TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「ある戦慄」*ラリー・ピアース



THE INCIDENT
監督:ラリー・ピアース
脚本:ニコラス・E・ベア
撮影:ジェラルド・ハーシュフェルド
音楽:テリー・ナイト
出演:トニー・ムサンテ、マーティン・シーン、ボー・ブリッジス、セルマ・リッター、ブロック・ピータース、ルビー・ディー、ゲイリー・メリル、ジャン・スターリング、ドナ・ミルズ、ジャック・ギルフォード、エド・マクマホン、ダイアナ・ヴァン・ダー・ヴリス、マイク・ケリン、ロバート・フィールズ、ロバート・バナード、ヴィクター・アーノルド

☆☆☆★ 1967年/アメリカ/103分/B&W

    ◇

 ニューヨークの地下鉄車両内を舞台にした群像密室劇で、現代人の無関心さと大都会の病理を赤裸々に映し出した社会派スリラーである。70年代の初見時、描かれた云われなき暴力の恐さが、そのまま当時のニューヨークの印象として残った作品だ。

 日曜深夜のブロンクス。ダウンタウンのビリヤード場で店主をからかうトニー・ムサンテとマーティン・シーンは、「何か面白いことないか」と酔った勢いで通行人を襲い、撲殺する。
 「夜はこれからだ」マンハッタンに向かう二人。

 ブロンクスは北の方は裕福な住宅地区だったが、下町は治安が悪いと云われた。1970年代からヒスパニックや黒人が多くを占めるようになり犯罪率も高くなったようで、初めてニューヨークに行った当時(1977年)、ヤンキー・スタジアムやブロンクス動物園にさえ行くことなんて出来なかった。
 映画は、治安悪化のニューヨークを予兆するかのような不気味さを秘め、始まる。

 ファズの効いたオルガンとギターが、都会の狭間に起きる出来事と人間の心の不均等な歪みを表すかのように響きわたる。観る者に緊張感を強いていくタイトルが終わると、グランド・セントラル駅に向けて深夜走る地下鉄4線(Lexington Av Express )に、ひと駅づつ乗り込んでくる様々な人たちの姿が映し出されていく。
 NYの地下鉄ペインティングが有名になったのは70年代に入ってからなので、この頃はまだ地下鉄車両の汚さはそれほどでもないのだが、一車両のドアや、連結のドアが壊れているのは当たり前のニューヨークの地下鉄だからこそ、出入口がひとつの変形密室状態となり、充分にリアルなスリラーの舞台となっている。

    ◇

  ◆以下、物語の細部に触れます。

    ◇

 午前2時をまわったモショル・パークウェイ駅からは、4歳の娘を抱いた中年夫婦(エド・マクマホン&ダイアナ・ヴァン・ダー・ヴリス)が義母の家から家路に帰るところ。妻はタクシーを止めるが、夫は無駄使いだと一蹴する。

 車内には始発駅から乗った浮浪者が、酔っぱらってシートの一つを占領して熟睡していた。

 次の駅からは若い恋人たち(ドナ・ミルズ&ヴィクター・アーノルド)が駆けてきた。席に着くなりずっとキスのしっぱなしだ。

 3番目に乗ってきたのは老夫婦(ジャック・ギルフォード&セルマ・リッター)。息子の冷たい態度に腹を立てている夫は、今時の若い者たちも嫌いなようだ。

 フォーダム・ロードの駅からは、右腕を負傷したオクラホマ出身の一等兵ボー・ブリッジスと、退役したら弁護士になると夢を語るニューヨーク出身の一等兵ロバート・バナードの若い軍人二人が乗ってきた。

 バーンサイド・アヴェニュー駅からは、友人のパーティーから帰途につく中年高校教師(マイク・ケリン)と妻(ジャン・スターリング)。勝気な妻はおとなしい夫が歯がゆくてたまらない。

 次の176st ストリート駅から乗ってきたのはアル中の中年男(ゲイリー・メリル)と、彼を追ってきたゲイの青年(ロバート・フィールズ)。

 黒人夫婦(ブロック・ピータース&ルビー・ディー)は、マウント・エデン・アヴェニュー駅から地下鉄に乗ってきた。

 そして、170st ストリート辺りから乗り込んでくるのが、イントロで登場したトニ-・ムサンテとマーティン・シーンだ。

 大声で奇声を発し、傍若無人に車内を走り回るチンピラふたり。
 どんな人間だって関わり合いにはなりたくない手合いだ。無視したり、下を向いていたり、本を読んでいたりと、行動はいつだってどこだって同じだろう。
 マーティン・シーンが、熟睡している浮浪者にマッチの火でちょっかいを出したところで、ゲイリー・メリルが「やめなさい」と嗜め口を出すのだが、この言葉を合図に、チンピラふたりは次々と乗客たちに絡み始める。
 それまで無視を決め込んでいたにも関わらず、いつ火の粉が降り掛かってくるのかと戦々恐々とする乗客たちの恐怖は、現代社会の縮図のように生々しく迫ってくる。

 マーティン・シーンはこの映画がデビュー作。イカレたあんちゃんぶりが凄いが、言葉の暴力で暴れ回るトニー・ムサンテも、イタリア系アメリカ人らしい個性で迫真の凶暴さを見せる。彼にとって2作目の本作は、実は1963年のTV映画が先にあり、映画化された本作に同じ役で出演したものという。

 ゲイの青年の臆病な行動心理が、同性愛者への差別が堂々とされていた当時をよく物語っている。彼の惨めな気持ちがヒリヒリと突き刺さってくるのだが、グリニッジ・ヴィレッジで同性愛者解放運動が起きるのは2年後のことだ。

 黒人夫婦への仕打ちも強烈だ。マルコムXが暗殺された後だから、黒人運動も活発な頃か、この夫は駅で白人にトークンを拾え拾わないで対立するくらい、大の白人嫌いの熱狂的民族主義者として描かれる。車内で白人がからかわれているのを、ニヤニヤしながら傍観し、降りる駅に着いても妻に「面白いから見て行こう」なんて言う。“逆差別”をしている様だが、トニー・ムサンテから侮蔑した言葉を浴びせかけられ徹底的に打ちのめされてしまう。
 公民権法が制定されている当時でも、まだまだ黒人への差別と迫害が収まっていない状況は、その後、警官が乗り込んでくるラストの一場面に強烈な印象を残していく。

 幼い女の子にまで絡み出したチンピラに対し、遂に立ち上がるのがボー・ブリッジス。名優ロイド・ブリッジスを父に持ち、ジェフ・ブリッジスの兄。彼もまた、この作品が実質的デビュー作(子役出演が1本ある)。
 狂ったようにトニーとマーティンを叩きのめすが、トニーのナイフが腹に刺さり倒れこむ。それは、電車が42丁目のグランド・セントラル駅に到着した時だった。彼は、田舎のオクラホマへバスで帰郷することが叶うのだろうか。

 「傷は酷いのか?」友人が近寄る。
 「今まで何してた」

 「できることはないか」アル中の男が声をかける。
 「山ほどあるさ」

 戦慄を憶えるのは、怪我を負ったヒーローに何も声をかけない、ただうなだれている他の乗客たちだ。チンピラたちの悪行を何も知らずに酔いつぶれていた浮浪者にさえ無視しつづける人間たちが怖い。
 他人に関わることをやめてしまったツケは根深く蔓延している。遠い昔の異国の出来事が、いつのまにか、すぐ隣りで起きても不思議ではないのが現実なのだ。

 すべて終ったの? 言うことないの?
 これで終わりなの? こんな終わりを迎えるなんて

 ピアノ伴奏で呟くような歌声が流れて、静かに映画は終わる。

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「赤と黒の熱情」*工藤栄一監督作品

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PASSION
監督:工藤栄一
脚本:野沢 尚
撮影:仙元誠三
音楽:埜邑紀見男
出演:陣内孝則、麻生祐未、仲村トオル、古尾谷雅人、余貴美子、室田日出男、内藤剛志、大杉漣、柳葉敏郎

☆☆★ 1992年/東映/109分


 横須賀を舞台に、記憶障害になった女と、彼女の幸せと自分の罪の償いを賭けた若いヤクザとの儚い夢物語だ。

 ヤクザの松浦楯夫(陣内孝則)は、組の資金源三億円を強奪した弟分の矢崎文治(柳葉敏郎)を組の掟によって射殺した。ふたりは幼い頃から兄弟同然の仲だったが、組の命令には逆らえなかった。
 文治のたった一人の身内となる妹の沙織(麻生祐未)は、その衝撃と組の幹部・桐島(古尾谷雅人)の罠によって麻薬漬けとなった。
 事件から6年。出所した楯夫は、弟分の研作(仲村トオル)ら仲間たちと、記憶喪失となって精神病院にいる沙織のために、たとえウソであっても“美しい過去”で励まそうと思い出づくりをはじめるのだった。
 しかしそんな幸せな暮らしのふたりの前に、かつての記憶を呼び起こす事件が起き、ふたたび彼らの生き方は狂いだすのだった……。

    ◇

 光と影の魔術師・工藤監督らしい画面構成と演出は、メインタイトル前に見られる。
 雨降る中で、麻生祐未が持つ赤いパラソルが風に吹き飛ばされるシーンは、同じ年公開の『死んでもいい』のオープニング・シーンにダブり、その後、野沢尚脚本のテレビドラマ『青い鳥』('97)の夏川結衣登場へと繋がるような印象的なショットであった。

 問題は、それ以降のストーリー展開。
 真記子(余貴美子)のバーに集まる仲間たちの描かれ方など、群像劇を得意とする工藤監督らしさが活かされず、野沢尚氏の脚本の甘さが露呈しているのかもしれない。
 かつては“街の女たち”を束ねるバーのマダムで、今はレストランなどを経営する女性実業家役の余貴美子は、6年ぶりに出所してきた陣内孝則をベッドで迎え、膝を抱え「おかえりなさい」と見上げる目つきと仕草が艶っぽく、姐ご肌が似合い、仲間の信頼にも厚く、力強さと色っぽさを兼ね備えたいい役まわりだったのに後半、何も活かされないのが惜しい。

 沙織の失われた記憶を新しい思い出づくりとして作ってやろうと、仲間たちが奔走する“足ながおじさん的夢物語”が核にあるのだから、その仲間内のウソッぱちな物語を、映画を観ている観客には劇中でのリアリティに変えてくれないことには、観ていてどんどとん白けた気持ちになってくる。

 ラストの離れ小島(松田優作の『蘇える金狼』に登場した舞台と同じ)での銃撃戦や、古尾谷雅人や内藤剛志の怪演もあるのだが、展開の甘さが気になり失望に変わった作品であった。


「夜がまた来る」*石井隆監督作品

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ALONE IN THE NIGHT
監督:石井隆
脚本:石井隆
音楽:安川午朗
撮影:笠松則通
出演:夏川結衣、根津甚八、椎名桔平、寺田 農、永島敏行(友情出演)、竹中直人(友情出演)、余貴美子(友情出演)、速水典子、宮下順子、高橋明

☆☆☆☆ 1994年/アルゴ・ピクチャーズ/108分

    ◇

 すべてが、夜、夜、夜………深い夜の闇の底の映画である。


 麻薬取り締まりのおとり捜査のため、暴力団に潜入していた厚生省麻薬Gメンの土屋満(永島敏行)が殺された。殉職どころか汚職の嫌疑までかけられた夫の無実を信じる妻の名美(夏川結衣)は、暴力団に復讐を誓う。
 夫を殺したのは誰か、暴力団会長の池島(寺田 農)を狙おうとするが、鉄砲玉が池島を狙う場面に遭遇。そこで、組の幹部で村木(根津甚八)という影を持った男に出会う。村木に見逃してもらった名美だったが、無念の想いから入水自殺を試みるが、またしても村木に命を助けられた。組に関わるのは辞めろと諭されるのだが、それから何ヶ月か経ち、名美はクラブのホステスとして池島に接近し、情婦のひとりへと身を堕とし、復讐のチャンスを狙う。
 ある晩、池島の寝首をかくも失敗。池島の舎弟である柴田(椎名桔平)に嬲られ、村木の小指と引き換えに命だけは助かったが、地方の漁港にある売春バーに売り飛ばされ、覚醒剤の虜にさせられた名美。
 いつしか名美を愛してはじめていた村木は、変わり果てた名美を助け出し、彼女とともにクスリの禁断症状と闘う。立ち直った名美は、銃を片手にふたたび池島のもとへ向かう………。

    ◇

  ◆以下、物語の細部に触れます。

    ◇

 映画は、1976年ヤングコミック誌に3週にわたって掲載された初の中編劇画【横須賀ロック】を連想させる。

 土砂降りの雨の夜、スケ番抗争から逃れた番格の名美は、ひとりの男がヤクザを刺し殺す場面に出くわす。男の名前は村木哲郎。好きな女をクスリ漬けにされ殺された復讐だったが、頬を傷つけた名美に優しくハンカチを差し出し姿を消した。
 それから5年。横須賀に流れ着いた名美は、スケ番の郁子と知り合う。郁子は、地元のヤクザ剣崎らとの抗争で姉貴と慕う番長の銀子が行方不明となり、その復讐の機会を狙っていた。たった一人でヤクザの元へ出向き、捕まり、クスリ漬けにされ、売り飛ばされてしまった郁子を、名美が助け出し、クスリの禁断症状と闘う郁子を見守る。
 郁子に代わって剣崎の元へ殴り込んだ名美だが、そこで剣崎の情婦が銀子だと知る。油断した隙に太ももを撃たれ、とどめを刺されるそのとき、郁子のカミソリが剣崎に飛んだ。「哲っちゃん」と叫ぶ銀子。この男が探し求めていた村木だったのか、と驚愕する名美。
 「ヤダァ、判りたくないッ!」
 銀子に裏切られた郁子の声なのか、それとも名美の声だったのか、雷鳴のなかに叫び声が響く。

 劇画時代、名美と村木の変則的関係のなかで決定的な石井イズムを生んだ【横須賀ロック】。その流れが、『死んでもいい』『ヌードの夜』では見られなかった、もうひとつの石井ワールドだ。
 犯され、辱められ、傷つき、堕ちていくヒロインがすくっと再生し、男は自身の償いも含めそんなヒロインに惹かれながら、見守り、そして死地に飛び込んでいく。娯楽映画としてもっとも石井隆らしいネオ・ノワールが、本作からはじまったと云える。

    ◇

 村木役の根津甚八は竹中直人と双璧だが、石井監督に云わせると「女に背中を刺されて死ぬ」根津甚八と、「殴られても殴られてもひたむきに女を追いかける」竹中直人だそうだ。どちらも哀愁を感じさせる男たちには違いなく、村木役には欠かせないふたりだ。


 「ショート一万、泊まり二万……しつこいのは。ヤーよ」

 小さな漁港の裏通り。行き止まりの寂れたバー。クスリ漬けにされた名美。一年の後、やっと探し出した村木が救いにくる。村木の見た目の移動カメラ。奥の部屋に辿り着くと、毒々しい化粧の名美と、むしゃぶりつく客を引っ張り出し、名美の側に座るサングラスの男。
 男がタバコを銜える。名美がライターの火を点けると、村木の顔が見える。
 名美が、村木に気づく。………無言………。
 青白いライトの中に映る絶望の女と男。堕ちた人間の陰惨な時間が壮絶に浮かび上がるこのシーンは秀逸。

 売春バーの中に移動カメラが入ると、ぬぅ~と現れる派手な化粧の余貴美子。あの掠れた声で「社長、ご指名は」と囁く。
 夏川に抱きついている客が竹中直人。
 根津が夏川の手を引いて出口に向かうと、「ヘイ、キー」と余貴美子がドスを効かせる。その余貴美子に、下から絡み付いてくる変態も竹中直人。目がイっちゃってる。
 『ヌードの夜』コンビの竹中直人と余貴美子がこうして友情出演していれば、寺田農の情婦・クラブのママには速水典子。ここに、3組の“名美と村木”が揃ったわけだ。


 クライマックスの屋上シーンは、名美の夫の魂が天空から俯瞰している地獄図だと、石井監督がインタビューで語っている。
 そこで繰り広げられる、日本刀を振り回す椎名桔平(【黒の天使】の蘭丸をイメージする)と根津甚八の闘いは、監督が以前から映画でやってみたかった殺陣が用いられた。


 椎名を倒してほっとした根津に、椎名がいきなり起き上がって根津の上腕を斬りつける。
 必死にもつれ合うふたり。
 少し離れた処に落ちている壊れたビニール傘。
 大上段に刀を振り下ろす椎名の首に、ビニール傘を突き上げる根津。

 血しぶきで透明の傘が真っ赤に変わる。
 もつれ、押し合い、遂に、椎名を屋上の端から押し出す。

 落下する椎名。少しの“間”から、風に煽られ、真っ赤な傘が闇空に舞う。


 【横須賀ロック】のリメイクと云える【黒の天使/ブルー・ベイ・ブルース】('81)で、殺し屋魔世が武器にしたビニール傘。
 映画は、真っ赤になった傘がフワリと下から舞い上がってくる瞬間の美を刻みこむ。椎名の魂の“地獄への上昇”を見るようだ。

 クロージング。
 泣き叫ぶ名美の声を響かせながら、朝が白々と明けた空に、名美の夫と、村木と、名美の魂が飛翔する。
 まさに、あの三羽の鳥の飛行は石井ミラクル。
 『死んでもいい』『ヌードの夜』同様に、いつだって名美の往き先は、“かけがえのないひと”と、ずっと一緒なのだ。

    ◇


 石井隆監督作品としては、前2作に比べるとあまり評判がよくないのはなぜなんだろう。確かに哀切感のある『ヌードの夜』の後だっただけに、その完成度に比べて、本作での村木の名美に対する愛情の推移がよく分らないという。また、大竹しのぶと余貴美子の後では夏川結衣の演技はかなり拙いが、クライマックスで寺田農に銃を向けている時の、目の鋭さなんかいいじゃないの。
 なにより美しい。どのシーンも、どんなショットも、女優至上主義の石井監督は綺麗に撮っている。なのに、夏川ファンにはレイプだのヌードだのがタブーらしく、無かった作品のような扱いには笑止の至り。
 『ヌードの夜』より『夜がまた来る』の方が好きだと云った女友達もいる。決然と再生する女の生き方に共感して欲しい。
 夏川結衣はこの作品で、1994年ヨコハマ映画祭最優秀新人女優賞を受賞している。

    ◇

 通常“名美物語”3部作とは『死んでもいい』『ヌードの夜』と本作を指しているのだが、実際は、この作品と同時に撮影した川上麻衣子の『天使のはらわた 赤い閃光』が“名美物語”として存在する。
 もともとは2本のオリジナル・ビデオ作品としての企画で、川上麻衣子も夏川結衣も出演を受けるにあたって“劇場公開”にこだわったため、予算はそのままで35mmのオールアフレコ撮影でスタート。2本つづけて撮影という過酷なスケジュールは、『天使のはらわた 赤い閃光』を10日で撮影、2~3日空けてすぐさま同じスタッフで本作を20日あまりで撮りあげたということで、根津甚八は出ずっぱり。

 撮影期間中は寝ないなんて噂の石井監督だが、まさか一ヶ月あまり完徹したとは思えないが、低予算の劣悪状況でとにかく夜間撮影が大好きな石井監督のこと、女優を美しく撮ることを第一に、嬉々として現場に立っていたのだろう。2作とも無事劇場公開はされたのだが、『赤い閃光』は“天使のはらわたシリーズ”として別扱いされている。

 そしてこれ以後、2007年の『人が人を愛することのどうしようもなさ』までヒロイン“土屋名美”は封印されてしまった。

「ヌードの夜」*石井隆監督作品

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A NIGHT IN NUDE
監督:石井隆
脚本:石井隆
音楽:安川午朗
撮影:佐々木原保志
挿入歌:余貴美子「I'm A Fool To Want You ~ 恋は愚かというけれど」
出演:竹中直人、余貴美子、根津甚八、椎名桔平、田口トモロヲ、岩松了、速水典子、室田日出男

☆☆☆☆★ 1993年/アルゴ・ピクチャーズ/110分

    ◇

 “名美物語”アルゴ3部作の真ん中となる監督4作目は、情感豊かな石井ノワールを満喫できる官能ハードボイルドな作品である。
 全編に、女と男の秘めたる熱い想いが静かに漂っている官能性が半端なく狂おしく、観る者まで暗い海の底に突き落とされていく感覚が、大人の、否、男のファンタジーとしてたまらない快感となっていく。

 “代行屋”紅次郎こと村木哲郎(竹中直人)のところに、ブランド品で着飾った、若くはないが綺麗な顔立ちの女がやってくる。彼女の依頼は「東京のトレンディな場所を案内してくれ」というものだった。彼女の用意した高級車で六本木や水族館を廻り、夜は高級ホテルにチェックインして明日の約束をして別れた村木。
 翌朝4時頃、事務所に「都合で帰ります。大きな荷物が出来たので送る手配をお願いします」という女からのメッセージが残され、村木がホテルの部屋に行ってみると、バスルームに血まみれの男の死体が転がっていた。昨晩チェックインした村木の顔はフロントに見られていた。村木は旅行バッグに死体を隠し、姿を消した女を追うことにする。
 所在はすぐに見つかった。女の名前は土屋名美(余貴美子)。殺された男は、十数年も名美と腐れ縁にあるヤクザものの行方(なめかた/根津甚八)。
 自分を陥れようとした女と知りながら名美に惹かれる村木は、行方を慕うゲイの仙頭(せんどう/椎名桔平)が現れたことで、トラブルの渦に飛び込んでいく……。

    ◇

  ◆以下、物語の細部に触れます。

    ◇


 「何でも代行。あなたのお役に立ちたい紅次郎事務所です」


 雨に滲んだ代行屋の張り紙。ガード下の一角。車のヘッドライトに照らされて、傘をさした名美のシルエットが側のコンクリート壁にサーっと流れていく。
 「I'm A Fool To Want You 」を奏でる甘美なサキソフォンがメインタイトルを呼び起こす。
 フィリップ・マーロウでも登場しそうなハードボイルドな世界観が、底なしの石井ワールドに惹き込んでいくに相応しい甘い夜気を含んで漂っている。

 痺れるようなオープニング・タイトルだが、“代行屋の張り紙”のショットからガード沿いにカメラが切り替わると、大きく映し出される“産婦人科の看板”に何か不自然な思いを感じていた。タイトル文字の後ろで目立つような看板のない、別の場所でもいいではないかと。
 この“産婦人科の看板”に関して、2009年に石井隆ファン仲間であるT氏からひとつの仮説(妄想?)を教わったのだが、ディテールにこだわる石井監督らしい解答を知りたいところだ。

 石井隆が描く“名美像”は、男の想いの分だけ輝きを増す女として、女の放つ光と影が男に純情をもたらす“聖母”的存在として語られてきた。その名美のイメージに一番近いとされ、何度ものラヴコールからやっと主演女優として起用された余貴美子は、最高にして完璧なファム・ファタールとしてスクリーンの中で輝いている。

 この作品で余貴美子ファンになったひとは多く、かく言う自分も、それまで名前を覚えるまでには至らなかったが“気になる女優”だった。本作以前でも妖艶で謎に満ちた女という役は多く、なかでも神代辰巳監督の『噛む女』('88)は主演の桃井かおりと堂々と張り合う存在だったし、崔洋一監督の『Aサインデイズ』('89)や工藤栄一監督の『赤と黒の熱情』('92)での気っぷのいい姉御役もたしかに印象的だった。

 本作での余貴美子は、内面的に切なさと儚さ、憂いと妖しい情念を合わせ持った女性を見事に体現してくれるが、表情の芝居に彼女の目元が絶妙の輝きを魅せてくれる。
 サングラス姿で現われ、椎名桔平に促されてシャブを打っている根津甚八の前に立つ怯えた余貴美子と、交互に映るうすら笑いの根津甚八にただならぬ感情交差が見られる。この時の余貴美子の目元のショットがいい。
 そして、ショーツを脱いで手を腰にした立ち姿のローアングルから、シートで脚を広げ虚ろな視線で耐えている顔のアップ。幸福とは程遠い哀しげな表情に、観客はまず惚れてしまうのだ。


 「わたしは誰でしょう?」


 ホテルの部屋に竹中に送られた余貴美子が、ピンクのボディコン姿に着替え、ドレッサーに向かい派手な化粧を施し呟く。
 バッグから果物ナイフを取り出しベッドの枕元にナイフを隠し、呼び出した根津甚八を待つ。
 別れ話。いつものことかのように「今度は誰と出来た?」「何遍切れたら気が済む?」「若いのか?」「止めないよ。勝手にどっか行けば」……………ベッドに横たわる根津甚八。
 ベッドの上で土下座をしつつ、枕元に隠したナイフを気にする余貴美子の目。慈悲を乞う目元が、徐々に恐怖が混じり合って凍りつく瞬間の眼差し。素晴らしい。

 ナイフが見つかり、顔を張られ、よろけ、平手打ちを喰い、飛ばされ、身をよじる余貴美子に、「誰にも渡さん!」としゃにむに交わる根津甚八。
 不器用な男のサディスティックな愛の証明と、想いのどうしようもなさを迫真の演技で見せる根津甚八。彼もまた、もうひとりの“村木”を演じている。


 「デートだもんね。明日一緒に行くか? 綺麗なひとなんだぞ。タイプなんだぞ」


 預かった子犬に語りかける村木。演じる竹中直人が絶品。
 名美に貶められながらも、人生を見失った自分が自分自身を取り戻すために、ヒロイズムに駆られ惹かれていく姿として、無償の愛の深さを一段と高めている。
 雑然とした村木の事務所に、水族館の白イルカの前で写した名美の写真が飾られている。愛おしい表情で、届かない存在として、一枚の写真が村木の心に安らぎを与えているのが判る。
 一方的に惚れた女を救うべく拳銃を手に入れに行く男の純粋な想いは、このあと、幼なじみのオカマの健三(田口トモロヲが怪演)とのシーンで炸裂する。
 蒼い閃光と、一拍ずらした銃声が木霊する路地裏の俯瞰映像は出色。

 根津甚八を慕う椎名桔平は本作でブレイクした。狂気を宿した危ない目の男は、この後も石井映画で暴れまくるが、なんと云ってもここでは「指ぐぁ~!!」が最高。

 “村木と名美”、“名美と行方”、“行方と仙頭”、“村木と健三” ……それぞれの人間関係が、様々な色合いで混じり合い石井ワールドを形成している。

 本作はズームアップのカットインが頻繁に見られるが、前作『死んでもいい』において石井ワールドを印象づけたような長回しは、クライマックスの埠頭で相米監督の『ラブホテル』('85)に通ずる名シーンを生み出し語り種となっている。
 安っぽいブルーの花柄ワンピース姿の名美が、埠頭から海のなかにポチャリと石を投げ込み、やるせない想いを抱えながら延々と「ケンパ」する。忘れられないシーンである。


 「わたし、あいつに憧れていたんだよね」


 村木が名美に想いを寄せ、名美は行方に想いを向け、愛に巡礼するふたりはダイブする。海中で振り向く名美の美しい横顔は、石井劇画でお馴染みの“下降する名美”の顔だ。実際に、この汚い海の中で演技した余貴美子の気迫には頭が下がる。


♪君を欲しいなんて ぼくは愚か者さ
 君を欲しがるなんて哀れだな
 間違っているのはわかっている 
 でも ぼくは君なしでは生きていけないんだ


 ジャズのスタンダード曲「I'm A Fool To Want You ~ 恋は愚かというけれど」を、オリジナルよりぐっとスローにアレンジして、ハスキーヴォイスの余貴美子が喘ぐように歌うクロージングは、大人の幻想譚を締めくくるに相応しい甘美な囁きであった。

「死んでもいい」*石井隆監督作品



I MAY DIE
監督:石井隆
原作:西村望「火の蛾」
脚本:石井隆
音楽:安川午朗
撮影:佐々木原保志
挿入歌:ちあきなおみ「黄昏のビギン」
出演:大竹しのぶ、永瀬正敏、室田日出男、竹中直人、岩松了、速水典子、清水美子、奥村公延

☆☆☆☆ 1992年/アルゴプロジェクト、ディレクターズカンパニー/117分

    ◇

 原作は、実際に東大阪で起きた殺人事件をもとに西村望が書き上げた中編小説『火の蛾』。
 主演の大竹しのぶがキネマ旬報主演女優賞を獲得したほか、国内外で数多くの賞を獲得した渾身のラヴ・サスペンスだが、ここに至るまでの道のりは長かった。
 最初の企画は1981年頃に立ち上がっており、シナリオも何度か書き直されては頓挫した曰くがあるのだが、こうして紆余曲折の末に出来上がった名美物語は、石井作品としてはストレートな映画とも云えるが、俳優にとって緊張感を強いられる長回しの多用で、一瞬一瞬を鮮烈な情愛で生きている3人の、こころの揺れと孤独性から生まれる哀しみが画面に焼き付けられ、息を飲む展開が繰り広げられていく。
 愛と情念の世界を凝視する石井ワールド、監督3作目にして本領発揮と云える。

 初夏の山梨。大月駅に降り立った平野信(永瀬正敏)は、雨の降る駅前で名美(大竹しのぶ)と出会い、魅入られたように彼女の後を追った。名美は夫の土屋英樹(室田日出男)と平凡に暮らしていたが、ふたりが営む不動産屋に就職した信は、名美への想いを抑えることができず、ある土砂降りの雨の日、モデルルームで自分を探しに来た彼女を犯してしまう。
 名美は若い信を愛し、歳の差がひらいた英樹への愛も断ち難く、ふたりの間で揺れ動くが、数日後、名美と信の関係が英樹に知れ、信はクビになってしまう。
 夏、東京・東雲〈しののめ〉。木工場で働く信の元に名美が現れた。洲崎あたりの船宿で、英樹を殺害することを切り出す信。後日、名美が手伝いをする布地屋を訪れた信が「次の雨の夜に決行する」と伝える。やがて、雨の夜がやってきた。郵便受けから開けてくれと懇願する信。そんな彼を名美は振り切ろうとするが、意図せず翌日の夜に新宿の高層ホテルに泊まることを口にしてしまう。そこは、英樹が名美とやり直そうと予約した、新婚の夜に泊まったホテルのスウィートルームだった…………。

    ◇

  ◆以下、物語の細部に触れます。

    ◇



 「お母さん、雨だよ、雨が降ってきたよ」



 哀しき運命の似た者同士の出会いは、静かにはじまる。

 夕刻に近い時間、電車のなか。乗客がまばらなシートに、ボストンバッグを枕に横たわる若者。

 白いコートを着た少年が、乗客もまばらな席に座る母親(速水典子)の元に駆け寄り、そのまま先頭車輌に走っていく。
 「マコちゃん、走ったりしたら、また喘息が……」

 カメラはゆっくりと、脚を抱え込んだ若者に近づく。熟睡しているようだ。耳からはイヤホンが外れ、かすかに音楽が流れる。

 遠雷の音。

 ホームに降り立った若者。行き先を決めようと空き缶を屑籠に放る。そして改札口へ。
 長回しの移動撮影がつづく。
 途中、向こう側のホームの階段を駆け上がる土屋名美の姿が撮らえられている。
 
 若者が出入口から外に踏み出した途端、突然ザザッと雨がくる。
 引き返そうと振り向いた瞬間、左手前から現れた名美とぶつかる。
 よろける名美、スローモーション。
 口元が微笑んで見える。

 ここまでの長回しとは対照的に、小刻みなカットの連続が目を見張る。
 名美、ぽーんと赤い傘をひらいて、足早に駆け出していく。

 縦に赤く滲む斜体文字で、メインタイトル〈死んでもいい〉が、ゆっくりと浮かんでくる………。

 今日までの石井監督作品のなかでも、出色のオープニングである。

 そしてこのあとすぐ、この若者が信〈まこと〉という名前で喘息持ちだということがわかると、オープニングの電車のなかの母子の姿が、実は信の夢のイメージとなっている仕組みだ。

    ◇

 石井ワールドを読み解く時のキーワードのひとつに“母性”がある。
 ひとつの出来事で変貌し、それを受け止める他者によって、さらに母性を強めていく“女”という生き物。 石井隆が追いつづける名美像は、決して、美しく儚い、哀しいだけの女ではなく、“過去”が宿っている女を探るとき、そこには、男が女の内に見る“母性”の存在がある。

 監督2作目の『月下の蘭』('90/にっかつオリジナルビデオ作品)において、石井劇画では“もうひとりの名美”として度々登場する“陽子”を演じた余貴美子は、男を甘えさせる存在として母性豊かな名美像に一番近く、次作『ヌードの夜』('93)において絶対的名美(哀しいまでに美しい)を印象付けることになったが、この大竹しのぶが演じる名美は、エゴイスティックながらも、どこか心ふくよかな女として“母性”を感じさせる。全編を通して、名美の気持ちの漂いと艶やかさが見え、輝かしい名美の菩薩像が見えてくるのである。


 「どうしてこんなに後ろめたいのかなぁ……」


 シーツに包まれた大竹しのぶと永瀬正敏を俯瞰で撮る官能的画作りや、浮き桟橋の上を跳ねながら歩くふたりをローアングルで追うカメラワーク、そしてクライマックスの惨劇シーンなど、多くの長回しが名場面を作り出しているが、特に、船宿で差し向かいで語り合うふたりのシーンは、名美のどっちつかずの気持ちの吐露が、信の心に殺意という火を点けてしまう重要な場面。大竹しのぶの真骨頂が発揮される。

 男の情けなさと哀しみを、大きな背中に背負い込むのが室田日出男。
 カーラジオから流れる、ちあきなおみの「黄昏のビギン」が、傷つき、咆哮する室田の気持ちを鎮めるシーンは、息を呑むほどに情感があふれてくる。ブルーリボン賞助演男優賞受賞は当然の成り行きだ。

 三人の主演以外にファンとして嬉しい起用は、遠目にしか映らない速水典子。以後、多くの石井作品にワンシーン出演をするが、どれも石井ワールドにおいての“名美の分身”として妄想してしまう始末だ。

    ◇

 さて、惨劇のあと。
 
 気絶していた名美がベッドの上で目覚める。
 魂の抜けたような眼差しで遠いところを見ている名美。
 信「今度、いつ逢える?」

 煙草を銜え、信が差し出す英樹のライターを凝視して
 「落ち着いたら………毎日が一緒よ」
 ……………
 流れる涙と、微笑みと、煙草の煙とともに、ストップモーション。

 このラストシーンの受け取り方は様々だろう。
 若い男と共謀関係になった悪女の至福の時間と見る人もいようが、これは決して、愛人とともに夫を殺害したしたたかな女の顔ではない。
 「毎日が一緒よ」と、英樹の分身となるライターに呟く先の名美の行動は“自らの断罪”であろう。
 暗転後に微かに聞こえている鈴の音が、“かけがいのない男”を死なせた名美の行き着く場所を示しているではないか。石井隆の迷宮の世界である。