TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「ハンガー」*トニー・スコット

以下作品は、映画前売券のコレクションとして記録するのみです。

1984_ハンガー
THE HUNGER
監督:トニー・スコット
脚本:ジェームズ・コスティガン、アイヴァン・デイヴィス、マイケル・トーマス
原作:ホイットリー・ストリーバー
音楽:ガブリエル・フォーレ
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、デヴィッド・ボウイ、スーザン・サランドン

☆☆☆★ 1984年/イギリス/96分

 初見1984年4月。

 トニー・スコットの初監督作品。
 カーミラ(女吸血鬼)を扱った吸血鬼物語だが、原題の〝THE HUNGER〟「渇望」は血に飢えたヴァンパイアのことではなく、〝愛〟に飢えた者たちの物語として成立している。
 
 美しい金髪をなびかせニューヨークをあるくカトリーヌ・ドヌーヴは何千年ものむかしからヴァンパイアとして生き続け、時代ごとに恋人を見つけては仲間にしている。
 いまニューヨークで一緒に暮らしているのは、18世紀のロンドンから連れて来た愛人デヴィッド・ボウイ。
 〝不死〟を約束でヴァンパイアになったボウイだが、実は200年しか生きられないのが運命。彼はいま、その美貌の衰えに恐怖している。

 ふたりの退廃的美しさ…カトリーヌ・ドヌーヴの美しさは、まさにヴァンパイア的に永遠。

 美しいボウイが急激に老い変貌し倒れると、ドヌーヴが次の愛人として目をつけるのがスーザン・サランドン。ふたりのレズビアン・シーンがエロティックに展開する。
 トニー・スコットの耽美で美しい映像に魅了されるばかり……。

 公開時の批評は芳しくなかったようだが、いまはカルト的人気のある作品である。

スポンサーサイト

「復讐するは我にあり」*今村昌平監督作品

 以下作品は、映画前売券のコレクションとしての記録です。

1979_復讐するは我にあり
監督:今村昌平
原作:佐木隆三
脚本:馬場当、池端俊策、今村昌平
撮影/姫田真佐久
音楽:池部晋一郎
出演:緒形拳、三國連太郎、小川真由美、倍賞美津子、ミヤコ蝶々、清川虹子、殿山泰司、白川和子、絵沢萠子、河原崎長一郎、フランキー堺、北村和夫

☆☆☆☆ 1979年/日本・松竹/140分

 初見1979年4月。

 5人もの人間を殺した冷酷殺人犯を題材にした佐木隆三の直木賞受賞作品を、深作欣二、黒木和雄、藤田敏八らと競い今村昌平が映画化にこぎつけたことは有名な話だが、アクション主体で構想した深作版、原田芳雄の主役が想定された黒木版、郷愁豊かになったろう藤田版などを想像するも、やはり、今村昌平監督の気迫を込めた(10年ぶりの劇映画だった)人間ドラマの凄みは有無を言わせない。
 
 殺人犯の顔に成りきった緒形拳をはじめ、小川真由美、清川虹子、倍賞美津子の3女優の存在感に圧倒される作品でもある。

「キス・ミー・プリーズ」坂本めぐみ


KISS ME PLEASE / DAN LA MAIN
坂本めぐみ◆ キス・ミー・プリーズ/ドラマ 1980年

 1983年公開のロマンポルノの秀作『ブルーレイン大阪』の挿入歌として聴いたB面曲「ドラマ」を目当てで猟盤したシングル。まさかレコードになっているとは知らず、十数年後に念願叶って手に入れた逸品。

 坂本めぐみは、1971年ミュージカル〝ヘアー〟(ベルギー・パリ公演)や〝ジーザス・クライスト・スーパースター〟に参加した本格派ヴォーカリスト。
 1975年、花柳幻舟とミッキー吉野グループのアルバム『残・曾根崎心中』にタケカワユキヒデとともにヴォーカルを努め、1976年リリースのゴダイゴの1stアルバムでコーラス参加している。
1979年には元ズーニーブーの高橋英介、元キャロルやダウンタウン・ブギウギ・バンドの相原誠、“じゅん&ネネ”の梢ネネこと高橋早苗(当時は高橋英介と夫婦)ら4人でハード・ポップ・バンド〝JABB〟を結成し活動。
 シングル・リリースした『ホット・サマー・ジャンクション』は、島武実作詞・宇崎竜童作曲のディスコテイストな歌謡ロックで、坂本めぐみの掠れたシャウトが大きな魅力。

JABB_hotosummerjunction.jpg
 JABBの活動はアルバム〝JABB FIRST〟とシングル1枚で終わったようで、その後、ソロ活動をしていたことは知らなかった。このシングル「キス・ミー・プリーズ」はバンド解散後すぐに出したことになる。
 そして、彼女の姿を初めて見ることになるのが『ブルーレイン大阪』の劇中ライヴシーンで、フルコーラス聴くことができる。

 映画は志水季里子の魅力にあふれているが、主題歌となる八代亜紀の「ブルーレイン大阪」と坂本めぐみの情感豊な歌声も作品のファクターになっている。

★JABB FIRST
★ブルーレイン大阪

「青春道中哀歌」本間由里


本間由里◆ 青春道中哀歌/かわいた雨がふる 1978年

 1978年8月にリリースされた、ヤマハポピュラーソング・コンテスト出身の本間由里のデビュー・シングル。「青春道中哀歌」の作詞・作曲は吉川裕一、ジャケット写真は加納典明。

 本間由里の音楽歴は、1974年の第5回世界歌謡祭に〝スズメの合唱団〟の一員として参加、第8回ポプコン(’74)から連続出場し、第14回では「ホワイトナイト」という曲で川上賞を獲っている。
 この「青春道中哀歌」はポプコン初の演歌系楽曲として名高く、当時の彼女は国際商科大学在学の21歳。素晴らしいのは彼女の乾いた声質。そして情感を込める表現力。さすらい歌謡の傑作と言っていいだろう。

 荒涼とした青春のいばら道を彷徨う迷い子のように、無常の世界が広がってくるのである。

 B面「かわいた雨がふる」も傑作。作詞は井口愛、作曲は須賀一夫。
 当時(70年代後半)としては古くさくなりかけた四畳半フォーク的な詞世界だが、本間由里の少し投げ遣りな歌唱が「懺悔の値打ちもない」的なやさぐれ感を内包している。

 本間由里はこの後「悲雪」「とまり木」と2枚のシングルを出したあと一時期歌手活動を休止していたが、2000年代になってから再び活動を再開。夫でギタリスト&アレンジャーの川村栄二の楽曲で何枚かCDをリリースしている。

★千年の想い★


根津甚八 一度限りの復活

石井隆監督 最新作『GONIN サーガ』
残された最後の〝5人〟目が17日に明かされた

根津甚八
 一度限りの俳優復活である


公式サイトにおける
根津甚八のコメントに心が震えた
本当に 
ホントに最後の花道を作った石井隆監督との信頼関係に 涙
いや 涙は映画を観てからだ

挿入歌は 当然ちあきなおみの「紅い花」
そしてもう一曲 森田童子「ラスト・ワルツ」が流れる
石井隆監督の選曲 手放しで嬉しい……

石井ワールドの両輪 根津甚八と竹中直人のふたり村木
我らは 
昇華する魂がフルスロットルで駆け抜ける目撃者になる

公式サイト
★GONIN サーガ★
gonin_sarga_chr.jpg

「あなたは冷たいひとですか」高田真樹子


高田真樹子◆ あなたは冷たいひとですか/妖女志願 1977年

 ヤマハポピュラーソング・コンテスト出身の美人シンガー高田真樹子の、1977年11月にリリースされた4枚目のシングル。

 小坂明子が「あなた」でグランプリを獲得した1973年第6回ポピュラーソングコンテストに「糸」という曲で優秀賞を受賞した高田真樹子は、翌1974年ポリドールからメジャー・デビューした。
 1stシングル「屋根」はポプコンらしい、というか確実に「あなた」を意識した曲で、桃井かおり似の可愛らしいジャケット写真だった。

 その後ファーストアルバムもリリースされたが興味を持ったのはもっと後で、1977年にキティ・レコードに移籍してリリースされた2ndアルバム『不機嫌な天使』においてだ。高田真樹子の低い声は明らかに発声法が変わり、ポプコン色を消す変貌ぶりを見せていたので購入した。

Makiko_2ndLP.jpg 
 アルバム参加ミュージシャンは、高中正義、大村憲司、小原礼、高橋ユキヒロ、村上〝ポンタ〟秀一、浜口茂外也、林立夫、林哲司、後藤次利、星勝、洪栄龍、安田裕美、ミッキー吉野、スティーブ・フォックス、原田裕臣、シンガーズ・スリー等々、超豪華なメンバーが揃い、作家陣には来生えつこと小椋佳らのサポートを得たシティ・ポップの名盤に仕上がっている。
 同時期にラジ〝RAJIE〟や佐藤奈々子がデビューし、いしだあゆみがティン・パン・アレイと『アワー・コネクション]を出したり、1977年はメロウなシティ・ポップの最重要起点になっている。

 因みに、1975年12月にリリースされた来生えつこ作詞・来生たかお作曲の2ndシングル「終止符」(このアルバムにも再録)が、来生たかおのレコード・デビューのきっかけになったという。


   あなたなら 哀しみも ちょっとした アクセサリー
   あなたなら 恋までも 指先でつまんで もてあそぶ

 この「あなたは冷たいひとですか」はアルバムには収録されていない曲で、作詞は来生えつこ、作曲は安田裕美、編曲は船山基紀。
 表現力豊かな大人のシティ・ポップは『不機嫌な天使』と同じ流れ。
 女優水原ゆう紀に似たジャケットが高ポイントであった。

「男と女のブルース」七尾理恵


七尾理恵◆ 男と女のブルース/青い蝶のブルース 1970年

 5〜6年前の猟盤時に廉価コーナーで手に入れた七尾理恵のデビューシングル。野太くハスキーな声質は大好物なので、かなり気に入っている盤。
 1970年8月リリース、A/B面共に市川昭介作曲の典型的な歌謡ブルースである。

 1966年の青江三奈「恍惚のブルース」や美川憲一「柳ヶ瀬ブルース」の大ヒットから始まったと云われる〝ニュー歌謡ブルース〟は、60年代初めの西田佐知子やそれ以前の淡谷のり子の歌うブルースとは明らかに違い、ローカル性に伴う夜の世界に棲む女性の官能性が描かれる。
 女性歌謡ブルースで惹かれるところは、どれだけ〝場末〟感が映し取られているか……それは歌詞世界だけではなく、歌い手の歌唱法や声質に大きく委ねられる。その点、七尾理恵は素晴らしい声を持っている。

 「男と女のブルース」は歌唱法が女森進一とか言われたようだが、声質は青江三奈に近い。
 「青い蝶のブルース」は1967年の大ヒット曲「新宿ブルース」に倣うような曲で、藤圭子の声でも似合うブルース。
 独特な声といえば、扇ひろ子やディープ歌謡の女王緑川アコで「新宿ブルース」を聴いたとき、彼女たちの低音に痺れたものだが、七尾理恵はそんなもんじゃない。ドスの効いた声、これは癖になるのだ。

 七尾理恵のプロフィールを見てみると、1970年4月フジTV『3時のあなた』新人歌手オーディションに合格し、市川昭介氏に師事してデビューを果たしたとあるのだが、このデビュー曲以後レコードを出した形跡がない。
 昭和という時代が産み堕としたディープ歌謡の逸品であるだけに、1曲だけに終わってしまったのは残念だ。もう少し早くデビューをしていれば、というところだろうか……。

NanaoRie_aoichounoblues.jpg

★超・電気歌手! 緑川アコ★ 
★カスバの女~緑川アコ★ 


「女優」増田惠子


増田惠子◆ 女優/くれないチャイナタウン 1984年

 1984年6月にリリースされたケイの4枚目のソロシングルは、事務所移籍とともにレコード会社もワーナパイオニアからフォーライフへ移籍し、名前も〝けい子〟から〝惠子〟に変えての第1弾。

 A面「女優」は作詞・作曲が桑田佳祐。
 ソロ・デビューから3作を中島みゆき、松任谷由実、竹内まりやとニューミュージック路線で歌ってきたケイが、今回はしっとりと、桑田佳祐流の歌謡曲を歌う。
 これはTV『欽ちゃんのどこまでやるの?』の劇中劇から生まれた曲なのだが、ヒットには繋がらなかった。

 この年は同じ6月にMIEが「NEVER」をリリースした。これはTV『不良少女とよばれて』の主題歌として大ヒット。コンビを離れてお互いそれぞれの道を歩んでいたふたりだが、ここにきてMIEはソロ・デビューの雪辱を果たしたことになる。ケイへの想いは如何にってところだが、やはり、この頃のふたりの仲は最悪だったという。

 B面「くれないチャイナタウン」は作詞が峰岸未来、作曲は佐藤準。
 ベンチャーズ歌謡を思わす軽快なビート歌謡で、実は「女優」よりこちらの方が断然好きだ。

「女はブルース」中原マキ


ONNANO BLUES / SUBETEWO WASURETE
中原マキ◆ 女はブルース/すべてを忘れて 1970年

 女性ジャズ・ヴォーカルにのめり込んだ70年代後半から80年代、笠井紀美子をはじめ中本マリ、安田南、阿川泰子、アンリ菅野、金子晴美のレコードを集めるなかで、伊藤君子を知った。
 その伊藤君子が、歌謡曲歌手として下積みをしていたのは周知のこと。
 このシングルは、伊藤君子が中原マキ名義で1970年8月にリリースした、たぶん最後の歌謡曲だと思う。

 小節を廻し、微妙なヴィブラートも効かせた演歌調なので驚いたのだが、A面「女はブルース」の発声は青江三奈。B面「すべてを忘れて」は藤圭子的演歌フォーマットを踏襲する歌謡ブルースで迫ってくるのだが、歌謡曲としては平凡か、名前も知られずに次から次へと消えていった歌謡歌手のひとりとなるのは致し方ないか。

 1970年辺りはブルース・ロックを夢中で聴いていた傍らで、ディープな歌謡曲を聴くのも愉しみだった。藤圭子はもとより、緑川アコなどはジャニス・ジョプリンを初めて聴いたときくらい衝撃的な歌謡曲だったりして、「レコードマンスリー」というレコード店向けの新譜情報誌を片手に、こっそりディープな歌謡曲を探す日々が楽しかった。
 このシングルが発売された8月前後には、太田とも子サンとロペを買ったと記録にあるのだが、当時は中原マキには食指が動かなかったようだ。伊藤君子の愛称〝ペコ〟は当時からのものらしく、ジャケットにその感じが表れているようなのでジャケ買いもしなかったのだろうな(笑)。


 さて、歌謡曲を歌うことに嫌気が差していた中原マキは、人からジャズを歌えばとアドバイスを受け、本格的にジャズを勉強したというのである。歌の世界で上手く方向転換できた希有な女性が彼女だったであろう。
 1982年にジャズアルバム『BIRDLAND』で再デビューしてから現在まで、ジャズ・ヴォーカリストとして素晴らしい歌声を聴かせてくれている。

KimikoIto_birdland.jpg



「ためらい」増田けい子


増田けい子◆ ためらい/傷心 1982年

 1982年6月にリリースされた増田けい子の2枚目のソロシングル。
 A面「ためらい」は作詞・作曲が松任谷由実。
 この曲はご存知ユーミンの1980年のアルバム『時のないホテル』に収録された3連ロッカバラードだが、もともとは1977年に女優の萩尾みどりに贈った名曲。

 ユーミンの詞世界を丁寧に歌うケイにピッタリな楽曲であり、ジャケット写真も文句なし。
 B面「傷心」は 中山ラビ作詞、小椋佳作曲の悲恋歌。しっとり歌うケイの掠れた声がいい。

「ブラームスはロックがお好き」MIE


MIE◆ ブラームスはロックがお好き/TODAY'S MY BIRTHDAY 1981年

 1981年7月にリリースされた元ピンクレディーMIEのソロ・デビュー第1作。
 久世光彦がプロデュースし、A/B面とも作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄。

 1978年にピンクレディーとして山口百恵のレコード大賞(「プレイバックPart2」)の受賞を阻んだMIEが、ソロ活動のスタートとして選んだ戦略が百恵スタッフ陣の起用……いわゆる山口百恵の一時代を築いた最強トリオの参画である。話題づくりとしてはこの上もないものだったはず。

  だから だから だから だから……………
  だから そうなの Wow Wow

 ピンクレディー時代からMIEよりケイの方に関心があったのだが、阿木&宇崎コンビの曲ともなれば聴かずにはおけないと云うことで購入してみたが、まだまだピンクレディを引きずったままの世界(阿木燿子の歌詞世界は面白い)で残念の感があった。
 そんなところを見透かされていたか、エンターテインメントなROCK歌謡ながらヒットするまでには及ばず、半年遅れでソロ・デビューしたケイが中島みゆき提供の「すずめ」を大ヒットさせたのとは対照的だった。

 高音で通すMIEのロック歌唱への挑戦は認めるが、B面「TODAY'S MY BIRTHDAY」のバラッドの方が好み。
 そして、ジャケットは好きだ。

「明日では遅すぎる」山川みどり


TOMORROW MAY NOT BE SOON ENOUGH / THERE IS DANGER IN THE AIR
山川みどり◆ 明日では遅すぎる/危険な関係 1970年

 1970年10月にリリースされた山川みどりのデビュー・シングルで、A/B面とも作詞:中村小太郎、作曲:鈴木邦彦。

 キング・レコードが、アメリカのユナイト・レーベルの日本制作を始めたときの新人歌手のひとりとしてデビューしたのが、鈴木邦彦の門下生だった山川みどり。
 因みに、ユナイト・ジャパンからは同じ年に梶芽衣子の実妹太田とも子も改名再デビューしている。

 身長154cmと小柄な体躯の山川みどりは、インパクトあるジャケットが示すように大きな目が特長で、ジャケット記載の新人紹介欄には好きな歌手はナンシー・ウィルソンとある。
 その彼女の歌声は、鼻にかかった独特なクール・ヴォイス。

  ♪花も散〜る 花も散る〜
   あなたの指 私の耳 私の指 あなたの胸
   ………………
   わたしは溶けていくでしょう

 サビ以降は、いしだあゆみや奥村チヨが確立した小唄調の節回しで聴くものを離さない絶品歌唱。
 小唄調ビートサウンドの逸品といえる。

 B面「危険な関係」も「明日では遅すぎる」以上に、グルーヴ感あるビート歌謡に仕上がっている。

MidoriYamakawa_02.jpg