯行の可能性もあるとして、静代と繁子らのアリバイ捜査を始めるが、彼らには鉄壁なアリバイが成立していた。
 そんな折、手配中の難波の身柄が拘束されほぼ犯人と断定される。しかし田村警部補は、首に残った3本の紐の跡と解かれた紐に違和感を覚え、執拗に静代と繁子のアリバイを洗い直す………。

    ◇


 ドラマで重要なアリバイトリックは、舞台を現代に置き換えるために、携帯電話や動機解明に使われるミートハンマーなど数々のアレンジが施されている。

 午前10時、東京の繁子の家を出て銀座で買い物をする静代。午後3時頃には渋谷へ。雑貨店で購入したミートハンマーを宅配便で佐渡島の自宅に送り、その伝票の控えがある。夕刻は新宿のイタリアンレストランで食事をし、そこでワインをこぼす。夜の7時半から9時過ぎまでは映画館で『君に読む物語』を鑑賞。そこでは、映画のクライマックスに携帯電話を鳴らす女性がいたと話す。レシートや映画館の半券という物証、レストランや映画館での目撃者の証言が厚いアリバイとなる。

 このトリック崩しがひとつの見どころだが、もっとも重要なのは登場人物たちの心理描写である。原作『黒い画集』はトリックをメインに置いてはいるが、描かれているのは男女の情念で「情欲」「物欲」「愛憎」「嫉妬」など一種罪悪感の世界だ。
 松本清張は「小説の映像化は、脚色家が自己の独創を原作の余白に振るうことができる短編ほど成功する。」と自作のあとがきで語っているが、まさにこの作品は脚本家田中晶子の鋭い人物描写に尽きると思う。

 また、舞台を原作の岡山から北陸に替えたことでドラマに厚みが加わった。
 内藤剛志と余貴美子の人物像を決定づけるための、閉塞され抑圧された土着性は日本海の風景のほうが似合っているからだ。
 余貴美子と大地康雄が迎える最初のクライマックスでも、閑散とした日本海に面した漁場を背景にすることで静代のこころの中の不透明さが強調され、刑事が立ち去ったあとベンチに佇む静代の姿も、閉ざされた島の空気の中で孤立と不安の様として余計に哀しく映る。
 孤独を滲ます余貴美子の姿が印象深いこのシーンは秀逸。北陸を舞台にした映画「約束」のラストシーンの岸 惠子の姿をダブらせてしまう。

 追いつめられた安太郎が繁子と静代に或る計画を打ち明ける重苦しさと、自分の手を汚さない繁子と見て見ぬふりをする繁子の夫の態度に、静代のこころは打ち拉がれ声にならない悲鳴をあげる。
 事件の真相として、人間の奥深いところに潜む暗黒と愚かな人間の哀しい性が浮き彫りになる。

 動機重視で書かれる松本清張の小説は人間が罪を犯してしまう過程を執拗に描くものが多く、それをドラマにおいて丁寧に演じられるのはやはり演技巧者な俳優陣だ。
 夫の首を絞めたあと、その紐をほどき「ゴメンネ、ゴメンネ」と何度も何度も囁く静代は、余貴美子ならではのリアルに体現する“おんな”の姿として、観る者の魂が揺さぶられる。
 地道に執拗に犯人を追い詰める刑事を大地康雄も好演。ささやかな市井(しせい)のひとを演じる石橋蓮司や、若手刑事役の山田純大の静かな演技も目を惹く。

 石橋蓮司が大地康雄に吐露する言葉は、こころの闇からくる贖罪。誰も彼を責めることはできない。
 内藤剛志と余貴美子のふたりが最後に歩む道行きは、この夫婦がいままでに肩を並べて歩いたことなどないだろうと想像させる切ないシーンだ。
 しかし、ドラマの本当の結末(原作の結末二行の意外性も充分に生かされている)に潜む、夫婦のこころの闇は判らないまま終わる。

 「人のこころは判らない。自分のこころの中はもっと判らない」

 「さよなら」の言葉とともに、繋がれた手首を隠すハンカチが日本海の風に流されるラストシーンは、罪悪感で押し潰されそうになっていた静代のこころが解放された瞬間なのだろう。

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Comment

金田一京介 says... "無題"
現行犯でもなく、逮捕状も無いのに、刑事にそこそこの推理を言われるだけで逮捕されるなんて、一体どんな非民主的国家なんだ。
2016.04.16 04:50 | URL | #- [edit]

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