TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

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「ある戦慄」*ラリー・ピアース



THE INCIDENT
監督:ラリー・ピアース
脚本:ニコラス・E・ベア
撮影:ジェラルド・ハーシュフェルド
音楽:テリー・ナイト
出演:トニー・ムサンテ、マーティン・シーン、ボー・ブリッジス、セルマ・リッター、ブロック・ピータース、ルビー・ディー、ゲイリー・メリル、ジャン・スターリング、ドナ・ミルズ、ジャック・ギルフォード、エド・マクマホン、ダイアナ・ヴァン・ダー・ヴリス、マイク・ケリン、ロバート・フィールズ、ロバート・バナード、ヴィクター・アーノルド

☆☆☆★ 1967年/アメリカ/103分/B&W

    ◇

 ニューヨークの地下鉄車両内を舞台にした群像密室劇で、現代人の無関心さと大都会の病理を赤裸々に映し出した社会派スリラーである。70年代の初見時、描かれた云われなき暴力の恐さが、そのまま当時のニューヨークの印象として残った作品だ。

 日曜深夜のブロンクス。ダウンタウンのビリヤード場で店主をからかうトニー・ムサンテとマーティン・シーンは、「何か面白いことないか」と酔った勢いで通行人を襲い、撲殺する。
 「夜はこれからだ」マンハッタンに向かう二人。

 ブロンクスは北の方は裕福な住宅地区だったが、下町は治安が悪いと云われた。1970年代からヒスパニックや黒人が多くを占めるようになり犯罪率も高くなったようで、初めてニューヨークに行った当時(1977年)、ヤンキー・スタジアムやブロンクス動物園にさえ行くことなんて出来なかった。
 映画は、治安悪化のニューヨークを予兆するかのような不気味さを秘め、始まる。

 ファズの効いたオルガンとギターが、都会の狭間に起きる出来事と人間の心の不均等な歪みを表すかのように響きわたる。観る者に緊張感を強いていくタイトルが終わると、グランド・セントラル駅に向けて深夜走る地下鉄4線(Lexington Av Express )に、ひと駅づつ乗り込んでくる様々な人たちの姿が映し出されていく。
 NYの地下鉄ペインティングが有名になったのは70年代に入ってからなので、この頃はまだ地下鉄車両の汚さはそれほどでもないのだが、一車両のドアや、連結のドアが壊れているのは当たり前のニューヨークの地下鉄だからこそ、出入口がひとつの変形密室状態となり、充分にリアルなスリラーの舞台となっている。

    ◇

  ◆以下、物語の細部に触れます。

    ◇

 午前2時をまわったモショル・パークウェイ駅からは、4歳の娘を抱いた中年夫婦(エド・マクマホン&ダイアナ・ヴァン・ダー・ヴリス)が義母の家から家路に帰るところ。妻はタクシーを止めるが、夫は無駄使いだと一蹴する。

 車内には始発駅から乗った浮浪者が、酔っぱらってシートの一つを占領して熟睡していた。

 次の駅からは若い恋人たち(ドナ・ミルズ&ヴィクター・アーノルド)が駆けてきた。席に着くなりずっとキスのしっぱなしだ。

 3番目に乗ってきたのは老夫婦(ジャック・ギルフォード&セルマ・リッター)。息子の冷たい態度に腹を立てている夫は、今時の若い者たちも嫌いなようだ。

 フォーダム・ロードの駅からは、右腕を負傷したオクラホマ出身の一等兵ボー・ブリッジスと、退役したら弁護士になると夢を語るニューヨーク出身の一等兵ロバート・バナードの若い軍人二人が乗ってきた。

 バーンサイド・アヴェニュー駅からは、友人のパーティーから帰途につく中年高校教師(マイク・ケリン)と妻(ジャン・スターリング)。勝気な妻はおとなしい夫が歯がゆくてたまらない。

 次の176st ストリート駅から乗ってきたのはアル中の中年男(ゲイリー・メリル)と、彼を追ってきたゲイの青年(ロバート・フィールズ)。

 黒人夫婦(ブロック・ピータース&ルビー・ディー)は、マウント・エデン・アヴェニュー駅から地下鉄に乗ってきた。

 そして、170st ストリート辺りから乗り込んでくるのが、イントロで登場したトニ-・ムサンテとマーティン・シーンだ。

 大声で奇声を発し、傍若無人に車内を走り回るチンピラふたり。
 どんな人間だって関わり合いにはなりたくない手合いだ。無視したり、下を向いていたり、本を読んでいたりと、行動はいつだってどこだって同じだろう。
 マーティン・シーンが、熟睡している浮浪者にマッチの火でちょっかいを出したところで、ゲイリー・メリルが「やめなさい」と嗜め口を出すのだが、この言葉を合図に、チンピラふたりは次々と乗客たちに絡み始める。
 それまで無視を決め込んでいたにも関わらず、いつ火の粉が降り掛かってくるのかと戦々恐々とする乗客たちの恐怖は、現代社会の縮図のように生々しく迫ってくる。

 マーティン・シーンはこの映画がデビュー作。イカレたあんちゃんぶりが凄いが、言葉の暴力で暴れ回るトニー・ムサンテも、イタリア系アメリカ人らしい個性で迫真の凶暴さを見せる。彼にとって2作目の本作は、実は1963年のTV映画が先にあり、映画化された本作に同じ役で出演したものという。

 ゲイの青年の臆病な行動心理が、同性愛者への差別が堂々とされていた当時をよく物語っている。彼の惨めな気持ちがヒリヒリと突き刺さってくるのだが、グリニッジ・ヴィレッジで同性愛者解放運動が起きるのは2年後のことだ。

 黒人夫婦への仕打ちも強烈だ。マルコムXが暗殺された後だから、黒人運動も活発な頃か、この夫は駅で白人にトークンを拾え拾わないで対立するくらい、大の白人嫌いの熱狂的民族主義者として描かれる。車内で白人がからかわれているのを、ニヤニヤしながら傍観し、降りる駅に着いても妻に「面白いから見て行こう」なんて言う。“逆差別”をしている様だが、トニー・ムサンテから侮蔑した言葉を浴びせかけられ徹底的に打ちのめされてしまう。
 公民権法が制定されている当時でも、まだまだ黒人への差別と迫害が収まっていない状況は、その後、警官が乗り込んでくるラストの一場面に強烈な印象を残していく。

 幼い女の子にまで絡み出したチンピラに対し、遂に立ち上がるのがボー・ブリッジス。名優ロイド・ブリッジスを父に持ち、ジェフ・ブリッジスの兄。彼もまた、この作品が実質的デビュー作(子役出演が1本ある)。
 狂ったようにトニーとマーティンを叩きのめすが、トニーのナイフが腹に刺さり倒れこむ。それは、電車が42丁目のグランド・セントラル駅に到着した時だった。彼は、田舎のオクラホマへバスで帰郷することが叶うのだろうか。

 「傷は酷いのか?」友人が近寄る。
 「今まで何してた」

 「できることはないか」アル中の男が声をかける。
 「山ほどあるさ」

 戦慄を憶えるのは、怪我を負ったヒーローに何も声をかけない、ただうなだれている他の乗客たちだ。チンピラたちの悪行を何も知らずに酔いつぶれていた浮浪者にさえ無視しつづける人間たちが怖い。
 他人に関わることをやめてしまったツケは根深く蔓延している。遠い昔の異国の出来事が、いつのまにか、すぐ隣りで起きても不思議ではないのが現実なのだ。

 すべて終ったの? 言うことないの?
 これで終わりなの? こんな終わりを迎えるなんて

 ピアノ伴奏で呟くような歌声が流れて、静かに映画は終わる。

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