TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

日本のロック&フォーク・アルバム【'60~'80年代】ベスト10

 『レコードコレクターズ』誌2010年8月号と9月で特集された“日本のロック&フォーク・アルバム・ベスト100”が、読者からのアンケートを中心に新たに選曲され直されて出ている。
 月刊で特集されたベスト100があまりの不評だったようで、この手の企画、上位にあげられるものは自ずと決まってしまうもので、読者のベスト100を混ぜ合わせたことでいい具合になったんではないだろか。
 でも、1500円出して購入するほどのものでもない。

 「読者が選ぶベスト100」と「評論家が選ぶベスト100」以外に「私のベスト10」として10人のゲストの選定も掲載されているのだが、18歳の女優成海璃子の選曲がネット上で話題になっているようだ。

 「はっぴいえんど、遠藤賢司、西岡恭蔵、加川良、村八分、INU、ブルーハーツ etc……」

 この渋い選曲を云々いうつもりはなく、ぼくだって十代の頃は自分より上の世代が聴いていた音楽に感化されていたし、音楽なんだから、自分の好みってものは時代やジャンルに左右されるようなものではないよな。

 投票した読者の平均年齢は45歳あたりらしく、ひとまわり上のぼくもお好みの10枚を選んで投票したのだが………。

    ◇

【日本のロック&フォーク・アルバム・ベスト10〈'60~'80年代〉】※年代順

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ザ・ゴールデン・カップス/ブルース・メッセージ(1969)
 B面のインプロヴィゼーションに驚喜した1枚。

       ◇

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フラワー・トラベリン・バンド/SATORI(1971)
 世界に通用した和製ロックに、衝撃と感動をおぼえた1枚。

       ◇

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浅川マキ/Blue Spirit Blues(1972)
 ゴスペル、ブルーズ、ロックと、浅川マキはどんなジャンルの音楽でも自分の世界を築きあげる。最盛期を告げるアルバムとしてこの1枚。

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三上 寛/ひらく夢などあるじゃなし(1972)
  1971年の中津川全日本フォークジャンボリーのライヴ盤で聴いた壮絶な言霊が脳天に突き刺さったが、このデビューアルバムの怨歌こそ禁断の1枚。

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村八分/ライブ(1973)
 時代の空気感も生々しく、オーディエンスに媚びない反逆児たちのビートに熱くなった1枚。

       ◇

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荒井由実/ミスリム(1974)
 山手のドルフィンに行ったミーハーのひとりじゃなくても、やっぱり最高傑作の1枚だ。

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南 佳孝/SOUTH OF THE BORDER(1978)
 あの時代、片岡義男とともに都会の香りとダンディズムを感じさせてくれたクールな1枚。

       ◇

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中島みゆき/愛していると云ってくれ(1978)
 報われない愛に苦しむ女の恨み言から、声高々に“れ~ぃこぉ~”と叫ぶ2曲目への流れ。情感たっぷりな「化粧」から「世情」の求心力。歌い手の身体から離れた“ことば”
に感動した1枚。

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ダウンタウン・ファイティング・ブギウギ・バンド/海賊盤(1980)
 尖鋭的に、過激な表現を突き詰めた歌謡ロックの進化に一撃喰らった1枚。

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萩原健一/DONJUAN LIVE(1980)
 聴こえてくるのは、狂気の演者と最強の布陣を敷かれたバンドマンたちのインプロヴィゼーション。じっくり聴き込めば、渋い歌心を肌で感じられる最高のアルバム。
 唯一無二のアーティスト・ショーケンこそ、ロック・ヴォーカリストと呼ぶに相応しい。

    ◇


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「Long Good-bye」浅川マキ 



「Long Good-bye」

 2010年1月17日(日)、赤い橋を渡って逝ってしまった“孤高のシンガー”浅川マキ。彼女の追悼オフィシャル・ベストアルバムが発売された。

 初代プロデューサー寺本幸司氏を中心に気心知れたスタッフたちが集結し、浅川マキの遺志を最大限尊重した選曲とリマスタリングが施されている。70年代中心の選曲は初CD化音源10曲を含めた全32曲。2枚組で3,300円という安価だ。

 これまでマキの美学ともいえる数多くの作品は過去に一度CD化(東芝“音蔵シリーズ”)されたにも関わらず、彼女の徹底したクオリティへのこだわりからすぐに廃盤となり、過去の作品に触れる集約的アルバムとして発表された“DARKNESS” シリーズや『CD10枚組BOX自選作品集』は高額商品の部類のため、手軽に浅川マキの歌声を聴くことはできない状態であったため、この価格は浅川マキの意思を幅広い世代に聴き継いでいってもらいたい表れだろう。流行とは関係のないところで歌われる浅川マキの「歌」を、次の世代の耳にも届いてほしい。
 加えて、デビュー当時から彼女を撮り続けてきたカメラマン田村仁氏の未発表写真が満載のブックレット(32頁)も魅力的だ。

    ◇
 
DISC.1
01.夜が明けたら 「浅川マキの世界」より/1970
02.ちっちゃな時から 「MAKI LIVE」より/1972 ※初CD化
03.赤い橋 「MAKI LIVE」より /1972 ※初CD化
04.放し飼い 「こぼれる黄金の砂」より/1987
05.あなたなしで 「灯ともし頃」より/1976
06.ガソリン・アレイ 「MAKI LIVE」より/1972
07.それはスポットライトではない 「浅川マキ ライヴ 夜」より/1978 ※初CD化
08.かもめ 「浅川マキの世界」より/1970
09.裏窓 「裏窓」より/ 1973
10.淋しさには名前がない 「浅川マキの世界」より/1970
11.少年 「MAKI LIVE」より/1972 ※初CD化
12.にぎわい 「MAKI LIVE」より/1972
13.セント・ジェームス病院 「裏窓」より/1973
14.こころ隠して 「CAT NAP」より/1982
15.こんな風に過ぎて行くのなら 「こんな風に過ぎて行くのなら」より/1996
16.マイ・マン 「マイ・マン」より/1982

DISC.2
01.TOO MUCH MYSTERY 「寂しい日々」より/1978 ※初CD化
02.コントロール 「WHO’S KNOCKING ON MY DOOR」より/1983 ※初CD化
03.めくら花 「浅川マキ II」より/1971
04.ふしあわせという名の猫 「浅川マキの世界」より/1970
05.ナイロン・カバーリング 「寂しい日々」より/1978 ※初CD化
06.If I’m on the late side 「流れを渡る」より/1977 ※初CD化
07.大砂塵 「Blue Spirit Blues」より/1972 ※初CD化
08.Blue Spirit Blues 「Blue Spirit Blues」より/1972 ※初CD化
09.ちょっと長い関係のブルース 「マイ・マン」より/1982
10.POSSESSION OBSESSION 「アメリカの夜」より/1986
11.アメリカの夜 「アメリカの夜」より/1986
12.朝日樓(朝日のあたる家) 「MAKI LIVE」より/1972 ※初CD化
13.あの娘がくれたブルース 「Blue Spirit Blues」より/ 1972
14.暗い日曜日 「寂しい日々」より/1978 ※初CD化
15.ジンハウス・ブルース 「浅川マキ II」より/1971
16.INTERLUDE 「闇のなかに置き去りにして」より/1998

    ◇

 ディスク1は比較的知られた作品が並べられディスク2はよりジャジーに、深く冷たく暗い空間を漂う楽曲が納められている。

 彼女が遺してくれたブルーズはどれも後世に伝えていかれるべき独特の世界観を持っている。ピンスポットだけの暗闇の中で、逆光線に浮かんだ彼女の妖気と凄み。それは、今回初CD化された「Blue Spirit Blues」「朝日樓(朝日のあたる家)」「暗い日曜日」などで味わえる。
 絶望という名の暗闇に溺れる心地よさと快感。浅川マキならではのブルーズだ。

 萩原信義のアコースティック・ギターを間奏に、ほとんど無伴奏で歌われる「朝日樓(朝日のあたる家)」。
 収録は新宿花園神社での録音(『浅川マキ II』)ではなく、『MAKI LIVE』としてリリースされた1971年12月31日新宿紀伊国屋ホールでの大晦日公演の模様である。

 「暗い日曜日」は1978年、山下洋輔のピアノ伴奏でスタジオ・レコーディングされたもの。この曲は1992年の文芸坐ル・ピリエでのライヴをCD化したもので既に聴くことができたが、渋谷穀のピアノをバックに歌ったものと聴き比べてみるのも一興である。
 浅川マキの歌声は本当に素晴らしい。
「暗い日曜日」はシャンソン歌手ダミアが歌ったことでポピュラーになった歌だが、自殺を誘発する歌詞としても有名。日本では岩谷時子の訳詞でシャンソンとして歌われてきたが、浅川マキの“日本語詩”が一番原曲に近いと云われる。

 1972年に発表された「Blue Spirit Blues」は、ギター奏者萩原信義とのブルーズ・アルバムのタイトル曲でもあり、黒人霊歌を彼女独自の世界に惹き入れた名曲。このアルバムには他に、ビリー・ホリディの名歌「奇妙な果実」も収録されており、アルバムとして『裏窓』('73)とともに愛聴盤だ。

ROCKER ショーケンからのメッセージ



「ANGEL or DEVIL」萩原健一

10月初めにリリースされたショーケンの新譜だ!


01. INTRO
02. テンダーナイト
03. GOD BLESS YOU (去年の暮れ 予感)
04. Ah! Ha!
05. ぐでん ぐでん
06. 大阪で生まれた女
07. ラストダンスは私に
08. 54日間、待ちぼうけ
09. ハロー・マイ・ジェラシー
10. シャ・ラ・ラ
11. エメラルドの伝説
12. 神様お願い!
13. 愚か者よ
14. ショーケン・トレイン(9月25日吉日、友の結婚)
15. ANGEL or DEVIL
16. フラフラ(春よ来い)


 セルフカバー・ベストアルバムって云うより、これはライヴ。紛れもなく、現在のショーケンの歌唱で聴かせるライヴ・アルバム(スタジオ・ライヴ・レコーディング)だ。

 はじめは少し聴くのが心配だったが、声帯は大丈夫。『アンドレ・マルロー・ライブ』を彷彿とさせる歌唱で復活している。
 ライヴ型式で歌われるので、当然歌詞はライヴ・ヴァージョン。「ラストダンスは私に」のアノ部分は編集なしの完全版だ。

 「Ah! Ha!」の前後に入るS.E.は『地獄の黙示録』の如くショーケンをROCKの戦場へ駆り立てる。
 “神”と呼ばれたカーツ大佐よりも、ロバート・デュバル扮するキルゴア大佐が似合うショーケンである。

 そして聴きものは、ジョー山中とユニゾンで歌われる「愚か者よ」。
 このふたりの競演はひとつの事件だよ。いや、オーヴァーじゃなく、鳥肌が立つから。

 コーラス参加の“Aha”こと有滝亜紀っていう女性ヴォーカリストも、素晴らしい声を聴かせてくれる。
 特にデュエットする「54日間、待ちぼうけ」と「ハロー・マイ・ジェラシー」では、妖艶な声でショーケンのヴォーカルに絡み付き、一種独特な異空間を創りあげている。

 そしてラストの「フラフラ(春よ来い)」。
 同年代の大人たちを呼び起こすばかりでなく、次世代へ託す大いなるメッセージである。
 これが、今のショーケンから贈られる“ROCK”。
 現在進行形の“ショーケン・ロック”である。

俳優ショーケンが、映画を語る



 単行本ではなく新書版ということもあり、余程大きな書店でなければ平積みもされていないだろうから、この本の存在を知らない人には目につかないかもしれない。(かく言うぼくも、showken-funさんの情報で知った訳で………ありがとう)
 ショーケンファンでなくても、邦画やテレビを好きな人なら読んで損はない興味深い本なのでお勧めしよう。

 副題に[黒澤明、神代辰巳、そして多くの名監督・名優たちの素顔]と付けられたように、ショーケンがこれまでに関わってきた日本映画の監督や俳優、そしてテレビで活躍したた頃の脚本家や俳優たちについて語っている(文芸評論家の絓 秀美とのインタビュー形式)ので、あらためて、役者でありクリエイターとしてのショーケンを感じることが出来る一冊である。

[第一章]黒澤明を経験するということ
[第二章]神代辰巳と共犯するということ
[第三章]1970年代の変わりゆく演技
[第四章]「映画監督」というこの異様なるもの
[第五章]「俳優」の誇りと無意識とさまざまな事情
[第六章]1960年代へ。さらには出自の源泉へ
 解説:百年の孤独を生きる、現代の「危険な才能」
    ~つかこうへい/神代辰巳/中上健次とショーケン
                  絓 秀美


    ◇

 ショーケンについて、倉本聰が披露した有名な逸話がある。
 
「かの才媛桃井かおり嬢が、「青春の蹉跌」という映画で、ショーケンこと萩原健一氏と初めて共演された時、その台本に「故郷に錦を飾る」というセリフがあった。かおり嬢、この錦という字が読めなくて、ショーケンに質問いたしました。ショーケン、いとも無造作に「ワタじゃねえか」と申しました。かおり嬢は中学から高校にかけて丁度英国留学しており、日本語に疎いのであります。
見かねた助監督にニシキと読むんだと教えられたかおり嬢、一寸ショーケンあんた何よ。ワタじゃないわよ。ニシキって読むのよ。この時ショーケン少しも騒がず、「ああ、ニシキワタって云うもんな」と泰然と答えたと申します。
字が読めないなどとゆめ云うなかれ、ここらが彼らの翔んでるところであります。」
 〈「新テレビ事情」(1980年刊行)より抜粋〉

 おバカタレント全盛の今とは違って、こんなエピソードが少し波紋になったりもした時代なのだが、この話のウラをブッちゃけるショーケン。

 轟夕起夫のインタビュー(『映画秘宝』)では口を濁していた市川崑監督とのことも、事細かに発言するショーケン。

 同時代の俳優として、いい役者だと意識した根津甚八の引退を残念がるショーケン。

 その根津甚八が演じた『さらば愛しき大地』のシャブ中の役が、最初はショーケンの予定だったなんて……。あの頃のショーケンでは、極限を越えてリアル過ぎて怖い。これは実現しなくて良かったかも。

 ショーケンのジュリー論は然もありなん話。

 これまで自伝『ショーケン』や雑誌『映画秘宝〈2010,MAY〉』で紹介した映画人たちとのエピソードに、さらに敬愛を込め、そして辛辣に、もっとディープに語っているから、面白い。

   ◇

日本映画[監督・俳優]論/萩原健一・絓 秀美
【ワニブックス[PLUS]新書】
定価 798円

★さらば愛しき大地★
★ショーケン★
★映画秘宝★


名もなき女たち★ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う

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(C)2010「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」製作委員会

A NIGHT IN NUDE 2
監督:石井隆
脚本:石井隆
音楽:安川午朗
撮影:柳田裕男、寺田緑郎
テーマ曲:「I'm A Fool To Want You ~ 恋は愚かというけれど」
挿入歌:「絹の靴下」
出演:竹中直人、佐藤寛子、井上晴美、東風万智子、津田寛治、宍戸錠/大竹しのぶ

☆☆☆☆ 2010年/角川映画・クロックワークス・ファムファタル/127分

    ◇

  ◆以下、物語の細部に触れます。【その弐】

 刹那的に浮遊している紅次郎が“生”に辿り着くために、猛烈な3人の女たちが物語をリードする。

 保険金殺人を企む女たちのキィワードは“熟成”と“ドゥオーモ”。
 内縁関係にした高齢者をターゲットにして殺害し、自殺に見せかけるために富士山麓の青木ヶ原の樹海に放置して骨にすることを、彼女たちはワインの熟成に喩えて“熟成する”と呼び、その場所をキリスト教会の前広場を指す“ドゥオーモ”と呼んでいる。

 母娘3人“地獄の貴婦人”たち(大竹しのぶ、井上晴美、佐藤寛子)の死体解体シーンを映画の冒頭に据え、異様な空気で観客を惹き込む本作は、ヴァイオレンス&ホラーが肩書きにある石井作品とはいえ、オープニングからの血の惨劇には虚を衝かれた感じだ。
 石井監督お得意のローアングルで佐藤寛子に迫るジジィ役の飯島大介も強烈だが、水泳で鍛えた身体の井上晴美が包丁片手にドカっと体(たい)をあずけてくる迫力は、云うまでもなく『フリーズ・ミー』('00)出演時より軽やかに、「こいつのチ○ポを1年もしゃぶってあげたのに」と際どいセリフを吐く、がさつな女ぶりである。

 狭い浴室で血に塗れて死体を粉々にしている中で「殺しはドゥオーモの熟成に限るね。こんなんじゃ、手間ばっかり掛かって一銭にもなりゃしない」と、銜え煙草で悠然としている母親役の大竹しのぶは相変わらず存在感を見せつけ、クライマックスにおける豹変ぶりをはじめ“あゆみ”に憑衣した弾けっぷりで役を楽しんでいる。

 今作でヒロインに抜擢された佐藤寛子が想像以上に素晴らしく、芸能生活はもちろん歴代の石井映画主演女優の先輩ふたりに挟まれ堂々たるもの。
 怪演ぶりも鮮やかな大ヴェテラン宍戸錠や、今回も素晴らしい死に様を見せた津田寛治の芝居の中で、佐藤寛子は実にリアルに浮遊していた。

 “れん”の健気さはある目的のための仮の姿で、“名美”のような叙情性はなく悪辣なところがある。己の薄幸さを利用して男を惑わすのだからタチが悪い。
 紅次郎を共犯者にするための身の寄り添い方も居直り方も、これまでの石井作品には見られなかった孤独なヒロイン像となり、屈折した愛の姿を浮かび上がらせたのが“れん”という女だ。
 
 その名もなきヒロインの幻影を描くために、“ドゥオーモ”となる舞台として石切場が選ばれた。
 甘美な冷気と逆光あふれる中で繰り広げられる女優たちの芝居は鬼気迫り、全編が特異な濡れ具合で絶望の彩りに塗り込められるライティング。クレーンカメラが“天空からの眼”となり、主人公ふたりを見下げ、彼岸の先、異世界へ誘うクライマックスは観客を魅了する。

 この『ヌードの夜』シリーズ(石井監督のデビュー作「天使のはらわた 赤い眩暈」('88)をエピソード1として、あえて、そう呼ぼう)が、血みどろな惨殺現場からはじまり、登場する女たちがもの凄い猛者たちであろうとも、どこまでも、紅次郎の物語に終始したことで、石井隆監督の分身である村木哲郎の行方が定まったように思える。
 “村木”も初老の年齢に達しようとすれば、これまでのような名美探しの旅に立ち行きいかなくなっても納得いく。

 悪鬼のヒロイン“れん”と“狂気の女たち”に対抗するように、もうひとりヒロイン(東風万智子)を登場させた石井監督。過去の石井作品に何度か登場してきた悩ましき“ちひろ”という名の女が、紅次郎の再生に「生命力」の予感として描かれる。『ラブホテル』('85)において、村木の陰で甲斐甲斐しく世話をした良子の如く(“れん”と“ちひろ”が鉄階段ですれ違うシーンが一瞬ストップモーションに見えたのは、ぼくの幻影だったろうか)、彼女の存在が紅次郎への一方通行であろうと、いろいろな想いを錯綜させるラストシーンであり、観客ひとりひとりの心の中で、それぞれに熟成されるような終わりを見せた新しき石井ワールドに驚喜した。

 しかし、団欒をとる紅次郎とちひろと闖入者に、まだまだ迷宮を彷徨う予感は秘められている


★ヌードの夜★
★フリーズ・ミー★
★ラブホテル★

 
 

リメイク「死刑台のエレベーター」*緒方明監督作品



監督:緒方明
原作:ノエル・カレフ
脚本:木田薫子
音楽:山本友樹
ギター演奏:渡辺香津美
出演:吉瀬美智子、阿部寛、北川景子、玉山鉄二、平泉成、りょう、笹野高史、熊谷真美、田中哲司、柄本明、津川雅彦

☆ 2010年/角川映画/111分

    ◇

 1957年に製作された名匠ルイ・マル監督のデビュー作を、世界で初めてリメイクした日本映画。舞台は現代の日本。ジャンヌ・モローとモーリス・ロネに代わるのは吉瀬美智子と阿部寛。
 オープニングの顔のアップとセリフ、最後のモノローグと女のアップまで、完璧にオリジナルのコピーを目指した作品だ。が、如何に……。

 コピーするにも、50年代のフランスを現代の日本に置き換えることで問題点はいくつもあり、携帯電話が普及した現代で連絡がとれないシチュエーションをどうするかに始まり、日本で銃器をどうやって手配するのかとか、エレベーターが止まるためにオフィスビル全体の電源を切らなくてはならない状況は何かとか……それらの辻褄合わせと、当時のフランス映画独特のスタイリッシュなムードを、リメイクとしてどんな風に料理するのか興味大ありで鑑賞した。
 
 横浜を舞台に、銃器や携帯電話は見事にクリアし、オフィスビルも古い建築物で解決したことになる。
 しかし残念ながら、それらを解決するために施した脚色に問題がある。
 何が酷いかって、説明台詞だらけになったことだ。余計な台詞も多すぎる。後半になるにつれて実にウザったく、いい加減にして欲しいと思った。
 ビルを全館停電にする理由から阿部寛の過去を語る友人のクダ、ラストに繋がるライカのカメラを現像するための写真師の台詞とか………。
 どうしてこうも喋りまくり、言い訳がましく説明しなくちゃならないのか。オリジナルで説明しきれない箇所を納得させないと気がすまないのだろうか。映画って、そんなにきちんと説明しきれなくてもいいと思う。まぁ、全てを説明しないことには納得しない観客が多いのは確かだが。

 オリジナルの良さは、寡黙で極力台詞を削ったところだ。女の焦燥感や、若者の無軌道ぶりに言葉はじゃま。これではオリジナルの芳醇な香りが台無し。
 オリジナルのクールな画面は、加えてマイルス・デイヴィスのインプロヴィゼーションの演奏とキャメラの三位一体が創りだした傑作なのだ。
 ストーリー自体は取るに足らない平凡な話であり、穴だらけの完全犯罪なのだから、結局オリジナルへの敬意と批評と云いながら、筋立てだけをコピーしたものでしかなく、ルイ・マル監督の若さと荒削りなところがスタイリッシュな映画だったものが、ただのちょっと格好いい2時間サスペンス・ドラマ程度になっちまっている。
 オリジナルで印象的だったシーンを真っ先にタイトルバックで見せてしまうことが、もはやTVドラマではないか。

 ラスト、女の顔のアップとモノローグがフェイドアウトされる最高の場面では、悪しき邦画劇伴のとどめの一発を喰らい、ただただ閉口するばかり。あの音楽の入れ方はないだろう。せめて、静かに無音で終えるくらいのセンスはないのか。

 オリジナルのカメラアングルやセリフにこだわるより、もっと大胆に脚色した方が潔かっただろう。

 北川景子の可愛らしさと、吉瀬美智子のクールビューティーな佇まい、そして、りょうの叫びに☆ひとつである。

 ちなみに、左側に座っていた同年代の男性客は中盤からときどき寝息をたて、右側のやはり同年代の夫婦はときどき不満そうにツッコミをいれ、そして途中退場者が1名いたというのが現実である。

★「死刑台のエレベーター」*ルイ・マル★


帰ってきた紅次郎★ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う*石井隆監督作品

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A NIGHT IN NUDE 2
監督:石井隆
脚本:石井隆
音楽:安川午朗
撮影:柳田裕男、寺田緑郎
テーマ曲:「I'm A Fool To Want You ~ 恋は愚かというけれど」
挿入歌:「絹の靴下」
出演:竹中直人、佐藤寛子、井上晴美、東風万智子、津田寛治、宍戸錠/大竹しのぶ

☆☆☆☆ 2010年/角川映画・クロックワークス・ファムファタル/127分


  ◆以下、物語の細部に触れます。【その壱】



    ◇

 石井隆作品における永遠のミューズ“名美”が、13年という眠りから目覚めた『人が人を愛することのどうしようもなさ』では、相変わらず村木不在のままドラマは進行していった。そしてあれから3年、石井隆監督の新作は『ヌードの夜』からは実に17年ぶりに、紅次郎こと村木哲郎の“その後”が描かれる。これは、常に傍観者として存在した村木哲郎の物語である。

 東京近郊のとある街でバーを営むあゆみ(大竹しのぶ)、桃(井上晴美)、れん(佐藤寛子)の美しい母娘。
 その末娘れんが、ある日“なんでも代行屋”を営む紅次郎(くれないじろう/竹中直人)の事務所を訪ねてくる。「父の散骨時に一緒にばらまいてしまった形見のロレックスを探して欲しい」。
 いかにもウソ臭い依頼だったが、世捨て人のように生きて来た性善説男・紅次郎は、天使のように純粋なれんを放ってはおけず捜索を始める。
 しかし、これがきっかけとなり、 “3人の女たち”の欲望を纏った完全犯罪に巻き込まれてゆくことになる。そして、その完全犯罪の先にあったのは、れんの抱えるさらにおぞましい闇だった。次郎はれんを救うため、彼女の闇を抱き続けて来たある深い森へと導かれるように入ってゆく……。

    ◇

 前作『ヌードの夜』で名美(余貴美子)を失った紅次郎にとって、人生に何の意味を見いだし生きてきたのか。17年ぶりに我々の前に姿を現した紅次郎は、どうしようもない無常感しか漂っていなかった。
 当たり前の話だ。無頼を気取りながらも気弱で堅気なまっとうな紅次郎が、そんな簡単に名美の呪縛から逃れることなど出来ようもないだろう。失った時間を引きずることで、何とか生きている男だ。男はみんな未練たらしい。センチメンタルこそ石井作品の男たちにはお似合いだ。

 ぼくはこの作品を文句なく絶賛するが、もし一般的に評価を落とす箇所があるとすれば、それは紅次郎がなぜこんな小娘の手玉に乗ってしまうのかの一点であろう。

 紅次郎のだだっ広い事務所の壁際の棚の上には、名美にもらったクジラの置物がある。それも未練。しかし、写真立てのなかは空っぽだ。名美の姿を見るのが辛いか。苦しいか、紅次郎。

 名美を救えなかったことで呵責に苦しみ、すべてに絶望している紅次郎が救済を求めるとしたら、それは名美の面影や名残りを追うこと。
 そんな次郎だから、彼の前に現れた忌まわしき過去を背負い込んだ“れん”という少女に、素直に肩入れをする。それは、名美への贖罪を重ねるもの。どんなに凶暴な悪魔であっても、次郎にとって救済は己自身のアイデンティティに関わること。失っていくものこそ、生きていく道先案内となっていく男のどうしようもなさだ。

 竹中直人には失礼な発言だが、同年代の彼の首から腰にかけて見られる老いの時間が、名美を亡くした紅次郎の無常な日々の積み重ねと合致し、何ともリアルに感情移入させられてしまった。

 この映画、男の贖罪への道を前提にして観ていけば、後半、紅次郎が殺人教唆あるいは共謀加担する動機に納得がいくだろう。『ヌードの夜』の後日談として映画は成り立っているが、もちろん前作『ヌードの夜』を観ていないひとでも楽しめる。

 “紅次郎物語”と云えども、やはり石井隆作品はヒロイン至上主義。名美の切なさを反故するような強烈な女たちの集合で、無常の世界でただ生きてるだけのお人好しの紅次郎は、またも、どん底に引きずり込まれてしまうのだ……………。


★ヌードの夜★


【再生への悪夢】ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う

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 石井隆の新作に、泣いた。

 ラスト、何度も繰り返される再生への扉。一陣の風とともにやってきた闖入者と、その扉にやっと手をかけた紅次郎の姿に涙が出てきたのだ。

 初老と云われるような年齢になった村木が、これからも“名美探しの旅”をつづける気力がどれだけのものなのか。
 石井隆は旅の同伴者として女刑事を選んだ。

 これまでの石井作品に真っ向反するエンディング。
 彼女の優しさは、まるで『ラブホテル』における村木の別れた妻の良子のようだ。

 この優しさを、ぼくは全面的に支持する。

 しかし、村木の目の前にいるのが“ちひろ”という名となれば、おいそれと村木に安らぎが訪れるとは思えない。
 悪夢を彷徨う男の、次なる石井ワールドのはじまりだろう。