TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「狼たちの午後」*シドニー・ルメット

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DOG DAY AFTERNOON
監督:シドニー・ルメット
脚本:フランク・ピアソン
撮影:ヴィクター・J・ケンパー
挿入歌:「過ぎし日のアモリーナ」エルトン・ジョン
出演:アル・パチーノ、ジョン・カザール、チャールズ・ダーニング、ジェームス・ブロデリック、ペネロープ・アレン、クリス・サランドン、キャロル・ケイン、サリー・ボイヤー

☆☆☆☆★ 1975年/アメリカ/125分

    ◇

  ニューヨークのブルックリンで実際に起こった事件を題材にした本作は、ベトナム戦争の後遺症や人種・同性愛問題など、当時の病んだアメリカの断面を生々しく見据えた秀作である。シドニー・ルメット監督の作品のなかでも大好きな1本だ。

 1972年8月22日、気温36度のうだるような暑さのニューヨークの一角。その日の午後2時47分、ブルックリン三番街のチェイス・マンハッタン銀行に3人の男が強盗に押し入った。
 仕事は10分もあれば片がつくはずだった。しかし現実は上手くいかない。若いロビーは怖じ気づき逃げ出し、金庫にあるはずの大金も現金はたったの1100ドルしかない始末。手際の悪さもあり、いつのまにか銀行は250人の警察隊とFBIに包囲される事体になっていた。
 9人の人質(支店長と老警備員以外は全員が女性)を楯に銀行に立て篭るソニー(アル・パチーノ)とサル(ジョン・カザール)。
 やがてテレビ局が中継にやってくる。野次馬が大挙して集まる。直通電話で市警のモレッティ刑事(チャールズ・ダーニング)との交渉が始まり、犯罪史上最も奇妙な暑い午後が始まった……。

    ◇

 冒頭シーン、エルトン・ジョンの「過ぎし日のアモリーナ」が軽快に流れ、ニューヨークの夏の日の街が映し出される。マンハッタンで過ごすビジネスマンやハイソサエティな人々、コニーアイランドやスタッテン島で余暇を楽しむ老人たち、ブルーカラーの労働者やゴミが散乱する道端に座り込む下級階層の人間たち………。
 そんなスケッチシーンに、『スター誕生』を上映している映画館の前をソニーの妻子たちが歩いている。これから銀行に押し入る夫が民衆のヒローになってしまうアメリカの屈折感を皮肉っているのだろう。

 西部劇の時代や1950年代のギャングたちが銀行を襲撃していたのは遠い昔。70年代ともなると余程のプロでないと銀行を襲撃などしないだろう。素人が手を出すような犯罪でないのを承知でも、後を絶たないのは銃社会の悲劇。しかし、やはりそこは素人。このソニーたちの、なんとも間の抜けた強盗ぶりよ。

 「ちゃんと計画したの? ただの思いつきなの?」

 警官隊に囲まれ呆然としているソニーは、ベテラン職員のシルビア(ペネロープ・アレン)にたしなめる。支店長からは「金を持ってスグに行けと言ったのに」と云われる始末。
 人質たちが全員、それほどの恐怖を感じていないという人間喜劇の一面を見せるこの脚本の巧さ。そして映画は、ほとんどが銀行内と通りを挟んだ警察との間で展開する“舞台劇”として緊迫感を作りだしていく。

 人質側はこんな面白いこと滅多にないぞと事件を受け止めるように変わる。それは、銀行内での加害者たち(ソニーとサル)と、被害者となる職員たちとの他愛もない会話によって生まれる連帯感、いわゆるストックホルム症候群が発生する人間喜劇である。
 特に、肝っ玉の据わった被害者ペネロープ・アレンと、肺がんを恐れる銃を持った制圧者ジョン・カザールとの禁煙論議は、人間の強さと弱さの矛盾を突いていて面白い。

 人質がいるために警察が手を出せないことをいいことに、ソニーは時々銀行から通りに出てモレッティ刑事と交渉する。ソニーが警官隊に発する啖呵に、野次馬たちが応える。ソニーは、今や民衆やマスコミからヒーロー扱いだ。

 「アッティカ! リメンバー・アッティカ!」

 ソニーの、その場の思いつきのシュプレヒコールに、野次馬たちが呼応する。
 なぜ市民たちがソニーを英雄視したのか、それには二つの要因がある。
 ひとつが1971年9月、ニューヨーク州北部にある州立アッティカ刑務所で起こった差別待遇に抗議した大規模な暴動事件だ。世論の激しい非難を無視して鎮圧に当たった州兵によって、多くの黒人囚人が殺されたのは、まだ生々しい記憶なのだ。

 「アッティカ」に関しては、ジョン・レノンがアルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』('72)の中で「アッティカ・ステイト」という歌で抗議している。

  ♪人間の力の何という無駄遣い 
   人間の命のなんたる浪費
   牢獄の囚人たちを射殺した
   43人の貧しき者が未亡人になった

   アッティカの監獄
   ぼくらはみんなアッティカの仲間だ
   …………………
   さあ一緒に運動に参加しよう
   人権のために立ち上がろう
   …………………

 もうひとつは警察への不信。ルメット監督がアル・パチーノ主演で撮った『セルピコ』('73)に詳しいように、1970年ニューヨーク市警に蔓延していた汚職の腐敗ぶりがニューヨーク・タイムズ誌の告発記事として載った。告発したのは、麻薬捜査官だったセルピコ刑事。1971年には警察内部の人間に重傷を負わされた事件だ。

 ソニーが通りに出るときに必ず一緒に連れられるシルビアが、マスコミから「警察への信頼度は?」と聴かれるのも、モレッティ刑事に引き止められ「皆を見捨てろと言うの?」と救出の手を振りほどいて銀行内に戻るのも、警察への不信感がどこかしらに残っている世相だ。



 性同一障害の男性“妻”レオン(クリス・サランドン)が登場するあたりから、ドラマは深刻な様相を深めていく。実はソニーは同性愛者で、タイトル前に出て来た太った妻とは別に、トランスセクシュアルのレオンと結婚式を挙げており、レオンの性転換手術の費用を工面するのがこの銀行強盗の目的だった。
 70年代になってゲイの権利運動が盛んになってきたとはいえ、偏見は警察官の蔑みの目やマスコミの扱いで判る。

 そして、それまで人道的態度を貫いてきたモレッティ刑事に代わり、冷徹そうなFBI捜査官シェルドン(ジェームス・ブロデリック)が主導権を執るようになって事件の行方は一気に進む。
 犯罪者の心理を見透かすように、優しく近づくシェルドンはソニーに投降を勧める。

 「殺すなら仕事ではなく、心から憎んで殺してくれ」ソニーがシェルドンに言う。

 ソニーの本妻(冒頭に映った太った妻)と愛人レオンと実母の説得も失敗に終わった警察側は、ついにソニーの要求通り国外逃亡用のジェット機を用意せざるを得なくなる。

 「どこの国に行きたい?」とソニーに聞かれたサルは「ワイオミング」と答える。これはジョン・カザールのアドリブだという。サルのパーソナリティがあまり語られないなかで、このシーンは素晴らしい効果を観客に与えている。
 自分一人では生きていけないサルは、無口で孤独な青年。社会に適応できない人間。精神的に追いつめられているのが分る。危険分子だ。FBIが何とかしてくれるという。ソニーは本当は早くに降りたい気持ちだった。が、一途に生か死を考えるサルを裏切ることはできなかった。

 暗黒の部分を抱え屈折した“動”の男をイーストハーレムの最下層で育ったアル・パチーノが役者としてとことん表現し、アル・パチーノとは10代の頃から親友でもあるジョン・カザールが寡黙で不気味な“静”の青年を演じる。
 このふたりのイタリア系アメリカ人が演じる現代アメリカの或る側面は、哀しく悲壮だ。

 ジョン・カザールは1978年に『ディア・ハンター』撮影後に癌で亡くなっている。亡くなった当時はメリル・ストリープと婚約をしており、たった5本の出演作しかない彼はどの作品も素晴らしい存在感を残していてくれる。
 ここでは、ソニーに先だって銀行に入るシーン。爽やかな午後の風を受け長い髪をなびかせて歩くジョン・カザールに、このあとの思い詰めた表情の対比となる色気を漂わせている。

 市警の刑事を演じたチャールズ・ダーニングも、汗だくになり、声を枯らし、アル・パチーノと渡り合う迫真の演技で好演している。

 さてクライマックスは深夜零時過ぎ、人質とともにリムジンで銀行からケネディ空港へ移動する。気の遠くなるような道のり、ジェット機を前にしてサルは射殺され、ソニーは惨めに逮捕される。
 解放され日常に戻った人質たちを、ソニーは虚ろに眺める。その泳いだ眼が長く長く映されるシーンは印象的だ。

 原題の「DOG DAY」とは「真夏の暑い一日」を意味する。邦題の「狼たち」は少し的外れではあるが、誰も傷つけることのなかったソニーとサルに対して残忍な仕打ちをした「狼たち」とは一体誰だったのか、考えさせられる映画である。


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