TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

余韻はつづく★「甘い鞭」


『甘い鞭』のツイートまとめ

 石井ワールドに見事に嵌った壇蜜で、今度は石井隆恋愛劇[メロドラマ]を……。
 そして、空〈くう〉を見つめる間宮夕貴の眼光から思うことは、石井隆の地獄にもっと堕としてみたい……アクションが可能ならば、業と性の[黒の天使]の絵夢など如何か。

 評判は芳しくなかった『黒の天使 Vol.2』の魔世役は[あ・ま・み・ゆ・う・き]だった。だからサ、今度は[ま・み・や・ゆ・き]!
 石井隆×間宮夕貴=黒の天使……「ブルーベイブルース」+「銀色の肌の女」=「明香」……判る人は想像してみて……

 『甘い鞭』の壇蜜の目元のクローズアップは、『天使のはらわた 赤い閃光』の川上麻衣子の唇のクローズアップに匹敵するオープニング。

 『甘い鞭』には、地獄の業火をイメージするネオンや魂の浄化を導く夜の雨など、定石的石井隆の記号は出てこないが、間宮夕貴の息づかいと鮮血で濡れた地下空間が無間地獄になったことで腑に落ちた。

 『甘い鞭』は壇蜜と間宮夕貴のW主役だが〈もう一人いた〉。
 SM倶楽部オーナー木下景子を演じた屋敷紘子の存在も石井ワールドの要。長身からくり出す蹴りと、しなやかな鞭さばき。裸を厭わぬ彼女の経歴とアクションを得たからには、次なる石井隆作品にノワールアクションを求めるのは必然か。


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見つめる先の聖性★「甘い鞭」*石井隆監督作品

amaimuchi_danmitsu.jpg(C)2013「甘い鞭」製作委員会

監督:石井隆
原作:大石圭
脚本:石井隆
音楽:安川午朗
出演:壇蜜、間宮夕貴、中野剛、中島ひろ子、竹中直人、屋敷紘子、伊藤洋三郎、中山俊

☆☆☆☆ 2013年/角川書店、ファムファタル/118分

    ◇ 

 過去の石井隆作品において原作を用いた『魔性の香り』(’85/脚本のみ:池田敏春監督)『沙耶のいる透視図』(’86/脚本のみ:和泉聖治監督)『死んでもいい』(’92)『花と蛇』(’04)同様に、本作も原作に添うかたちで進行しながらも、エッセンスとなるところではどこを見ても石井隆の作品世界に満ちている。


 17歳の夏、隣家の男(中野剛)に拉致監禁され、地下室で凌辱されつづけた果てに、その男を殺害してなんとか地獄から生還した岬奈緒子(間宮夕貴)。
 32歳になったいまは、美貌の不妊治療専門医として過ごしている。しかし彼女にはもうひとつの顔が…。それは、男性から暴力を受け止めつづけるSM倶楽部のM嬢“セリカ” (壇蜜)としての夜の顔。あの屈辱の日々、口中に広がる奇妙な甘い味が忘れられず、奈緒子はひたすら鞭打たれている。
 ある日、鞭打たれる側から打つ側に変わった奈緒子のなかに、あの甘い味の記憶が狂気とともに呼び起される……。

     ◇

 ◆物語の結末を想像させる記述になっています。ご注意ください。


 堕ちた女が自傷を繰り返しながら落下地点に立ち返り、凌辱者と傍観者の屍を乗り越え、エクスタシーの覚醒と奈落から救出…そして、救済。これが石井ワールドの神髄である。
 石井隆監督の視線は決して男の論理だけで性を描くことはなく、暴姦による女のエクスタシーとか陵辱者とのストックホルム・シンドロームなどというオトコの戯言とは真逆のところで、強靭な精神を持ち得るヒロインの肢体を借りて女の性を見つめ描いているのである。

 ブラームスの「愛のワルツ」が静かに奏でられ、地下空間のコンクリート壁に出来たヴァギナの紋様のような傷跡から、15年前の血みどろのベットを映し撮るまでのワンシーンは、劇画家石井隆の緻密なドローイングの世界。何かしら、幻想画家ベクシンスキーの廃墟画を見るように、固唾を飲まずにはいられない石井的美学のオープニングである。

 そして、壇蜜の目元のクローズアップから映画ははじまり、ヒロイン“奈緒子”のナレーションが物語を紡いでいゆく。かつて、石井隆の映画において、全編にナレーションが付いた作品があっただろうか……否。
 このナレーションの主は、本作のヒロイン32歳の奈緒子・壇蜜ではない。さらに云えば17歳の奈緒子・間宮夕貴でもなく、本編予告編のナレーションとも違った。それに対して違和感を覚えながらも、すぐにこの声の主に思い当たり、合点がいった。

 これは、この映画は、かつて『人が人を愛することのどうしようもなさ』(’07)において、暗闇のなかにフェイドアウトしていった鏡子こと名美の魂が、闇を彷徨いながら天空からヒロイン奈緒子の姿に化身し、降臨したものではないのか。
 『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』(’10)において、紅次郎(村木)が一陣の風によって精気を吹き込まれたのは何と云おうと“名美の息吹き”であることは間違いないことで、ここにまた、奈緒子を救済する名美の存在を感じないわけにはいられないのである。

 転換する後半、奈緒子がMからSに変わるその時。エリック・サティの「ジムノペディ」が流れる。〈ゆっくりと 苦しみを〉〈ゆっくりと 哀しさを〉〈ゆっくりと 厳粛に〉の3部作は、名美がこよなく愛した旋律である。
 まさにゆっくりと、壇蜜の面貌が鞭のようなしなやかさで変化する瞬間を目撃することができる。悦びは、言葉を失うほどに、妖しく、美しく。

 迷宮の石井ワールドが展開するラストに息を呑み、暗転後のエンドクレジットを眺める間に思い浮かんだのは、劇画【ジオラマ】(’91/ヤングコミック掲載)のイメージだった。

 劇画【ジオラマ】は、学校帰りに雨に降られ友人と別れた女子高生が、雨宿りしたと思われる廃学校の校舎で襲われ、陵辱の後に抵抗、暴漢者に刃を向ける。なおも襲ってくる暴漢者。その時、ヒロインを救出するある出来事が起こる………。
 別の面では『人が人を愛することのどうしようもなさ』でも引用された手法が、本作でも物語の顛末に迷宮の様相を見せるのである。
 『人が人を愛することのどうしようもなさ』の最後、名美が歩く先々に見るものと照らし合わせてみれば、そこに、最後に奈緒子が振り向いた先に見たものと同じものを想像することは容易い。デ・パルマ的官能の画で浄化され、聖性化されたヒロインとして生きてゆくのである。

 哀しいほど残酷に、そして官能的に打ち震えるラストを見て確信する。そこに居たのは、“奈緒子を演じる名美”という女の姿……。石井隆によって放たれた壇蜜と間宮夕貴の魂の咆哮は、新たな名美の誕生を示唆したのであろう。

 壇蜜のエロスは云うに及ばず、17歳のヒロインを演じた間宮夕貴が過酷な拘束による痴態を惜しげもなく曝け出したことに賞賛を。そして、ラストに壇蜜と対峙する間宮夕貴の面貌。変貌する壇蜜とは相対し、闇を見つめる眼差しに胸が熱くなるのである。


★魔性の香り★
★沙耶のいる透視図★
★死んでもいい★
★人が人を愛することのどうしようもなさ★
☆彷徨う名美ふたたび☆
★ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う★
☆名もなき女たち☆
☆再生への悪夢☆

「アイズ」*アーヴィン・カシュナー

1978_アイズ
EYES OF LAURA MARS
監督:アーヴィン・カシュナー
原作:ジョン・カーペンター
脚本:ジョン・カーペンター、デイヴィッド・ツェラグ・グッドマン
音楽:アーティ・ケーン
主題歌:バーブラ・ストライサンド「Love Theme from “Eyes of Laura Mars”~Prisoner」
出演:フェイ・ダナウェイ、トミー・リー・ジョーンズ、ブラッド・ドゥーリフ

☆☆☆ 1978年/アメリカ/103分

   ◇

 「ハロウィン」(’78)で一躍な名を馳せたジョン・カーペンターが、それ以前に書き留めておいた原案をもとに製作されたサイコ・サスペンス。
 あまりにも意外な結末に、映画の惹句にはこんなコピーが使われている……

 “お願いです。ラストシーンを先に見てはいけません…”


 ニューヨークに住むローラ・マース(フェイ・ダナウェイ)は、暴力とセックスをモチーフに写真を撮りつづけているファッション写真家。彼女の写真集[EYES OF LAURA MARS]の出版記念の個展が開催され、そのデカダンスな魅力が評判を呼んでいる。
 その最中、前夜見た殺人の夢が現実のものとして写真集の編集者ドリスが殺害される。つづいて、ファインダーの中にふたたび誰かが殺される幻を見ると、果たして今度はギャラリー・オーナーのエレーヌが殺された。
 ニューヨーク市警のジョン・ネビル警部補(トミー・リー・ジョーンズ)が捜査を担当し、ローラのサイキック能力に興味を示す。エレーヌの愛人でもあるローラの前夫マイケルや、ローラの運転手トミー(ブラッド・ドゥーリフ)やモデルたちなど容疑者は多数いた。
 葬儀の日、絶望感に苛むローラはネビルに癒され愛を交わすものの、事件はローラのイメージ通りに次々とつづくのだった……。

    ◇

 劇中にヘルムート・ニュートンとレベッカ・ブレイクの官能的な作品を使用し、有名モデルを大挙出演させたりと、ファッショナブルなニューヨークと美しいフェイ・ダナウェイのお洒落感を前面に出したスタイリッシュな画は見もの。



 ニューヨーク・オール・ロケーションで撮りあげた監督のアーヴィン・カシュナーは、この後『スターウォーズ 帝国の逆襲』で堂々たる重量感ある作品づくりで手腕をみせたり、ショー・コネリーが007に復帰した『ネバーセイ・ネバーアゲイン』でボンド映画初のアメリカ人監督という肩書きを得ている。

 犯人は娼婦の子として生まれ不道徳を憎んでおり、ファッションシーンの退廃的な世界が許せなかったのだが、そこに行き着くまでの伏線やローラのサイキック能力の説明がないため、ある意味本当に“衝撃的な真相”となっている。

 その衝撃的なラストに流れてくるのがバーブラ・ストライサンドの歌声。
 プロデューサーであるジョン・ピータースが当時の恋人だったことから、唯一バーブラ自身が出演しない映画への主題歌提供となったのだが、ほかにも、ジョン・カーペンターが原案を書いた当初のヒロインがバーブラだったということもあるのだろう……。

 
【Helmut Newton】作品



1978年当時話題になったヘルムート・ニュートンのJUN ROPE' のCM



「ルシアンの青春」*ルイ・マル

1975-08_ルシアンの青春
LACOMBE LUCIEN
監督:ルイ・マル
脚本:ルイ・マル、パトリック・モディアノ
音楽:ジャンゴ・ラインハルト
出演:ピエール・ブレーズ、オロール・クレマン、オルガー・ローウェンアドラー

☆☆☆★ 1973年/フランス、イタリア、西ドイツ/140分

   ◇

 1975年に日本公開されたルイ・マル監督長編劇映画10作目の作品で、英国アカデミー賞を受賞している。

 第二次世界大戦の末期のフランスを舞台に、ナチスとレジスタンスとの間で市井のごく普通の青年が時代に翻弄されてゆく様を描いたドラマで、決して甘酸っぱくキラキラした美しい青春物話ではなく、戦時下において人間の醜い面を映し出した悲劇であり、権力に屈してしまう人間の弱さを描いた秀作である。

 オープニング、田舎道の長い坂を自転車で疾走するルシアンの姿と、ジャンゴ・ラインハルトの軽快にスウィングするギターの音色がとても印象的だ。

 ノルマンディ上陸作戦直後の1944年6月。17歳のルシアンは病院で雑役夫として働いている。戦争がなければごく平凡に田舎の農夫として一生を過ごすような、無知だが無垢な青年だ。
 休みの日は自転車で家に帰るが、父がドイツの捕虜となり母は地主に囲われている環境では家に帰っても喜んで迎え入れられない。野原に出て兎狩りや、鶏の首を刎ねたり、パチンコで小鳥を射ち落としたりする悶々とした生活。
 地主の息子がレジスタンスに入ったことに触発され、学校の先生のところにレジスタンスの仲間にして欲しいと頼みに行っても断られ、結局つまらない休暇を終え病院に戻ることになる。
 帰り道に自転車がパンク。しかたなく歩いて帰ることになるルシアンだが、夜も遅くなり、夜間歩行禁止のかどでゲシュタボに連行されてしまう。
 弁明するルシアンだが、ゲシュタボに酒を飲まされ、村の様子をペラペラと喋ってしまう。そのことでレジスタンス活動をしている学校の先生が捕らえられるが、ルシアンは手厚く歓迎してくれるゲシュタボの本部に入り浸るようになる。
 思想も信念もない愚かな青年ルシアンは、ゲシュタボを証明するたった1枚の紙切れで何でもできることを知り、次第に権力に魅せられ、自分の居場所を見つけたような気になるのだった。

 ある日ルシアンは、ユダヤ人の仕立て屋オルン(オルガー・ローウェンアドラー)のところで洒落た背広を新調してもらい、そこでオルンの娘フランス(オロール・クレマン)に恋い焦がれてしまう。それからは何度でも、我が物顔のように仕立て屋の家を尋ねるようになる。
 配給の行列でフランスを見つけたルシアンは、早速ゲシュタボの証明書を見せ、嫌がるフランスを列の先頭で買わせようとしたりする。
 オルンや祖母からルシアンを相手にするなと厳しく云われるフランスには一つ考えがあった。それは、ルシアンの力で一家ともにスペインへ亡命する手助けを乞うことだった。
 野性的なルシアンに恐さを持ちながらも、逞しさに頼りがいを感じるフランスの複雑な心の内。しかしこれは、劣悪な戦時下において迫害と差別される民族の生き方にもあたり、哀しい現実を感じないわけにはいかない。

 ドイツ人から激しい侮辱を受けて泣くフランスの姿を目の当たりしたり、礼儀正しく接してくれた彼らと過ごした時間のなかで、次第にルシアンのなかにも人間性を取り戻し、本気でオルン一家をスペインへ亡命させたいと考えはじめた。
 その矢先、オルンが逮捕され収容所に送られてしまった。ゲシュタボによるユダヤ人狩りが始まったとき、ルシアンはドイツ兵士を撃ち殺してフランスと彼女の祖母を連れて逃亡をする。
 スペインとの国境近くで車が故障をして、廃屋に辿り着く。野兎を捕まえ食べる日々が3晩つづき、ひとときの平穏で穏やかな時間に喜びを感じるルシアンたち。
 青く澄んだ空と、鳥や蝶が飛ぶ野原には花が咲き乱れ、傍らにはフランスの笑顔がある。安らぎに満ちたルシアンの横顔…………。

 ルシアンの笑顔ではじまった、たった4ヶ月間の出来事。
 「1944年10月12日、ルシアンはレジスタンス側の裁判で銃殺刑に処せられた」の字幕で映画は終わる。
 ルシアンが犯した悪を責めることはできない。環境によって悪と正義は曖昧になることを、観るものに考えさせることで静かに反戦を訴えている。

 ルシアンを演じたピエール・ブレーズは、実際に片田舎で育った無知で純粋な木こりだったようで、一般公募で抜擢された青年。一躍スターダムにあがったのも束の間、日本公開された1975年に自家用車に乗ってスピードを出し過ぎたことからの事故で亡くなっている。


チケット「水のないプール」「さらば愛しき大地」

 以下作品は、映画前売券のコレクションとして記録するのみです。

1982_02_水のないプール

1982_01_さらば愛しき大地

過去レヴューあり
★さらば愛しき大地★
★水のないプール★

TOKYO 2020

2020オリンピックが東京開催に決まった

国際招致PRフィルムで気に入ったものを残しておこう

【東京2020国際招致PRフィルム】


最後のプレゼンテーション用のPV

魅せられた

【TOKYO2020 FINAL Presentation FILM】


「TATTOO[刺青]あり」*高橋伴明監督作品

1982_03_TATTOOあり

監督:高橋伴明
脚本:西岡琢也
参考文献:「破滅~梅川照美の三十年」毎日新聞社会部編
プロデューサー:井筒和幸
助監督:水谷俊之
監督助手:周防正行
音楽:宇崎竜童
主題歌:「雨の殺人者」内田裕也&トルーマンカポーティR&Rバンド
挿入歌:「ハッシャバイ・シーガル」宇崎竜童
出演:宇崎竜童、関根恵子、渡辺美佐子、太田あや子、矢吹二朗、泉谷しげる、下元史朗、山路和弘、風間舞子、ポール牧、植木等、北野誠、大杉漣、原田芳雄

☆☆☆☆ 1982年/ATG/107分

    ◇

 昭和54年1月26日、大坂府警狙撃班による3発の銃弾で射殺された三菱銀行猟銃強盗・篭城人質事件の犯人梅川照美。本作は、彼をモデルにした作品である。

 日本犯罪史上稀に見る陰惨で残忍だった事件は、まるで映画のようだった。(人質たちにとって過酷で屈辱的だった42時間を思えば、その内容を記することも憚れる)
 だからと云って本作は、ドキュメント風にとかエンターテインメント的とかで、犯人が犯してきたことを再現したりはしない。“異常な”事件自体は一切描かれてはいない。それよりも、犯人の“愚かさ”を描くことで、人間がなぜそこまでの残虐性を持ち得たのか。犯人がそれまでに見てきた風景は何だったのか。同じ人間として異常になることに何の違いがあったのか。
 もちろん、犯人の背景がすべて解明される訳ではないが、少数派であろうと落ちこぼれた人間の極端な行動理念を解きほどくことに主眼をおいている。
 
    ◇
 
 冒頭。内田裕也の「雨の殺人者」が流れるなか、大坂・警察病院の長い廊下を竹田明夫(宇崎竜童)の死体が運ばれてくる。
 場面転換して香川県。派出所の巡査が古びた木造の家に駆けつけ、明夫の母・貞子(渡辺美佐子)に「ヘリコプターで大坂まで、飛んでや」と告げにくる。
 ヘリコプターが待機する田舎町の空き地にのんびりと現れる貞子。「何しとったんや!」と怒鳴る巡査に、貞子は平然と「パーマ屋に寄っとったんじゃ」
 大坂・警察病院の解剖室。明夫の死体の血を拭う解剖医(荻島真一)が事務的にひとこと「タトゥー」と呟き、メイン・タイトル…………。

 ここからひたすら、高橋伴明&西岡琢也はひとりの男の行動をドライに描いていく。同情の余地もない主人公だが、30年の生涯を閉じた彼の生い立ちから銀行に乗り込むまでの軌跡が、哀しく浮かび上がってくる。

 渡辺美佐子扮する母親の「パーマ屋に寄っとったんじゃ」には慄然。そして、明夫が15歳のときに若妻殺しで警察に逮捕されたときは「この子はわしが腹痛めた子じゃ!お前らの好きにされてたまるか」「悪さなんかせん!どこぞの不良たちにそそのかされたんじゃ」「わしら親子はのけ者扱いされてきたんじゃ。警察であろうと白黒つけてもらわんと、わしは黙ってへんで」と………その溺愛ぶりも凄い。
 ただ、この親にしてこの子有りと一概に決めつけることはできない。母一人子ひとりの状態が、息子の恋人が母であり、母の恋人もまた息子であるといったマザーコンプレックスの典型からくる、これはれっきとした恋愛なのだ。男は女のために“ええカッコしぃ”になるのだ。
 そこにもうひとり、母親と同じ位置に関根恵子演じる三千代という女がいる。この女も強い女だ。

 明夫は大坂に出ていっぱしの悪党気取りを得るために、胸に刺青を入れる。他人を威嚇するために、見栄のための刺青。
 泉谷しげるの刺青師が「ニイさん、胸には毛唐しか彫らんで……」と馬鹿にしたように云うのも、日本の彫り物は背中に入れるもの。洋風に胸に入れることで明夫の愚劣さがわかる。
 そんな明夫は、チンピラなみではあるがとりあえずは真面目にクラブのボーイを勤めている。理髪店や書店などで大枚を出しては「つりはいらんぞっ」と“ええカッコしぃ”の明夫だ。

 そのクラブで明夫が目をつけたのが三千代。情夫(下元史朗)がいるにも関わらず、一途さは一人前だ。
 三千代という女もふてぶてしく、情夫が「お前は男をアカンようにする…」と弱気な発言をすれば、「アカンようにされる男が、アカンのや」と明夫にくっついて出てゆく。

 しかしご多分に洩れず、明夫は三千代のヒモような存在に成り下がり、暴力で寄生するようになる。「30歳までには何かデカイことやる」と、口先だけの明夫に失望する三千代は出てゆく。
 
 前の情夫に会う三千代。
 「うち、やっぱり男をアカンようにするわ。早よ死なんと、うちが殺される」
 「『戻ってくるか』って恰好良く決めたいんだがなぁ……身ィ固めるんや」
 「おめでと。あんた良かったな、うちと早よ切れて……」

 1年後。明夫は探偵を使って三千代を探し出し、雨の日の夜尋ねてくる。部屋の奥から新しい情夫(山路和弘)が「一杯、飲んで行きいや」と声をかけると、明夫はその背中一面に天女の刺青をした風体に圧倒され出て行きかけるが、その背に「おう、デカいことやるから、新聞で俺の名前を見たら鳴海の友達だと言いふらせや」と浴びせかけられる。
 雨の中で佇む明夫のところに、赤い傘をさした三千代が近づいてくる。
 「やくざやないか。お前のことは俺が一番知ってる。帰ってこい」
 「あのひと、口だけのひとと違う」
 三千代を押し倒して唇を重ねる明夫に、三千代はボソっと呟く。
 「“神戸、撃つ”言うとる。うち、ホンマもんの男が好きや」
 勝ち誇った顔で走り去る三千代と、呆然とする明夫。

 関根恵子の圧倒的な美しさは明夫と出会った頃のラヴシーンで開示し、この雨の中のシーンでは艶やかな凄み漂う迫力をもって関根恵子のカムバックを確実にしたのであった。

 何日かして、三千代の情夫が神戸の組長を襲撃した記事を目にした明夫は、共鳴したかのように前々から考えていた銀行強盗を実行にうつすことになる。
 この三千代の情夫のモデルが実際1978年に山口組田岡一雄組長を銃撃した伝説のヒットマン・鳴海清のこと。鳴海の16歳の愛人がこのあと梅川と関係を持っていたことから、映画はこうした展開に仕立てたのであろう。

 ズルくて、横柄で、軽薄で、どうしようもなく愚劣な男・竹田明夫を演じる宇崎竜童。サングラスを取るとどちらかと云うと情けない顔になるのだが、バーのウェイターから独り立ちするまでに成り上がっていく勤勉さと、ナルシストで凶暴で情緒不安定さを持ち合わせた男の足掻きねだる情けなさを見事に体現している。

 馴染みの書店で大藪春彦の書籍を大量に買い込むほど大藪ファンの明夫は(実際に梅川も大藪ファンだった)、作品の主人公を真似てストイックに身体を鍛えている。部屋には大藪春彦の本以外に銃器の月刊誌や並べられ、その横には健康雑誌が並んでいたり、クレー射撃にも勤しんだりと、彼の行動には一貫したものがあり、自分に課した誓いを守り抜くことに固執している。
 それは「30歳までのケジメ」………15歳で人を殺した明夫にとって15年経った30歳には母親に心配をかけず、地に足をつけた一人前のオトコになることと誓い、ある意味、純真にそれを守ろうとする幼稚さもあったわけで、それが自分勝手なことではあるのだが、そのことへの焦りが歪みを生み出していたのだろう。
 もちろんこの男の短絡的行動への理解は得られるものではなく、「破滅」への行動原理の説明もされないまま、明夫は銃とナップザックを持ち銀行の中に消えるのだった。

 「30歳までに何かやらなくては」の強迫観念は、誰もが「何か」で共通して持ち得ていることではないか。犯人は過保護に育てられてきたひとりっ子、ベビーブーム世代。時代は違えど、他人と違うことで「何でオレだけが」と内省的になるのは現代社会でも同じ。人間を本当に理解することなど不可能で、これまでに何人の梅川が現れてきたことか……。


 「お母ちゃんの顔見せたら、全員ぶち殺したるぞ」
 一斉射撃で男の30年の生涯は終わった。

 深夜のホーム、ベンチに白布に包まれた遺骨を抱いて微動だしない貞子の姿。明夫のロールハットを被る渡辺美佐子の姿が闇の中にぽつんと浮かんで、クロージング………宇崎竜童の「ハッシャバイ・シーガル」が流れる…………。
 この余韻が堪らない。


 監督の高橋伴明はピンク映画で名を馳せていて、この作品が初めての一般映画。タイトル前に「高橋伴明監督作品」と打ち出され、満を持しての登場だった。
 
 明夫が通う書店の主人には毛糸の帽子に丸眼鏡で原田芳雄が扮し、明夫に西村寿行を勧めるも「エロ過ぎる」と不満顔で「やっぱり大藪やで」と云われる。

 高橋伴明の誘いでピンク映画で映画デビューした大杉漣は、酔っぱらいの姿でワンシーンに登場する。


「マジェスティック」*リチャード・フライシャー

 以下作品は、映画前売券のコレクションとして記録するのみです。

1974-14_マジェスティック
Mr. MAJESTYK
監督:リチャード・フライシャー
脚本:エルモア・レナード
音楽:チャールズ・バーンスタイン
出演:チャールズ・ブロンソン、アル・レッティエリ、リンダ・クリスタル
☆☆ 1974年/アメリカ/103分

 2013年8月20日に87歳で亡くなった人気作家エルモア・レナードが脚本を書いたクライム・アクション。
 主人公は前科持ちの農夫で、クライマックスの銃撃戦は見もの。

「ドラゴン危機一発」*ロー・ウェイ

 以下作品は、映画前売券のコレクションとして記録するのみです。

1974-17_ドラゴン危機一発
The BIG BOSS
監督:ロー・ウェイ
出演:ブルース・リー
☆☆ 1971年/香港/100分

 『燃えよドラゴン』の大ヒットで陽の目を見た1971年製作のブルース・リー初主演映画。

「別れの街角」*アンソニー・シモンズ

 以下作品は、映画前売券のコレクションとして記録するのみです。

1975-10_別れの街角
THE OPTIMISTS
監督:アンソニー・シモンズ
原作:アンソニー・シモンズ
脚本:チューダー・ゲイツ、アンソニー・シモンズ
音楽:ライオネル・バート
出演:ピーター・セラーズ、ドンナ・ミューレン、ジョン・チェイフィー
☆☆☆ 1973年/イギリス/111分

 1975年公開。
 親の愛情に恵まれない11歳と6歳の姉弟と、孤独な老大道芸人との心のふれあいを描いたヒューマン・ドラマで、イギリスの労働階級層の生活とどんよりした風景の中に人生の悲哀が浮き彫りになる佳作。

 「子どもを叱ったり食事を与えているだけではだめだ。頭の中に夢を育ててやるんだ」

「ニューヨーク・ストーリー」

 以下作品は、映画前売券のコレクションとして記録するのみです。

1989-01_ニューヨーク・ストーリー
ニューヨーク・ストーリー
NEW YORK STORIES
監督:ウディ・アレン、マーチン・スコセッシ、フランシス・F・コッポラ
☆☆ 初見1989年9月/アメリカ/タッチストーン映画

 マーチン・スコセッシとフランシス・F・コッポラとウディ・アレンが、ニューヨークをモチーフにして短編を演出したオムニバス映画。

 ニューヨークが題材でこの3人の監督作品だけに、かなり期待して見に行った映画だったが、第1話「ライフ・レッスン」のスコセッシは何だかなぁ……第2話「ゾイのいない生活」のコッポラも云うに値しない……。
 貶すレヴューは本意ではないので取り上げるべき作品ではないのだが、ニューヨーク愛ということで、第3話ウディ・アレンの「エディプス・コンプレックス」に軍配をあげよう。
 ストーリーは男のマザコン・コメディ。笑えるよ。
 あとは、オープニングのプロコル・ハルムの「青い影」が印象に残るだろうか……。