TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「沙耶のいる透視図」*和泉聖治監督作品

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監督:和泉聖治
原作:伊達一行
脚本:石井隆
撮影:佐々木原保志
音楽:一柳慧
出演:高樹沙耶、名高達郎、土屋昌己、加賀まりこ、山田辰夫、沢田和美

☆☆☆ 1983年/プルミエ、ヘラルド/102分

    ◇

 原作は伊達一行の“すばる文学賞”受賞作。
 ビニ本のカメラマンと、母親とのセックスが最高だという編集者と、母親との血脈を呪う不感症の女との三角関係を描いた問題作で、映画上映も3年間のお蔵入りを強いられていた。近親相姦が問題だったのだろうか。

 パトロン持ちの元モデルの女との情事を楽しむカメラマンの橋口(名高達郎)は、編集者の神崎(土屋昌己)に沙耶という女(高樹沙耶)を紹介される。
 沙耶をホテルに誘う寸前で逃げられてしまう橋口だったが、車の中に残されたスケッチブックに描かれていた“ケロイド状のペニス”の春画を見て、沙耶に不思議な魅力を感じてしまう。

 “ケロイド状のペニス”は神崎のことであり、彼は母親と近親相姦をおこなっていた。
 沙耶は、男に溺れ堕落した生活をする母親の血脈を嫌悪するあまり“性” を憎んでいる。

 神崎と沙耶との不思議な関係性に取り込まれながら、橋口は沙耶に惹かれていく……。
 
 インポテンツの神崎と不感症の沙耶の関係は、“性”の“男根主義”を嫌悪することからの同一性で、“不能”の“性”が成立することがその対極にあるのだと示す。

 「セックスが愛を消し去る」

 愛があるからセックスをするのか。
 セックスがなければ愛は育たないのか。

 沙耶と同化しようと自らの“性”を消し去った神崎は“男根主義”の犠牲者か。
 ふたりの“性”への憎しみはどこからくるのか。
 人間の、性愛の悲劇が提示される。

 暗くて難解なストーリーだが、人間の心の奥深いところをえぐり出す深いテーマが備わっている。

 心に暗い闇を抱えた女を好演する高樹沙耶は、稚拙な台詞廻しながら眼光の鋭さと、可愛い顔だちから醸し出される不思議な浮遊感がいい。虚無感を備えドロドロとした存在でスクリーンに輝いている。
 彼女はこの作品でモデルから映画デビューし、芸名はこの役から名付けられた。とにかく美しい高樹沙耶である。
 
 献身した夫が別の女の元に走り、息子とのセックスに溺れてしまい精神を病に巣食われた神崎の母親を演じる加賀まりこは、その妖艶さが壮絶で出色。
 
 インモラルな神崎役は、ミュージシャンの土屋昌己が演じる。演技は問題外なのだが、この退廃的な雰囲気は彼にしか出せない存在感だ。

 沙耶の輝くばかりに煌めく肢体。
 その後方、雨降る窓の外を落下する神崎。
 目が合う橋口。
 衝撃のラストシーンは、脚本を担当した石井隆の劇画『雨のエトランゼ』の終幕が引用された。
 
 


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