TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「悪魔のような女」*ジェレマイア・チェチック


DIABOLIQUE
監督:ジェレマイア・チェチック
原作:ピエール・ボアロー&トマス・ナルスジャック
脚本:ドン・ルース
撮影:ピーター・ジェームス
音楽:ランディ・エーデルマン
出演:シャロン・ストーン、イザベル・アジャーニ、チャズ・パルミンテリ、キャシー・ベイツ

☆☆☆ 1996年/アメリカ/107分

    ◇

 クルーゾー監督の『悪魔のような女』を豪華女優3人でリメイク。ストーリー展開は同じだが、恐怖の度合いはかなり違う作品になっている。

 残酷で暴力的な男ガイ(チャズ・パルミンテリ)は、資産家の妻ミア(イザベル・アジャーニ)のおかげで全寮制の私立男子校の理事の座と多大な財産を手に入れた野心家。元尼僧のミアには優しい男らしさと、ことあるごとに彼女を侮辱する蔑みの両面で翻弄している。
 そしてガイは、この学校の教師ニコル(シャロン・ストーン)とは公然と愛人関係を持っていた。清楚なミアと知的でクールなニコルは正反対のタイプの女だった。
 ニコルは、ガイの暴力的な振る舞いや自己中心的な男のわがままに嫌気がさし、ミアにも同情と庇護の気持ちを抱いているが、彼とのセックスに溺れ離れることができない。
 この歪んだ三角関係を壊したのは女たちだった。
 しかし殺したはずのガイの死体がプールから消え、元刑事の私立探偵シャーリー(キャシー・ベイツ)の登場で、ふたりの関係は思わぬ方向に………。

    ◇

 リメイクには、オリジナルのイメージを保ちつつ、その時代で描けなかった新しいイメージを膨らませることができる。比較などしないで、新鮮な気持ちで観てみると面白いこともある。

 まずは、可憐だが病的な狂気を潜ませるイザベル・アジャーニと、蓮っ葉だが華麗なるシャロン・ストーンの“いい女”の競演を観ることだけでも鮮烈なものがある。
 シャロン・ストーンより年上のイザベル・アジャーニとはいえ、当時40歳を越えているとは思えないカマトトぶりは、つかみ所のない女優の輝きである。そういえば、オリジナル版も清楚なヴェラ・クルーゾーが貫禄のシモーヌ・シニョレより8つも年上だったとは思えないのだ。

 女たちに肩入れもしたくなるほど“下司な男”には、オリジナルのポール・ムーリッスよりチャズ・パルミンテリのイヤラしさが強烈でいい。
 3人目の女として登場するキャシー・ベイツも場をさらってしまう好演。

 女たちがちっとも“悪魔”じゃないと云われれば、不貞とか、情欲とか、同性愛とか、男性上位主義とか全ての存在が“悪魔的な”“悪魔のようなもの”を指しているのだと考えてみればいい。

 さて、ラスト。
 たしかにオリジナルの恐怖の10分間が、まあ何てアッサリしたものに変えたのかと文句も付けたかろう。でも、オリジナルの驚愕のどんでん返しが既に賞味期限切れだし、製作側はホラーで観客を驚かせようとは端から考えてはいまい。だから、もうひと捻りしたわけだ。

 オリジナルのクルーゾー版の方では最後の最後で、聖母のように心優しい妻が夫と愛人を貶めたという見方が想像できる(状況設定に無理があるが)。クルーゾー監督も原作の趣向を大きく変えていたわけで、ひと捻りしたクルーゾー版をもうひと捻りしたことで、本作が原作に近い三角関係になったのも一興ではないか。

 最後の最後でキャシー・ベイツが「こんなゲスな男のために、一生を棒に振りなさんなよ」と言っているような行動と表情は、男につくづく愛想を尽かし友達もいない寂しい中年女からの一撃である。

 女3人の仲間意識は、レズビアンとか暴力的セックスとか50年代のモラルでは表現できなかったことを考えれば、女が男へ引導を渡しやすくなった時代背景として、ラストの改変も納得できるというものだ。

 シャロン・ストーンはこのあと、ジョン・カサベテス監督の傑作ハードボイルド映画『グロリア』('80)のリメイクでも美貌と役者魂を発揮させ、90年代最後のヒロインを見せつけてくれる。

★悪魔のような女*アンリ=ジョルジュ・クルーゾー★
★グロリア*シドニー・ルメット★


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