TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

伝説のGFR日本公演

 1971年7月17日。
 グランド・ファンク・レイルロード(以下GFR)の日本公演が後楽園球場の特設ステージで催された。今のように 簡単に外国に行ける時代ではなく、ましてや海外ロック・アーティストが来日するなんて夢のような時代。'70年の暮れ東京日劇で行われたロックカーニバ ルの第1弾、ジョン・メイオール来日公演に続いて二度目に経験したロックコンサートだった。友人とともに後楽園球場に着いたときには、オープニング・アクトの麻生レミの歌声が聴こえていた。そしてこのコンサートが、後々ロックファンの間で“伝説”として語り継がれることになる。

 前座バンドの演奏も終わり、いよいよGFRのお出ましという時、いままで晴れていた空の雲行きがあやしくなってきた。ポツポツと降り出した雨は突風と稲妻を引き連れ、遂には雹(ヒョウ)を混じえた土砂降りの雨となり、近くに停まっている車のボンネットに音をたてて叩き付ける。さすがのハードロックバンドであるGFRも、演奏開始時間を大幅に遅らせざるえなかった。そして、豪雨の中で待たされる観客には興奮するに十分な効果となり、球場の外にいるチケットを持たない約2000人のファンの興奮も、いやがうえにも盛り上がっていた。後楽園球場には何やら不穏な空気が充満していたことは確かだった。
 待つこと1時間ちかく。開始の「ツァラトゥストラはかく語りき」が場内に響き渡り、ずぶ濡れの30,000人以上の観客の歓声と怒号の中、「Are You Ready」でコンサートはスタートした。セットリストはその後「Paranoid」「Heartbreaker」とつづき、アンコールが「Inside Looking Out」。たしか5~6曲ぐらいしか演奏をしなかったが、とてつもなく熱いコンサートだった。

 “伝説”と云われる所以は、この雷雨のなかでの大音量による演奏だけではない。三塁側ゲート近くのシャッターが壊され、会場になだれ込むファンで騒然となった公演でもあったのだ。会場の中からゲート破りを誘導した数人のファンの中に、小・中学校の同級生がいたことは後年知った。そしてぼくの“伝説”の実体験は、なだれ込むファンの中にいたということだ。東京に来て1年目。チケットを入手しないまま、とにかく噂の大音響バンドの生の音を会場の外からでもいいから聴きたい、という思いだけで後楽園球場に来ていた。
 真夏の夜の狂乱は、翌日の新聞の『ファンが暴徒化して会場に乱入。機動隊出動で乱闘騒ぎ』のタイトルで締めくくられた。

 こんな噂もある。感電を恐れたGFRの3人は、テープ録音の曲に合わせての口パクだったというものだ。今のように大スクリーンがあるわけではなく、ましてやグランドに観客席はなく、二塁ベース付近にセットされたステージを内野席の遠くから観ているだけのコンサート。さて真意のほどは。
 どちらにせよ、日本に定着する本格的な外タレ・ロックコンサートはこの伝説から始まり、いよいよ二ヶ月後にレッド・ツェッペリンが来日する。
 今度はちゃんとチケットを買ったのは云うまでもない。

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