TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「流れる」速水典子



速水典子◆ 流れる/あなたのシャツ着て 1982年

 生きてる……揺れる……感じる……
 触れる……あふれる……

 1981年、岡本喜八監督作品『近頃なぜかチャールストン』の端役でスクリーン・デビューした速水典子が、1982年トーラスレコードからレコード・デビューしたのがこの曲で、作詞は三浦徳子、作曲は小笠原寛。

 当時は「週刊プレイボーイ」「GORO」などにグラビア・アイドルとして、またカメラ雑誌などでヌードを披露し、初めての写真集「誘・わ・れ・て」も発刊していたが、このレコードは世間の目にあまり触れないまま、人知れずフィドアウト。
 いかにも素人っぽい歌い方だが、耳に心地よい歌声には雰囲気がある。これは重要。

 彼女の転機は3年後の1985年。2冊目の写真集を出したあと、相米慎二監督×石井隆脚本のロマン・ポルノ『ラブホテル』の主役・土屋名美に抜擢され、ヨコハマ映画祭優秀新人賞を受賞。
 初主演の映画にして、相手の心を射抜くような切れ長の眼に見惚れるほど名美役にぴったり嵌っていた。この雰囲気が重要。
 『ラブホテル』の原案となる劇画【今宵あなたと】(‘83)の、特にラストカット、部屋に舞い込む雪片を見上げる名美の画にあてると、それは顕著に現れている。70年代の名美たち、泉じゅんにも、水原ゆう紀にも、鹿沼えりにもなかった名美を透かし見ることができよう。

 1988年に満を持して石井隆が『天使のはらわた 赤い眩暈』で監督デビューし、その後90年代の石井作品の多くに出演した速水典子。
『死んでもいい』では巻頭、電車内に座る小さな子どもの母親で…。
『ヌードの夜』は余貴美子の名美を蔑むような眼で見るセレブなお嬢様として…。
『夜がまた来る』では、かつての村木役寺田農が通うクラブのママ…。
『GONIN2』は5人の女のひとり西山由海の夫の愛人…。
 『黒の天使 Vol.1』では女殺し屋・片岡礼子の銃弾を仁王立ちで受け、『黒の天使 Vol.2』では花屋の娘・片岡礼子の母親役で登場した。

 速水典子の存在は、たとえそれがワンシーンだけの役であっても、ぼくにはまさしく石井作品のミューズの如く見えていたのだが、『夜がまた来る』と同時に撮影していた『天使のはらわた 赤い閃光』のちひろ役は、ホラー・サスペンスのなかでのキイパーソンとして魅了させてくれた。
 この作品は、〝名美と村木の物語〟と言うよりも名美(川上麻衣子)とちひろの〝女と女の物語〟であり、ある側面では速水典子の映画でもあった。
 石井隆のイメージのなかで、速水典子は重要な石井組の女優として存在していたはずである。


★ラブホテル★
★死んでもいい★
★ヌードの夜★
★夜がまた来る★
★天使のはらわた 赤い閃光★

lovehotel_shl.jpg

スポンサーサイト

「田舎の日曜日」*ベルトラン・タヴェルニエ

以下作品は、映画前売券のコレクションとして記録するのみです。

1985_田舎の日曜日
Un Dimanche a la Campagne
監督:ベルトラン・タヴェルニエ
脚本:ベルトラン・タヴェルニエ、コロ・タヴェルニエ
原作:ピエール・ボスト
音楽:ガブリエル・フォーレ
出演:ルイ・デュクリー、サビーヌ・アゼマ、ミシェル・オーモン、ジュヌヴィエーヴ・ムニック、モニーク・ショーメット

☆☆☆☆ 1984年/フランス/95分


 初見1985年11月。

 1912年初秋のある日曜日の朝、自然豊かなパリ郊外に家政婦とともに暮らしている老画家のもとに、パリから息子夫婦が3人の孫を連れてやって来る。
 午後には、老画家が溺愛する娘も何か悩みを抱えながら父親のもとにやって来た……

 家族それぞれの思いをゆったりとした時間の流れに乗せ日常の一日を淡々と描いた映画で、どこかしら小津映画のような静かな世界。
 ルノワールの絵のごとく美しい映像は、人生の晩年を迎え心身共に衰えを見せ始めたひとたちの琴線に触れるだろうし、とても哀歓に満ちた物語である。
 後半、父と娘がダンスを躍るオープンカフェで、奔放な娘に父が画家として表現方法を述懐するシーンがいい。
 

「日曜日が待ち遠しい」*フランソワ・トリュフォー

 以下作品は、映画前売券のコレクションとしての記録です。

1985_日曜日が待ち遠しい
VIVEMENT DIMANCHE!
監督:フランソワ・トリュフォー
原作:チャールズ・ウィリアムズ『土曜を逃げろ』
脚本:フランソワ・トリュフォー、シュザンヌ・シフマン、ジャン・オーレル
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
出演:ファニー・アルダン、ジャン=ルイ・トランティニャン

☆☆☆ 1983年/フランス/112分/B&W

 初見1985年6月。
 フランソワ・トリュフォーの遺作。

 南仏の小さな町の不動産会社の秘書をしているファニー・アルダンが、殺人事件の疑いを掛けられた社長のジャン=ルイ・トランティニャンのために、素人探偵として事件を捜査するうちに恋に落ちる………
 モノクロームのスタイリッシュな映像に、ラヴコメ風のどうってことないストーリーなのだが、まぁとにかく、トリュフォーが最後に愛した女性ファニー・アルダンに尽きるわけ。

 生粋のフランス人でありながら、どこかしらイタリア女優のような面影と存在感。大きな瞳、分厚い唇、細長い顔、大柄な身体にハイヒールで颯爽と歩く姿。決して美人ではないけれど、脚線美を惜しげもなく曝す身のこなし方、そして、微笑ましく見える彼女の可愛らしさ。トリュフォーとの恋愛で幸せ感いっぱいだっただけに魅力がいっぱいである。
 トリュフォー作品初出演のジャン=ルイ・トランティニャンとの掛け合いも面白く、ロマンティック・ミステリとして楽しめる。


「口説いてくれて」桃井かおり

kaori_SH1115.jpg
桃井かおり◆ 口説いてくれて/あぬき(あ)いじょう物語 1982年

  寝ようよとそれだけで 私は怒ったりしない

   だって点と点 だって線と線
   この世は淋しい幾何学模様


 桃井かおり通算11枚目のシングルはCBSソニー移籍第1弾として、A/B面とも作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童の作品。多分、宇崎竜童&阿木燿子の世界を桃井かおりが歌うのはこれが最初かと……。

 それまで、1970年代にフィリップスからリリースしてきたアルバムやシングルは、当時桃井のマネージャーでもあった荒木一郎がプロデュースし、曲の提供も荒木とのタッグだったのだが、1981年のTVドラマ『ダウンタウン物語』の主題歌「バイバイ子守唄」を最後に桃井は個人事務所を設立。
 資生堂のCM曲「メイク23秒」(作詞:三浦徳子、作曲:筒美京平)ではメジャーレーベルからのリリースではなく、自らの「Kaori レーベル」として自主販売、一般発売はなかったと思う(中古レコード屋で入手)。
 レコード盤はホワイト・ヴィニールで、この「口説いてくれて」もそれに倣って綺麗なホワイト盤となっている。

 B面「あぬき(あ)いじょう物語」は、阿木燿子の言葉遊びとなるトーキング・ソング。
 桃井かおりの独特な喋り方に当て書きしてあるので、「あ抜き」で喋る桃井かおりの台詞回しを楽しめる。


kaori_kudoitekure_white.jpg
kaori_make23.jpg

「Bright Light,in the sea」原田芳雄

H-yoshio_NYhyoryuu.jpg
原田芳雄◆ ニューヨーク漂流/Bright Light,in the sea 1983年

 9月9日は映画監督相米慎二の命日。
 生涯作品全13作のなかで、緒形拳と夏目雅子、十朱久代、佐藤浩市が織りなす骨太人間ドラマ『魚影の群れ』は、愛憎劇としても秀逸だし色々なシーンで印象深く脳裏に残る映画だった。 
 泣けて、泣けて、最後のシーンには観客席から嗚咽が漏れていた……
 あの夏目雅子の後ろ姿を思い出せば、また今、目頭が熱くなるくらいだ。

 そのエンディングに流れるのが、Singer原田芳雄とJazz Singerアンリ菅野がデュエットした『Bright Light,in the Sea』。作詞は東海林良、作曲は玉置浩二。

  日の出を 静かに待つ海鳥
  おまえもいつか 恋に啼くのか
  そして 嘆きながら今日に溺れる

  Bright Light,in the Sea 人は誰も幻を追いかける


 比類なき映画づくりに定評のある相米映画に、圧倒的な存在感を持つ原田芳雄が出演していない不思議はあるが、映画を締めくくる「歌」で登場させる相米の妙……渋くて、また泣けてくる。

 アンリ菅野は、70年代から80年代にかけてよく聴いていた女性ジャズ・ヴォーカリストのひとり(ほかに笠井紀美子、伊藤君子、阿川泰子、金子晴美、中本マリなどを愛聴)。
 武蔵野美術大学で油絵を専攻し、卒業後はニューヨークで3年間モダン・バレエやジャズ・ダンスを学びながら正確な米語をマスターし、帰国後はニューロック・グループ〈アンリ&モーゼス〉を結成して音楽の道に進み、1978年にジャズ・シンガーとしてソロ・デビューをした本格派。
 アルバムは4枚ほど持っているが、スタンダード・ジャズはもちろんのこと、「ラ・ヴィ・アン・ローズ〜バラ色の人生」をレゲエで歌ったり、クロスオーヴァーなフュージョン・ヴォーカリストとして魅力あるシンガーで、その歌声はしなやかでエモーショナルだ。
 残念ながら2000年6月に癌で亡くなっている。

 A面「ニューヨーク漂流」は、作詞:阿木燿子、作曲:井上大輔の軽快なポップス・ナンバーである。

    ◇


[相米慎二作品]
★魚影の群れ★
★ラブホテル★
★ションベン・ライダー★
★台風クラブ★
★お引越し★
★あ、春★

「やさしいにっぽん人」緑 魔子


緑 魔子◆ やさしいにっぽん人 1973年

 疲れたら眠りなさい わたしが歌をうたってあげる
 …………
 あなたが歌と思っているものは やっぱり歌かも知れない

 緑魔子の気怠いバラードが何ともカッコイイ逸品。
 ドキュメンタリー作家だった東陽一監督の1971年に公開された初劇映画『やさしい日本人』の主題歌で、東陽一が詞を書き田山雅光と海老沼裕が曲をつけた妖艶な世界観。
 オリジナル・サウンド・トラック盤としてシングル・リリースされたのは1973年1月。

 緑魔子といえば東京12ch(現・テレビ東京)で放送されていた『プレイガール』(’69)。初代メンバーで「男ぎらい」の一條マコ役は、ユッコこと桑原幸子とともに大好きだった。 
 スクリーンで意識したのは1970年『白昼の襲撃』の岸田森の情婦役。
 佇まいと妖しさは唯一無二な存在の女優であろう。

 当時、TBS深夜ラジオ「パックインミュージック」木曜深夜担当の故・林美雄が、石川セリの「八月の濡れた砂」同様に毎週流しつづけ、氏のライナーノーツには
 「ある日ふと何気なく耳に入ってくるというか
  漂ってくるという感じのまさに夢の子守唄
  たまらなく安らぎを覚えたいのにそんなものを与えてくれる人なんか
  いやしないことをわかった人が口ずさみたくなるような曲
  緑魔子の身体を通り抜けてきたやさしいにっぽん人は
  語り部から語り部へ受け継がれてゆく寓話の世界
  いわば大人のわらべ歌なのです」とある。

 B面はセリフ入りのサンウンド・トラックになっていて、主人公の川原崎長一郎の独白に緑魔子の歌が被るシーンがピックアップされている。


09/05のツイートまとめ

mickmac70

熊が溺れかけたカラスを救う: http://t.co/daEJus8LO0
09-05 00:21

「踊りましょうよ」中川梨絵


中川梨絵◆ 踊りましょうよ/さすらいのトランペッター 1976年

 本文は、過去に掲載した作品紹介を一部加筆修正したものです。

 A/B面とも中川梨絵の作詞・作曲、小室等とムーンライダースが編曲。1976年フォーライフ・レコードからリリースされた。
 演奏するムーンライダーズは、鈴木慶一の名義ではあるがファースト・アルバム「火の玉ボーイ」を発表したばかりの頃であり、バンド・デビューする前の録音というのも興味深い。

 中川梨絵が放つ甘い歌声がデカダンスな香りを漂わせ、せつなく響くヴァイオリンの音色が儚夢〈ロマン〉と郷愁〈ノスタルジア〉を誘う。
 どこかしら、あがた森魚の「最后のダンス・ステップ(昭和柔侠伝の唄)」(’74)を連想させるも、戦地へ出兵する男に“今夜限り”とダンスを誘う朝子役の緑魔子(台詞が極め付け)に対し、中川梨絵は男への未練を断ち切り街を去ってゆく自立した女の姿を思い起こさせ、虚構の世界に生きている女優の後ろ姿のようでもあり、スクリーンのなかで永遠の愛の美しさを猥褻と呼ばれながらも、常に「生」ある姿を狂おしく表現してきた彼女ならではの世界が見えてくる。

 B面「さすらいのトランペッター」も、アンニュイな中川梨絵の歌世界がひろがる逸品である。


「怨歌情死考」小川節子

ogawa-setsuko1409.jpg
小川節子◆ 紅花物語/怨歌情死考 1973年

 本文は、過去に掲載した作品紹介を一部加筆修正したものです。

 1971年ロマンポルノ第1号として白川和子の『団地妻・昼下がりの情事』と併映された『色暦大奥秘話』で主演デビューした小川節子は、主演作のほとんどが時代劇だったと云うくらいスレンダーな躰に色白で可憐な着物姿がとても似合っていた和風美人。
 現代劇出演はたったの3本で、このレコードはそのなかのひとつ『怨歌情死考・傷だらけの花弁』('73 )の主題歌だ。作詞はこの作品を監督した小原宏裕。

 真夜中の潮騒 聞こえる停車場
 追われるように汽車を待つ

 う………怨みを込めて 漁火もえる

 「うぅぅぅ」と唸る箇所が秀逸な哀歌。
 怨みのこもった歌声には、聴き惚れるほどの翳りと強さがあり、これほどの歌唱力ならもっと歌って欲しかったと願わずにはいられない。

 儚げなで、情感あふれる素晴らしいジャケット写真は長友健二が撮影。
 A面扱いの『紅花物語』は兄妹の情死道行きを歌ったもので、作曲者不詳で口承されてきたメロディに吉岡オサムが詞を書いたもの。


「一年は裏切りの季節」賀川雪絵


賀川雪絵◆ 一年は裏切りの季節/新宿の夜は濡れている 1971年

 本文は、過去に掲載した作品紹介を一部加筆修正したものです。

 吉岡オサム作詞、鈴木征一作曲。
 傷痕の流浪人生を冷たく唄い放つ阿久悠の名作「ざんげの値打ちもない」('70)のウラもののような世界観は、女が自らに結論を出し再生の道へ踏み出す阿久悠の詞に対し、こちらのヒロインは道に迷ったまま彷徨い続けるやさぐれ女である。男勝りの賀川雪絵にぴったりな感じ……。

 大映ニューフェイス第四期生としてスタートした賀川雪絵は、大部屋時代には市川雷蔵の『眠狂四郎』や『ガメラ・シリーズ』に出演しており、その後、1968年に東映と専属契約を結び賀川雪絵を名乗り、石井輝男監督の“性愛路線”、また、“怪奇シリーズ”“歌謡シリーズ”の常連として名前を残している。
 その頃、テレビの『プレイガール』や『キイハンター』でよく見かけており、スクリーンで初めて見かけたのは『女囚さそり・第41雑居房』('72)だった。
 スリムで長身(168cm)の男っぷりのイイ女と云うのが印象で、後追いで『女番長ブルース・牝蜂の逆襲』('71)や『ずべ公番長シリーズ』(’70)を観たのだが、特に『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』('69)での阿部定役では、大映時代にしっかりと立ち回りや乗馬、日舞や茶道などをたたき込んだ大部屋女優だっただけに演技に幅があり、女の業を見事に演じきった姿にすっかり見惚れてしまった女優だ。
 
 B面「新宿の夜は濡れている」は鳥井実作詞、鈴木征一作曲。

 心かたぎで 身はやくざ
 女だけらの 仁義なら
 負けやしないさ新宿の
 夜は燃えている

 こちらも、カッコイイ歌いっぷりである。
 72年に出した2枚目のシングル「やさぐれブルース/野良犬」は、CD「やさぐれ歌謡★最前線/みなしごのブルース」に収録されている。

「プカプカ」殿岡ハツエ


殿岡ハツエ ◆ プカプカ/ミッドナイト・ブルース 1974年

 俺のあん娘は煙草が好きで いつもプカプカプカ

 シンガーソングライターの西岡恭蔵が、象狂象のペンネームで1971年にジャズ・シンガー安田南に捧げ作詞作曲された「プカプカ」は、多くのミュージシャンや俳優らに愛されカヴァーされている70年代のフォーク・スタンダード……煙草を堂々と吸っていられた時代の象徴的名曲であろう。
 原田芳雄(ファースト・アルバム)や桃井かおり(ライヴ・アルバム)の十八番で、宇崎竜童や大西ユカリも……近年では福山雅治や奥田民生も歌っている。
 
 この殿岡ハツエが歌う「プカプカ」は1974年リリースで、編曲はキャラメル・ママ+2。
 キャラメル・ママ(細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆)はこの年にティン・パン・アレーとバンド名を変更するのだが、スリーブ明記の「+2」のふたりが誰なのかは判らない。佐藤博とか矢野顕子、浜口茂外也あたりだろうか。
 因みにこのシングル盤は2014年にシングルCDとして復刻リリースされている。

 ジャケットがいい……煙草がぐっとお似合いのハツエ姐さんであるが、はて?…殿岡ハツエをどれだけの人が知っているかな。
 日劇ダンシングチーム出身で日劇ミュージックホールでダンサーとして出演していて、神代辰巳の監督デビュー作『かぶりつき人生』(’68)で主演を務めていたひとである。
 女豹のような顔立ちとスタイルの良さを「11PM」や平凡パンチで見知り、カッコいいお姉さんという印象だった。
 『かぶりつき人生』は田中小実昌の同名小説の映画化。ロマンポルノ前の神代辰巳が描いたストリッパー母娘物語は、長回し多用のモノクロ作品で、男遍歴を繰り返す母親に反発しながらも自らストリッパーになり上を目指す娘…殿岡ハツエの存在感と、切なく、もの哀しかった思いが残っている。
 この映画の後、少しの間だが神代辰巳と内縁関係にあったひとである。
 
hatsue_pukapuka_re140901.jpg