TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「グリニッチ・ビレッジの青春」*ポール・マザースキー

0218_greenwichvillage.jpg

NEXT STOP, GREENWICH VILLAGE
監督:ポール・マザースキー
脚本:ポール・マザースキー
撮影:アーサー・オーニッツ
音楽:ビル・コンティ
出演:レニー・ベイカー、エレン・グリーン、ロイス・スミス、クリストファー・ウォーケン、ドリー・ブレナー、アントニオ・ファーガス、シェリー・ウインターズ、マイク・ケリン、ジェフ・ゴールドブラム

☆☆☆☆ 1976年/アメリカ/112分

    ◇

 1953年の冬、主人公ラリー・ラビンスキー(レニー・ベイカー)はブルックリンの親元を離れ、グリニッチ・ビレッジに出てきた。ラリーの家族はニューヨークに住む典型的なユダヤ人家庭で、ひとはいいのだが息子を溺愛する母親(シェリー・ウインターズ)と物静かな父親(マイク・ケリン)に見送られての旅立ちだった。
 グリニッチ・ビレッジは演劇や詩や絵を志す若者の地で、特に俳優を夢見る者たちにとってはマーロン・ブランドを輩出したアクターズ・スタジオは憧れの的だった。
 健康食品の店でアルバイトをして夜は演劇学校に通うラリーは、セイラ(エレン・グリーン)というガールフレンドと仲間も出来てきた。小柄で陽気な作家志望のコニー(ドリー・ブレナー)、ハンサムで皮肉屋の詩人ロバート(クリストファー・ウォーケン)、悲観主義で自殺癖のあるアニタ(ロイス・スミス)、いつも恋の相手を探しているゲイの黒人バースタイン(アントニオ・ファーガス)。
 たまり場のカフェで語り合う日々にはいろいろなことが起きる。セーラが妊娠して中絶。何かと干渉してくる母親に苛つラリー。家賃集めのパーティの席で残酷な本音をぶつけ合い傷つく者たち。ゲイの船員を愛したアニタは今度は本当に自殺してしまう。その船員と関係したバースタインも心に深い傷を負う。
 傷つき涙する日々のなか、自己満足な演劇に少し疑問を持ったラリーは映画のオーディションを受ける。
 合格発表の前、ラリーはセイラがロバートと寝たことを知る。「結婚はしない。今愛しているのはロバート」と打ち明けるセイラを抱きしめ、ふたりして泣く雨の日だった。
 仲間たちがバカンスにメキシコに発った後、ラリーのアルバイト先に映画会社から合格の電話がくる。
 いよいよハリウッド入りである。今度こそ本当の旅立ちだった………。

    ◇

 1950年代のグリニッチ・ヴィレッジに生きた演劇や芸術を志した若者たちの青春記で、監督のポール・マザースキーの青春と重ね合わせた自伝的作品となっている。ヴィレッジへのノスタルジーが悲哀を込めて描かれている秀作である。

 新人俳優レニー・ベイカーの起用が巧く作用し、監督のプライベートなエピソードが普遍的な青春期の苦悩や焦り、自信と挫折、そして希望を観る者に共感させていると云える。

 1976年に観た映画のなかで、ニューヨークの街に衝撃を感じた3作品がある。ブルックリンを舞台にしたシドニー・ルメット監督の『狼たちの午後』であり、マンハッタンの狂気を描いたマーチン・スコセッシ監督の『タクシー・ドライバー』であり、このノスタルジックな『グリニッチ・ビレッジの青春』だった。そしてこの年ぼくは、初めてニューヨークの地を踏んだ。
 ウエスト・ビレッジのクリストファーStと7th Aveの角にある有名な「VILLAGE CIGARS」を目にしたとき、この映画の主人公たちが歩き、跳ね、彷徨った道に感動したものだ。ボヘミアンの街と云われ、ヒッピー文化やゲイ・コミュニティ、ビートニクスが育まれてきた70年代の街並みには、まだこの作品で観た50年代の雰囲気が漂っていた。

nextstopgreenwichvillage.jpg

 映画の初めの方で、ラリーがセイラとセックスをした帰り道、地下鉄の駅のホームで『欲望という名の電車』のマーロン・ブランドの物真似をするのが印象的で、つづいて、酒の空き瓶を持ちアカデミー賞の受賞スピーチを夢想し朗唱するシーンは名場面。日本のドラマでこのシーンを真似していたものがあったが、何のドラマだったかは忘れた。

 実際に、監督ポール・マザースキーはビレッジを去りハリウッドでスタンリー・クーブリックの映画で俳優デビューし、『暴力教室』にも出演。その後、俳優から転身して『ボブ&キャロル&テッド&アリス』('69)で監督デビューをしている。
 人間を見つめユーモアのあるヒューマンな作品を撮ってきた作家で、彼の名前を一躍有名にしたのが、2作目の『ハリーとトント』。孤独な老人が愛猫トントを連れて旅をする物語だ。
 ロビン・ウィリアムズ主演の『ハドソン河のモスコー』は泣ける、好きな映画だ。


スポンサーサイト

シャークショにツヨポン!「魔都に天使のハンマーを」文庫化

matonitenshinohanma-wo-bunko.jpg

 以前、単行本発刊時にぼくは、このストーリーの脳内キャスティングで松山ケンイチをシャークショ役にイメージしていたが、作者の矢作俊彦のシャークショのイメージは草なぎ剛だったという。
 市役所勤めの悩める青年シャークショ。ツヨポンにお似合いかも。これ、観てみたいな。

 この本の解説を書いている映画監督の川島透が、この小説と同時期にオリジナル脚本による『その後の傷だらけの天使』映画化の話が進んでいたことを明かしている。

 オーストラリアでワニに喰われそうになった子豚を救った日本人としてワイドショーのヒーローになった小暮修が、クロコダイルダンディの如く羽田に現れる構想だったという。
 映画化は頓挫したが、デビュー作『竜二』でショーケンの「ララバイ」を主題歌に使用した(元々は金子正次がこの歌にインスパイアされてホンを書いたもの)川島監督のショーケン映画、観たかったな。

 ふたたび話が持ち上がること………なんて、ないかなぁ。


生き様が聴こえる! グレッグ・オールマンのソロ・アルバム

greggallman-lowcountryblues.jpg

Low Country Blues / Gregg Allman

 半世紀近い音楽活動は苦難の道だった。母の女手ひとつで育った兄弟がラジオから聴くカントリー&ウエスタンやブルーズに傾倒しバンド活動をスタート。ショービジネス界に翻弄されながら、69年にオールマン・ブラザーズ・バンドを結成するも、絶頂期の兄と友人の突然の死。バンドは解散と再結成を繰り返し。メンバーとの確執もあった。
 そして1990年代、ライヴバンドとしての原点に戻り、昔と何ら変わらない音楽を演りつづけることでステージバンドの軌跡を残している。

 グレッグ・オールマンの、実に14年ぶりのソロ・アルバムは原点回帰。
 最高のブルース・カバー・アルバムだ。
 ブルーズ、ジャズ、カントリー、ロックンロール音楽の発祥の地アメリカ南部、グレッグの音楽人生を映し取ったような鬱蒼とした一本道を映したジャケット。
 このアルバムの録音後に、ドナーを得ての肝臓移植手術を受けた63歳のグレッグだが、元気な姿で全米ツアーをスタートしているという。ルーツとなるブルーズへの一本道は、まだまだ長くつづいているのだ。

01. Floating Bridge (Sleepy John Estes)
02. Little By Little (Junior Wells)
03. Devil Got My Woman (Skip James)
04. I Can’t Be Satisfied (Muddy Waters)
05. Blind Man (Bobby Bland)
06. Just Another Rider (Original:Gregg Allman/Warren Hynes)
07. Please Accept My Love (B.B.King)
08. I Believe I’ll Go Back Home(John Lee Hooker)
09. Tears Tears Tears (Amos Milburn)
10. My Love is Your Love (Magic Sam)
11. Checking On My Baby (Otis Rush)
12. Rolling Stone (Traditional)

 スリーピー・ジョン・エステスの曲から始まり、ジュニア・ウェルズ、マディ・ウォーターズ、ボビー・ブランド、B.B.キング、ジョン・リー・フッカー、マジック・サム、オーティス・ラッシュなど、オールマンズとは違うスタイルで泥臭いブルーズが満載されている。
 プロデューサーにT・ボーン・バーネットを迎え、ドクター・ジョン(ピアノ)、ドイル・ブラムホールII(ギター)、デニス・クロウチ(ベース)らとの意気投合したアコースティックサウンドはホーンセクションも交え、渋く唸るレイジーブルーなグレッグの声が心地よい南部の旅に誘ってくれるのだ。
 流行〈はやり〉の音楽じゃないけれど、この気怠さがいいよな。



 
 「Just Another Rider」はウォーレン・ヘインズとの共作で唯一のオリジナル(シングルカット)曲。




 ストーンズの演奏で最初に聴いたマディ・ウォーターズの「I Can’t Be Satisfied」
 

「地下室のメロディー」*アンリ・ヴェルヌイユ

melodie.gif

MELODIE EN SOUS-SOL
監督:アンリ・ヴェルヌイユ
脚色:ミッシェル・オーディアール、アルベール・シナモン、アンリ・ヴェルヌイユ
撮影:ルイ・パージュ
音楽:ミッシェル・マーニュ
出演:ジャン・ギャバン、アラン・ドロン、ヴィヴィアーヌ・エオマンス、モーリス・ビロー、カルラ・マルリエ

☆☆☆☆ 1963年/フランス/121分/B&W

    ◇

 フランス映画界の2大スター、ジャン・ギャバンとアラン・ドロンが初めて顔を合わせたフィルム・ノワールで、犯罪映画史のなかで最も美しくフォトジェニックなラストシーンをもった作品であろう。
 人生の哀歓を滲ませた“負の美学”こそがフィルム・ノワールの魅力で、苦労して遂行し終えた犯罪が思わぬことで破綻に至るまでのスリルとサスペンスは一級品である。

 初見は1970年頃。既に結末を知っていての鑑賞だったが、モダン・ジャズのテーマとラストの映像が耳と目に焼き付いており、何度でも面白く観られる作品だ。



 21世紀になっても変わらぬ荘厳な佇まいを見せる1960年代のパリ北駅。
 5年の刑を終えシャバに戻ってきた老ギャングのシャルル(ジャン・ギャバン)が乗る電車には、夏のヴァカンスで話が盛り上がる乗客でいっぱい。ローンで休暇をた楽しんだ庶民の話に、シャルルのモノローグが被さる。
 「安月給の自由など俺にはいらん」

 我が家がある郊外の駅で降りたシャルルが目にするのは、都市開発で森が消え、高層マンションが立ち並ぶ街の様変わりだ。
 「まるでニューヨークだ」と呟くシャルル。

 タイトルロールには、一度聴いたら忘れることのできないミッシェル・マーニュ作曲のモダン・ジャズのテーマ。管楽器のリズムに合わせ、カメラが高層マンションを仰ぎ見る映像に上から一本のラインが伸び、左右に「MELODIE EN 」と「SOUS-SOL」と並ぶ活字体。スタイリッシュなタイトルバック。

 映画音楽が持っているドラマ性に、モダン・ジャズを効果的に使用したのがフランス・ヌーベルヴァーグの作品の数々だろう。(アメリカ映画でのモダン・ジャズ使用は、1955年の『黄金の腕』が最も古い) MJQを起用したロジェ・ヴァディム監督の『大運河』('57)以降、『死刑台のエレベーター』や『危険な関係』『ピアニストを撃て』など、モダン・ジャズがスリリングに、クールな心象風景を観客に残すようになった。

 「随分早く戻ったわね」
 シャルルが我が家に帰り着くと、恋女房ジャネット(ヴィヴィアーヌ・エオマンス)がさりげなく声をかける。
 「俺は早いとは思えんが」
 「時間のことよ」
 「刑務所の出所時間は朝の7時と決まってる」
 「そう……………コーヒー飲む?」

 今、自分が中年を過ぎて見直してみると、このジャン・ギャバンとヴィヴィアーヌ・エオマンスの絶妙な間と会話がつづく前半部、老年夫婦の腐れ縁的関係の心情にはじんわりくるものがある。
 男が抱えるダンディズムと女の持つキャパシティの風情はいいものだ。

 ジャネットの「今度逮捕されたら死ぬまで刑務所を出られないわ」と云う心配を他所に、「確実なヤマがある。それを成功させたら引退する」と最後の大仕事を企てるシャルル。それは、カンヌのパルム・ビーチにあるカジノの売上10億フランを強奪するというもの。
 シャルルが相棒に選んだのは、刑務所で目をつけた若者フランシス(アラン・ドロン)だ。彼の敏捷な運動能力を見込み、カジノの楽屋の屋根裏から通風口を通り、地下金庫に降りるエレベーターの上に乗り、金庫室に入って現金をいただく計画だ。
 シャルルはまずフランシスに、高級ホテルに泊まりカジノのショーガールに近づき、楽屋に自由に出入りできるよう命じる。

 アラン・ドロンの美貌は、卑しさと危なさを持った色気だろうか。虚無を秘めた眼差しと退廃的なムードに勝るものはない。この映画の最初の登場は冴えない格好のチンピラ。
 シャルルが、高級仕立てのスーツで金持ちのお坊ちゃんに変えてやると計画に誘うビリヤード場では、アラン・ドロンは吸っている煙草をテーブルのエプロンに置いてプレイするところが印象的だ。くわえ煙草のプレイはマナー違反だ。
 紫煙が立ち上るキャロム(ワンショットで手球を2つの球に当てるゲーム)の最中、アウトローとして年季が入っているシャルルとチンピラのフランシスの立場が見えてくる。

 いよいよカンヌに乗り込んでからは、断然アラン・ドロンのひとり舞台である。
 楽屋に潜り込むためにショーガールをナンパするプールのシーンは色男の独断場。

 決行はシーズン最後の夜。計画通りに10億フランの札束を手に入れ、ふたつの鞄に入れて秘密の場所に隠した。別々のホテルに泊まるふたりの完全犯罪は成功したかに見えたが………。


 俳優・女優を真正面に据えながら、対面する俳優の表情を見せるために鏡を多用する演出が印象に残るが、やはり、ラストシークエンスの映像的興奮。
 警察関係者が立ち回るプールのデッキチェアに座るジャン・ギャバンと、プールの周りをうろつくアラン・ドロン。ルイ・パージュのカメラワークと「地下室のメロディのテーマ」をオーケストラにアレンジしたスコアが犯罪者の心理にリンクするふたりの台詞のない10分間は、まさに極上のサスペンス。プールいち面を埋め尽くすモノクロームの札束の美しさは、“これぞ映画”である。


★以下、カラーヴァージョンのファイナル・シーン

「夜の終焉」堂場瞬一

0207douba_theendof-nights.jpg

 警察小説が流行っている昨今、少し食傷気味もあり読むのを避けてきた作家のひとりでもあったのだが、ノアール小説ということとタイトルに惹き付けられ、初めて読んだ堂場瞬一作品。
 《汐灘サーガ》の第3作ということで、架空の街“汐灘”を舞台にしたハードボイルド風ミステリだ。

 20年前、東京から車で2時間ほどの地方都市“汐灘”で、建設会社の社長夫妻が殺された。
 被害者の息子真野亮介はいわれなき中傷と跡継ぎの重圧から故郷“汐灘”を捨て、厚木で深夜営業の喫茶店を営んでいた。
 加害者の息子川上譲は、検事になる夢を諦め東京で弁護士として仕事に邁進していた。
 ある日の早朝、真野の店を訪れた少女が店の前でひき逃げ事故に遭い、昏睡状態に陥る。彼女が携えていた地図を頼りに、真野は20年ぶりに“汐灘”に向かうことになる。
 一方川上も、“汐灘”で起こった一家放火殺人事件の容疑者の弁護を頼まれ、20年ぶりに“汐灘”に向った。

    ◇

 20年間引きずりつづける被害者家族と加害者家族となるふたりの男の鬱屈した感情を、現在進行形のストーリーに過去の事案をオーバーラップさせながら描かれる。
 少女の身元探しとか、川上が担当する事件の顛末とか、複雑な人間ドラマの合間を縫うミステリの構成は読み応えがあり、深い味わいが生まれた大作になっている。
 前半のハードボイルドの雰囲気がいい調子だ。

 ただ、犯罪に巻き込まれた家族たちの後遺症がいかなるものかといった社会派の味付けが濃い作品に、周りの登場人物のおせっかいが過ぎたり説教くさい発言が目立つのは気になる。

 そしてもうひとつ気に掛かったのは、ハードボイルド小説に相応しくするためのディテールとして、やたらと出てくるバイク・マシーンと料理と珈琲の話。
 世間と隔絶して隠遁暮らしをしている男が、それも、かなり屈折した性格の男がやたらとグルメを気取るのには鼻白む次第で、作者自身の趣味なのだろうと思いながらもスパイスの加減が気に入らない。
 
 ラスト、それまでのもどかしさを忘れさせるくらいの展開に驚きながら、「夜の終焉」と題された通りにふたりの男の先に光明が射すのが救いだろう。

    ◇

The End of Thousands of Nights
夜の終焉/堂場瞬一
【中央公論新社】
定価:上下各1,600円(税別)

「白夜行」*深川栄洋監督作品



監督:深川栄洋
原作:東野圭吾
脚本:深川栄洋、入江信吾、山本あかり
撮影:石井浩一
美術:岩城南海子
音楽:平井真美子
主題歌:「夜想曲」珠妃
出演:堀北真希、高良健吾、姜暢雄、緑友利恵、粟田麗、今井悠貴、福本史織、斎藤歩、中村久美、山下容莉枝、宮川一郎太、小池彩夢、篠田三郎、黒部進、田中哲司、戸田恵子、船越英一郎

☆☆☆☆ 2011年/日本・ギャガ/149分

    ◇

 原作は1999年の発刊時、一気に読んだ記憶がある。
 「偽りの昼に太陽はない。さすらう魂の大叙事詩。」という単行本の帯惹句に惹かれ、最初に触れた東野圭吾の小説だったが、たしかに切ない物語として読み応えのある傑作だった。
 映画では散漫になりがちな多くのエピソードと登場人物をすっきりと刈り込んことで、孤独と悲哀の豊潤な香りが漂う純度の高いミステリーに仕上がっている。
 力強く重厚な映画の魅力にあふれた傑作と呼んでいいだろう。

 昭和55年、小学生たちの遊び場となっていた廃ビルの中で質屋の店主が死体で見つかった。店主の妻・桐原弥生子(戸田恵子)と従業員で愛人の松浦勇(田中哲司)に嫌疑がかかるが、所轄の担当刑事・笹垣(船越英一郎)の訪問に10歳になる息子の亮司(今井悠貴)が母親のアリバイを証言する。
 遅々として進展しない捜査の日々が続く中、ある日、被害者が事件の直前に西本文代(山下容莉枝)という女の家を訪ねたことが判明する。笹垣はそこで雪穂(福本史織)という少女と出会う。
 その後、文代の若い恋人に質屋殺しの決定的証拠が発見されるも男は事故死、嫌疑のままの文代はガス中毒で死亡し捜査は終了したものの、笹垣は被害者の息子・亮司と容疑者の娘・雪穂の存在が気にかかる。やがて、成長する雪穂の周辺で奇妙な事件が起こりはじめる………。

    ◇

 川向こうという別世界は昭和のリアリティ。
 戦後の佇まいを残すスラム街は、傾いたバラック屋根の住まいの隙間から下卑た好奇な目が光る。
 時代設定を原作の昭和48年(1973年)から昭和55年(1980年)に変えられてはいるが、小説世界の不穏な時代が見事に具現化される。

 公衆電話でボソボソと喋る船越英一郎の背中が夜気に包まれ、土砂降りの雨が躯の芯までじっとりと染み込んでくるような鬱陶しい風景に、重く響くコントラバスの音色が不安を煽る。
 全編、ハイライトを強調したザラついた画質とモノクロームに近い色調が、雪穂と亮司の過酷な運命を映しだすのに相応しく、ぐいぐいと惹きつけられる。

 小説は質屋殺しを序章に第2章以降、雪穂と亮司のエピソードが各チャプターごとに交互に描かれ、ふたりの主観を完全に排した記述で貫かれる。特に、雪穂の心の内はまったく描かれないし、雪穂と亮司が同時に存在する箇所もほとんどない。ふたりの結びつきは語られず、読者の想像力に委ねられる。
 映画でもその作術は変わらず、ふたりの間に立ち語り部として登場する元刑事の笹垣が19年に及ぶ物語を綴っていく。
 執拗に真実を求める笹垣を演じる船越英一郎は、テレビドラマで見せる軽妙な姿ではない。原作にはない笹垣の家庭環境を序盤に数箇所インサートすることで、丸めた背中に父性を妖気のように漂わせた存在感が生まれ、その様相に圧倒させられる。

 原作を読んだ者には読んだ人だけのイメージがあり、ふたりの心情を勝手に想像しながら読んだはず。映像化されれば、そこに映る役者の表情がイメージを決定してしまうため、どうしてもそこにギャップを感じてしまうだろうし、原作を未読の観客にはふたりの心情がまったく見えてこないために、戸惑い以上に理解不能に陥るのかもしれないが、陽の中の闇を歩む雪穂と、決して陽の当たる場所を歩めない亮司の悲劇的関係が明かされたあと、劣悪な家庭環境と鬼畜による壮絶な過去を背負ったふたりに、同情や共感さえ寄せつけないふたりの絆が見えてくる。

 原作より孤独がジワジワと迫ってくる亮司役の高良健吾は、ずっしりと心に重い決意を秘めた静かな演技に注目。そして、ピュアな面影と虚無を抱え表情の変化を少なく微笑む冷たいヒロイン堀北真希も、その美しさが光る。

 他に、亮司の母親役の戸田恵子は淫靡な雰囲気のやさぐれ感を放っていたし、亮司の同棲相手に扮した粟田麗には哀切感が充満し、典子という寂しい女の最期を迫真のリアリティで演じていた。

    ◇

 映画『白夜行』の連動企画として、WOWOWで昨年末から1月にかけて姉妹編『幻夜』がドラマ放送された。ヒロイン美冬役は深田恭子。ずっと『白夜行』映像化の際のイメージが深田恭子だったが、この狂気に満ちた“美冬”役もまさに最適。
 雪穂のその後の姿が美冬とも云われるこの両作品。美冬に『風と共に去りぬ』を語らせたり、『幻夜』最終話には死期が近い病床の笹垣=船越栄一郎をゲスト出演させたりと、『白夜行』のテイストを入れ込んだドラマになっていた。