TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「砂の上の植物群」*中平康監督作品

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監督:中平康
原作:吉行淳之介
脚本:池田一朗、加藤彰、中平康
音楽:黛敏郎
撮影:山崎善弘
出演:仲谷昇、稲野和子、西尾三枝子、島崎雪子、信欽三、小池朝雄、高橋昌也

☆☆☆★ 1964年/日活/95分/BW(パートカラー)

    ◇

 淫靡で官能的な吉行文学を、映像派の中平康監督が描いた観念的性愛の世界。

 30代半ばの化粧品セールスマンの伊木(仲谷昇)は、3歳年上の妻の江美子(島崎雪子)との間に、早、倦怠期を迎えていた。32歳で亡くなった伊木の父親は放蕩の画家で、江美子は結婚前に父親のモデルをしていた。伊木は、江美子と父親には肉体関係があったのではないかと訝しがっていた。
 ある夜、伊木は横浜マリンタワーで出会った少女(西尾三枝子)と関係を持つ。少女はヴァージンだった。次に会った日、少女は明子と名乗り、伊木に姉の京子(稲野和子)を辱めて欲しいと頼む。姉は男にだらしないのに、自分へは純潔を強要することで反発を持っていたのだ。
 伊木は京子がホステスをしているバーに出向き、その晩に京子を抱いた。20代はじめの京子の特異体質な躰と嗜虐性に魅せられ、伊木は倒錯的セックスの虜になっていく。
 ある日、父親と懇意だった理髪店の主人・山田(信欽三)から、父が芸者に産ませた京子という名の娘がいることを知らされる。明子の話では、姉の京子は父親違いの姉妹だという。伊木の心は近親相姦の疑惑に包まれる。

    ◇
 
 吉行淳之介の小説は『夕暮れまで』と『砂の上の植物群』しか読んだことはないが、かなり刺激のあるエロティシズム文学だと思う。この映像化も、原作通り十二分にエロティックだ。

 当時はまだ裸を自由に見せることができない時代だったが、1964年のこの年は増村保造監督と若尾文子の『卍』とか、勅使河原宏監督と岸田今日子の『砂の女』など、エロティシズム文学の作品が多く公開されている。
 この作品も登場する俳優がみんな生々しく、男も女も発情し、性的香りを発散させている。時代への挑戦もあったのだろう。露骨なセックスの絡みはもちろん、乳房も臀部さえ画面には映されていないのに興奮させられるのだ。裸が氾濫する日活ロマンポルノは7年後の登場だ。

 女優の顔のアップを執拗に見せるカメラワーク。突然の静止と無声シーン(1分以上続く)。モノクロ画面にパウル・クレーの水彩画(抽象画)が印象的に挿入されるパートカラー。ラストの、下降するエレベーターは愛欲の底に堕ちるイメージ。見つめ合う男女と開閉する扉の対比画がスタイリッシュだ。どれも、その映像的表現は目を見張るものがある。

 西尾三枝子はデビューから2本目くらいの出演で、まだ現役の女子高校生だったはず。処女を捨てたがる少女と性を嫌悪する少女の狭間を不安定な感情で漂う西尾は、この作品で新人賞を獲っている。
 京子役の稲野和子は文学座の女優。アブナイくらいにイヤラしい。彼女の唇、彼女のホクロ、彼女の眼差し、声色とともに醸し出す色気はすべてに官能的だ。
 当時神代辰巳と結婚していた島崎雪子も、倦怠というベールを被ったエロティシズムにあふれている。
 思えば昔の女優たちは、みんな若くして成熟していた。昨今の若手女優たちには美しさやスタイルの良さがあっても、強烈なエロティシズムがないのはどうしてだろう。 

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 男たちはと云えば、
 「死んでから23年も経つのに、あんた、まだそこらをうろついてるんですか」
 父親の幻影に悩まされる仲谷昇。
 「電車が目的地に着くまでの、手のひらと躰の部分だけの関係で、それ以上求めないのがエチケットだ」
 痴漢の理屈を捏ねる小池朝雄。
 「双子の姉妹と寝たい。右も左も同じ躰。重ね合わせりゃ上も下も同じ躰だ」
 エロ話に興ずる高橋昌也。
 快楽を求める文学座出身の3人である。

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