TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

歌謡曲外伝【杏真理子】

 ここのところ歌謡曲三昧の日々がつづき(週末からはストーンズ・トータリー・ストリップド【Blu-ray+CD+ボーナスCD+ボーナス3Blu-ray】となる予定)、長年探し求めていた杏真理子(きょう まりこ)の4枚目のシングルを手に入れたので、不定期掲載の『歌謡曲外伝[7inchシングル]』(2年ぶり!)として杏真理子を綴ってみようと思う。

 1951年1月15日、米空軍基地がある青森県三沢市でアメリカ人の父親と日本人の母親との間に生まれた杏真理子。当時の風潮を考えると、ハーフだということでかなりの苦労を強いられたことが窺える。三沢の美容高等学校を中退して、札幌のクラブで歌っていたところをスカウトされ、1971年日本コロムビアより歌手デビュー。
 阿久悠が「札幌のクラブで歌っているデビュー前の彼女を見て、彼女の暗さと重さを嗅ぎとった」(阿久悠著「なぜか売れなかったが愛しい歌」より)と云わしめた、アダモと美空ひばりを敬愛する実力派シンガーだった。

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LOVERS RIDE A DREAM OF DESTINY / RAINBOW AFTER TEARS
杏真理子◆ さだめのように川は流れる/涙の空に虹が出る 1971年

 1971年4月にリリースされたデビュー・シングル。
 作詞阿久悠、作曲彩木雅夫、編曲馬飼野俊一による知る人ぞ知るやさぐれ歌謡の名曲で、阿久悠が生前フェイヴァリット・ソングとして挙げていた一曲である。

 1970年、北原ミレイの「ざんげの値打ちもない」が登場し歌謡界を震撼。それに続いてリリースされた「棄てるものがあるうちはいい」「何も死ぬことはないだろうに」が、“やさぐれ3部作”と謳われる異色作なのが周知なら、この時期に阿久悠がもうひとつ自信を持って放ったのが、この「さだめのように川は流れる」だった。


 林美雄がパーソナリティを務めていた木曜深夜の「パックインミュージック」から、なんとも厭世的気分を漂わせる歌として頻繁に流れていた。
 ソウルフルで、ブルージーで、重い低音はその力量も十分に、ヴァイブレーションの効いた歌唱とインパクトあるメロディが印象的だった。
 初めて杏真理子を見たのは『夜のヒットスタジオ』だったろうか、阿久悠の詞世界を浮遊する杏真理子の存在が焼き付いた。
 
 活動としては、千葉真一主演の『やくざ刑事 俺たちに墓はない』('71)にクラブ歌手の役で出演したりしていたが、残念ながらセールスは惨敗。阿久悠は「自信を粉々に砕かれた」と述懐している。
 暗い歌ということもあるが、杏真理子のデビューと同じ日に小柳ルミ子もデビューしたのが運の付きだったか、完全に「わたしの城下町」のミリオンセラーに埋もれてしまった感があった。

 その後、阿久悠自らが「さだめ」と云う言葉を使用したことを悔いてしまうほど、過酷な人生を歩んでしまった杏真理子。
 5枚のシングルをリリースするもどれもヒットに結びつくことがなく、1973年に彼女は歌手活動を一時休止し、歌の勉強のためにアメリカへ渡ったのだが、運命は残酷。1974年、遠いロザンゼルスの地で殺人事件の被害者となった彼女は、享年23の若さで人生に幕を下ろしてしまった。

 「さだめのように川は流れる」のCD化は、これまで14枚組の大全集でしか聴くことができなかったのだが、現在では『続・人間万葉歌 阿久悠作詞集』(CD5枚BOX)に収録され、手軽に聴くことができるようになった。

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WAKE ARU TABI / RAINBOW
杏真理子◆ 理由ある旅/虹 1971年

 1971年11月に出た2枚目のシングル「理由ある旅」は、平野秀典作詞、小林亜星作・編曲。
 少し地味な感じを受けるが、哀愁あるトランペットが映画音楽を想起させる逸品で、情感のこもった歌唱が遺憾なく発揮されている。
  
 B面「虹」は吉岡オサム作詞、小林亜星作・編曲。
 グルーヴ豊かに暴れまくるベースラインに乗って、ダイナミックに歌い上げる歌唱が見事で、厭世観に引きずられる女の情景が浮かぶ傑作。

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SUE / GONE WITH YHE WIND
杏真理子◆ 地下鉄のスー/風とともに消えた 1972年

 1972年5月リリースの4枚目のシングルで、2016年GWのレコードフェスで念願の入手。
 作詞・作曲は両面とも、ふたたび阿久悠と彩木雅夫のコンビで、編曲は「地下鉄のスー」が小杉仁三、「風とともに消えた」が馬飼野俊一が担当。

 コロムビア・シンガーズ・フォアのコーラスを入れたR&B歌謡で、和田アキ子が歌ってもよさそうなファンキーな逸品。
 B面「風とともに消えた」のバック・トラックはジャズ…間奏のファズの効いたオルガンやホーンセクションが実にカッコいい。


 デビュー曲から、どの歌もすべて歌唱力十分な傑作ながら、なぜメジャーになれなかったのか……。

 このあと、最後となるシングル「あやまち(Chante Avec L'amour)」を9月にリリースしており、アダモが好きだったという杏真理子がシャンソンをカヴァーしたようだ。詞は千家和也。
 ちあき哲也作詞、彩木雅夫作曲のB面にも興味があり、いつか探し求めたい一枚となっている。

 9年前の夏のレコード・フェアで、杏真理子唯一のアルバム『さだめのように川は流れる』を見つけたことがあるのだが、盤はAランク表記で価格もお手軽だったのだが安価のワケがジャケットの酷さだった。見開きジャケの両全面にカビ・シミが広がり、中面のピンナップがボロボロな代物であり見送ってしまったのだが、いま思えば実に残念な買い逃しをしたものである。
 同じ時期にサンとロペの唯一のアルバムを、これはヤフオクだったが競り負けしてしまい悔しい思いをしているのであった。両アルバムとも、見つけたら即買い必須と心に決めている(笑)。

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「ダディ・クール」鎌田みゆき


DADDY COOL / MAMA ROCK'N ROLLER
鎌田みゆき◆ ダディ・クール/ママはロックンローラー 1984年

 2016年GWのレコードフェスで入手した1枚。
 1984年9月リリースの鎌田みゆきのデビュー・シングルで、ツッパリ歌謡路線のひとつだが、両面とも作詞ちあき哲也、作曲宇崎竜童の作品だというのが肝。

 ちあき哲也と宇崎竜童のコンビといえば、まだ両氏がプロになる前の1970年、太田とも子への楽曲提供で鮮烈な印象を残してくれたお二人。このコンビで作った曲は数少ないはずで、知る限りでは太田とも子の「とおく群衆を離れて」「恋はまっさかさま」「ねむいのは悲しいからさ」の3曲と、大橋恵子のデビュー曲「愛の教室」くらいしか思い浮かばないのだが……。

 追記:1973年にリリースされた、いとのり かずこのアルバム『いとのり かずこの世界』にこのコンビによる楽曲が収録されている。「わたし流れ花」と「何て孤独な朝」の2曲、どちらも演歌風な小ブシが聴かれるものの歌唱力のしっかりしたやさぐれ歌謡の佳曲。

 この鎌田みゆきのシングルは、売れっ子になってからの二人がふたたびコンビで作った作品。そう言う意味で、買わずにはおけない盤だ。
 中森明菜の不良少女路線を再現するかのようなアイドル感と、どことなく寺島まゆみ似のシャープな声で叩きつける歌唱は、ツッパリ歌謡の王道を高飛車に疾走しているかのようだ。

 鎌田みゆきは、1984年4月公開のにっかつエロス大作『夕ぐれ族』(監督曽根中生/春やすこ、松本ちえこ)に出演しており、歌手デビュー後には同じくロマンポルノの『ヴァージンなんか怖くない』(監督那須博之)で主演を務めている。この後、テレビドラマにも何本か出ていたようだ。


「恋のハッシャバイ」サボテン麻紀


サボテン麻紀◆ 恋のハッシャバイ/口説きのアクセサリー 1978年

 2016年5月のゴールデン・ウィークに入手した1枚。

 1978年9月リリースの「恋のハッシャバイ」でシングル・デビューしたサボテン麻紀。作詞は羽山しげき、作曲は夏よしみ。

 1978年にデビューした女性歌手を思い出してみると、アイドル系では金井夕子とか石川ひとみ、石野真子…ニューミュージック系では杏里、中原理恵…ロック/ポプコン系は桑名晴子や本間由里、大友裕子がいて、女優だと加山麗子と竹下景子らの名前が並ぶのだが、残念ながら“サボテン麻紀”の名前は全く売れることなく、このシングルが最初で最後の1枚として消えていったひとりとなる。

 インパクトある芸名と、若き日の梶芽衣子を思わす麗しきルックスが気になっていたのだが、彼女に関する情報は一切なく、その経歴も不明。フェロモン歌謡のレア盤としか伝わってこない代物で、1万円近い高値で出てくるらしいが、どうにか安価で手に入れることが出来た。もちろん、ジャケも盤も美品状態で。


 「恋のハッシャバイ」は、作詞羽山しげき、作曲夏よしみ。
 アイドルっぽいルックスに反し典型的なやさぐれ歌謡で迫ってくるところが、70年代フェロモン歌謡の醍醐味で、十二分に惹かれるのである。
 「ハッシャバイ Hush a Bye」は英米の伝承童話「マザーグース」などに出てくる言葉で、「Hush=シーッ」は「ねんねんころり」のような意味で、「Lull a Bye」と同じように子守唄を指すという。

 B面「口説きのアクセサリー」は、作詞大場正人、作曲小谷充。
 こちらも相当にやさぐれた女の情景……

ゴールデンウィーク中の猟盤

 2016年のゴールデンウィークは久々に長い休日(と言ってもカレンダー通りに休んだ)だったので、中古屋レコード店とレコード・セールに出かけ、歌謡曲中心にアルバム1枚シングル12枚を入手してきた。

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 これだけの数のゲットも、パッと見では大したものがあるようには見えないが、いくつか、長年探し求めていた非常に珍しいものを見つけ、有頂天になっている。

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 1973年5月リリースの奥村チヨのアルバム『ひき潮』は、ジャケの沁みやカビもなく盤も綺麗だったので購入。A1サイズのポスターも付いているのだが、ヤフオクなどではポスター無しで8000円とか1万円の値段がつくことがある。帯に「ポスター付き」と明記されていないと、いいように高値を掴まされる要注意商品。

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 奥村チヨのシングル「涙いろの恋」(作曲:筒美京平)「青い月夜」(作曲:井上忠夫)と、黛ジュンの「霧のかなたに」(作曲:中島安敏)「不思議な太陽」(作曲:三木たかし)は、東芝音工独自の赤盤。
 1960年代を中心に、東芝音工の赤盤は静電気防止で埃が付きにくい〝エバークリーン盤〟として、邦楽・洋楽を問わずLPとシングル盤に普通に出回っていたものだから、特に赤盤が貴重だというものではない…はず。
 当時、東芝音工のどのレーベルのレコードも赤盤と黒盤があったようなのだが、自分が知る限り赤盤しか見かけなかったな。
 いま中古市場では黒盤の方が多いのって、なぜなんだろ…だから、赤盤を見つけると、つい食指が伸びてしまう…なんとも不思議なこと。

 奥村チヨ「別れてあげる」は1984年ミノルフォンからの最後のシングルで、この時代のシングル盤はなかなか見つからない。金井夕子の「オリエンタル ムーン」も、メジャーでありながら見つけるのが難しい盤だ。

 今回、一番の収穫は、ちあき哲也&宇崎竜童の楽曲で歌手デビューした鎌田みゆき(女優としてロマンポルノにも出演)と、サボテン麻紀の「恋のハッシャバイ」と、杏真理子の「地下鉄のスー」の3枚。
 特に杏真理子のこの盤は、見つけることは出来ないと思っていたブツ。自分にとってはかなりの貴重盤だ。
 後日、この3枚は単独で紹介したいと思う。