TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「アンダー・ザ・ドーム」スティーヴン・キング



 4月下旬に発刊されたスティーヴン・キングの最新刊(本国アメリカでは2009年に発刊)は、『ザ・スタンド』『IT』につづく超大作で、一大エンタテインメントなモダン・ホラーの世界をノンストップで味わうことができる。

 メイン州の人口約2,000人の小さな町チェスターズミル。閉鎖的で小さなその町がある日、突然に、上方は高空まで、下方は地下深くまで及ぶ透明の壁に囲まれた。
 わずかな空気と水と電波のみが通る障壁は、やがて[ドーム]と呼ばれた。
 パニックを起こす住民たち。その混乱のなかで、町を牛耳る男ビッグ・ジム・レニーが警察を支配し、やがて恐怖政治を敷きはじめる………。

    ◇

 上記画像は文庫本ではない。上下段組約700頁のブ厚さ(約35mm)の単行本で、主要登場人物も50人を超えるとんでもない作品なのだ。
 『ザ・スタンド』のときと同じように、仕事の行き帰りに持ち運びながら読むにはかなり苦労する代物だったが、どこまでも息が抜けず、その濃密な物語にヘトヘトになりながらも、半端ない面白さに圧倒されっぱなしだった。
 下巻になれば一気に読み終えるのがもったいない気がして、「ああ、終わってしまう」「でもこの結末は早く読みたいよ」のせめぎ合い。
 こんなにも興奮して読んだ小説は久しぶりだ。

 いやぁ、やっぱキングは凄いわ。

 ストーリーは単純だが無駄な描写は一切なく、終幕への伏線も見事に張られ、エイリアンや超常現象の恐怖ではなく、人間の愚かさが生み出す恐怖だけの話は、人間の悪徳性をクローズアップし、閉鎖状況下での人間同士の対立が迫真の描写で綴られていく。
 
 50人以上の登場人物がしっかりと描き分けられているから、異常な状況下で起こす人間の行動原理が怖いくらいに判る。
 下衆な野郎たちの汚い言葉があふれ、繰りかえされる殺戮と血まみれな場面のオンパレード。そして、主要登場人物の大半が傷つき死に絶えていく。
 「なんて話だよ」と、ヘビィな気分になっていくのだが、カタストロフィ後に射し込む光明と解放感にはやられた。

 恐るべしキング帝王。
 本年度最高の書籍に間違いない。

 孤立した地域、権力者の無知と欲、汚れた空気、ガイガーカウンター…………これらの符号が、あまりに現実感を伴っている我が国の今が、本当は一番恐怖の話ではないか?

     ◇

アンダー・ザ・ドーム(上)(下)/スティーヴン・キング
訳:白石 朗
【文藝春秋】
上巻:定価2,900円(税込)
下巻:定価2,900円(税込)


★ザ・スタンド★

スポンサーサイト

「ビッグ・ガン」*ドゥッチョ・テッサリ



BIG GUNS
監督:ドゥッチョ・テッサリ
脚本:ウーゴ・リベラトーレ、フランコ・ベルッチ、ロベルト・ガンドゥス
撮影:シルバノ・イッポリティ
音楽:ジャンニ・フェリオ
タイトル歌:「逢いびき」オルネラ・ヴァノーニ
挿入歌:「愛であったら」ミーナ
出演:アラン・ドロン、リチャード・コンテ、カルラ・グラビーナ、ニコレッタ・アキアベッリ、マルク・ポレル、リノ・トロイージ、ジアンカーロ・スブラジア

☆☆☆ 1972年/イタリア/110分

    ◇

 マカロニ・ウェスタンのトップスター、ジュリアーノ・ジェンマを発掘し『続・荒野の1ドル銀貨』('66)で名を馳せたドゥッチョ・テッサリ監督の、B級活劇の味わいで趣向を凝らしたイタリア製犯罪映画の傑作で、70年代のアラン・ドロンの映画では結構好きな作品だ。

 ミラノを本拠地にしているマフィアの一員トニー・アルゼンタ(アラン・ドロン)は、息子の7回目の誕生日をきっかけに足を洗う決心をした。ボスのニック・グスト(リチャード・コンテ)に打ち明けた数日後、トニーの妻アンナ(ニコレッタ・アキアベッリ)と息子が彼の車に仕掛けられた爆弾で即死する。
 組織への復讐を誓ったトニーは、まずはパリを統括するボスを殺害し、つづいてコペンハーゲンの幹部を襲撃。目的を果たすも自らも負傷したトニーは、同郷のデンニーノ(ジアンカーロ・スブラジア)の友情に救われた。
 その頃、トニーを慕う弟分のドメニコ(マルク・ポレル)が惨殺され、トニーに情報をもたらしたサンドラ(カルラ・グラビーナ)が凄惨な暴行を受けていた。ミラノのもうひとりのボス・クチッタ(リノ・トロイージ)を射殺しサンドラを救ったトニーには、復讐の無意味さと心の虚しさだけが残っていた。疲れたトニーは、サンドラを連れて生まれ故郷のシチリアへ向う。
 そしてシチリアでは、ニック・グストとの和解が持ちかけられ、ニックの娘の結婚式にサンドラを含むトニー一家が招待された。
 荘厳な式が終わり、参列者が家路につくために散会するなか、友人デンニーノの車を見つけたトニーは晴れやかな笑みを見せて歩み寄るが、デンニーノの手に握られた拳銃から一発の銃声が発せられるのに時間はかからなかった………。

    ◇

 70年代最高にカッコいい美男スターのアラン・ドロンは、『サムライ』('67)の一匹狼の殺し屋ジェフ・コステロ以降、孤高の男の翳りに真価を見せる。

 イタリアン・ポップスの女性シンガー、オルネラ・ヴァノーニの1970年のヒット曲「逢いびき」をタイトル・バックに、ポマードで撫で付けた髪と長いもみあげで、ビシっと黒のスーツで決めたスタイルで殺しに出かけるドロン。
 敵対するボスの部屋に何事もないかのようにノックして入り一発で始末したあと、別の扉から現れた男の部下に対しても表情を変えず、フっと首を傾げながら射殺するドロン。寡黙な男の見せ場であるが、クールなイメージを強烈に見せるオープニングは一変して、妻子を失った男の狂気となる。復讐に熱く燃えながら、終始哀しい表情が焼き付くドロンに、共感を覚えるのは当然だろう。
 
 フレンチ・フィルム・ノワールとはひと味ちがうイタリアン・アクション独特の泥臭さは、復讐する男の宿命を哀しく見せるに効果的である。

 そして音楽も素晴らしい。
 カンツォーネ畑出身の作曲家ジャンニ・フェリオが手掛けたメロディは、まさに日本人好みのメロディライン。ジャンニ・フェリオの映画音楽では『荒野の一ドル銀貨』('65)も素晴らしい曲だったが、マカロニ・ウェスタンに限らず、イタリアン・ポップスは日本人の耳に相性がいいと思う。
 
 日本で知名度が低いジャンニ・フェリオだが、有名なところではダリダとアラン・ドロンの「甘い囁き」だろうか。日本でも中村晃子と細川俊之で大ヒットした「♪パローレ、パロレ、パローレ!♪」である。

 テーマ曲「トニーのテーマ」は、ハーモニカの哀愁感がたまらない。この曲は全編にわたって流れるのだが、特に素晴らしい箇所は、ミラノのボスを邸宅で射殺し、ブルーグレイの朝靄に煙るなかをサンドラを助けにマンションに戻るシーンだ。エレベーターのなかでの悲壮感いっぱいのドロンの表情に被さるハーモニカは、本作のなかで一番哀しい。

 主題曲と同様に流れるもうひとつのテーマ曲もグルーヴ感あふれるクールなスコアで、70年代流行のファンキー・ビートとして聴きモノ。

1973-07_ビッグガン





「暗黒街のふたり」*ジョゼ・ジョバンニ



DEUX HOMMES DANS LA VILLE
監督:ジョゼ・ジョバンニ
脚本:ジョゼ・ジョバンニ
撮影:ジャン・ジャック・タルベ
音楽:フィリップ・サルド
出演:アラン・ドロン、ジャン・ギャバン、ミムジー・ファーマー、ミシェル・ブーケ、イラリオ・オッキーニ、ビクトル・ラヌー、クリスチーヌ・ファブルガ、ベルナール・ジロドー、マルカ・リボフスカ

☆☆☆☆ 1973年/フランス/100分

    ◇

 フランス二大スターのアラン・ドロンとジャン・ギャバンが『地下室のメロディ』『シシリアン』に次いで3度目の、そして最後の共演となった作品。
 原題『街のふたり』をフィルム・ノワールらしい邦題にしてはいるが、実は、犯罪者の社会復帰を阻む警察権力と死刑制度を批判した社会派ドラマの秀作である。

 銀行ギャングで12年の刑に服していたジーノ(アラン・ドロン)が、10年で仮釈放されたのは老保護司ジェルマン(ジャン・ギャバン)のお陰だった。10年間待ち続けてくれた妻のソフィ(イラリア・オッキーニ)に迎えられ、ジェルマンの世話で印刷工として真面目に働いた。親代わりのようなジェルマンはジーノを温かく見守り、家族同士の付き合いをしていたが、ある日、ジェルマン一家と家族ぐるみのピクニックを楽しんだ帰り道、暴走して来た車を避けたジーノの車が転倒し、妻のソフィを死なせてしまった。
 ジーノは絶望のあまり生きる張りを失い、再び悪の道へ走りかねなかったが、ジェルマンの深い慈愛と厳しい勇気づけと、新しくできた恋人ルシー(ミムジー・ファーマー)の力添えで、ふたたび幸福への手がかりを掴めた思いになってきた。
 そんなジーノの前に、10年前に彼を捕まえたゴワトロー警部(ミシェル・ブーケ)が現れた。ジーノを目の敵にするゴワトロー警部は、保釈を取り消してもう一度刑務所に追い返そうと執拗につけ廻すのである。
  たまたまジーノが昔の仲間に声をかけられたところを見たゴワトローは、後日発生した銀行強盗の主犯をジーノと決めつける。人間を信じないこの刑事の底意地の悪い企みは、ルシーを脅し、ジーノを犯罪に追い込もうとする。ジーノの苛立ちと腹立たしさは頂点を極め、ジーノの身体に触れたゴワトローに対してついに堪忍袋を破った。ゴワトローの首を絞めるジーノ。それは故意による謀殺ではなく、どうしようもなかった衝動だった。
 弁護士やジェルマンの必死の訴えも虚しく、ジーノは死刑宣告を受けるのだった……。
 
    ◇

 前科者への偏見と悪意、法の無慈悲と不条理、追いつめられていくジーノの痛ましさは痛烈である。

 プロデューサーはアラン・ドロン。それまでプロデューサーとしてはあまり成功したとは云えないなかで、どうしてもこの作品を製作したかった理由は、当時のアラン・ドロンには忌まわしいスキャンダルが生々しい傷跡として残っていたことが、ひとつの起因と云ってもいいだろう。

 スキャンダルとは、1968年に当時のドロンのボディガードだったマルコビッチという男が射殺され、死体がゴミ処理場に遺棄されていたことから始まった「マルコビッチ事件」である。
 ドロンに嫌疑がかけられ、最重要参考人として官憲から徹底的にマークをされ、ほとんどクロのレッテルを貼られていたニュースが全世界を駆け回っていたのだ。
 証拠不樹分のまま不起訴になったあとも執拗な尋問が行われたという。そのため、1970年に大統領宛の公開状を発表して、世間に官憲の陰謀を告発している。
 長期間にわたる厳しい取り調べに、いかに無実を叫んでも人間は簡単に破滅に追い込まれることを身にしみて経験したドロンだからこそ、官憲への怒りと当時のフランスの死刑制度廃止へのプロテストの行動が本作に込められていると思う。 

 アラン・ドロン自身が心情的に理解できる主人公ジーノがリアルに描かれているには、刑務所体験のある元ギャングのジョゼ・ジョバンニ監督起用も大きい。ジョバンニ自身、大統領の恩赦によって死刑台から救われた人物なのだから、その体験も強みだ。
 
 劣悪な刑務所で暴動が起きるシーンなど犯罪者の立場から法を司る者たちへの不信感がありありと感じられ、無力感に叩きのめされる裁判シーンから冷酷なラストシーンへの道筋は背筋が寒くなるくらい強烈である。
 アラン・ドロンとジョゼ・ジョバンニが描く前科者への感情移入は半端ないもので、映画のラストのギロチンの残酷さは、ふたりの痛切なメッセージとなっているわけだ。
 芸術や文化の華と云われるフランスには1977年までギロチンによる死刑が執行されており、映画の中でジーノの女性弁護士が最終弁論で死刑廃止を訴えるように、この作品がはっきりと死刑廃止を主張していることが重要だ。

 そうした迫力に満ちたストーリーの中に、貫禄と人間としての優しさを持ったジャン・ギャバンが出演したことで物語に情愛の幅が生まれ、より心を打つ作品になっている。

 名脇役のミシェル・ブーケの憎たらしい警部役も絶品。

 音楽のフィリップ・サルドゥは、1970年代のフランス映画『ひきしお』『帰らざる夜明け』『夕なぎ』『離愁』『最後の晩餐』『テス』など数多くの素晴らしいスコアを残している作曲家で、本作もリリカルで哀愁に満ちたメロディがとても美しい。

retour-a-la-vie.jpg

★地下室のメロディ★
★シシリアン★

「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」*ジョニー・トー



VENGEANCE/復仇
監督/ジョニー・トー
脚本/ワイ・カーファイ
撮影/チェン・シウキョン
美術/シルヴィー・チャン
音楽/ロオ・ターヨウ
編集/デイヴィッド・リチャードソン
出演/ジョニー・アリディ、アンソニー・ウォン、ラム・シュ、ラム・カートン、サイモン・ヤム、ミシェル・イェ、チョン・シウファイ、フェリックス・ウォン、バーグ・ウー、マギー・シュウ、シルヴィー・テステュ

☆☆☆★ 2009年/香港・フランス/108分

    ◇

 香港ノワールの鬼才ジョニー・トー監督が、フランスのロック・シンガーであり俳優のジョニー・アルディを迎えて、クールでストイックな男たちの友情と復讐を描いたハードボイルド作品である。
 本場フレンチ・ノワールの巨匠ジャン=ピエール・メルヴィル監督の熱烈なファンだというトー監督の、様式美あふれる世界を堪能できる。

 マカオの住宅地で一家4人惨殺事件が起きた。娘婿と孫2人を失ったフランス人のレストラン経営者コステロ(ジョニー・アリディ)は、異国の地で偶然に出会ったクワイ(アンソニー・ウォン)、チュウ(ラム・ガートン)、フェイロク(ラム・シュ)の3人組の殺し屋を雇い、全財産を報酬に敵討ちを依頼する。
 しかしコステロには、かつて殺しを生業にしていた頃に受けた銃弾が脳の近くに残っており、いつ彼の記憶が失われていくか分らなかった。
 やがてコステロの復讐の相手が、クワイら3人の組織のボスであるファン(サイモン・ヤム)の仕業と判明する………。

 大雑把で甘いストーリーとはいえ、記憶が失われた男と約束を交わした男同士の生き様は、鮮烈に美しく、哀しく、崇高な死で人間の運命を謳いあげている。
 その哀愁を漂わすムードは、主人公のジョニー・アルディよりも断然3人の殺し屋の方が魅力的。
 コステロと3人の出会いのシーン、ホテルの一室で仕事を終えたクワイたちが、コステロとジッと睨み合う無言の間合いの緊張感が素晴らしい。

 フィルム・ノワールは、寡黙のドラマであること。

 寡黙であるからして、少ないセリフのなかに“人生”が語られなくてはならない。3人の殺し屋とコステロが意気投合する食事シーンでは、無言で互いを理解し認め合う“男の世界”が築かれる。

 フィルム・ノワールは、スタイリッシュな様式美であること。

 ブルートーンを基調にした映像、サム・ペキンパーを彷彿とさせるスローモーション・シーン、特異な銃撃アクション、どれも見せ場だ。
 銃器を手配されるゴミ処理場で、自転車を標的に試し撃ちをするシーンは芸術的に美しい。

 月夜の森の中での銃撃戦では、雲から月が出たり隠れたりの光と影の使い方が素晴らしく、照明もない暗闇のなかで敵なのか味方なのか判断できない危うさが観客にも緊張感を強いられる。敵と互いに小康状態を繰り返し攻撃するスタイルからは、工藤栄一監督の『陰の軍団/服部半蔵』を思い出した。

 土砂降りの雨の中の銃撃戦は、黒ずくめの雨合羽姿の敵の軍団との上下移動のアクション妙技。4人が逃げ込む繁華街の雑踏のなか、無数の傘の群れのなかで戸惑うコステロ。記憶が薄れた男の悲哀が滲むカットにゾクゾクさせられる。

 「彼が覚えていなくても、俺は約束した」

 ハードボイルドに欠かせない“カッコいい台詞”が、クワイの口からクールに、そして熱い想いとして響いてくる。
 クワイらは、復讐をも忘れたコステロを友人のビッグ・ママの元に預け、自らは死地に出向く。かつての日本の任侠映画にあった“仁義”が浮き上がってくるように、一度交わした“約束”は命を賭けて守り通す。
 3人と無数の敵がゴミ処理場の圧縮されたゴミのキューブを使って銃撃戦を繰り返す様は、インディアンに囲まれたカウボーイのようなウエスタン風味もありシビれる展開だ。

 残されたコステロはビッグ・ママと混血の子供たちの力を借りて、クワイら3人の“滅びの美学”に応えるかのように“約束”を昇華させる。
 最後まで、男の哀愁が魅力の映画である。


「結婚しない女」*ポール・マザースキー



AN UNMARRIED WOMAN
監督:ポール・マザースキー
脚本:ポール・マザースキー
撮影:アーサー・オーニッツ
音楽:ビル・コンティ
出演:ジル・クレイバーグ、アラン・ベイツ、マイケル・マーフィ、クリフ・ゴーマン、ケリー・ビショップ、パット・クイン、リサ・ルーカス、リンダ・ミラー、ペネロープ・ラシアノフ、ポール・マザースキー

☆☆☆☆ 1978年/アメリカ/125分

    ◇

 アメリカン・ニューシネマ花盛りの1970年代は、“女性映画”の時代でもあった。『グリニッチ・ビレッジの青春』につづいてポール・マザースキー監督が発表した本作は、ニューヨーカーの生態を当時のリアルさで描いたヒロイン映画の傑作で、“女性映画”の代表格のひとつである。
 1974年、マーチン・スコセッシ監督の『アリスの恋』が女性の自立を描いた“女性映画”として先頭を切り、以後、ダイアン・キートンの『アニー・ホール』、シャーリー・マクレーンとアン・バンクロフトの『愛と喝采の日々』、ジェーン・フォンダの『ジュリア』『帰郷』、マーシャ・メイスンの『グッバイガール』など、時代に開いた女優たちが絢爛たる魅力で次々と傑作を生み出していた。
 原題「未婚の女」を「結婚しない女」といった主体性を持たせた邦題にしたことで、日本では女性の自立の代名詞のようになり、映画はヒットした。

 ニューヨークの高層マンションに暮らし、ソーホーの画廊に勤めるエリカ(ジル・クレイバーグ)は結婚して16年。毎朝、ウォール街の証券取引所で働く夫マーティン(マイケル・マーフィ)とイースト・リバー周辺をジョギングするのが日課。高校に通う15歳の娘パティ(リサ・ルーカス)に気兼ねなく、朝一番のセックスを楽しみ幸福感に満ちた生活を送っている。
 リビングからの風景で、アッパー・イーストの最上階の角部屋だと判るくらい、リッチな暮らしぶりのニューヨーカーである。

 エリカには、エレイン(ケリー・ビショップ)、スー(パット・クイン)、ジャネット(リンダ・ミラー)という親しい女友達がいて、時々行きつけのレストランやバーで落ち合い、若い男が出来た話やあけすけなセックスの話など、互いに打ち明け話をしている。
 女性の性的な“女”の部分を井戸端会議的に語る描写は、それまでのアメリカ映画にはなかったと思う。これ以後、日本では『金曜日の妻たちへ』や近年の『セックス&ザ・シティ』など、“現代”という時代に生きる女性たちの本音を、風俗描写のひとつとして映しとったドラマとして受け継がれているような気がする。

 外見的に幸福に見える夫婦だって、何が起こるか分らない。
 ある日エリカは、マーティンとランチを共にして街を歩いているとき、突然浮気の告白をされる。マーシャという女教師と1年前から関係があると云う。家を出て一緒に暮らすと、泣きながら話す夫。街を彷徨うエリカは、道端で嘔吐するくらいに打ちのめされる。
 
 マーティンと別れる決心をしたエリカは娘と二人暮しを始めるが、次第に募り出す寂しさと欲求不満に耐え切れなくなり、セラピストのターニア(ペネロープ・ラシアノフ)のもとに通う。ターニアには大いに遊べと勧められ、間もなくエリカは、好きでもない画廊のオーナーのチャーリー(クリフ・ゴーマン)と一夜限りの情事を楽しむ。

 アメリカ人は、特に、ニューヨーカーはセラピストがお好き。
 ヒロインの頭の中が良きにつけ悪きにつけセックスのことでいっぱいになって、それに対して積極的にあれと勧められて、心が解放されるエリカ。

 エリカに扮するジル・クレイバーグは当時34歳。脚線美が目に焼き付く。
 女の心と肉体の微妙なバランス加減を巧く表現し、孤独感を滲ませ苦悩する姿や、夫がいなくなった空虚感を男に求めるときの女の可愛らしさと弱さにセックス・アピールが感じられる。

 舞台女優だったジル・クレイバーグは無名時代の約5年間、やはり無名だったアル・パチーノと同棲していて彼を経済的に援助していたのは有名な話で、この年『ミスター・グッドバーを探して』のダイアン・キートン、『グッバイガール』のマーシャ・メイスンに並んで花開き、見事本作でカンヌ国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞している。
 残念ながら、20数年闘ってきた白血病により2010年10月に66歳で亡くなってしまった。


 女友達らがエリカのマンションに集まり、女性の自尊心から映画女優の話をするところが面白い。
 「ベティ・デイビスやキャサリン・ヘップバーンのような、映画界のイイ女たちはどこへ消えたの? ジェーン・フォンダやバーブラ・ストライサンドなんて比べものにならない…………」

 「遅れてるわ。今はバイセクシャルの時代よ」「ミック・ジャガーやデビッド・ボウイとか?」
 母親らの会話に口を挟む娘パティの意見も、当時の全く異なる世代感だ。 

 70年代を象徴するジェーン・フォンダとバーブラ・ストライサンド。ジル・クレイバーグをはじめ新進女優らに貶させるところが少し意地悪ではあるが、これが、舞台・映画界で俳優や裏方を経験してきたマザースキー監督の女優論なんだろうな。既に“スター女優”の時代は終わったと云うことか。
 俳優出身のマザースキー監督は、エレインのセフレ役で出演している。


 やがて中年の抽象画家ソール(アラン・ベイツ)と出会ったエリカは、情事を重ねて恋人としての関係を築きあげ、ようやく心が満たされるようになっていくのだが、それでも、彼との再婚になかなか踏み切ることが出来ないエリカは、自分に正直に生きていくことを選んだ。
 街を出るソールは、同行の誘いを断ったエリカに背丈以上もある大きな抽象画をプレゼントする。

 マザースキー監督は、女性が誰かに従属することを辞め、自らの意思で“愛”を探求していくことを讃える。だから、両手いっぱいにカンバスを抱え、フラフラと風に遊ばれ、困惑の表情を浮かべ雑踏の中に立つエリカの姿が美しいのだ。

anunmarriedwoman_0826.jpg

 アッパー・イーストの高級住宅街、クイーンズボロ橋、ロックフェラーセンターのスケートリンク、ソーホーのスプリングSt.辺り……ニューヨークの街に心地よく流れる、ビル・コンティの軽快で都会的なスコアも素晴らしい。

 この作品は、80年代になって何度もNYを訪れるようになった時に、街の散策の参考にさせてもらった映画でもあり、『グッバイガール』('78)『マンハッタン』('79)と共にMy Best New Yorkシネマの1本だった。


★グリニッチ・ビレッジの青春★
★アリスの恋★
★帰郷★