TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

甦る、曽根中生

 行方不明になっていた曽根中生監督が、20数年ぶりに公式の場に出てこられたニュースは今年一番嬉しい出来事となった。

 「キネマ旬報2011年10月上旬号」と「映画秘宝2011年11月号」において、行方をくらませたワケなどを知ることとなり、黒いウワサが飛び交った“曽根中生伝説”も払拭された。

 神代辰巳・田中登・藤田敏八監督らを追いかけていた70年代、ロマンポルノを振り返ってみると、印象深い作品、年間評価で上位に挙げた作品、アレもコレもに曽根中生作品があったことに気がついた。感慨深い思い………。

好きな作品は
◆三姉妹の刹那的な生き方を描いた「色情姉妹」('72)
◆長谷川和彦脚本の異端コメディ「性盗ねずみ小僧」('72)
◆ピンク映画に愛を込めた「実録白川和子 裸の履歴書」('73)
◆潤ますみの虚無感あふれる表情が逸品な荒木一郎脚本「現代娼婦考 制服の下のうずき」('74)
◆南極物語をぶっ飛ばす大和屋竺脚本の異色作「大人のオモチャ ダッチワイフレポート」('75)
◆三井マリア唯一の作品「わたしのSEX白書 絶頂度」('76)
◆「★新宿乱れ街 いくまで待って★」('77)
◆「★天使のはらわた 赤い教室★」('79)
◆麗しき中村れい子とジョニー大倉のサスペンス「悪魔の部屋」('82)

 片桐夕子が個人的に苦手な女優だったので「(秘)女郎市場」('72)や「不良少女 野良猫の性春 」('73)は敢えて観なかったけど、二条朱実と殿山泰司の「実録エロ事師たち」('74)を見逃しているのが痛恨。

 坂口安吾原作の陰鬱な雰囲気が十二分に発揮された「不連続殺人事件」('77)。パッケージ化をぜひとも願う次第。

スーパーGUNレディ ワニ分署」('79)は原作劇画のファンだっただけに、アクションが出来ない主役の横山エミーにガッカリした記憶。
「十八歳、海へ」(藤田敏八)の併映だったから観たような作品だったな。


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舞台「死と乙女」



原作:アリエル・ドーフマン
翻訳:水谷八也
演出:木村光一
出演:風間杜夫、余貴美子、立川三貴
公演:2003年9月18日~28日 紀伊國屋サザンシアター

    ◇

 過酷で長い軍事政権の圧政から、やっと民主主義体制に移行したばかりのある小さな国。

 ポリーナ(余貴美子)は、かつては恋人であり現在は夫でもあるジェラルド(風間杜夫)とともに、軍事政権によって理不尽にも次々に虐殺される人々を守ったり、亡命者を手助けする危険な反政府運動に力を尽くしていたのだが、ある日の午後、秘密警察に拉致され監禁されたうえ、残虐な拷問を受けさらにはレイプまでされた。
 いまだに身体的にも精神的にも、その大きな傷はまったく癒されていない。

 夫のジェラルドは、いまや新体制下の大統領直属の人権調査委員会のメンバーに選ばれた。軍事政権時代に行われた殺戮や人権侵害を調査し、この国の新しい未来への道を探そうという使命感に燃える弁護士である。

 ジェラルドが大統領から正式に調査委員会に任命された日の夜、ポリーナの待つ海辺の別荘に帰る途中、彼の運転する車がパンクし立ち往生してしまう。そこへ偶然通りかかったの医師ロベルト(立川三貴)の車。ロベルトはジェラルドを親切にも別荘まで送ってくれる。ジェラルドは、夜も更けていりこともあるのでロベルトに泊まってもらうことにした。

 寝室からロベルトの声を聞いたポリーナは、彼こそシューベルトの甘美な弦楽四重奏曲『死と乙女』をかけながら自分をレイプした男だと確信する。
 深夜、彼女はピストルを持ち、寝入ったロベルトを襲い、彼を椅子に縛りつけた。やがて朝がきた。その光景を見たジェラルドは愕然とする……。

    ◇

 「あぁ、わたしはあの美しいシューベルトを、透明な風の囁きのようにはもう聞けない」
 「さ、殺せ、純白なわたしを! 狂気の女に暴力的に扱われるのはもうたくさんだ」
 「あまり深く真実を知ろうとすると、人は死ななけりゃならなくなるぞ」

 全てに対して圧倒される舞台であった。原作者のアリエル・ドーフマン自身が経験した現実に起こった事柄といえ、その国の歴史や文化を何も知らない我々には、どこまで理解できるのか判断ができないほど、苦しくて重たいテーマだ。

 忘れられない人間と、忘れてしまいたい人間と、忘れさせたい人間がぶつかり合う。
 この三者は、どうやって癒されていくのか。
 傷ついた者同志が理解することの難しさ。しかし、理解しなくてはならない寛容さが人間には必要だということ。最後の観客の拍手が鳴り止んだあとも、三人の心の傷痕は癒されないほど深い………。


ここからは閉鎖中の余貴美子非公式応援サイト「Y's Passion」に綴った作品レヴューのため、余貴美子さんにスポットを当てた文章になっています。

     ◇              ◇


【第一幕第一場】
 板付きで登場の余貴美子さんは、淡いベージュのカーディガンに濃茶色のワンピース姿。
 ポリーナの不安定な感情が、余さんの細かな仕草と表情によって観客の前に投げ出される。
 帰宅したジェラルドとの会話で次第にヒステリックになっていく様子は、今まで映画やドラマで見なれてきた穏やかな余さんとは違う姿と化し、風間杜夫さんの腕の中で落ち着きを取り戻していく余さんは、とても繊細で壊れやすく愛おしく思える存在に映った。
 そして、このほんの短い間の繊細な心の動きが、この後に表出する狂気への予兆として観客に示される。

【第二場と第三場】
 突然の来訪者ロベルトを束縛するまでは、余さんの芝居は無言で続く。
 大きくスリットの入ったナイトウェア姿の余さんの大胆な動きは、静寂の世界を官能的なサスペンスに仕立てている。映画版「死と処女」のシガーニー・ウィーバーの同じように、ナイトウェアの下のパンティを脱ぐところは、断然シガーニーよりもセクシーである。ましてやそれを立川三貴さんの口に押し込むところまでするとは思わなかった。
 狂暴さがセクシーに見えるのも、余さんの素晴らしい表現力だ。

【第四場・夜明け前】
 余さんの衣裳は、赤のシルクっぽいシャツにエンジ色のTシャツ。スカートは巻き状のもので、ウラ地が着物のような感じでお洒落なスタイル。
 余さんが銃を片手にシューベルトの『死と乙女』のテープを流して聞くシーンは、徐々に悪夢を思い出していく様として、哀しく、そして切なさが感じられる瞬間だ。

 第五場になるとポリーナの狂暴性はもっと増し、低い男の声色を真似て汚い言葉を吐く姿と、過去を回想する分裂症的な姿が目の前に現れる。
 まさか余さんの口からこんな汚い言葉を聞くとは思わなかったが、不快感を感じなかったのはこの芝居全体を包む空気の中での、余さんの品性がバランスを崩さなかったからだと思う。

 テラスでのポリーナとジェラルドの対立は、余さんも風間さんも汗みどろで白熱さを増す。
 余さんの汗と涙が目の前でキラキラと光り、観客が映画やドラマでは体感できない、一種神々しく崇高な姿を見ることができた。
 冷静な風間さんが、立川さん相手に自分の胸の内をぶちまけたあとの「誰が彼女の話に耳を傾けてやれるんだ?」という台詞は、この芝居の中の罪と罰を計る重要なポイントで、風間さんの誠実な役どころからくる優しい言葉となり響いてくる。

 余さんの台詞の量は半端ではない。それ以上に、感情豊かな余さんの姿にはファンとして痺れる。間近で見る余さんの表情は、怯えた顔から真実に立ち向かう凛々しい顔になり、そして、狂気を帯びた顔へと変貌する。目の前に居るのは女優ではなく、過去に苦しむポリーナ自身が立っているかのような姿。
 コテージでのラスト、ロベルトに銃を突き付けながら悲痛な叫びをあげるポリーナの言葉は、社会の中で犠牲になる弱者の抑え続けられてきた感情が手に取るように感じられた。

 舞台に艶やかな女優がいるわけではない。台詞から人の人生を辿り、傷ついて怯えた生身の人間の声が発せられたときに、観客は感動を味わうことができるのだ。

 終幕、会場が鏡張りになりコンサートホールとなる舞台装置のなか、客席の後ろから下りてくる黒のドレスに身を包んだドレッシーなポリーナ、余貴美子。別の席からは、彼女をじっと見つめるロベルト。ふたりの視線が絡み合った先には、いったい何が見えていたのだろうか……。

     ◇              ◇

 6列目の真ん中15番の席、張り出し舞台になっていたため2メートルほどの距離で、汗と涙、目元のシワや素足についた赤いアザ(暗転の時や稽古の時についたものだろう)など“生”の余貴美子さんをしっかり目に焼き付けた舞台だった。すべてにセクシーで、力強い余さんは素敵だ。

 ぼくにとっての余貴美子さんの魅力のひとつは、声。
 時には如何わしく淫行に、時には哀れで痛々しく。ヒステリックに叫ぶだけではなく、猛々しく自己を主張する声。ぼくはこれからも余さんの声に惹かれ、魅了され続けていくのだろう。


「死と処女〈おとめ〉」*ロマン・ポランスキー



DEATH AND THE MAIDEN
監督:ロマン・ポランスキー
原作:アリエル・ドーフマン
脚本:ラファエル・イグレシアス、アリエル・ドーフマン
撮影:トリーノ・デリ・コリ
出演:シガニー・ウィーヴァー、ベン・キングズレー、スチュアート・ウィルソン

☆☆☆★ 1994年/アメリカ・フランス・イギリス/104分

    ◇

 “ポランスキー監督の屈折性が画面を支配する、真綿で首を絞めるような「拉致監禁」サスペンスの逸品!”

 アリエル・ドーフマンの戯曲を映画化したもので、登場人物の男女3人が激しい葛藤を繰り広げる心理サスペンスで、誰の主張が真実なのか最後まで判然としない息詰る密室劇である。


 現代。過酷で長い独裁政権が崩壊して間もない南米の某国。
 ある嵐の夜、岬に近い一軒家でポーリナ(シガニー・ウィーバー)は、停電になった部屋で蝋燭を灯し夫の帰りを待っていた。
 車のライトが近づいてきた。助手席から夫のジェラルド(スチュアート・ウィルソン)が降りてきた。車がパンクして通りがかりの車に送ってもらったと言う。
 深夜になり、先ほどジェラルドを送ってくれた医師ロベルト(ベン・キングスレー)がジェラルドのタイヤを届けに来た。
 恐縮するジェラルドに「僕はあなたのファンだ。帰り道ラジオで人権保護委員会を引き受けたというニュースを聞いて驚いた。」とロベルトが言う。ジェラルドは、暗黒時代の整理をするため大統領の人権保護委員会に招致された弁護士だった。
 ふたりの応対を聞いていたポーリナに戦慄が走っていた。「この男の声は………」

 ジェラルドとロベルトがウィスキーを酌み交わしている隙に、ポーリナはそっとベッドを抜け出すとピストルを手に外に出、ロベルトの車に乗り込むと発車させた。
 ロベルトが気づき慌てて追いかけるが無駄だった。
 「女のすることは分からん。ニーチェは言った。女の魂を完全に所有することは不可能だ」
 ふたりは再び飲み始める。

 ポーリナは車を断崖に止め、車の中を物色。そして、シューベルトの『死と乙女』のカセットテープを見つけ、車を断崖から突き落とした。

 家に戻ったポーリナは長椅子で泥酔して寝ているロベルトに近づき、ピストルを構えロベルトの体臭を嗅ぐ。眼を覚ましたロベルトをピストルの台座で殴り失神させ、彼の手足を電気のコードで縛り上げる。
 恐怖に目覚めたロベルトの口に、自分のパンティを脱いで猿ぐつわをするポリーナがニヤリと笑う。
「やっと本名が分かったわ、ロベルト・ミランダ博士。………これを見て昔の記憶が甦ったわ」
 手に持ったカセットテープをかけると、甘美な弦楽四重奏曲が静かに流れてくる。

 その音楽で起きてきたジェラルドに、ポリーナは衝撃の事実を語り始める。
 独裁政権下の当時、まだ恋人同士だったジェラルドとともに反政府運動に参加していたポリーナは秘密警察に拉致され監禁、『死と乙女』を流しながら残虐な拷問をしたドクターこそロベルトだと云うのだ。
 「彼よ、間違いないわ、この声、笑い方」 
 ポーリナは確信していた。この男はかって目隠しされたポーリナを、楽しみながら残虐な拷問とレイプを重ねた男であることを。顔は見ていないが、声と体臭は忌まわしい記憶に焼きついているのだ。

 必死に否定をするロベルトは、当時(1977年)は75年から78年の間バルセロナの病院にいたと主張し、電話で病院に問い合わせてくれと懇願する。しかし、電話は不通。

 ポーリナとジェラルドはベランダに出て話し合う。
 夫のジェラルドは、いまや新体制下の大統領直属の人権調査委員会のメンバーに選ばれ、軍事政権時代に行われた殺戮や人権侵害を調査し、この国の新しい未来への道を探そうという使命感に燃えている。
 「彼がやったことは全部告白させビデオに録画する。そうしたら解放するわ」「拒否したら?」「そのときは殺すわ」

 ジェラルドはロベルトに「告白すれば許すといってる」と告げる。
 「無実なのに何を告白する?」

 ジェラルドの情報を混ぜ、ビデオカメラの前で告白を始めるロベルトだが、嘘が含まれている事をポリーナは見抜く。突然、ロベルトがポーリナを襲った。
 「こんなゲームは真っ平だ!」 
 その時、家中の電気がつきラジオが大音響で鳴り響き、怯んだロベルトはポーリナに殴られ失神する。

 夜明け。波が打ち寄せる断崖の上に、手を縛られ目隠しをされたロベルトが立たされている。
 ジエラルドがようやくバルセロナの病院に電話をかけ、ロベルトが実際に勤務していたことを知らせに来る。
 「奴らは偽のアリバイを作り、ビザだって偽造するわ。15年も経って都合よく覚えているなんて……」
 ロベルトの目隠しを外しポーリナは冷たく言い放つ。
「私を覚えてるわね……レイプしたわね」
 沈黙のあと、ロベルトは頷き過去の事実を語り始める。

 ジェラルドは激しい怒りに駆られるが、ロベルトを崖から突き落とす事ができない。ポーリナは放心したようにロベルトのロープを切り、夫婦はその場を離れていった。
 崖に残され立ちすくんでいるロベルト。

 数ヶ月後のあるコンサート会場。シューベルトの『死と乙女』を聞いているジェラルドとポーリナ夫妻。ふと見上げると、二階席に家族と一緒のロベルトがこちらをじっと見ていた………。

    ◇

 映像的フラッシュバックを使わない三人三様にいくつにも解釈できる会話劇は、登場人物3人にとっての真実とそれに絡む駆け引きを解きほどいていくミステリーであり、人間の「暴力」「エロス」「サディズム」など心に潜む“悪魔”をあぶり出していくサスペンスとして盛り上がりを見せていく。

 何が正義で、何が真実なのか、徹底的にはっきりさせずにはおけないポリーナと、傷ついた人間に寄り添い理解につとめるジェラルドと、エリート特有の精神的余裕と素顔を隠すために仮面を被るロベルト。
 観客は3人の中の誰かに自分自身を対峙させ理解しようとするだろう。不穏な気持ちにさせられるラストは、人間の善悪の真意を問われるようだ。

 真犯人かどうかわからないがインテリジェンスとサディストの両面を不気味に演じる名優ベン・キングズレーの存在感が大きいのだが、「エイリアン」のリプリー以上に強すぎるシガニー・ウィーヴァーも、十分に狂気をはらんだ芝居を好演し魅せてくれる。

「スリ」*ジョニー・トー

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SPARROW/文雀
監督:ジョニー・トー
脚本:チェン・キンチョン、フォン・チーチャン
撮影:チェン・チュウキョン、トー・フンモ
音楽:ザヴィエル・ジャモー、フレッド・アヴリル
出演:サイモン・ヤム、ケリー・リン、ラム・カートン、ラム・シュー、ロー・ホイパン、ロー・ウィンチョン、ケネス・チャン

☆☆☆★ 2008年/香港/87分

    ◇

 『スリ』という邦題からサスペンス・ドラマを期待すると見事に肩すかしを喰う。これは、ジョニー・トー監督のほかの作品のようなダークサイドなフィルム・ノワールではなく、スリグループの4人の男たちが謎の美女に魅せられていく大人のお伽噺である。


 香港の街をテリトリーにスリを働くケイ(サイモン・ヤム)、ボー(ラム・カートン)、サク(ロー・ウィンチョン)、マック(ケネス・チャン)の4人組の男たち。
 ある日ケイが街中の階段で趣味の写真を撮っていると、フレームの中に何かに追われているかのように走り去る美女が映り込んできた。
 同じように、ほかの3人の前にも謎の美女が現れる。惹かれる男たち。
 彼女の名はチュンレイ(ケリー・リン)。香港を牛耳る男フー(ロー・ホイパン)の情婦だが、まるで籠の中の鳥のように自由を奪われていた。
 チュンレイは、自由になるためにボスの首にぶら下がる鍵をスリ取って欲しいと依頼。しかし見事に失敗する。
 チュンレイに翻弄された男たちだったが騙されたことが判っても彼女を許し、もう一度チュンレイを自由にするために、そして、プライドを取り戻すためにフーと勝負する………。

    ◇

 お喋りな中国人にしては台詞が最小限にしかなく、古き良き時代を感じさせる香港の風景を、詩的に、美しく描いた映画だ。

 サイモン・ヤムが自転車で古い街中を優雅に走り、ローライフレックスの二眼レフで風景を撮るシーンは、「いつかなくなってしまう美しい香港の街並みを残しておきたい」と云うトー監督の思いにあふれたノスタルジックなシーンで、随所にフランス映画の香りを漂わしながら、遊び感覚にあふれた映像になっている。
 クロージングに映されるモノクロのスナップ集を見ていると、まさに香港の街が主役だったと思えるだろう。

 そのほかにも数々の映画へのオマージュが感じられるから楽しい。

 主人公が鳥を飼うのは、トー監督が大好きなJ・P・メルヴィル監督の『サムライ』('67)を踏襲。
 オープニング、釦付けをするケイの部屋に一羽の文雀が飛び込んでくる。そっと捕まえて窓の外に放してやるが、すぐに舞い戻り部屋の片隅に止まる文雀。軽快なオーケストラ曲が流れるだけのパントマイムな芝居にまずは惹き込まれる。
 原題の〈文雀〉は“スリ”を意味する隠語らしいが、もちろんこの飛び込んできた文雀は、これから登場する美女の化身を意味するものだ。
 
 ケイと仲間たちが集う食堂シーンは『レザボア・ドッグス』('92)のような空気感。 冒頭のスリを行うシーンは流麗なダンスの如くワンシーン・ワンカットで撮影され、ターゲット4名に対して4人の呼吸が見事に揃った手際の良さに息を飲む。

 古い街の坂の石畳にハイヒールを鳴らし、あるいは、跳ねるように街を駈けるチュンレイ。ケリー・リンの端正な美しさが映える。ただただ綺麗。
 ファムファタール的美女の捉え方は、お洒落感覚として『黄金の七人』('65)のよう。6人の男と1人の女の騙し騙されのエンタメ性がここにも感じられるし、『黄金の七人』の「ロッサナのテーマ」風スキャットと口笛が、ケイとチュンレイの官能的なドライヴシーンで効果を上げている。

 『めまい』('58)をイメージする俯瞰カメラで見せるアパートの三角階段も印象的。男を誘う入り口のようであり、美女に魅せられた男たちの滑稽さが覗かれる。

 そしてクライマックスは、約10分間の雨中のスリ・バトル。お得意のスローモーションは銃撃戦ではなく、幾本の傘と水しぶきによるダンシング。これは「当初は『シェルブールの雨傘』のようなミュージカルにしたかった」と語る監督の思いが凝縮された優雅な美。

 チュンレイをタクシーに乗せて逃がし、少年のようにはしゃぐ男たちの友情関係が微笑ましく、『明日に向って撃て!』('69)を連想する自転車乗り(それも4人乗り)が爽やかなエンディングになっている。
 
 




「父が来た道」*出目昌伸テレビドラマ作品

本文は、閉鎖中の余貴美子非公式応援サイト「Y's Passion」に綴ってきた余貴美子出演作品レヴューを再録・加筆修正したものです。敬称略。


監督:出目昌伸
原作:高村薫『地を這う虫』より
脚本:鎌田敏夫
出演:阿部寛、渡辺えり子、余貴美子、神山繁、、富士真奈美、前田吟、内藤武敏、立川三貴

初回放映:2005年11月28日 TBS「月曜ミステリー劇場」


 高村薫の短編集『地を這う虫』に収められた一編を、原作にはない代議士の女性秘書の献身的関係を追加し、主人公と彼に寄り添う年上の情婦との関係を描きながら、ドラマは政界の闇に迫るサスペンスというよりストイックな男の生きざまと「父親が生きて来た道」から逃れることのできないふたりの人間にスポットが当てられた。

 戸田慎一郎(阿部寛)は、政府与党の代議士・佐多 (神山繁)の運転手をしている。慎一郎と佐多の間には深い因縁があった。 慎一郎の父・信雄(内藤武敏)はかつて、佐多の選挙区で中堅の建設会社を営んでいた。信雄は後援会長として佐多に尽くしたが、選挙違反の罪を一身に背負って獄につながれ、すべてを失った。慎一郎も勤めていた警視庁をやめざるを得なかった。
 佐多は慎一郎にとって、親子二代の人生を台無しにした男だ。その佐多からの運転手にならないかという誘いを、慎一郎はなぜ受け入れたのか周囲の誰もが疑問に思っていた。しかし、慎一郎は何も語らず、日々の仕事を黙々とこなしていた。
 ある日、公安の刑事・久瀬(立川三貴)が接触し、佐多の政治生命を断つための情報提供を求めてきた。一方で佐多は、行方不明になった裏金の回収を慎一郎に依頼する。
 二重スパイ的行為から自分に有利なカードを手にする慎一郎だが、個人の意思 が何ともし難い世界のなかでは、自分が存在していること自体が無意味に思えてくることの非情さと虚しさを感じることになる。

 口数の少ない慎一郎とは逆に、佐多の第一秘書の服部千秋(渡辺えり子)はよく喋 る。
 しかし彼女も慎一郎と同じような孤独を抱えている。佐多に対して献身的な仕事を終えた彼女が、慎一郎の運転する車の後部座席で『津軽海峡冬景色』を熱唱し、そしてひとり高層マンションの部屋に帰ってくる姿には、美貌とは無縁の中年女性の悲哀と孤独感しかない。
 ドラマ後半、実は千秋が佐多の娘だと明かされ、それまでの千秋の佐多への献身が男女の危うい恋愛感情ではなく、父娘の恋慕だったと理解できる。非嫡出子で産まれた千秋の唯一の父親との思い出は、幼い頃に津軽で繋いだ手の温もり。
 この少女じみた慕情を渡辺えり子が演じると一層に哀しい。渡辺えり子の、笑っているようで笑えない微妙な表情の芝居が凄い。

 不器用で醒めた生き方しかできない孤独な慎一郎を、優しく包み込む年増女の清子(余貴美子)の存在は大事だ。その浮遊感が、慎一郎の「父が来た道」からの脱却に大きな影響を与えることになる。
 浮き草のような人生を体現している中年女性に余貴美子は見事に息を吹き込んでいる。男なら誰でも包まれたい思いにかられるひとつの女性像のあり方だろう。

 演出の出目昌伸は、映画『天国の駅』('84)において吉永小百合を汚れ役とし て起用し、女の情念を見事に描いて見せた監督。 阿部寛と余貴美子の40代の男女の恋愛表現は、今どきのテレビドラマの範疇ではギリギリと思えるほど息を飲む。
 土砂降りの公衆電話ボックスの中での抱擁は濃密で、冷たい夜気に曇る個室のなかの息づかいが艶かしくエロティックであり、大人の愛の表現がキスや愛撫とい った直接的表現だけではないことを魅せてくれる。余貴美子の目の配りかたや身のこなし方ひとつに艶のある演技が見られるのである。
 情事のあと慎一郎が清子の背中の汗を拭くシーンや、後ろから抱きすくめられたときの上気 した中年女性の愛らしさは、阿部寛くらいの恵まれた体躯が相手となると女性の姿が生々しさより可愛らしさに見えてくるようだ。

 佐多が死に、行き場を無くした裏金を千秋から受け取り母親に渡す慎一郎。認知症で老人ホームで過ごしている父親にかかる費用は、慎一郎が一番恨めしく思っていた佐多の金になる。それでもいい。復讐を果たす事なく「父が歩んだ道」から逃れ「愛する女と歩む道」を選んだ慎一郎には、微かな光しか灯っていなくても未来を拓いた。
 千秋は「孤独な道」のつづきと分かっていても「父が来た道」を守ることしかできない。佐多が病床の最期に、彼女の掌に書いた海という指文字の温もりを思い出として生きていくしかない哀しい女性だ。

 温もりを望む男・慎一郎と、温もりを与える女・清子。そして、温もりを守る女・千秋。三者の生き方に胸震える秀作ドラマだった。


コメディエンヌ余貴美子の七変化「実演販売人 轟安二郎」

本文は、閉鎖中の余貴美子非公式応援サイト「Y's Passion」に綴ってきた余貴美子出演作品レヴューを再録・加筆修正したものです。敬称略。


演出:猪崎宣昭
脚本:西岡 琢也
出演:内藤剛志、余貴美子、石倉三郎、徳井優、山口もえ、香坂みゆき、鷲尾真知子、佐々木すみ江、左とん平

放送:2000年6月5日/TBS「月曜ドラマスペシャル」


 余貴美子ファンとしては天性のコメディエンヌぶりを紹介しておきたいドラマ。余貴美子の女結婚詐欺師七変化ぶりは秀逸。どこかで再放送があれば是非見て欲しい。

 登場するやいなやオーヴァーアクションで笑いを誘う余貴美子の、美しさからくるギャップの可笑しさは決してイヤミになるのではなく、むしろ愛らしさを感じるのは、サブキャラクターとしての立ち位置に合わせた軽妙さを難なく演じ分けられる彼女ならではの品格であろう。

 主人公の轟・通称ヤス(内藤剛志)は2年前に借金を抱え、金融会社の社長・宇賀神(石倉三郎)と社員の犬山(徳井優)に追われている。母と娘を伊豆の伊東の実家に残し偽名を名乗りながら、自分から4,000万円の金を騙し取った美加(余貴美子)を探すために、実演販売をしながら東京の各地を廻っていた。
 あるデパートで美加を見付けた轟は、金を返して貰うため 美加と一緒に美加の愛人で金貸しの高倉を訪ねる。 ところがそこで高倉の遺体を見つけ、 逃げ出した美加の後を追うようにして轟も高倉の部屋を飛び出すが、逃げる姿を隣室の貞子(鷲尾真知子)に目撃されるなどで事件に関わることになってしまう……。

 真相究明をヤスと美加が協力しながら犯人を探すことになるのかと思いきや、安易にふたりの探偵ごっこにはならない。美加のキャラクターは、あの手この手と甘い言葉を使いながらヤスから逃げ回る道化に徹している。
 シリアスな殺人事件と平行して描かれるヤスと美加のエピソードは、石倉三郎&徳井優コンビをブルースブラザースに見立ててのドタバタ劇。

 余貴美子の七変化は………まずは真っ赤なショートのウィッグを付けて登場。チリチリヘアーになったり真っ白なウィッグを付けたり、タイトスカート姿で男たちを手玉にとる。
 甘い言葉のあ とに「チョロイ、チョロイ」と舌を出し、指をくわえる仕草と、風呂上がりの素肌に男もののシャツを羽織る40代のカマトトぶりはキュート以外に何ものでもない。
  ボブヘアーに水玉模様のワンピース姿はバービー人形さながらのスタイリッシュさで、『テルマ&ルイーズ』の如く砂塵の彼方に消えていく。
 事件解決後のエピローグは、粋な和服姿で石倉三郎や内藤剛志を煙に巻いてトンズラする。シリーズ化されなかったのが残念なほど、このチームのコンビネーションは抜群だった。