TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

石井隆:名美と村木のいる風景

 石井隆監督の新作『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』が発表されて、想像以上の反響を呼んでいるらしい。このブログへのアクセスが急激に増えたのには驚いたものだ。

 しかし、石井ファンはなぜに“名美と村木の物語”にこだわるのだろうか。
 
 以前、石井隆ファンで親交のあるT氏が、劇画における“名美と村木の物語”を探ってみたところ、180篇近い石井劇画の中で“名美と村木の物語”と云える作品(二人が物語に揃い踏みしたもの)は11作品(“川島哲郎”を含めるとプラス1作品)だったことが判った。
 これは、決して石井劇画において“名美と村木の物語”が絶対的なものではないと云うことに他ならない。T氏は石井ワールドの多層性の面白さだと云う。

 石井氏を劇画家として見続けてきたファンは、“名美と村木の物語”というより、“名美物語”を追いかけていたつもりで “村木”は常に傍観者として存在していた。
 そのひとつひとつの作品においての“名美”と“村木”の関係があまりに純粋で、切なく、潔く、哀しく、妖しく、そして、どれだけ美しいものかは周知の事柄であり、その濃厚さがいつまでもあとを引くがために、1979年の映画『天使のはらわた 赤い教室』の頃から“名美と村木の物語”と惹句が用いられたのではないだろうか。

 映画においての“名美と村木の物語”を列記してみると………

天使のはらわた 赤い教室
天使のはらわた 名美
天使のはらわた 赤い淫画
『少女木馬責め』
『ルージュ』
ラブホテル
『天使のはらわた 赤い眩暈』
『ヌードの夜』
『夜がまた来る』
天使のはらわた 赤い閃光


 “名美”あるいは“村木”のどちらかが不在の場合を除いてこの10作品が“名美と村木の物語”で、“哲郎”名の『女高生 天使にはらわた』と、名美と村木が夫婦として登場した『月下の蘭』と『ちぎれた愛の殺人』を入れれば13作品となる。劇画時代の数と比べてみても、スクリーンのなかで“村木”が“名美”を探し彷徨う場が出来上がってしまった以上、劇画をリアルタイムで読んでいない石井映画のファン共々、“名美と村木の物語”が石井ワールドの核としてとらえられても不思議ではないのかもしれない。

 前回の『人が人を愛することのどうしようもなさ』が石井ワールドの集大成的作品だったにも関わらず、“村木”というキャラクターを登場させなかった石井監督は、今回、『ヌードの夜』の〈続編〉という形で、姿形ある“名美”は登場させない(であろう)“村木の物語”をどう紡いでくれたのだろうか、興味は尽きない。

 さて、久しく過去の石井作品を見ていなかったので、10月の新作公開まで、あらためてドップリと石井ワールドに浸ることにするかな。

スポンサーサイト

「月曜日のユカ」*中平康監督作品

onlyonmondays_e.jpg

Only on Mondays
監督:中平康
原作:安川実(ミッキー安川)
脚色:斉藤耕一、倉本聰
音楽:黛敏郎
撮影:山崎善弘
出演:加賀まりこ、中尾彬、加藤武、北林谷栄、梅野泰靖

☆☆☆★ 1964年/日活/94分/BW

    ◇

 国際都市横浜を舞台に、男を悦ばせることだけが生き甲斐という女の昼と夜を描いた、映像モダニストの雄・中平康監督の傑作。
 ストップモーションと長回しの多用、サイレント映画もどきのスラップスティックなイメージシーン、抑揚を省いて早口で喋る加賀まりこの顔のアップ等々、映像派らしい洗練された画面づくりの妙は、クールでお洒落度満点なタイトルバックから一気に惹き込まれていく。
 やはり、中平康監督作品の中では一番好きな映画だな。

 パパと呼ぶ初老のパトロンがいて、若い恋人もいる18歳のユカ。誰にでも肉体を許すが、キスはさせないといった伝説に包まれた女ユカの、自由奔放なセックスライフと、当時の時代背景に見え隠れする傷跡を、洗練された映像で活写していく中平康監督の演出は際立っている。

 そして、ロリータ・ムーヴィーの最高峰と云われる所以は、和製BB(ブリジット・バルドー)の名をほしいままにした加賀まりこに尽きる。
 少し白痴的ではあるが純粋な少女の面影を見せつつ、背負っている陰の部分と成熟した女を見せるユカ。ビッチな女だけど、コケティッシュな魅力にあふれるユカ。この奔放さは、加賀まりこなくしてはありえない。
 バービードールさながらの肢体で、あどけなく、愛らしく振る舞う加賀まりこの、クリっとした瞳と、ふっくらとした唇。黒い下着が丸見えの穴あきニットや、ベビードールを着たキュートな姿は、まさに動くピンナップ集とも云える。

 前半は軽快なタッチで進むセクシーコメディだが、徐々に男たちとユカの思惑がズレていく後半は、シビアな現実世界を見ることになり悲劇が始まる。この後半のウェットな展開を、中平監督は乾いたタッチで描いていく。
 そして、ラストに見せるユカの虚無な眼差しに、この作品の特異さが語られている。

Only on Mondays[予告編]





石井隆新作は、“紅次郎”のその後……?

「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」

 “なんでも代行屋”の紅次郎こと村木哲郎が、美少女からの依頼で恩人の女性を探す仕事を引き受ける。足取りをたどるうち、不幸な生い立ちから風俗の世界にまで身を落とした女性の悲しい人生が浮き彫りに……

    ◇

 どうも『ヌードの夜』のセルフリメイクではない

 “紅次郎”のその後、といったストーリーだ

 あの夜、名美との別れのあと、村木の人生はどうなっていたのか………

 興味は尽きない…………

 当然、今回、名美は登場しないのだろう

 ヒロインの名は「加藤れん」という………

 残念だが、“名美と村木の物語”はおあずけか………

 ほかのキャスティングも発表された

 東風万智子(旧芸名:真中瞳)、井上晴美、津田寛治、大竹しのぶ、宍戸錠

 お馴染みの面々………

 名美がいる、ちひろがいる、岡野がいる………… 

 ふたたび、切ないすれ違いの物語………

 ………………

「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」秋公開!

 いよいよ正式発表された石井隆監督の新作は、余貴美子さんの名前を世に知らしめた、あの『ヌードの夜』17年ぶりの復活である。

 “名美と村木の物語”のヒロイン土屋名美を演じるのは、グラビア・アイドルだった佐藤寛子。顔くらいは認知しているといった程度の彼女だが、石井監督は「潜在能力の高さ」を認めたという。あんまり、ハダカ、裸と騒がないでほしいよな。

 村木哲郎役は、前回と同じ竹中直人。
 またなの?って声が聞かれそうだが、この辺りのキャスティングに関しては、体調不良が長くつづく根津甚八氏を除いて、村木を演じるのは竹中氏以外にはいないというのも理解できる。

 でも『ヌードの夜』パート2って、石井隆のディープなファンとしては少し複雑。本当は、いつまでも「昔の名前で出ています」はないだろってね。
 まぁ、セルフリメイクだからと云っても、石井監督のことだからストーリーは別モンになるでしょ。ならば、何で『ヌードの夜』を冠にしたのか。多分に、興行的なことと推察できよう。
 長いこと封印してきた“名美と村木の物語”にGOサインを出したプロデューサーやスポンサーの方々の労を考えれば、これは是非とも成功させてほしい作品だ。
 
 今回の発表までにいろいろと各方面で先走り発言などがあり、一触即発な雰囲気も一部あったと伝え聞く。佐藤寛子と竹中直人以外のキャスティングについても、ここではまだ名前を出すわけにはいかないが、サプライズを予感させるものもあり楽しみである。

『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』は、10月2日公開とのこと。


「アウトレイジ」*北野武監督作品



OUTRAGE
監督:北野武
脚本:北野武
音楽:鈴木慶一
撮影:柳島克己
編集:北野武
出演:ビートたけし、三浦友和、椎名桔平、加瀬亮、石橋蓮司、國村隼、小日向文世、北村総一朗、杉本哲太、塚本高史、中野英雄、板谷由夏

☆☆☆★ 2010年/オフィス北野、ワーナー・ブラザーズ/109分

    ◇

 坂本順治監督の『新・仁義なき戦い』('00)以来、久しく映画館では見ることのなかったヤクザ映画。北野武の最新作は、惨めで格好悪い男たちの群像劇で、寡黙だったこれまでの北野作品とは違い、ひたすらよく喋り、よく動く。
 期待以上に面白く、想像したより娯楽性のある作品だった。

 関東一円を取り仕切る広域暴力団・山王会本家会長の関内(北村総一朗)は、傘下の池元組が直系でない弱小ヤクザの村瀬組と兄弟盃を交わしていることが気に入らず、若頭の加藤(三浦友和)を通して池元(國村隼)に村瀬(石橋蓮司)を締め付けるよう命令をする。
 困った池元は配下の大友組組長・大友(ビートたけし)に、形だけでいいからとその“厄介”な仕事を任せるが、そのことが発端で、次第に池元組と山王会本家を巻き込む壮絶な権力闘争へと発展していく………。

    ◇

 正攻法で撮ったヴァイオレンスとは云え、そこは作家性の強い北野武らしく、深作欣二のようなダイナミズムや石井隆のようなロマンティシズムを一切省き、ただ暴力のみの単純さで疾走する一風変わったトーンを作り上げている。“キタノ・ブルー”ならぬ“キタノ・ノワール”と呼ぶに相応しいだろう。
 そして、その暴力描写はどれもハンパない残酷さがあるものの、暴力連鎖の虚しさを“死”と“生”の「見せ物」に転換した北野流笑いの世界が漂っている。
 
 相変わらず状況説明を省いていく展開なので、あっちについたモンとこっちについたモンの、親(組長)と子(舎弟)たちとの関係性は一切見えてこない。見えてくるのは、すべての登場人物に感情移入できない愚か者の集団。11人の男たちが「欲」につられて破滅の道を突っ走る行程には、「情」や「美学」は一切見られない。極道世界の中だけにある価値観が崩れていく様でしかない。ラストで生き残る人間ですら、破滅の道の途上にいるのであって、延々とつづくメビウスの輪の如く、彼らには愚かさしかない。

 「一人くらい生きてねえとよ、結果、わかんねぇじゃねえか」

 たけし扮する大友と大友組若頭の水野(椎名桔平)にだけは、どこか哀愁を感じさせるものがある。それは、ふたりが、それこそ『仁義なき戦い」の中に登場するような“旧態然とした半端者”として描かれているからだろう。
 姑息で、金に汚く、口先だけの池元(國村準が絶品!)の命令を配下の大友は絶対服従でやり遂げるも、その時の大友の虚しさは「義理」に縛られた哀れな男でしかない。しかし、ついにブチ切れるんだな。ここが文太さんとちがうところよ。
 組員がつぎから次へと殺されていく中で、大友は水野だけは逃げて生き延びろと促すが、もちろん水野に生き延びる術はなく、その死に様は作品中最も惨い。と同時に、最も美しい画面になっているのだから、椎名桔平は一番おいしい役を貰っている。

 強欲で金子信雄的役回りの國村準、コメディ・リリーフとして場をさらう石橋蓮司、パラノイアな中野英雄、不気味な北村総一朗など、北野映画初のネームヴァリューのある俳優陣で固めたキャスティングは効果的で、やくざ映画には絶対オファーがこないであろう小日向文世、加瀬亮、三浦友和の意表を突く演技も面白い。
 特に小日向文世は、大友と大学のボクシング部の先輩後輩にあたるマル暴刑事役で、いつも大友に「勝ったとこなんて見たことねえぞ」と見下げられながらも、後半、大友を上回る一面を現すところのしたたかさ。優しい顔だからこそ裏の顔は怖い。

 数少ない女優たちのなか、大友の情婦として唯一台詞らしいセリフのある板谷由夏に存在感があったのに(お気に入りの女優だからかもしれないが…)、若手の雄、塚本高史が少し残念な使われ方だったな。

 

「泥だらけの純情」*中平康監督作品



監督:中平康
原作:藤原審爾
脚本:馬場当
音楽:黛敏郎
撮影:山崎善弘
主題歌:吉永小百合「泥だらけの純情」
出演:吉永小百合、浜田光夫、小池朝雄、和泉雅子、細川ちか子、平田未喜三、鈴木瑞穂、滝沢修

☆☆☆ 1963年/日活/91分

    ◇
 
 吉永小百合と浜田光夫のゴールデン・コンビで敷かれた日活純愛路線の代表作で、韓国映画の純愛ブームに大きく影響を与えた一本とも云われている悲恋物語だ。

 外交官の令嬢・樺島真美(吉永小百合)がある日、不良学生にナンパされているところをチンピラの岡本次郎(浜田光夫)に助けられた。次郎はナイフで腹を刺され、不良も誤って自分の腹を刺ししてしまい後に病院で死亡してしまう。殺人の濡れ衣を着せられた次郎を救ってくれたのは真美の証言だった。
 真美は、粋がって悪ぶる次郎に純粋さと優しい心根を持っていることを見抜き、次郎は真美の少女の純真さに惹かれ、ふたりが住む世界のあまりの違いにも関わらず、お互いを理解しようと何度も楽しいデートを重ねるが、それも束の間、次郎は組の命令で警察に出頭することになり、真美も父親が赴任するアルジェリアへ行く日が近づいてきた。
 真実の愛を求めて苦悶するふたりは社会に抵抗する道を選び、青春という道を駆け抜け、そして、純白の世界へ散っていく………。

    ◇

 中平康監督の疾走感あふれる演出と脚本の馬場当が巧みに紡いだ台詞の軽やかさがいい。
 次郎と真美が親密になっていくところを丁寧に、それでいてスピーディーに活写していくことで、少年と少女の青臭い恋の悲劇性がさわやかな語り口となって描かれていく。
 ふたりの何度かの逢瀬は、お嬢様という立場の孤独と、粋がって生きていくしかないチンピラの孤独をお互い埋めていく。

 はじめてのデート。
 「なんてウソついたんだい」
 「お教えしません。ママに初めてついたウソですから、誰にも云わず、仕舞っておきたいんです」

 吉永小百合だからこそ抵抗なく耳にできる台詞。

 「このところウソばかりついているんです」
 「どうして」
 「あなたに、ウソをつきたくないから」

 いやぁ、参った。
 もちろん、浜田光夫の純情ぶりも素晴らしいし、この後の展開で苦悶するチンピラ像もさわやかだ。この軽さがいい。
 そのふたりが、否応もなく逃亡といった選択肢を走り始める切なさが、不自然なく胸に迫ってくる。
 前半デートをするふたりのシーンは動の青春。それに対して逃亡先のアパートの一室は静の青春だ。ふたりが折り紙の鶴を折り、浜田は「王将」を歌い吉永小百合が涙を流す。吉永小百合の出すナゾナゾが笑いを作りながら、ふいに終着点の雪山へと誘導していく流れが中平監督の演出の妙。絶対にありえない令嬢とヤクザの道行きに納得させられてしまう。とにかく、みんな、全部がさわやかなのだ。

 そんな、こそばゆい展開のなかで、唯一、女という官能を見せるのが次郎が通うバーのホステスの美津だ。清純派吉永小百合との対比として登場する三井真澄は、私生活で中平監督が通うバーの本当のホステスだという。
 ネグリジェ姿の美津が自分の脇毛を見せながら次郎に迫るシーンは、大人の変態的嗜好ともとれる中平監督の遊びか。ここに、ただの純情可憐なだけの映画ではない面白さがある。
 脚本の馬場当氏は、『ひとりね』('02 すずきじゅんいち)や、『復讐するは我にあり』('79 今村昌平)、1983年版の『卍』(横山博人)、『乾いた花』('64 篠田正浩)を書いた脚本家だから、ひょっとしてこの官能的なエピソードは脚本通りなのかもしれない。シナリオを読みたくなった。

 1977年に、山口百恵&三浦友和のゴールデン・コンビによる初の現代劇としてリメイクされたのは有名だが、残念ながら百恵版の方は出来が良くない。
 百恵版は、次郎を取り巻く状況をリアルに描いているのだが、逆に百恵のお嬢様ぶりが滑稽なものに見えてしまっている。山口百恵の凛とした芯の強さが、ただのおせっかいで無軌道な世間知らずに成り下がってしまい、ストーカーまがいの行動には唖然とさせられるのだ。おもしろくもない台詞過多も気に入らない。
 百恵映画として最初に観た作品だっただけにこんなもんかと思ったのだが、この次に正月映画として公開された『霧の旗』では、最高に素晴らしい演技と情感を魅せてくれた山口百恵であった。

「涙を、獅子のたて髪に」*篠田正浩督作品

shishinotategami_pst.jpg

監督:篠田正浩
脚本:寺山修司、水沼一郎、篠田正浩
音楽:武満徹、八木正生
撮影:小杉正雄
劇中歌:「私を捨ててしまってくれ」「地獄の恋人」
    作詞:寺山修司/作曲:八木正生/歌:藤木孝
出演:藤木孝、加賀まりこ、南原宏治、岸田今日子、早川保、山村聰、小池朝雄、浜村純、神山繁、丹波哲郎(特別出演)

☆☆☆★ 1962年/松竹/92分/B&W

    ◇

 加賀まりこのデビュー作品で知られる本作は、ロカビリー歌手だった藤木孝の俳優転向後唯一の主演作品でもあり、虫ケラのように扱われる青年の凄惨な姿が描かれる青春物語である。

 通称サブこと水上三郎(藤木孝)は、横浜の海運会社「松平埠頭」の支配人・木谷(南原宏治)の手先となって、港湾労働者からピンはねをしている街のチンピラだ。サブは戦災孤児で、空襲時の火災から自分を助けるために片足が不自由になった木谷を恩人と慕い、木谷の命令には絶対服従だった。
 ある日サブは、“かもめ”というレストランでウエイトレスをしているユキ(加賀まりこ)と知り合い、お互いが恋におちる。
 その頃、仲仕の労働者たちは賃金搾取に対する不満から組合結成の機運が高まっていた。グループのリーダー中島を黙らせるために、木谷はサブと弟分のトミィに中島を痛めつけるよう命令をする。その日は、サブの二十歳の誕生日。ユキがサブの部屋でライスカレーを作って待ちわびている時分、サブたちは誤って中島を殺してしまった。
 木谷の指示で中島の通夜に出席したサブは、そこで、中島がユキの父親だったことを知り、愕然とする。
 その日以来サブはユキから遠ざかり、ある日、木谷の情婦の玲子(岸田今日子)に誘われ、肉体関係を持つようになった。
 朝、玲子から木谷の足の怪我はニューギニア戦線で負傷したものだと聞き、木谷の本性を知らされたサブは信じられない気持ちだったが、ふたりの関係を知った木谷がすぐさま玲子の部屋にやって来てサブを罵倒したことから、ついに屈辱感を爆発したサブは木谷を殴り殺してしまう。
 狂ったようにユキを探し求め、街を走るサブ。埠頭には、サブの父親殺しを知らされたユキたちが居た。
 「ごめんよ。殺すつもりはなかったんだ。でも、木谷を殺してきたよ。これでやっと自由になったんだ」と叫ぶサブの腕に手錠が掛けられる。サブを乗せたパトカーを、泣きながら追いかけるユキ。陽が暮れる埠頭には、ひとり、少女が立っているだけだった。

shishinotategami.jpg

 どっか 走ってく 汽車の 75セント分の切符をください 
 どっか 走ってく 汽車の 75セント分の切符をください ってんだ
 どこへ行くかなんて 知っちゃいねぇ 
 ただもう ここから 離れてくんだ

 ラングストン・ヒューズの詩「75セントのブルース』の一節が使われている。
 この寺山修司がお気に入りの詩を、ユキとの海岸辺のデートシーンでサブが大声で朗読する。
 ユキが「誰の詩〈うた〉?」と聞くと、すかさず「オレの詩〈うた〉さ」と云うサブ。虐げられる者の心の鎮魂歌を示している。このシーン、いかにも演劇的ではあるが、黒人労働者のブルーズとも云えるこの詩が、作品全体を形作っている大事な言葉と云える。
 作品は、ブルジョアジーとプロレタリアートを対比する描き方の中に、イデオロギーではなく一種ニヒリズムで貫いているところが寺山修司らしいのだろう。

 70年代以降の藤木孝は、悪役・怪優のイメージが強い俳優だ。『野良猫ロック 暴走集団'71』('71)ではコミカルな悪役だったが、『女囚さそり けもの部屋』('73)においては、梶芽衣子の策略で真山知子に熱湯を浴びせられ悶え死ぬという強烈な役で印象深い。
 この作品では、粋がってはいるが心優しい純情な青年を演じており、篠田監督のかなり感情移入した演出ではあるが、なかなかいい感じである。

 加賀まりこ18歳。加賀の父親(大映プロデューサー)を見知っていた篠田監督と寺山修司から「一度だけでいいから出てくれないか」と誘われて本作で映画デビュー。それまでの日本人女性にはないフィーリングを感じるし、藤木とのふたりだけのシーンは、どれも愛らしくいじらしい。

 未来に向けて無心で走り続ける藤木と加賀に対して、南原宏治と岸田今日子の事情は暗い心の闇の中を彷徨っている腐れ縁の関係だ。
 「あなたなんて大嫌い。一度も好きになったことなんてないわ」
 「俺もお前に好かれようなんて思っちゃいねぇ」
 かつては木谷と恋人同士で社長秘書だった玲子は、社長の松平(山村聰)と結婚をして裕福な生活を選んだが、すべてにおいて満足を得ることが出来ず、木谷と愛人関係を続けながら、名前を偽っては見知らぬ男たち(カメオ出演の丹波哲郎がワンシーンだけ登場)と放蕩している。
 木谷も、今でこそ会社の総支配人の立場で上流階級の世界に出入りをしているが、復員上がりという闇を抱えた男だ。
 「地獄めぐりだよ。こんなカラっぽな世の中。地獄めぐりの他に、何があるんだ」
 
 誤って人を殺してしまったサブが木谷に泣きつくと
 「泣くな。ひとり殺したくらいで泣くな。俺はな、アメリカ兵を何人も殺したんだ。生きていくことは戦いなんだ」と諭す木谷。帰り際「今日は、おれの、誕生日だったんです」と、サブがポツリとつぶやくシーンが切ない。

 映画の劇中メロディーであり何度も藤木孝が歌う《私を捨ててしまってくれ》は、八木正生の重く暗いスコアと寺山の詩が耳に残る哀愁ある傑作だ。

  年老いたカモメよ 哀しみを こころあるなら どうか私を捨ててしまってくれ
  ずっと遠くの 陽の沈む沖よりも 
  ずっと遠くの海に 私を捨ててしまってくれ
  カモメ カモメ 昔の愛を 
  カモメ カモメ 汚れちまった私の夢に 海のうねりが高すぎる

 夜のレストランを前に、加賀と藤木と早川を配置し真正面からロングショットで撮らえたカットが、まるでエドワード・ホッパーの絵を見るような、孤独な者たちの心の影を写し出していた。
 そのレストラン《かもめ》の店内には、ミケランジェロ・アントニオーニの『情事』の大きなポスターが貼られていた。外観には《THE HOFBRAU》の文字を読むことができるのだが、これは、現在でも山下町にある洋食レストラン&バー《THE HOFBRAU》の初期の姿なのだろうか。



「夕陽に赤い俺の顔」*篠田正浩監督作品

yuuhiniakaiorenokao_1.jpg
MURDERERS 8
監督:篠田正浩
脚本:寺山修司
音楽:山本直純
撮影:小杉正雄
劇中歌:デュークエイセス
出演:川津祐介、岩下志麻、炎加世子、渡辺文雄、内田良平、水島弘、諸角啓二郎、小坂一也、平尾昌晃、三井弘次、菅井一郎、神山繁、西村晃、柏木優子

☆☆☆ 1961年/松竹/83分

    ◇

 寺山修司のオリジナル脚本で、日本を舞台に殺し屋集団とガンマニアの青年の攻防を、ポップアート風に描いたアクション・ムーヴィーのパロディで、シャレたコメディに仕上がった快作である。


 悪徳建築会社の水田専務(菅井一郎)は、会社の不正を暴こうとする業界紙の編集長・左井(西村晃)の秘書・有坂茉那(岩下志麻)を始末するべく殺し屋を雇った。殺し屋紳士録を持った殺し屋のマネージャー大上(神山繁)は、“下町の殺し屋倶楽部”8人の中から一番腕の達つ殺し屋を選抜することにした。
 競技は、競馬場で一着になる騎手の帽子を撃ち落とした者が仕事を得ることになるはずだったが、たまたまその場にいたガンマニアの石田晴彦(川津祐介)が、見事に標的を当ててしまい、かくして素人の青年が殺しの依頼を請け負うことになった。
 面白くないのはプロの殺し屋たち。素人になめられてたまるかと、石田の殺害を考える。
 茉那は、かつて水田の悪事によって一家心中した家族の遺児で、復讐の為に不正を明るみに出そうとしていた。茉那に一目惚れした石田はその話を聞き、彼女を助けるために殺し屋たちに立ち向かう………。

    ◇

 開巻いきなり、8人の殺し屋が銘々の武器で、子供の頭の上のリンゴを的にして腕を競い合っている。最後に撃った平尾昌晃の弾で子供が倒れ、みんなに小突かれているなかで、倒れた子供がニヤリと笑うといった、かなりキツいブラック・ユーモアからはじまる。
 そして、タイトル。
 黒い画面にスポットライトの丸い輪が動く………007の定番プロローグのパロディかと思いきや、ボンド映画の第一作「007は殺しの番号」(ドクターノオ)の製作は62年だった。
 このポップな画と、ジャズ歌謡って感じのテーマソングがいいねぇ。作品全体が軽妙洒脱だ。

 ♪月が出たならお前を殺す 真っ暗闇ならKISS! KISS!  ドゥンドゥンドゥン~ 俺はお前の墓場だぜ 寂しがりやの墓場だぜ……♪

 耳に残るテーマソングが、劇中、ビッグバンド・ヴァージョンやスウィング・ヴァージョン、そしてロカビリーにまでアレンジされて、平尾昌晃らによって突然ミュージカル風に歌われる面白さ。
 殺し屋たちのパーティで、サングラス姿のデュークエイセスが落語の前座噺『寿限無(じゅげむ)』を織り込みながらスウィングする歌も必聴だ。その昔、童謡「山寺の和尚さん」を服部良一がスウィング・ジャズにアレンジして流行り、デュークエイセスが歌った曲がヒットしていたが、ちょうどこの映画はその前後だったんだろう。

 主人公となる川津祐介は、TVドラマ『ワイルド7』('72)の草波隊長や『ザ・ガードマン』('65~)の印象が強く、アクション・ドラマ『スパイキャッチャーJ3』('65)ではカッコいいお兄さんって憧れの存在だった。
 ヒロインは二十歳の岩下志麻。つんとスマした表情とキリっとした姿は、今と全然変わらない。
 しかし、この映画の見どころは個性的な“下町の殺し屋倶楽部”の面々だ。

 「殺し屋は殺すのが仕事。医者は直すのがショーバイ。因果だが、ふたつを混同したくない」と、いつも頭を悩ましているヒューマニストのドクター(水島弘)。
 フットボール(渡辺文雄)は「殺し屋も組合や株式組織にしなくてはいけない」と、近代化だ、合理化だと口にする大学出のインテリ。
 「殺しをはじめるとジャズが聞こえてきて、体がスウィングしちまうのサ」と、100人目の殺しを夢見るシスターボーイのセンチ(平尾昌晃)。
 戦時中の小銃を持ち「ガダルカナルの月は赤かった」と戦地を懐かしむ伍長(内田良平)。
 「人間より獣を殺すのはイヤ」と、北海道からヤギを連れて家出してきた紅一点の渚(炎加世子)は一目惚れを信じている。
 着流し姿で「邪を除くのが人の道。人の道は神の道」と説く、昔気質の任侠一筋な越後(三井弘次)。
 ヴェルレーヌの詩を口ずさむ無口な詩人(小坂一也)。そして、強面だが繊細な香港(諸角啓二郎)。

 ♪オレは下町 殺し屋だ オマエ山の手 殺し屋だ……♪と『船頭小唄』の替え歌を合唱したり、「フグ中毒、一家四人撃ち殺して自殺、交通事故、原爆被爆者の死………ずいぶん死にますネェ。こうアマチュアの殺しは流行ると、私たちのショーバイも上がったりだ」などと荒んだ社会を風刺する台詞など、8人衆の口から出る台詞はそのまま寺山修司の芝居的カッコ良さで、時代背景を考えたコミック的キャラクターは、社会に生息する人間たちをカリカチュアした面白さがある。