TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

歌謡曲外伝【阿久悠・やさぐれ編】

 思いつきで不定期に掲載している「歌謡曲外伝」。
 【日活ロマポ編】【東映スケバン編】【美脚編】につづいて、1年ぶりに復活させてみよう。

 今回は【阿久悠・やさぐれ編】。
 阿久悠の数ある“やさぐれ歌謡”のなかから、たまたまヒットはしなかったが「これぞ」と言える楽曲を選んでみた。

    ◇



杏 真理子◆ さだめのように川は流れる/涙の空に虹が出る 1971年

 1970年「ざんげの値打ちもない」が歌謡界を震撼させた異色作であることは周知の話で、それに続いて北原ミレイが歌った「棄てるものがあるうちはいい」「何も死ぬことはないだろうに」が“やさぐれ歌謡3部作”と云われてはいるが、この時期に書かれたもうひとつの大傑作として「ざんげの値打ちもない」に勝るとも劣らないのが、この杏真理子の「さだめのように川は流れる」だろう。

 杏真理子のブルージーな声が、けだるくふてぶてしく歌う歌唱法と相まって、いちど聴いたら耳から離れないソウルフルな楽曲である。

 2枚のシングルとアルバム1枚を出した彼女だったがヒットとは縁がなく、活動としては千葉真一主演の『やくざ刑事 俺たちに墓はない』('71)にクラブ歌手の役で出演しているくらいだろうか。
 阿久悠作詞はこの1曲だけだったが、同じ年に出た2枚目のシングル「理由ある旅」は哀愁あるトランペットが印象的で、B面もカンツォーネ風の小林亜星の楽曲が耳に残る傑作なのだが…………。

 阿久悠自らが「さだめ」と云う言葉を使用したことを悔いてしまうほど、過酷な人生を歩んでしまった杏真理子。
 夢破れた彼女はアメリカへ渡ったのだが、運命は残酷。遠い地で殺人事件の被害者となった彼女は享年23(25歳と云う説もある)の若さで人生に幕を下ろしてしまった。

 この曲は阿久悠のフェイヴァリット・ソングでもあり、これまでCD化は14枚組の大全集でしか聴くことができなかったのだが、9月に発売された『続・人間万葉歌 阿久悠作詞集』(CD5枚BOX)で手軽に聴くことができるようになったのは嬉しい。

    ◇



荒木ミミ◆ スキャンダル/失恋 1973年

 先日発売された「続・歌謡曲番外地~恋のコマンド」には同じく阿久悠作詞の2作目「ボロボロ天使」が初CD化されたが、こちらは荒木ミミのデビュー曲で両面とも作曲は中村泰士。
 
 荒んでいく少女の情景が歌われる。

 バカ バカ………
 らしくない弱気が嫌になる

 ミミのアルトヴォイスがからみついてくる傑作だが、ジャズっぽいブルースに乗せてミミが彷徨うB面も隠れた名曲。

    ◇



水沢夕子◆ 無口な女の話/東京悲しや 1971年

 これも両面とも阿久悠・中村泰士コンビの楽曲だが、とても荒んでいる。
 「ざんげの値打もない」のようにひとりのおんなの人生が語られるもので、「つまんない話よ きく?」と独白から始まる劇画演歌である。

 どっと落ち込むくらいに暗い。
 おんなはこの後、いかれた男に惹かれ都会に出て、棄てられ、手首を傷つけながらも生きている。疲れて帰った故郷には既に親もいなくなり、アニキも行方が知れず。おんなは、相変わらず無口だった。

 60年代の終りから引きずるシラケ世代の空虚感。彷徨いたどり着くところに希望を灯さない冷たい情景だけが残る歌である。
 西田佐知子を思わせるB面の「東京悲しや」は、強がるおんなのロッカバラードの佳曲。

 水沢夕子はこの後、東映の杉本美樹主演の映画『恐怖女子高校』('73)に出演している。

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余貴美子さんのこと

 阿川佐和子さんって、同い年でいつまでも可愛らしい人だから好きだ。
 エッセイも面白いが、対談や司会の話術がいい。
 彼女が司会をしている「TVタックル」で、一筋縄ではいかない出演者たちを押さえ込む話術が好きだ。
 対談も、ストレートな質問をぽんぽんと投げかける小気味よさがいい。

 その阿川さんの週刊文春連載『阿川佐和子のこの人に会いたい』(11月27日号)に、余貴美子さんが登場した。

 高校生で漫画誌「ガロ」とか、つげ義春を読んでいた余さんだから、阿川さんが自分よりお姉さんと思っていても納得。
 女性誌のインタビュー記事では聞くことがない話が飛び出してきたりで、かなり興味深い。
 
 従姉妹の范文雀さんの話をするのは珍しいし、神代辰巳監督と石井隆監督の演出法について発言したのも、知っている限り初めてではないだろうか。

「ちょこちょこと出演するのが好き」と云う余さんが、神代監督や石井監督の作品で堂々と主役を演じることが出来るのも、演劇が下地にあるからだというのが分かる。

 敬愛する山崎努と浪花千栄子の芸に対する姿勢を見習う余貴美子さんの、今年最後の仕事は、世田谷パブリック・シアターで12月13日から始まる舞台『あれから』。
 ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出で、高橋ひとみ、渡辺いっけい、高橋克実ら共演の熟年夫婦たちの倦怠と、彼らを取り巻く若者たちの日々………。
 ケラさんのブログには「エロくて情けなくてしみじみする作品」と書いてある。

 稽古場ではハイパー・キュートな余さんの生の舞台は、千秋楽を観劇してくる。

「狼と豚と人間」*深作欣二監督作品

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監督:深作欣二
脚本:佐藤純彌、深作欣二
音楽:富田勲
出演:高倉健、三國連太郎、北大路欣也、江原真二郎、中原早苗、岡崎二朗、石橋蓮司、志麻ひろ子、室田日出男、八名信夫

☆☆☆★ 1964年/東映/95分/B&W

    ◇

 貧民窟で生まれ育った黒木3兄弟。
 長男の市郎(三國連太郎)は、有り金持って家族を捨て新興ヤクザの幹部になった。二男の次郎(高倉健)も、長男の後を追うように母親を棄ててアウトローの世界に身を投じた。ひとり残された末っ子の三郎(北大路欣也)は、チンピラの仲間たち(岡崎二朗、石橋蓮司、志麻ひろ子)とスラムで暮らしながら病気の母を看取った。

 ムショ帰りの次郎は、かつての仲間の水原(江原真二郎)とともに組織の金と麻薬、総額4,000万円を強奪する計画をたてる。そして、必要な人数を揃えるために三郎たちチンピラを仲間に引き入れ、見事に金品強奪に成功する。
 金を一人占めして情婦の杏子(中原早苗)と海外脱出を考えていた次郎。
 一方、水原も同じ思惑を胸に潜めていたのだが、三郎が金とブツをどこかに隠してしまい意外な展開になる。三郎の、自分と母親を棄てた兄たちへの憎悪の表れだった。
 次郎と水原の執拗な拷問にも一切口を開かない三郎。壮絶な貧乏と、云われなき差別の中で育ってきた若者たちは、仲間たちとの信頼を絆にしていた。

 自分の立場を脅かす弟たちの行動に焦る市郎。
 主犯格らを突き止めた組織は次郎たちが隠れる廃工場を取り囲み、市郎は弟たちの説得を始める………。
 
    ◇

 組織に自分を売り飼われた豚と、誰も信頼しない一匹狼と、そんな二人にはなるまいと抵抗する人間。
 三國連太郎、高倉健、北大路欣也の三人が世代間闘争を繰り広げる人間ドラマは、常に、組織からはぐれた人間の抵抗を描いてきた深作映画の初期の大傑作である。

 健さんは、一匹狼だからと云ってクールなんかじゃなく粗暴な男。三國連太郎は、生き残ることに執念をもつ孤独な男。北大路欣也は、この映画がデビューとなる岡崎二朗や石橋蓮司らとともに躍動感にあふれている。
 江原真二郎の悪党ぶりも、中原早苗のクールな佇まいも、とにかく凄いエネルギーで画面に引き込まれる映画だ。

 いま観てみると、いろんな映画のシーンがこの作品のなかに思い出される。
 タランティーノの「レザボア・ドックス」は確かにこの作品の影響を受けているだろうし、チンピラたちが野犬を喰うために追い駆け回すゴミの山は「灰とダイヤモンド」だろうか。
 次郎たちが仲間割れするシーンは「いつかギラギラする日」と同じような廃工場の中で繰り広げられる。ましてやそこには、若き日の石橋蓮司まで居るのだから。この時、石橋は23歳。北大路欣也と岡崎二朗が21歳。

 三郎とチンピラ仲間が、水門のある堤防から母親の遺骨箱を放り投げる。波に揺られなかなか沈まない遺骨を見ながら「街を出たい」と歌い出す。「ウエスト・サイド・ストーリー」風のミュージカルになるのにはビックリするが、北大路、石橋、岡崎らが歌い踊る姿は悪くない。

 井の頭線の渋谷駅で行われた現金略奪シーンは、後の実録ものに見られるような手持ちカメラで撮影され、リアルな緊張感に包まれとても印象に残る。

 東映らしからぬ横書きの活字書体がデザイン的に配置されるタイトルバックがカッコよく、また、渋谷の道玄坂辺りのジャズ喫茶にあふれるジャズや、高倉健と中原早苗の情事の後に流れるジャズ・サウンドなど、全編に醸されるジャジーな音楽も雰囲気満点である。

    ◇

 さて終盤の廃工場の中。組織に寝返ろうとする水原を射殺する次郎は、いつしか三郎との血の繋がりを感じるようになる。三郎はいまこそ兄弟がひとつになる時だと、市郎に対してこちら側に戻ってこいと招く。しかし、動こうとしない兄。突入してきた組織の銃撃に、次郎も杏子も、三郎も仲間たちも、廃屋のなかで息絶える。
 金品の所在も分からないまま、ひとり残された市郎。敗残者となった市郎は、遠巻きに見守っていた貧民窟の住人たちに石をもって追われる。

 全編に漂うのは飢餓感。這い上がることがままならない者たちの叫びだ。

続・歌謡曲番外地*恋のコマンド



 書籍『続・歌謡曲番外地』の連動CDで、『歌謡曲番外地~悪なあなた』に続く第2弾が遂にリリース。
 久々のHotwax PRESENTS カルト歌謡のコンピレーションCDは、“関西のキャンディーズ”と謳われた3人組ラブ・ウィンクスのチープなジャケットを顔にするセンス!
 これこそ、歌謡曲番外地に相応しいではないか。

収録曲
01. バカンス/あきいずみ
02. 犯ちは一度だけ/恵美(フィミー)
03. 夜光虫/宗田まこと
04. 恋のアタック/純アリス
05. ボロボロ天使/荒木ミミ
06. 恋のコマンド/ラブ・ウィンクス
07. 恋はイライラ/Z
08. 泣いて泣いて/ヤン・シスターズ
09. コーヒーと仔犬/松島トモ子
10. ヒッチハイク/あきいずみ
11. あこがれ/木の実まこ
12. 恋愛学校/朝比奈順子
13. 雨あがりの散歩道/ニューニュー
14. 絵はがき/バーバラ・ホール
15. ハニー・ネスト/三浦弘子
16. とりのこされて/朱礼毬子
17. あなたが憎めない/范文雀
18. さすらいのバロック/范文雀
19. 戯れはやめて/ヤン・シューメイ


 初CD化の楽曲が満載されているなかで、個人的にはあきいずみと范文雀の歌が2曲収録されているのがうれしい。
 それ以外は初めて聴く曲が多い。

 ロック歌謡にソウル歌謡、ダンス系ビート・ポップスにメロディ・ポップス、フェロモンいっぱいの悩殺系にヨーロピアン調……。
 そのほとんどが1970年代はじめの、荒み、挑発、猥雑、空虚に揺れる女心。
 まさに、番外地に咲く徒花歌謡のてんこ盛り。

 あきいずみは1stシングル「ヒッチハイク」をジャケ買いしていた。写真で見る可愛らしさとは反対に、阿久悠作詞・井上忠夫作曲のロック歌謡を疾走感豊かに歌い上げる歌唱法が素晴らしい。
 アイドル専門レーベルNAVの発足時74年にこの2曲を出したのだが、翌年にはテイチクへ移籍し、奥村チヨの「終着駅」コンビである千家和也作詞・浜圭介作曲の「私生活」をリリースしている。アイドル・ポップスのB面「夢なら覚めないで」とともになかなかイイ楽曲。
 CD裏面の水着姿は貴重。

 ジャングル歌謡と言われる宗田まこと。さすがにバックにつけられた男性コーラスは異様。しかし臆面もなく堂々たるや、これは笠置シズ子の「ジャングル・ブギ」の70年代ヴァージョンと言えるかもしれない。

 荒木ミミは声がいい。
 アイドル全盛時にして、アルトヴォイスのなげやりBitch感がいい。
 デビュー曲「スキャンダル」とともに作詞は阿久悠で、シングルをたった2枚しか出していないのが残念なほど存在感ある歌いっぷり。

 范文雀は“ハン・ザ・摩耶”の芸名でTV「プレイガール」に出ていた頃から好きな女優。
 エキゾチックな容貌は、映画「野良猫ロック」シリーズにおいて梶芽衣子とともに虜になる魅力満点。そしていつしか、同じ魅力で余貴美子ファンになったのは必然だ。
 嗚呼、この11月が祥月だった。享年55はあまりに早すぎる。

デイヴ平尾 Forever!

 ザ・ゴールデン・カップスのリーダーでヴォーカリストのデイヴ平尾氏が、急性心不全のため10日午前に亡くなった。食道ガンの手術を2週間前に受けていた矢先だったらしい。享年63。
 今日は一日、ザ・ゴールデン・カップスの音楽を流して過ごそう。



 1967~1968年頃の“グループ・サウンズ”ブームのなかで、シングル・レコードを買ったといえば、スパイダースの「風が泣いている」とジャガーズの「キサナドゥーの伝説」、そして、このザ・ゴールデン・カップスの「いとしのジザベル」だろうか。
 サビ部分のデイヴ平尾の生々しいヴォーカルと、ファズ・ギターが印象的な曲だった。



 中学生だった当時、小遣いでレコードを買うとなるとほとんどがシングル盤しか買えず、LP盤を買うのは特別な「これぞ!」っていうものしか買えなかった。
 それがビートルズであり、ローリング・ストーンズであったわけだが、GSで唯一買ったLP盤がこの『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム第二集』だった。
 大ヒット曲の「長い髪の少女」を収録したもので、シングル盤を買うのを我慢して、満を持して買ったもの。
 「長い髪の少女」は大好きな曲。長い間、本人たちや“バンド”ファンには無視されつづけてきたものだが、橋本淳&鈴木邦彦コンビの名曲には間違いない。

 がに股スタイルで身体を揺すりながら歌う独特のフォームのデイヴ平尾は、得意のR&Bを歌うときの力強いヴォーカルと同時に、ウラ声を巧く使った哀愁ある声が魅力だった。
 マモル・マヌーと掛け合いのように歌う「長い髪の少女」では、デイヴ平尾の「どうぞ~」と入ってくる哀愁を帯びたヴォーカルが逸品なのだ。



 ザ・ゴールデン・カップスが“GS界一の実力バンド”と云われてはいても、1・2枚目のアルバムまではソウル・ミュージックが主流のGS路線。コピー・キャッチも『強烈なビート!ソウルフルなサウンド!」「爆発する若さ!魅惑のソウル・サウンド」
 そしてサード・アルバム『ブルース・メッセージ ザ・ゴールデン・カップス・アルバム第三集』の第2期ザ・ゴールデン・カップスから、本領発揮ともいえるブルース・ロック・バンドに変貌していく。アルバムのキャッチは「ついに出た!ゴールデン・カップスの神髄」「日本初のスーパー・ライブ・セッション」
 以後、“ブルース・バンド”“ロック・バンド”として、日本のROCKの先駆け的存在として1971年まで活動を続け、翌1972年1月に解散表明を出した。

 2004年に公開されたザ・ゴールデン・カップスの映画「ONE MORE TIME」に伴って再結成が決まり、ライヴ活動が始まったのが2003年の春頃。
 2003年のNHKの音楽番組「夢・音楽館」に忌野清志郎とともに出演したのが、本当に久しぶりに見るザ・ゴールデン・カップスだった。
 嬉しかったなぁ。桃井かおりとの対談も普段以上に面白かったし、何より、清志郎とのジョイントが凄かった。
 以後、ちょくちょくTV出演があった。決まって「長い髪の少女」や「愛する君に」だが、それでも良かった。見ることができるのが………。

 ザ・ゴールデン・カップスの存在は、グループ・サウンズとしてはタイガースやテンプターズらアイドル的グループとは対極にいたが、ザ・モップスとともにGS分布の端っこで、日本のロックに影響を与えてきたことをいつまでも忘れない。

 『傷だらけの天使』の最終回、ラストシーンに流れたデイヴ平尾の「一人」(作詞:岸部修三/作曲:井上堯之)が忘れ難い。
 天国で、鈴木ヒロミツ氏とR&Bをジャムっているか。

 ご冥福をお祈りします。

「赤線地帯」*溝口健二監督作品



製作:永田雅一
監督:溝口健二
脚本:成沢昌茂
撮影:宮川一夫
音楽:黛敏郎
助監督:増村保造
出演:京マチ子、若尾文子、木暮実千代、三益愛子、町田博子、沢村貞子、菅原謙二、川上康子、進藤英太郎、

☆☆☆☆ 1956年/大映/86分/B&W

 58歳で生涯を閉じた巨匠溝口健二監督の遺作となった作品。
 売春禁止法が何度も国会で審議されていた頃の、赤線地帯と呼ばれていた吉原で働く5人の娼婦たちの生き様が生々しく描かれ、底辺に蠢く人間たちに向ける溝口監督の鋭い眼差しと、“生”をリアルに演じる女優たちの凄みに圧倒される傑作である。

 舞台となる売春宿の名前は『夢の里』。男に夢を売り、女たちは自由になることを夢見る、人生どん詰まりの仮の宿。
 社会から糾弾されながらも生きていかなければならない女たちの事情は、身体を売ることの後ろめたさを覚えながら日々苦悩し、そこから這い上がろうともがく。吹きだまりの人生模様だ。

 官僚疑獄事件で投獄された父親の保釈金のために身を堕とした20代前半のやすみ(若尾文子)は、男を手玉にとり金をふんだくり、仲間の女たちへの金貸しもしながら貯金を増やし、逞しく生きている女。
 「たった20万の金のために人生めちゃくちゃ。私は貧乏が大っ嫌い!」
 美しい若尾文子のリアリストぶりがクールで魅力的だ。

 神戸から流れて来た20代のミッキー(京マチ子)は、先輩や宿の女将(沢村貞子)にもズケズケと物言い、自由に生きている。
 妾をつくり母親を苦しめた資産家の父親に反抗してズベ公になったミッキーが、世間体のために彼女を引き取りに来た父親に「金を出して私を抱け」と迫るところは悲痛。
 「けったくそワル!大メロドラマやわ」と毒づく姿には母親への恋慕を感じさせ、同僚の女たちへのキツい言葉も芯のところでは優しさのある女を、京マチ子が若々しく演じている。

 結核で失業中の夫と赤ん坊を抱え、通いで『夢の里』で働く30代のハナエ(木暮実千代)もタフに生きている。
 「子供のミルクひとつ買えないで、何が文化国家よ。わたしゃ死なないよ。生きてこの目で見てやるよ。淫売しかできないおんなが次に何をやっていけるのか、見極めてやる!」
 首吊り自殺を試みる夫に対して吐くこの台詞。名カメラマン宮川一夫が映し出す光と影のなか、スクっと男を見下し立つ姿が鬼気迫る。
 木暮実千代のあまりにも生々しい所帯疲れの姿に圧倒されながらも、眼鏡をかけた木暮実千代が漂わせるエロティシズムは他を寄せ付けない。

 一人息子のために内緒で娼婦として働く40代のゆめ子(三益愛子)は、将来コンクリートの家で息子と一緒に暮らすことを唯一の楽しみにしている。
 息子に会いに行く途中飲食店で化粧を落としていると、店の者に「紅や白粉を落としても、玄人衆はどこか粋だね」と云われる。どう見ても堅気の女に見えない姿に後ろめたさを感じる母親の姿である。が、客に声をかけている姿を息子に見られてしまい、息子から絶縁を言い渡される。
 「息子を育てるのは親の責任じゃないか!」
 三益愛子の茫然自失な姿が痛々しい。気が狂うことでしか、この吹きだまりから出ることができない残酷さ。
 ミッキーが父親と縁を切るのと同じように、ゆめ子の息子も子供の側から家族の縁を切る。子供が親を捨てる世代の誕生だろうか。

 20代半ばのより江(町田博子)は、普通の主婦に憧れている。仲間内から送りだされ下駄職人と結婚をするが、主婦だなんて名ばかりで人手を得るためにこき使われるだけの夫婦生活に疲れ、『夢の里』に舞い戻る。
 「働いたら働いただけお金になる。この商売が心底いいと思っちゃった。」
 
 それぞれに描かれる女の人生が違えど、鮮明に浮き彫りになるのは逞しい女たちの姿だ。

 それに反してここに登場する男たちは、ろくでもない男ばかり。
 『夢の里』の店主(進藤英太郎)は「売春防止法が出来たら、お前たちはどうやって生活していくんだ。政治家さんらはお前たちの苦労を分かっちゃいない。おれたちは国家の代わりにお前達の面倒をみているんだ。」と何度も演説したり、ハナエの夫はより江の送別会で皆の前で「ここに戻ってきてはダメだ。あんなとこに居るのは人間のクズだ」と説教する。なんという無神経さ。
 どちらも女たちを貶めているのに変わりはない。

 スキャンダルスな逸話を数々もつ溝口監督の女を見続けた眼差し。
 人間を見ることは面白い。


スティーヴン・キング「ザ・スタンド」



THE STAND
原作:スティーヴン・キング
脚本:スティーヴン・キング
監督:ミック・ギャリス
主演:ゲイリー・シニーズ、モリー・リングウォルド、ジェイミー・シェルダン、ローラ・サン・ジァコモ、ルビー・ディー、オジー・デイビス、ミゲル・フェラー、コリン・メネック、アダム・ストーク、レイ・ウォルストン、ロブ・ロウ
【特別ゲスト】キャシー・ベイツ(レイ・フラワーズ)、エド・ハリス(スターキー将軍)、スティーヴン・キング(テディ)、ジョン・ランディス(ラス)、サム・ライミー(ボビー)、ミック・ギャリス(ヘンリー)

☆☆☆ 1994年/アメリカ・ABC-TVミニシリーズ/358分

    ◇

 アメリカ政府の秘密兵器として開発されたウィルス“キャプテン・トリップス”が、ある日漏えい事故を起こす。“スーパー・フルー”と名付けられたこのインフルエンザ・ウィルスは致死率99%の死のウィルスで、瞬く間にアメリカ全土に蔓延しほとんどの人々が死に絶えてしまった。
 しかしそんな中、先天的に免疫を持ち生き残った人たちがいた。
 生存者たちは、廃虚と化した世界を彷徨いながら、それぞれが“善”の共同体と“悪”の共同体へと導かれていく。
 そして、“善”のもとに集まった勇気ある者たちは、“闇の男”ランドル・フラッグに対して命を懸けた戦いに挑んでいくのだが………。

    ◇

 スティーヴン・キング・ファンの間では人気No.1にして最高傑作の呼び声高い『ザ・スタンド』の映像版がやっとDVD発売された。

 キング流のハルマゲドンが描かれたこの『ザ・スタンド』は、キングの長篇第4作目として1978年に出版されたのだが、全1200ページという途方もない大長篇のため、発行時は400ページの削除を強いられていた。
 1990年、ベストセラー作家となったキングはオリジナル通りの完全無削除版をあらためて世に送りだし、同時に、ジョージ・A・ロメロ監督による映画化が進められたのだが紆余曲折の末に頓挫。そして1994年、TVドラマとして全4回シリーズで放映されたものがこの作品。

 日本では少し遅れて字幕版のビデオとレーザー・ディスクが発売されたのだが、小説の翻訳はまだされていなかったので『ザ・スタンド』の初見はこのビデオだった。

 生存者たちのそれぞれのエピソードが、次々とひとつのことに向かっていく前半はドキドキさせられるし、後半、選ばれた4人の男たちが旅をするシーンには、死を覚悟する連帯意識と人間賛歌が謳われる。

 ただ『ザ・スタンド』は、ファンの間で人気ナンバーワンの作品であると同時に“最も映像化して欲しくない作品”でもあるらしい。それは、読者各人に出来上がった人物像があるからだ。
 原作との比較で物足りなさを感じるファンが多いのも致し方なく、それはこの映像版を見たあと原作を読んでみて理解できた。ほぼ原作通りの進行ではあるのだが、原作のキャラクター描写があまりにも膨大過ぎて、放送時間6時間にしてその面白いエピソードのディテールがなくなり原作のダイジェストにしか成っていないのだから、唐突に見えるのは当たり前。いかなるときにも賛否両論に湧く作品といえる。

 キングの映像化作品は、少ない例外(それも非ホラー物が多い)を除いて出来の良いものが少ないのが実情であり、映像化が本当に難しい。
 だから、終末世界を描いたこの作品をSFホラーとして見ていくとドツボに嵌ることになる。“善”と“悪”との対決だけを期待してしまった人には、完全に肩すかしを喰らわす結末だろう。カタルシスがない。それが評価を落としているのは間違いないのだが、映像として目に“見えてしまうモノ”と小説を読んで“感じるモノ”との差ともいえるだろう。
 闇の男の変身が稚拙だなんてことは、本当にどうでもいいことなのだ。
 希望に頼る映像版のラストが原作とは微妙に違い、ハッピーエンドではないエピローグが加えられた原作こそキングらしい。

 だから、ドラマを観たひとは、原作も読むべし。


 ◆以下、原作本について

    ◇

 『ザ・スタンド』の日本での放送は、1996年の春NHK-BS2にてアメリカと同じ全4回シリーズで放映された。そして、いよいよ日本語訳本の告知もされたのだが、翻訳作業にかなりの困難を来したようで実際に単行本が出版されたのはそれから4年後の2000年の年末、まさに 20世紀末最後の贈り物だった。



訳:深町眞理子
(1990年完全無削除版)
【文藝春秋】
上巻:定価 3,210円(税込)
下巻:定価 3,210円(税込)

 上下2巻は通常の単行本より大きいA5サイズの2段組文字。上巻だけで800ページ近い電話帳並のブ厚さだった。
 大長篇と聞いてはいたが、当時、これを通勤電車の中で読んでいたなんて考えると、何ともとんでもない日常だったのだ。
 現在は、文庫版の全5巻で読むことができる。



【文春文庫】
全5巻:定価各 900円(税込)

    ◇

 低所得層のブルーワーカーのスチュー、妊娠中の女子大生フラン、キングを投影したようなデブで嫌われ者の文学少年ハロルド(映像版はハンサム過ぎた)、大人になりきれないロック歌手ラリー、含蓄ある社会学者グレンとアイリッシュ・セッター犬コジャック、聾唖者ニックと知的障害者のトム、孤独な老女マザーと“闇の男”フラッグ、その彼に見初められたナディーン、放火魔〈ゴミ箱男〉に殺人者ロイド、ラリーとともにニューヨークを脱出する中年女リタ(映像版ではナディーンと同一化していた)、“闇の男”フラッグに毅然と立ち向かうディナ、そして狂人〈ザ・キッド〉。
 
 映像版では体感できない、じっくりと書き込まれたキャラクターたちが魅力的だ。

 そして、新たに付け加えられたエピローグによって、ダークファンタジーの様相がはっきりしている。
 “闇の男”はこのあとも、いくつかのキング作品に登場することとなる。