TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

【フォトギャラリー】ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う

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 『石井隆の世界~オフィシャルファンサイト』において、最新作「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」とコラボした特集ページがアップされた。
 
ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」製作委員会の許諾を得た企画で、映画公式サイトだけでは味わえないインサイド情報が満載だ。
 撮影現場のセットや小道具など、登場人物のバックボーンを垣間見ることができる新たな「ヌードの夜」である。
 28日発売のムック本に先駆け、十二分に楽しめること間違いない。

 また、ネット上で石井監督にインタビューができる特別企画もあがっている。

 石井隆作品の成功を祈って…………

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「パリは霧にぬれて」*ルネ・クレマン

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LE MAISON SOUS LES ARBRES
監督:ルネ・クレマン
原作:アーサー・カバノー「子供たちがいなくなった」
脚色:ダニエル・ブーランジェ、ルネ・クレマン
シナリオ:シドニー・ブックマン、エリナー・ペリー
台辞:ダニエル・ブーランジェ
撮影:アンドレア・ウィンディング
美術:ジャン・アンドレ
音楽:ジルベール・ベコー
衣装:イヴ・サン・ローラン
出演:フェイ・ダナウェイ、フランク・ランジェラ、バーバラ・パーキンス、カレン・ブランゲルノン、レーモン・ジェローム、モーリス・ロネ

☆☆☆☆ 1971年/フランス=イタリア/98分

    ◇

 『雨の訪問者』につづき発表されたルネ・クレマン監督の叙情サスペンスは、アメリカ人作家の原作とアメリカの俳優3人を主役におき、異国に暮らす夫婦の心の不安をサスペンスタッチで描いた作品である。


 霧深いセーヌの畔に住むアメリカ人夫婦ジル(フェイ・ダナウェイ)とフィリップ(フランク・ランジェラ)は、可愛いふたりの子供にも恵まれた一見幸せそうな家族。
 しかし、科学関係の著述家のフィリップは仕事に没頭し、夫婦も顔を合わせれば言い争うことが多くなっている。アメリカにいた時、フィリップが突然会社を辞め、すべての好条件をふりきり、逃げるようにフランスにやって来て2年だが、若い夫婦に訪れた倦怠期ともいえない、ふたりの間に何か隔たりができた毎日だった。
 ジルは記憶喪失の兆候があり、ときどき孤独の意識に彷徨いながら自分の殻に閉じこもってしまうノイローゼ状態。長女のキャシーは母の身体の具合を知ってか、家のことにはよく気を配る。息子のパトリックは4歳の悪戯好きだ。
 ジルが頼りにしているのは、アパートの階下に住むシンシア(バーバラ・パーキンス)。聡明で面倒見がいいアメリカ人だ。
 シンシアに借りた傘を無くしたり、同じドレスを2着も買ったり、主治医のクリニックの階数を間違えたり………どうして自分はヘマばかりするのだろう、と自信を失うジル。とうとう、子供たちを一緒に乗せたシトロエンを運転していて、トラックに追突しあやうく命を落としかねない事故すら起こしてしまった。
 そして、事件はクリスマスも近いある黄昏時。デパートの人形芝居を見た帰り、セーヌ河に架かる橋の上で、子供たちが忽然と消えてしまったのである………。

    ◇

 70年代のルネ・クレマン作品の中では評価が大きく分かれるところがあるのだが、フェイ・ダナウェイの美しさと映像のクォリティにおいて大好きな作品であり、今回ひさしぶりの再見も封切り時に感じた思いと何ら変わらなかった。
 ヒロインが感じる愛の孤独と哀しみ、ノイローゼに陥る不安と苦しみが、パリの知られざる風景のなかで静かに息づいて見え、フェイ・ダナウェイの退廃的な雰囲気としっかりマッチして胸に迫ってくる。

 本作は、フェイ・ダナウェイのための映画である。
 カラーのなかにモノクロームの世界観を映し出す美しいアンドレア・ウィンディングのカメラが、憩いを求める孤独という影で美しさを魅せるフェイ・ダナウェイを捉えている。 
 当時のそれまでのフェイ・ダナウェイは、『俺たちに明日はない』('67)「華麗なる賭け』('68)『小さな巨人』('70)と力強い女性を演じてきたが、本作では自己閉鎖的な女性の心の揺れを見事に体現し、特にサン・マルタン運河を船で下るオープニングシーンは、荒涼とした夕刻の下町の風景のなかに、彼女のいい知れぬ孤独が感じられる秀逸なシーンである。

 老夫婦が営む砂利運搬船に乗せてもらい、セーヌ河を入り、トンネルのようなところから水門を抜け、サン・ドニ辺りにたどり着くまでのなんと感傷的なこと。
 このサン・ドニは、フランス映画不朽の名作『北ホテル』('38/マルセル・カルネ監督)の舞台となったところ。うら寂れた下町の果てには、当時は外国人などあまり行かなかったところだろう。ファーストシーンとして、この先の映画の成り行きを暗示するには、ぴったりのムードある映像である。

 黄色いレインコートを着たパトリックが橋の上を黄色いフープを転がし走り回り、そのまま子供たちが消えていくシーンは、彩りのない冬のパリの街での色彩演出として、とても効果的な映像だ。
 
 前半は、日常を丁寧にそして静かに描いているので退屈に思えるところだが、後半、ルネ・クレマンの演出は鮮やかに転調する。
 ただし、サスペンス映画としては多くを語らない寡黙なシナリオで、特に後半の流れは、殺す者と殺される者たち、誘拐した組織の存在は稀薄であり、すべてを丁寧に説明などしてくれない。何から何まで語ってくれる映画に慣れた人たちには、不満が残る映画かもしれない。

【ムック本】ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う



 老舗映画誌「キネマ旬報」から『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』のムック本が発売される。

 120点以上の撮影現場写真やシーン写真が満載され、監督はもとより竹中直人、大竹しのぶ、佐藤寛子らのインタビューと、石井隆の秘蔵イラストまでが掲載される。

 石井作品のムック本だけでも考えられなかったことだけど、映画誌史上初の佐藤寛子のヌード袋とじ付っていうオマケまでついているそうな。
 
 9月28日発売のムック本を見ながら、10月2日公開に大いなる期待を馳せよう。

「雨の訪問者」*ルネ・クレマン



LE PASSAGER DE LA PLUIE
監督:ルネ・クレマン
脚本:セバスチャン・ジャプリゾ
撮影:アンドレア・ヴァンダン
音楽:フランシス・レイ
出演:チャールズ・ブロンソン、マルレーヌ・ジョベール、ジル・アイアランド、コリンヌ・マルシャン、ガブリエレ・テンティ、ジャン・ガヴァン

☆☆☆☆ 1970年/フランス=イタリア/118分

    ◇

 『太陽がいっぱい』('59)以降、サスペンスを多く手掛けるようになったルネ・クレマン監督。晩年の70年代は叙情サスペンスを得意としており、本作はそのきっかけとなる作品。
 『さらば友よ』('68)でチャールズ・ブロンソンを気に入ったセバスチャン・ジャプリゾが、ブロンソンのために書き下ろしたミステリアスな脚本と、流麗なフランシス・レイのテーマが耳に残る傑作である。


 地中海に面した避暑地。夏が過ぎたある雨の日、グレイのレインコート姿でトランス・ワールド航空の赤いバッグを下げた男がバスから降りてきた。

 母親が経営するボウリング場の窓から、メリーことメランコリー(マルレーヌ・ジョベール)がバスを眺めている。
 雨に濡れる窓ガラスごしに見えるマルレーヌ・ジョベールの顔が、とてもコケティッシュで好きなシーンだ。物憂げに言う「雨が連れてきたのよ」も印象的で、雨の中を歩く男を映し出していくタイトルバックがとても不気味となる。

 夕方、友人のニコール(ジル・アイアランド)のブティックで、今度はその男が自分を見つめているのに気づくメランコリー。
 その日の夜、フライト中のパイロットの夫トニー(ガブリエレ・テンティ)の帰宅を待つメランコリーは、自宅に押し入ってきたレインコートの男に暴行されてしまう。そして、目が覚め地下室に潜んでいた男を見つけ猟銃で射殺してしまう。放心状態のまま一時は警察に電話をするメランコリーだったが、思いとどまり男をワゴン車に乗せ、崖の上から海へ捨てるのだった。

 翌日、夫と共に友人の結婚式に出席したメランコリーは、夫が見る新聞記事から海岸で死体が発見されたことを知る。そこに見知らぬアメリカ人が現れ、メランコリーに「なぜ男を殺した」と声をかけてきた。
 男の名前はドブス(チャールズ・ブロンソン)。
 この男は何者? 赤いバッグの男は誰? 「私は何も知らない」
 こうして、決して男のことを認めないメランコリーとドブスの駆け引きがはじまる………。
 
    ◇

  よほど井戸が深いのか 落ちるのが遅いのか
  彼女には 周囲を見渡し 
  我が身を案じる時間がたっぷりあった
      
 1972年の『狼は天使の匂い』でルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」を引用したジャプリゾだったが、それに先駆けた本作の冒頭にも「不思議の国のアリス」の一節が引用されている。

 アリスの不思議な体験と同じように、メランコリーという名のヒロインが突然、暴力と殺人の世界に放り込まれ、怪しげな人物たちに翻弄されながら自分のトラウマと闘う5日間は、メルヘンで味付けられたミステリーとして不思議な雰囲気を醸し出している。

 ブロンソンがメランコリーを追いつめていく過程で、彼女の夫や親友への不審が浮き彫りになっていくのだが、ニタニタ笑いのブロンソンのユーモアは、謎解きミステリーと絶妙のバランスをとりあっている。
 たとえば、ガラス窓めがけて投げるクルミ。
 ガラスが割れれば「君は恋をしている。恋している証拠だ」という、一種占いのようなゲーム。
 ジャプリゾの脚本には『さらば友よ』のコインや、『狼は天使の匂い』の煙草をディテールにした“大人のゲーム”が出てくるのだが、本作ではクルミが洒落っ気あるアイテムとして使われる。
 メランコリーとドブスが心を通わせたラストには、ブロンソンの苦笑いへ粋な味付けとなっているのだ。

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 ミステリアスな雰囲気を盛り上げる主題曲(テーマ)と、友人の結婚式シーンに流れる魅惑的なワルツ。日本ではこの「雨の訪問者~ワルツ」が大ヒットしている。
 この作品をとても気に入り印象深いものにしているのは、フランシス・レイの音楽によるところが大きい。

 セバスチャン・ジャプリゾが作詞したテーマ曲は、当時新進だったシャンソン歌手セヴェリーヌの歌声でクロージングに流れる。

  雨のもとで思い出す 海の色の空 
  あの憂鬱(メランコリー)が一番好きとしたら
  ひとは何て言うだろう
  あなたを知るのが遅すぎた 
  得がたい夜 雨と一緒にやって来た

    

「死刑台のエレベーター」*ルイ・マル

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ASCENSEUR POUR L'ECHAFAUD
監督:ルイ・マル
原作:ノエル・カレフ
脚色:ルイ・マル、ロジェ・ニミエ
台詞:ロジェ・ニミエ
撮影:アンリ・ドカエ
美術:リノ・モンデッリーニ、ジャン・マンダルー
音楽:マイルス・デイヴィス
出演:ジャンヌ・モロー、モーリス・ロネ、ジョルジュ・プージュリ、ヨリ・ベルダン、ジャン・ヴァル、リノ・ヴァンチュラ

☆☆☆☆★ 1957年/フランス/92分/B&W

    ◇

 名匠ルイ・マル監督が25歳の時に、ノエル・カレフの犯罪小説を映像化したデビュー作で、ヌーヴェル・バーグの先駆的作品として注目を浴びた。

 勤務先の軍需品製造会社の社長夫人フロランス・カララ(ジャンヌ・モロー)と密通しているアルジェリア戦争帰りの青年ジュリアン・タヴェルニエ(モーリス・ロネ)は、邪魔になった社長のシモン(ジャン・ヴァル)を殺害すべく、フロランスと共謀して完全犯罪を実行する。
 会社の最上階にある社長室に侵入し、自殺に見せかけ社長を射殺したジュリアンは、証拠を隠すためにエレベーターを利用するが、土曜日の就業時間が終わった警備員がエレベーターの電源を落としたために、エレベーターの中に閉じ込められてしまう。焦るジュリアンだが、月曜の朝までエレベーターは動かない。
 この間、向かいの花屋に勤める少女ヴェロニク(ヨリ・ベルダン)と不良少年の恋人ルイ(ジョルジュ・プージュリ)がジュリアンの車を盗み、彼の名前を騙ってモーテルに宿泊。そこで知り合ったドイツ人夫妻を殺してしまう。
 一方、約束の時間になっても現れないジュリアンに、フロランスは疑心暗鬼になりながら街を彷徨う。
 翌朝、エレベーターから脱出したジュリアンだったが、ドイツ人殺しで逮捕されてしまう。アリバイを証明できないジュリアンを助けようと、フロランスは花屋の少女が殺人事件に絡んでいることを突き止め、警察に通報する。
 しかし、ふたりの完全犯罪は思わぬことで破綻する………。

    ◇1957_ShikeidainoEV_ps.jpg

 完全犯罪を目指す男と女にしてはあまりにズサンな計画だし、ミステリーの演出にしては不可解な箇所があったりするのだが、映画の主題は完全犯罪ではなく“倦怠からの脱出”と言えよう。

 台詞はあくまで簡素。ロジェ・ニミエの説明台詞を削ぎ落としたダイアローグと、ジャンヌ・モローのニヒルなモノローグと、そして名手アンリ・ドカエの硬質なモノクローム映像と、マイルス・デイヴィスのクールなインプロヴィゼーションによって、フロランスの心理描写をスタイリッシュな映像とモダン・ジャズで組み立てた、これぞ奇跡の一作と云える。
 都会を浮遊する孤独な男女のけだるい関係が鮮烈に浮きあがってくる。
  
 「ジュ テーム………だからやるのよ あなただけ待っている ジュテーム……」

 ジャンヌ・モローの、目と唇のクローズアップ。
 その存在だけで、もの言う女優。口角が少し下がり気味のジャンヌ・モローは、いつも何かしら不機嫌な顔に見えるのだが、それが、女の冷酷な美しさに見えるからいい。
 電話ボックスで愛の言葉を発していても、それは情熱と云うよりもどこまでもクール。最初から最後まで画面に漂っているのは、ジャンヌ・モローの空虚な美しさである。

 ジュリアンが閉じ込められたエレベーターの中は、男の焦燥感を象徴するかのようにライターの仄かな灯りが揺れ、火をつけられたジタンの空箱がエレベータからくるくると奈落に落ちていく様子が、まさに“死刑台”のイメージに繋がっている。

 もうひと組の若い男と女の様子は、冷たい夜気の中、常夜灯に照らされた高速道路を、暗闇目指して一直線に追いつめられていく。

 冷酷な愛の言葉のプロローグから、焦りと不安のモノローグで夜のパリ市街を彷徨ったフロランス。締めくくりは感傷的なモノローグだ。

 「10年……20年……。無意味な年月がつづく。眼をさます。ひとりで。10年……20年……。わたしは冷酷だったわ。でも、愛してた。あなただけを。わたしは年老いてゆく。でも、ふたりは一緒。どこかで結ばれている。誰もわたしたちを離せないわ」

 モノクロームの色彩のなかに、フロランスの心理を鮮烈に浮かび出してきた光と影の効果は、ラストにおいて最大の威力を発揮する。

 定着液に浸かった印画紙から、フロランスとジュリアンふたりの仲睦まじい姿が現れてくる瞬間の、白と黒のコントラスト。ジュリアンに抱かれるフロランスの表情には、この映画のなかで唯一の笑みが浮かんでいる。