TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「裏切りの明日」*工藤栄一監督作品



原作:結城昌治
監督:工藤栄一
脚本:田部俊行
音楽:井上堯之
出演:萩原健一、夏樹陽子、織本順吉、八名信夫、柄本明、小野さやか、中村あずさ、井上昭文、うじきつよし、ポール牧

☆☆☆ 1990年/東映ビデオ/97分

    ◇

 邦画不況時代の1989年。劇場公開にかかるコストを制作費にまわすことで、劇場公開作品に並ぶような品質のものとして、いわゆるプログラムピクチャーのビデオ化制作をはじめたのが東映Vシネマだった。
 仲村トオル、草刈正雄、名高達男、神田正輝らの名前が並ぶなか、萩原健一が映像派監督と云われた工藤栄一と組んだ唯一のVシネマが、この結城昌治原作のハードボイルド作品だ。

 ストーリーは先に紹介した原作と大きな違いはなく、主人公沢井(萩原健一)がケチな取り立ての片棒を担ぎながら、徐徐に悪の深みに嵌っていく様が描かれていく。
 原作にはない沢井の過去(原作は戦争を引きずっているため、当然こちらの設定の方がいい)を背負ったショーケンは格好いいし、工藤栄一監督らしい印象的なブルートーンの画面と、井上堯之の音楽が男の苦悩する姿を表現していた。
 しかし、80年代までの工藤作品との落差は大きい。TV画面を想定したVシネマと劇場作品との違いだけではなさそうだ。作品世界に悪意とか憎悪とか、もっと大きなエネルギーを感じたかったのだが、スケールの小さなものになってしまっている。

 工藤監督の刑事物といえば『野獣刑事(デカ)』('82)がある。待望のDVD化もされたこの作品は、刑事(緒形拳)とピンクキャバレーのホステス(いしだあゆみ)とシャブ中毒者(泉谷しげる)の織りなす、男と女の人間模様の傑作だった。どうしても比較してしまう。
 今回の沢井の過去を、女房を囮捜査で亡くした男にしているのも、緒形拳がいしだあゆみを囮捜査で死なせてしまうのを連想させる。あの作品にあった男と女の悲哀を、この作品でも見たかったのが正直な感想である。

 ただ、見るべきところはいくつかある。
 途中からショーケンが安っぽいビニールの雨合羽をずっと羽織り、この姿が、男のもの哀しさを浮き彫りにしている。なかなかいいアイデアだ。多分、ショーケンの思いつきではなかろうか。カッコ悪さが決まっている。
 腐れ縁の織本順吉とショーケンとの間にも、男たちの感情が混じり合うハードボイルドで渋いシーンがいくつもあり、このあたりは好きだな。

 終盤、やくざの八名信夫とのツーショットあたりから、工藤監督らしい極めつけの映像が、最後のショーケンのロングショット。撃たれた足を引きずりながら坂道を逃げるショーケンと、追うチンピラ。ふたりを望遠で捉えた画面に乳母車が横切る。『戦艦ポチョムキン』やデ・パルマの『アンタッチャブル』の、あのシーンを彷彿とさせるのだからここは見応えあり。

 さて、不満のひとつである男と女の情緒感の希薄さは、肝心のトシ子(夏樹陽子)の存在にある。原作中の「わたしたちボウフラみたいね」と云うトシ子の会話が示すような、寂しい女の浮遊感といったものがまるでないのだから致命的。
 また、原作とは微妙に違う結末は、どう判断したらいいのか。
 原作には登場しないトシ子の別れた夫がトシ子につきまとうシーンがあったり、マンション購入時の「わたしたち」が誰を指しているのか、原作を読んでからだと、当然どんでん返しを想像するのだが、あのトシ子の行動では意味がよく分からない。別れた夫を登場させるぐらいなら、原作どおりに終って欲しいところだ。

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「裏切りの明日」結城昌治



 幼いころ飢えを経験している沢井は、不正を憎み正義感に燃え職務への誇りを持った刑事だった。しかし、ある事柄をきっかけに、金銭の欲望にとらえられ、心が歪み、悪の道を歩みはじめる。
 汚職に塗れた沢井は、さらに深い穽(あな)に堕ちていく………。

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 本篇は『夜の終る時』につづく悪徳刑事が主人公の犯罪小説で、一代で築きあげられた製粉会社を舞台に、横領、背任、乗っ取り、手形詐欺など魑魅魍魎な人間たちが蠢く会社犯罪と、そこにつけ込もうと自分の欲望のまま突き進む悪徳刑事の姿が描かれる。
 物語の半分は、会社乗っ取りのテクニックや総会屋の実態、手形パクリの犯罪などがリアルに語られ、経済小説としても読むことができ、これがとても面白いので一気に読み終えた。
 
 元刑事の牛窪、経済やくざの矢藤、総会屋の阿久津など悪徳刑事に関わる人間関係が印象深く、特に、沢井の情婦トシ子と製粉会社社長の愛人佳代は、笑うと寂しい顔になる三十路を越えた子持ち女と、男の客に笑い馴れた笑い顔をする美人女将といった対照的な女たちで、沢井の心を安らぎと欲望で乱す存在として魅力的だ。

 1965年に書下ろされた時のタイトルは『穽(あな)』と付けられていたと云う。著者としては納得がいかない題だったようで、その後、1975年の文庫化に際して『裏切りの明日』と改題されたそうだが、本篇を読み終えればこのタイトルの意味合いが一層深くなる。
 犯罪小説として印象鮮やかなエンディングは、絶妙な結末だ。

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 映像化は2つある。
 1975年にTBS「金曜ドラマ」において、脚本早坂暁、出演原田芳雄と倍賞美津子でドラマ化(全9回)されたものは未見だが、ふたりともイメージに合ったキャスティングと云える。特に倍賞美津子のトシ子役は見たかった。
 もうひとつは、これが原作とは知らなかったのだが1990年の東映Vシネマで萩原健一が演じている。工藤栄一監督の作品だったので興味はあり、最近、やっとビデオを見つけた。

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結城昌治コレクション
裏切りの明日(あす)/結城昌治
【光文社文庫】
定価 552円(税別)

「夜の終る時」結城昌治



 刑事課捜査係第一係の徳持刑事は、ヤクザの幹部になっている幼馴染みの関口との間で癒着が疑われていた。その徳持刑事がふいに消息を絶ち、翌日、ホテルで死体となって発見される。同僚の死に対して必死の捜査をつづける刑事たちは、ついに容疑者の関口の逮捕にこぎつけるのだが……。

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 第17回日本推理作家協会賞を受賞したこの作品は、和製ハードボイルド小説の先駆者である結城昌治が1963年に書下ろした初期の代表作で、ハードボイルドと云うよりミステリー小説の傑作である。
 警官殺しの謎を追いながらの本格的な警察小説は、時代設定の古さを感じさせない緊迫感が詰まっていて、いま読んでみても引き込まれる魅力を持っている。それは、描かれる人間たちの痛みを感じとれるからだ。

 悪徳警官物の先駆的なストーリーは斬新な2部構成となっており、本格推理として書かれた第1部のあと、第2部では倒叙形式で犯人の独白でストーリーがカットバックされる。
 
 若い女の躰に溺れた中年刑事の、女への痴情と不信と未練。そして裏切り。
 大機構の警察内部の腐敗は、悪い奴らがのうのうと生きる社会の矛盾に突き当たりながら、何も報われない刑事という職業の虚しさと、正義ゆえに陥る落とし穴に嵌まり、もがき苦しむ刑事の姿。
 ラスト数行は、声に出ない悲痛さに震えるだろう。

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 2007年には鎌田敏夫の脚本で岸谷五朗と余貴美子主演でドラマ化がされており、現代社会を舞台にかなり原作に忠実な映像化で、堕ちていく男と女の濃厚な人間模様となっていた。
 原作との大きな違いは、中年刑事(岸谷五朗)が溺れる若い千代の役を中年女(余貴美子)に置き換えたこと。それにより哀感憂うような世界に変わり、哀れな男と、寂しさだけで生きてきた女が、存分に堕ちていく。男女の痴情がより鮮明に描かれ、鳥肌が立つほどの悲哀が見られた秀作ドラマであった。

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 ところで現在なかなか手に入れにくい結城昌治作品だが、2008年に光文社から『結城昌治コレクション』の刊行が始まった。現在まで、スパイ小説の代名詞『ゴメスの名はゴメス』や会心の悪漢小説『白昼堂々』など5作品が出ているのだが、今後の刊行作品が楽しみだ。

夜の終る時/結城昌治
【中央公論社】絶版

「ラストラン」志水辰夫



 志水辰夫の初期短編集が発売された。
 氏は、2005年に発刊された『うしろ姿』のあとがきで「現代物の短編はこれが最後」と述べており、以後、時代劇の執筆に情熱を注いでいるのだが、これは氏も半分は忘れていたという1988年から2000年にかけて『ミステリーマガジン』等に発表された古い作品ばかりで、本当に最後の短編集といえるだろう。
 ファンにとって思いがけない、スゴい贈り物である。

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A列車で行こう「ミステリーマガジン」1988年
石の上「ミステリーマガジン」1989年
カネは上野か「ミステリーマガジン」1990年
ジャンの鳴る日「ミステリーマガジン」1991年
やどり木「ミステリーマガジン」1991年
愚者の贈物「ミステリーマガジン」1992年
わけありごっこ「問題小説」2000年
見返り桜問題小説」1997年
狙われた男「小説コットン」1989年
ぼくにしか見えない「小説Non」1989年
 
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 アンソロジーで既出の「A列車で行こう」と「石の上」以外は未読だったので、この作品集で一応は発表作品の完全読破を進行中ということになる。

 氏が単行本化する場合は初出誌から加筆作業を行うのが通例なのだが、今回の場合、20年も前の情熱や熱気で書き上げた足跡を見てもらうということで、最低限の修正だけで余計な手を入れない、発表当時に近い姿で収められている。
 封印されていた“シミタツ節”は、『深夜ふたたび』から代表作「行きずりの街』や傑作『夜の分水嶺』を書いていたころのものが多く、まさに、まぎれもなく初期の志水辰夫の足跡であり、その妙技を堪能できる。

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ラストラン/志水辰夫
【徳間書店】
定価1,680円(税込)
2009年3月初版

「サボテンの花」



CACTUS FLOWER
監督:ジーン・サックス
脚本:I.A.L ダイアモンド
音楽:クインシー・ジョーンズ
出演:ウォルター・マッソー、イングリッド・バーグマン、ゴールディ・ホーン、ジャック・ウェストン、リック・レンツ

☆☆☆★ 1969年/アメリカ/103分

    ◇

 ニューヨーク五番街で開業している独身でプレーボーイの中年歯科医ジュリアン(ウォルター・マッソー)は、レコード・ショップで働く若い恋人トニー(ゴールディ・ホーン)と付合っているが、結婚を迫られないように自分には妻子がいると嘘をついている。ある日、トニーが自殺未遂を起こしたことをきっかけに、ジュリアンはトニーと結婚をすることを決意する。しかし、律儀なトニーは奥さんが可哀想だから一度会いたいと言い出す。驚いたジュリアンは、看護助手のステファニー(イングリッド・バーグマン)に妻の役を頼むのだが……。

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 「おかしな二人」のジーン・サックス監督とウォルター・マッソーのコンビが、ビリー・ワイルダーのコメディ映画で共同脚本を努めるI.A.L ダイアモンドのブロードウェイ舞台劇を映画化したロマンティック・コメディである。

 大好きなゴールディ・ホーンのデビュー作で、苦労人ウォルター・マッソーと美しき大女優イングリッド・バーグマンの共演を完全に喰ってしまい、その年のアカデミー賞助演女優賞を獲得した記念作品だ。
 まさに無敵のコメディエンヌである。
 オープニング、サラ・ヴォーンの歌声に乗せてアパートの玄関に登場。ピンクのふあふあボアのスリッパとコートを羽織っただけの姿で、道の向こう側のポストに手紙を投函するだけで目は釘付け。部屋のなかではピンクのキャミソール姿でウロウロ。
 若い頃の加賀まりこに似て、コケティッシュで、アンニュイで、大きな目にキュートな笑顔とすまし顔の可愛いこと。わがままな子娘でも、人形のようにカワイイんだから何でも許せるってもの。
 今年、第81回アカデミー賞で見せたナイスボディ………60歳を過ぎた今も、その可愛らしさは変わらないのだから、恐るべし永遠のヤンキー娘である!

 そのゴールディ・ホーンと恋のライバルになるイングリッド・バーグマンの演技も見もの。登場は、笑顔を見せない、色気もない、“軍曹”とからかわれるお堅いオールドミスだが、後半の大変貌ぶりが実に楽しいのだ。
 タイトルの「サボテンの花」は“乾いた花”の彼女のことを指していて、若いゴールディ・ホーンに張り合ってブーガルーを踊る弾けた大女優の姿は、見ていてとても可愛いらしくて素敵だ。
 そこまでやるか、って。

 ホーンが演じるトニーって少しヘン。ジュリアンを妻子ある男と信じながら、いざジュリアンが妻と別れると云うと、奥さんの心配をしたり、ジュリアンからもらった高価なミンクのコートを奥さんに贈ったり、いつのまにか、ステファニーのジュリアンに対する仄かな恋心に火をつけることになってしまったりと。振り回されるのはジュリアンばかりだけど、案外真面目でしっかりもんの女の子なわけで、ニューヨークにひとりで生きてる女の子って感じを、ゴールディ・ホーンが表情豊かに見せてくれる。

 バーグマンとホーンが初めて顔を合わせるレコード・ショップでの会話が、ふたりの心情を表しているいいシーンになっていて、バーグマンが去った後のホーンの表情はたまらなく好きになる。
 自分がついたひとつの嘘がウソを呼び、右往左往するウォルター・マッソーの慌てぶりも可笑しいが、やはり、絶世の美人女優と可愛い子ちゃん女優のふたりの魅力が一番だろう。

 レコード・ショップ“STEREO HEAVEN”の店内で、お客が「モノラル盤ある?」と云っているのには時代を感じられ面白いし、グッゲンハイム美術館独特のユニークな構造を使ったくすぐりも効いている。
 オープニングとクロージングでのサラ・ヴォーンの歌声も、お洒落なクインシー・ジョーンズのスコアも、どれも満足できた作品である。
 

「女タクシードライバーの事件日誌4」

~殺意を運ぶ紙ヒコーキ~
脚本:瀧本智行
演出:猪崎宣昭
出演:余貴美子、織本順吉、高田敏江、萩原聖人、光石研、洞口依子、北村総一郎、斉藤洋介、佐藤二朗、肥後克広、村田雄浩、田中健

放送:2009年3月9日 TBS「月曜ゴールデン」

    ◇

 夫・晴彦(田中健)の死後、タクシードライバーとして働く衿子(余貴美子)。業務を終え営業所に帰ってきた衿子を整備工の本橋幸太(萩原聖人)が待っていた。幸太はバツイチ子持ちの千尋(粟田麗)と結婚間近だ。そんな幸太のもとに両親が上京してくるという。衿子は幸せになろうとしている幸太を祝福する。
 そして、幸太の両親・幸造(織本順吉)と芙美(高田敏江)が上京してきた。しかし待ち合わせ時間になっても幸太は両親の元に現れない。幸太の現住所を知らない幸造たちは仕方なく勤め先である営業所を訪れる。営業所でも幸太が無断欠勤していることが話題になっていた。携帯電話も繋がらない。所長の大城(北村総一朗)と相談し、衿子は両親を幸太の自宅に送り届ける。すると彼の家では千尋が心配そうに待っていた。幸太不在のままぎこちない挨拶を交わす千尋と幸造たち。
 そこに警察がやってきた。昨夜殺人事件が起き「モトハシコウタ」と名乗る人物から犯行をほのめかす電話があったというのだ。絶句する千尋。そして幸造はショックで倒れてしまう。幸造が倒れたとの報を聞き、大学准教授で幸太の兄・中井幸雄(光石研)と起業家の姉・本橋由美子(洞口依子)が病院に駆けつけた。由美子は幸造の身体より幸太が自分の会社に悪影響を及ぼすことを心配するばかり。現在はまじめに働いているものの、以前の幸太は素行が悪くひき逃げ事件を起こして収監された前科もあった。そのこともあり、家族までが幸太が殺人を犯したと思い込んでいる。しかも幸太と被害者が同じ時期に刑務所に入っていたこともわかる。しかし衿子は彼の無実を信じ、幸造夫婦と千尋を励ます。《TBS公式サイトより引用》

    ◇

 2時間ドラマ『女タクシードライバー』シリーズの4作目。

 本シリーズは、過去の3作品でハード ボイルドな香りを漂わせ、主人公の衿子が抱える孤独と事件に関わる人間たちの心情が共鳴し合い、痛みや哀しみを過去という重い鎖でひきずりながら生きる人間たちを活写してきた。
 ハード ボイルド的なのは、オープニングの春成衿子 (余貴美子)のモノローグに強調されるように、余貴美子の声質と喋り方に深い人生の孤独感が染み込んでいるからだ。

 ただし今回は、衿子のハードボイルド感は少し薄れていた。
 夫の謎の死により心に傷を負い都会の片隅でひっそりと暮らしている衿子が、今迄のように事件を探求するでなく、真相に気付いたときでも当事者らを問いただすことなく、ただ傍観者のまま、自分と同じように傷を負った者たちへいたわりと優しさで接することに徹底している。

 心に傷を抱えている者たちの人間模様は、レギュラー陣はもとよりゲストの俳優らの深みのある演技にかかっているのだが、今回、一番印象深いのは織本順吉といえるだろう。

 織本順吉扮する厳格な父親と、光石研、萩原聖人、洞口依子3人の子供たちとの確執は、いつの時代にも存在する一番深刻な親子関係だろう。誰も心底親を捨てたいわけではないし、子供の自立を喜ばぬ親はいない。ただ、ちょっとした歯車の噛み合わせが狂ったことで、親子だけでなく子供どうしの関係も泥沼に嵌ってしまう。
 前科を背負った萩原聖人に対する家族関係は、否応なく周りの人間たちにも波及し闇に放り出されてしまうのだが、更正を始める子供に対する親の思いは、いくら父親が勘当したことでも断ち切れるはずもなく、そんな父親の心情を織本順吉はベテランならではの味わいを見せてくれた。
 『仁義なき戦いシリーズ』で強面を演じていた頃の雰囲気を垣間見せたシーンもあったし、不肖息子の萩原聖人が選んだ女性の子供に対する好々爺ぶりといい、そして酷く辛い結末のあと、庭で遊ぶかつての子供たちを想い、崩れ落ちる父親の姿には胸を締め付けられる。

 さて、シリーズの魅力のひとつに劇中に流れる歌がある。
 第1作『殺意の交差点』ではちあきなおみの【ルージュ】、第2作『作られた目撃者』では坂本九の【上を向いて歩こう】、第3作『届かなかった手紙』では山口百恵の【秋桜】が、社会の片隅に生きる様々な人間たちを歌い描いてきたが、今回は、井上陽水の【人生が二度あれば】である。
 
 仕事だけに明け暮れた父親と、家事と子育てに休みなく追われた母親が、人生は誰のものだったのかと振り返る歌だ。

 冒頭、衿子のタクシーのラジオから流れる【人生が二度あれば】に、乗客の徳井優が「もう一度、やり直すことができれば……」と嘆く。いくつもの何気ないスケッチのひとつだが、このエピソードが絶妙な導入部となり、ドラマは静かに“家族のあり方”を浮き彫りにする展開へと走り出す。
 終幕、事件の真相が明らかになり、解決したことを示すニューステロップとともに流れる【人生が二度あれば】。この4 分54秒の歌の中に、家族の哀切感が盛り込まれ、歌の力を存分に見せつけられる。

 孤独に生きてきた者たちの切ない人間ドラマとして、完成度は高い。

 赤のミニクーパーを乗り回す姿と、モノローグでのハスキーな声が相変わらずカッコいい余貴美子であった。

「魚影の群れ」*相米慎二監督作品



監督:相米慎二
原作:吉村昭
脚本:田中陽造
音楽:三枝成章
エンディングソング:「Bright Light,in the Sea」原田芳雄&アンリ菅野
挿入歌:「遣らずの雨」川中美幸
出演:緒形拳、夏目雅子、佐藤浩市、十朱幸代、三遊亭円楽、下川辰平、矢崎滋、寺田農、木之元亮、レオナルド熊、石倉三郎、工藤栄一

☆☆☆☆☆ 1983年/松竹富士/135分

    ◇

 6月中旬頃になると、津軽海峡には太平洋側から黒潮暖流、日本海側から対馬暖流が流れ込んでくる。9月末までの三ヶ月間、この二つの暖流に乗って姿を現わすマグロの大群を求め、沿岸の漁港は殺気をはらんだ賑わいを見せる。

 津軽海峡のマグロの一本釣り漁は、若い強靱な肉体と鉄の意志が要求される。
 下北半島最北端の大間漁港。マグロ漁師の小浜房次郎(緒形拳)は、夜明けまで餌のイカを獲って帰り、仮眠後、再び沖に出る。いったんマグロが鉤に掛かると、肉体との格闘が極限までつづく……。
 ある日、娘のトキ子(夏目雅子)が結婚したいから男に会ってくれ言ってきた。町で喫茶店を営む依田俊一(佐藤浩市)というその青年は、養子になってでも漁師になりたいと房次郎に伝える。マグロ漁に命を掛けてきた房次郎には、その言葉は蔑まれたように感じるのだった。
 店をたたみ大間に引越してきた俊一は、毎朝房次郎の持ち舟〈第三登喜丸〉の前で待ち受け、漁を教えてほしいと頭を下げるのだった。10日以上も無視し続けた房次郎だったが、ある朝、ついに船に乗ることを許した。それはトキ子が、家出した妻のアヤ(十朱幸代)のように、自分を捨てて家を出て行くのではないかと怯えていたのだ。
 数日後、二人の船はついにマグロの群れにぶつかった……。

    ◇

 自然との死闘を繰り広げる過酷なマグロ漁に携わる男のダイナミズムと、ただひたすら寡黙に待つ女の深い情念を濃密に描き、命を賭けて生きている男と女たちの風情を活写していく生々しい人間ドラマである。

 当時気鋭の相米慎二監督にとって、原作の壮大なスケールに負けないためには、お得意のワンシーンワンカットの長廻しによる緊張感と興奮の持続が命綱であったろう。とにかく、半端ではない長いカットの連続だ。

 俳優にとっても、長廻しは小手先の演技ができない。
 緒形拳は矢崎滋と本気で殴り合い、マグロとの格闘シーンでは200~300kg近い本マグロを、実際にテグス一本で釣りあげる。息を呑む迫力は、ある意味ドキュメンタリーだ。

 夏目雅子は、父に従い育ち、男を愛したことで父と対立し、男と生きたことで父を理解する女そのものの生きざまを体現する。緒形とのシーンは、どれをとっても見応えがある。
 一番の見せ場はラストシーン。現実の時間通りに一昼夜で撮影され、彼女の鬼気迫る姿には圧倒される。女優として絶頂期であったことは間違いない。

 もうひとり、おんなの人生を見せてくれるのが十朱幸代。
 20年前、口より先に手が出る夫に我慢できず家を飛び出し、酒場を転々と流れるやさぐれ女を演じており、中盤、北海道の伊布港で娘に捨てられた緒形と再会する場面は、何度見ても印象深い名シーンとなっている。
 風情ある旅館の2階の一室の窓辺にいる緒形を、外からのクレーンカメラが捉える。雨が降り出す。上空のカメラがパーンして下の道を歩く女の足下を捉える。立ち止まる女。宿を見上げる十朱の顔。雨の音が消える。緒形に気づき走り出す十朱。一転、強く降り注ぐ雨とともに、緒形が旅館を飛び出してくる。カメラが下降し、そのままふたりを追う。この見事なカメラ移動には、息を凝らして見つめるしかない。
 強い雨に打たれながら、裸足で延々と逃げる十朱。追う緒形。十朱が精魂尽き果ててアスファルトの道に大の字になるまで、一切のセリフはない。撮影2日間、黙々とただ走るだけを繰り返した十朱幸代は、現場で過酷な指導を課す監督に見事に応えている。
 その後の緒形とのハードな濡れ場も凄いが、ひとりぼっちになった十朱が、夜の埠頭でくわえ煙草で「チャンチキおけさ」を口ずさむシーンは絶品。
 相米作品としては、『ラブホテル』('85)において志水季里子が口ずさむ「赤い靴」とともに、哀切あるシーンのひとつとして好きだ。
 
 おでん屋のオヤジ役で映画監督工藤栄一が出ている。前年に、緒形拳で『野獣刑事(デカ)』を撮影した縁での特別出演だろう。