TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

フラワー・トラヴェリン・バンド:ライヴ・レポート



 35年ぶりに活動を再開したフラワー・トラヴェリン・バンドの“We Are Here”Tourのライヴを、9月26日名古屋ダイヤモンド・ホールで観てきた。

 日本のロックの黎明期である1970年に結成されたフラワー・トラヴェリン・バンドは、内田裕也のGSバンド“フラワーズ”を母体として、はじめから海外進出を考えて結成され、当時、“はっぴいえんど”を代表とする日本語ロックとは反対にオール英語詞の楽曲で挑み、米国アトランティック・レコードと契約してカナダとアメリカでデビューを果たした伝説のバンドだ。海外での評価はいまだに高い。
 
 メンバーはオリジナル・メンバーの石間秀機(シターラ)、ジョー山中(ヴォーカル)、和田ジョージ(ドラム)、小林ジュン(ベース)、そして今回初めて正式メンバーとなる篠原信彦(キーボード)の5人。
 大人のロックは、当然、現在進行形のロックでもある。

 “We Are Here”「俺たちはここにいる」
 還暦過ぎた男たちの挑戦こそ、真のロック・スピリットではないか。

    ◇

 フラワー・トラヴェリン・バンドのステージは、1970年から73年までの3年間の活動期間に一度も観ることができなかっただけに、この夜はとても楽しみだった。
 会場はテーブルスタイルの全席自由席。開場6時に整理番号順で入るが、さすがにまだまばらなのでド真ん中を陣取る。会場にはジミ・ヘンドリックスの『BOLD AS LOVE』が繰り返し流れていた。
 集まった 満席の観客は世代を超えている。同い年の50代の男女が半分くらい、30~40代が多くみられ、20代も結構居るようだ。女性は1割強ほど。男女ともひとりで来ているのが目立つ。

 開演を15分過ぎた7時15分、ステージに5人が現れるとやんやの拍手と口笛が響きわたり、石間秀機と小林ジュンが軽いチューニング。1973年のシングル・ヒット曲「メイク・アップ」で幕をあけた。
 つづけて最新アルバム“We Are Here”から2曲が演奏され、ジョー山中のMC。
 「若い頃はかなりトンがっていたけど、還暦過ぎてもトンがっていくからね」
 風貌かなりの“悪オヤジ”たちは、11月にはニュ-ヨ-ク公演、12月はカナダ公演を控えているという。そのパワーは、そんじゃそこらの若年ロッカーとは全然ちがう。

 最新アルバムからの4曲目は、石間秀機の「唄うようにギターを弾きたい」と云った想いが存分に伝わってくるブルーズ「Over & Over」。
 ショーケンとのドンジュアンR&RバンドやジュリーとCo-coloを結成していた石間秀機が持つギターは、ネックの部分が普通のギターの3倍は太い“シターラ”という、シタールとギターを融合させたオリジナル楽器。変幻自在な音色を奏でる不思議な楽器に酔わせてもらった。

 ライヴでは今回の最新アルバムから8曲全てを演奏。
 シングルカットされてもいいようなポップなメロディの「Don't Touch My Dreadlocks」は、この再活動を楽しんでいるメンバーたちの思いを乗せている。
 ♪ 今はな 向かっているところさ 地上の天国へ
    心の中の子供を ロックで呼び起こせ

 この曲のあとは、「メイク・アップ」のカップリング曲「ウーマン(失われた日々の影)」。さすがにイントロで大歓声。
 凄いのはジョー山中のハイトーン・ヴォーカルだ。衰えを感じさせない“ホンモノ”は35年前と同じキーで歌うのだから鳥肌もの。
 このあとも「SATORI Pt.2」「ヒロシマ」でその真価を聴かせてくれた。

 その「ヒロシマ」はアンコール1曲目だ。会場の空気が張りつめ、そこはまるで70年代にタイムスリップしたかのようだった。
 アルバム『MAKE UP』のライヴ・ヴァージョンのように20分を超すには至らなかったが、それでも、ベースソロとドラムの掛け合いを含めて10分は超える熱演ぶりだった。

 それにしても今回の再活動は、メンバーそれぞれがちがった道を歩んできた35年間のブランクなどまったく感じさせない、自在に共鳴し合う“ホンモノ”のロック・バンドのステージだった。
 メンバー全員に余裕もあり、本当に楽しんでいることが、ステージ上に表れていた。

 アンコールを入れて12曲。1時間半のステージは「After The Concert」に送り出されて終った。

    ◇

FLOWER TRAVELLIN' BAND“We Are Here”Tour 

《SET LIST》 sep.26.2008 NAGOYA

01. メイク・アップ MAKE UP
02. What Will You Say*
03. We Are Here*
04. Over & Over*
05. The Sleeping Giant(Resuerrection)*
06. ダイジョーブ dYE-jobe*
07. Don't Touch My Dreadlocks*
08. ウーマン(失われた日々の影) Shadows Of Lost Days
09. Love Is...*
10. SATORI Pt.2
encore
11. ヒロシマ HIROSHIMA
12. Will It*
Closing theme ~ After The Concert

*印は最新アルバム“We Are Here”より

    ◇


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FLOWER TRAVELLIN' BAND
“We Are Here”


    ☆

01. What Will You Say
02. We Are Here
03. dYE-jobe
04. Don't Touch My Dreadlocks
05. Love Is...
06. Over & Over
07. The Sleeping Giant(Resuerrection)
08. Will It

    ☆

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「おくりびと」



監督:滝田洋二郎
脚本:小山薫堂
音楽;久石譲
出演:本木雅弘、広末涼子、余貴美子、吉行和子、笹野高史、山田辰夫、山崎努

☆☆☆☆ 2008年/日本・松竹/130分

    ◇

 亡くなった人が残された遺族へ最後のメッセージを伝える場が納棺であり、それに携わる人間の清らかさと優しさを通じて、ひとが命をつないでいく。
 “死”に向き合うことで“生”を考えさせるこの作品は、第32回モントリオール世界映画祭で見事グランプリに輝いた、世界に誇れる日本映画の傑作である。

 オーケストラの解散で失業したチェロ奏者の大悟(本木雅弘)は、妻の美香(広末涼子)とともに郷里の山形に帰る。健気な妻のためにも、少しでも高給な仕事をと探すが、好条件の求人広告に釣られて就いた仕事は、遺体を扱う“納棺師”という職業だった。
 特異な仕事のため妻には冠婚葬祭の仕事と偽りながら、戸惑いながらも見習いとしてベテラン納棺師である社長の佐々木(山崎努)の下で働き始める。次第に仕事に打ち込んではいくが………。

    ◇

 とても素晴らしく、美しい作品だった。

 その美しさとは、舞台となる山形県庄内の風景や久石譲の情感あふれる曲を奏でるチェロの音色はもとより、納棺師の静謐な所作のひとつひとつに、凛とした日本人の品格と佇まいを感じることができるからだ。
 横たわる遺体に白装束をまとわせ、死化粧を施す作法。その荘厳なセレモニーに見入ってしまうのだ。

 ◆以下、微妙にネタバレしている箇所があります。

「灰とダイヤモンド」☆アンジェイ・ワイダ



POPIOL I DIAMENT
監督:アンジェイ・ワイダ
脚本:アンジェイ・ワイダ、イエジー・アンジェイエフスキー
音楽:フィリップ・ノヴァク
主演:ズビグニエフ・チブルスキー、エヴァ・クジジェフスカ、アダム・パウリコフスキー

☆☆☆☆ 1958年/ポーランド/102分/B&W

    ◇

 ポーランドの詩人ノルヴィトの詩から得た『灰とダイヤモンド』というタイトルが、何とも想像力をかきたてられる。

 永遠の勝利の暁に
 灰の底深くには
 星のごとく輝くダイヤモンドの残らんことを


 灰のように簡単に消え去ってしまうものの中に、本当にダイヤモンドのような煌めきが存在したのだろうか。

    ◇

 ドイツが無条件降伏した1945年5月8日、ヨーロッパの各地で祝典が催された日の朝から翌日の朝までの時間、愛国心に満ちた青年の孤独な“生”と“死”が描かれる。

 共産党系と自由主義系のふたつの抵抗組織があった第二次大戦下のポーランドは、ドイツ降伏のあとソヴィエト支配下で新政府が作られたが、自由と独立を目指す者たちはテロ行為という手段で社会主義に激しく抵抗をしていた。戦争が終っても、ポーランド国家再生のために同胞たちの闘いは終りが見えない状態だった。

 ポーランドのある街はずれの教会の前に、自由主義を唱えるマチェク(ズビグニエフ・チブルスキー)と同士アンジェイ(アダム・パウリコフスキー)は共産党系新政府の要人シチューカ(バクラフ・ザストルジンスキー)を待ち伏せ、自動車で通りかかったところを襲撃し射殺する。しかしそれは人違いで、殺したのは工場労働者だった。
 その夜、身を隠すために訪れたホテルでは、折しも新政府樹立の祝賀パーティが開かれ、要人たちが集うなかシチューカの姿もあった。

 ホテルのバーでマチェクとアンジェイが、ワルシャワ蜂起の時に地下組織で闘ってきた仲間たちの名前を挙げながら死を悼む。
 「あの頃のみんなは、目的を持って死んでいった」
 「いまは、ただの死だ。希望がない」

 同様にシチューカと戦友のひとりも、スペインやフランスでのドイツとの戦いに思いを馳せながら現状を嘆く。
 地下組織から押収した弾丸は、ドイツ製の弾もあれば英国製もある。
 「どちらでも死ぬのは同じだ」

 自分たちの国を作りたいという思いの者たちが、選択の違いで敵味方に分かれてしまった悲劇であり苦悩。どちらにも正義がある。
 祖国とは何か。戦いとは何か。生きるとはどういうことなのか。

 シチューカの部屋の隣に潜り込んだマチェクは、ホテルのバーで働くクリーシャ(エヴァ・クジジェフスカ)と親しくなり逢い引きをする。
 命を張った毎日のなかで、束の間の愛情を感じるマチェク。
 ふたりは夜の街を彷徨いながら、教会の墓地でノルヴィトの詩が刻まれた碑文を見つける。
 “永遠の勝利の暁に 灰の底深くには 星のごとく輝くダイヤモンドの残らんことを”と暗唱するマチェク。
 「人生は面倒だ」と云っていたマチェクの気持ちが変化していく。
 間違いで罪のない労働者を殺したことへの悔恨。逆さに吊り下げられたキリスト像を前に吐露する姿が印象的。
 「人生をやり直したい。普通になりたい。昨日、このことに気づいていたら……」
 ワルシャワ蜂起の失敗による大きな挫折感で身を持ち崩したマチェクは、クリーシャと出会ったことで生きていくことの目的を見いだすのだ。

 しかしマチェクには、シチューカを暗殺する道しかなく引き返すことはできなかった………。

    ◇

 映画のテーマとは別に記憶に残るシーンがいくつかある。

 真っ白なシーツがはためく広場で、包まったシーツに血が滲み、自分の血の匂いを嗅ぐシーン。
 シチューカを撃ったマチェクがヨロヨロと歩み寄るシチューカを抱きしめてしまうシ-ンでは、後方で戦争終結を祝う花火が上がる。理想の社会主義を目指す男と自由を求める青年が抱き合う悲劇性を象徴するシーンだ。
 そして、ゴミ溜め場で胎児のように身体を丸めて死んでいく若者の虚しさ。

 スタイリッシュな映像が数々の映画作家に影響を与えてきた。
 TV『傷だらけの天使』の最終回のラストシーンでゴミの山に亨を放っぽらかすのも、石井隆が『人が人を愛することのどうしようもなさ』で廃病院の屋上情事をシーツだらけにするのも、ブライアン・デ・パルマが『ミッドナイトクロス』でサリーの死に花火を打ち上げるのも、どれもこの映画のイメージを継承している。

「灰とダイヤモンド」沢田研二

 先日、NHK-BSで放送されていたアンジェイ・ワイダ監督の名作『灰とダイヤモンド POPIOL I DIAMENT』を懐かしく鑑賞していたのだが、ふと、沢田研二の同名曲をも思い出した。

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 時代を駆け抜けてきたジュリーが、スターから一人のアーティストになっていく分岐点がこの『灰とダイヤモンド』だろう。
 1985年、タイガースの時代から所属していた渡辺プロを独立し、Co-CoLoを設立したジュリーがレコード会社も移籍しての第1弾シングルだった。

 ジュリー自身が李花幻(い~かげん)というペンネームで作詞作曲したこの歌は、歌謡曲然としながらも震えるようなヴァイオリンの音色が浪漫を感じさせ、当時のジュリーの内省がリアルに反映された、沢田研二の胸の内が詰まった佳曲である。

 映画『灰とダイヤモンド POPIOL I DIAMENT』のラストシーンを引用したジャケット写真は、シンプルな題字とともに秀逸なデザインだが、移籍後初のシングルにしてジュリーの顔を隠す大胆さに、沢田研二の心情が伺える。

 そして、これまでに多くの映画の題名を歌のタイトルにしてきたジュリーの歌曲のなかで、この『灰とダイヤモンド』にこそ映画と同じように、沢田研二のメッセージが込められていたと想う。

 想像力をかき立てられるこのタイトルは、ポーランドの詩人ノルヴィトの詩からきている。

 自由を得るときには多くの大切なものを失い、全ては灰となってしまう。しかしその灰の底には、星のごとく輝くダイヤモンドのように、本当に大切なもの、本当に求めていたものが残っている。

 ひたむきに歌いつづけてきたジュリーが6月に還暦を迎えた。
 今年は11月と12月にドーム公演を行う。
 そして9月17日水曜日、NHK総合TV『SONGS』で7年ぶりにテレビのなかで最新曲を歌った。

    ☆

01. ROCK'N ROLL MARCH
02. 我が窮状
03. 君をのせて
04. 勝手にしやがれ
05. 神々たちよ護れ

    ☆

 24日の第2夜には岸部一徳がゲスト出演すると聞く。ジュリーとの共作詞で、森本太郎作曲の最新曲「Long Good-by」を歌ってくれるだろうか。

 常にお客を、いや、ひとに対して謙虚で、感謝をし続けているジュリーがいる限り、ロケンロールは大丈夫。
 ダイヤモンドは、煌めきつづけている。

ZEPの紙ジャケに見る愉しみ方

 『レコード・コレクターズ誌』10月号で、和久井光司氏が今回のZEPの紙ジャケ・シリーズのアートワークについて解説をしている。
 英国オリジナル盤にこだわった細部にまで言及しているので、購入前のひとは参考に、購入したひとは見比べながらニヤニヤして眺めるのもよいだろう。

 さて、制作担当者のブログを読んでいると、そのこだわりに感心する。
 『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』の外袋に使用する素材が現在では製造されておらず、似た紙を探すのに四苦八苦したそうで、7~8種類のサンプルが提出されたなどと聞くと、職業柄デザイナーの立場も印刷屋さんの立場も分かるだけに、その苦労に頭が下がる。

 また、アトランティック・ロゴ内の(R)マークの有無は和久井光司氏の指摘まで気がつかなかったのだが、いやはや、確かに『I』『II』『III』の全てにおいて印刷されているではないか。
 これは印刷屋さん泣かせの代物だ。これだけ小さな箇所では普通潰れてしまうかゴミに見えてしまう。これまでの紙ジャケで省かれていたのは当然か。
 今回『I』では、黒地の中の白抜きがクリアに印刷されている。

 ロゴマークやトレード・マークを扱っていると、リーフレットや冊子、雑誌の本文などに使われるときが一番厄介。企業の清刷りでは、何センチ以下は使用不可と決められていても、マークやロゴの片隅にある「(R)」や「TM」はそれ以下のサイズになるのだから思って知るべし。

 どれだけ細部にこだわり、どれだけオリジナルに近いモノを作るか。
 そのモノ作りの情熱だけで動いた、多くの人たちの職人気質を感じてしまう今回の紙ジャケであった。

ZEP デフィニティヴ BOX



 今回のツェッペリン3度目の紙ジャケシリーズは、SHM-CDという新素材CDでありながら“1994年リマスター音源”を使用していることへの割り切れない不満はあったのだが、実際に手に取ってみたら躊躇なく購入してしまった。

 同じ好きなアーティストでもストーンズの紙ジャケシリーズが、アートワークとして中途半端でとてもじゃないが手に入れたい代物ではなかったが、これは、期待していた以上に細かな再現が施されているし、やっぱり、英国オリジナル盤のE式ジャケットはアートワークとして綺麗なのだ。
 音質は二の次と言えるくらい(ただし94年のリマスターは充分に音質UPされていたので悪い訳ではない)、満足できるボックスセットであり、究極に近い紙ジャケットと呼んでもいいだろう。



 一回り小さかった『I“ターコイズ・ロゴ”』盤や、『III』の穴の数、『フィジカル・グラフィティ』の窓枠のくり抜き具合は前にも述べたが、最強盤ヴァージョンの2枚組『永遠の詩(狂熱のライヴ)』は絵柄のエンボスはもちろん紙の凸凹まで表現されている。
 『プレゼンス』のタイトルはエンボス加工のステッカー付きで、『コーダ(最終楽章)』はタイトルとともにワーナーのマークにまでエンボス加工だ。
 『III』のセンター止め金具が、紙の内側に隠されている細かさもいいね。



 『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』の別ジャケット5種類は、『I』のオレンジ・インク・ジャケットとともにボックスセットに封入。



 『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』の、中ジャケの種類別となる「A~F」の印もジャケの背中にちゃんと記されている。
 アナログ盤6種類を集めていたころ、親切な中古レコード屋ではこのアルファベットを値札に記載してくれていたので各々を探すのに重宝したものだ。



 『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』に関しては、水を付けると色が浮き出るインナーバッグの特殊印刷も有名。
 今回のCD盤にも施されてはいるのだが、まだもったいなくて(笑)。



 『I』『II』『III』のインナーバッグは、レーベルが見えるよう丸く切抜かれ、ゆるいカーブを描く出し入れ口と、のりしろ部分が外側にある。この英国盤らしさを見せるこだわりが嬉しいのだ。



 もちろんレーベルは3種類である。


ドラマ「氷の華」を観て

 先に絶賛した原作だったが、ドラマ化も見事に成功だった。
 犯行動機が弱いと云われていた原作だったが、ドラマはヒロインに感情移入ができる事柄を追加し、ヒロインの執念をさらに強固なものにしていた。

 松本清張の『砂の器』風に始まり『砂の器』に似せて終った感じは、原作自体に清張小説の情感が流れているうえ、『砂の器』の有名シーンを登場人物に語らせているのだから、ドラマが触発されていて当然。原作を読んでいた人には、なるほどと云える引用。専業主婦をピアニストに変えたのもその一点のためだった。

 「一生賭けた勝負になりますわね、戸田警部。でも、わたくしは、絶対に負けなくてよ。」

 小説とはまるで違うエンディングは、きちんと原作のテイストが活かされていたし、ドラマの終幕の方がより恭子のプライドと芯の強さが強調され鮮やかだった。

宇崎竜童「住めば都」初CD化

 宇崎竜童デビュー35周年を記念して初の本格的ベスト盤『BLOSSOM-35th ~宇崎竜童ベスト・ソング・コレクション』が10月1日にリリースされるが、2枚組のラインナップには初CD化の曲が数曲あり、そのなかに、遂に「シャブ・シャブ・パーティ」と「住めば都」がリストアップされた。

 「シャブ・シャブ・パーティ」と「住めば都」とは………………

 1980年にダウンタウン・ブギウギ・バンドが“ダウンタウン・ファイティング・ブギウギ・バンド”と改名し1年間バンド活動をしていた。
 ダウンタウン・ブギウギ・バンドのレパートリーを封印し、バンドの原点還りである反体制ストリート・ロックで、社会的モラルや規制と闘う姿勢を打ち出していた。
 NHK大河ドラマ『獅子の時代』の主題歌「Our Histry Again~時の彼方に」をシングルで発売しアルバムもリリースしているが、後期には、過激で尖鋭的な歌詞がメジャーからの発売を懸念され、自主制作レコードとして発表していた。



 それが、この『海賊版 LIVE FIGHTING 80's』。(このアルバムは翌81年にEPIC・ソニーから再発されたもので、オリジナルとはジャケットの色が違っている) 竜童作品群のなかで未だCD化されない傑作アルバムで、問題作「シャブ・シャブ・パーティ」と名曲「住めば都」はここに収録されている。

【海賊盤 LIVE FIGHTING 80's】
Side. 壱
01. シネマ横丁
02. 春のからっ風
03. チョイトダーリン
04. Tokyo 豚ーYー

Side. 弐
01. いい子でいなさい
02. 堕天使ロック

Side. 参
01. Ashi-ga-tsuru
02. シャブ・シャブ・パーティ
03. MY BODY

Side. 四
01. 鶴見ハートエイク・エブリナイト
02. From 東京 Babylon
03. 住めば都

 「春のからっ風」は泉谷しげる。「堕天使ロック」は伝説のバンドであるジャックスの名曲のカヴァー。
 
 一般の主婦にまで流行しはじめた覚醒剤を歌った「シャブ・シャブ・パーティ」や、さまざまな性の悦楽を表現した「MY BODY」。低年齢層の堕胎手術を書いた「いい子でいなさい」は、阿木燿子がセクシャルな詞で問題意識を掲げる。

 竜童の詞も、街娼を歌った「チョイトダーリン」をはじめ「Tokyo 豚ーYー」「Ashi-ga-tsuru」はもろにセックスの歌。これまでの不良性をより一段と露骨に歌っているのがこのバンドの突き抜けたところだろう。

 そして最後の3曲はまさに“バックストリート”。

  住めば都 愛しい都 恋しい都
  Come on a my home, my home town
  寄ってらっしゃい 俺らの町へ

 ブルーカラーたちの街、猥雑な世界に住む者たちの永遠のバビロンが描かれる。
 通り過ぎる街が息づく、名作3連発である。

    ◇

ライブ帝国 DOWN TOWN FIGHTING BOOGIE WOOGIE BAND

 『海賊版 LIVE FIGHTING 80's』が録音された日本電子工学院ホールの模様は、TVKの音楽番組で放送されDVD化されている。
 たった7曲だが、短くも燃えたロックのスピリチュアルを見ることができる貴重な映像だ。

M-01 春のからっ風
M-02 MY BODY
M-03 Tokyo 豚ーYー
M-04 堕天使ロック
M-05 シャブ・シャブ・パーティ
M-06 住めば都
M-07 鶴見ハートエイク・エブリナイト



 

「20世紀少年/第1章・終わりの始まり」



20th Century Boys
監督:堤幸彦
脚本:福田靖、長崎尚志、浦沢直樹、渡辺雄介
原作:浦沢直樹(「20世紀少年」小学館ビッグスピリッツコミックス刊)
音楽監督:白井良明
主題歌:T.REX 「20th Century Boy」
出演:唐沢寿明[ケンヂ]、豊川悦司[オッチョ]、常盤貴子[ユキジ]、香川照之[ヨシツネ]、石塚英彦[マルオ]、宇梶剛士[モンちゃん]、宮迫博之[ケロヨン]、生瀬勝久[ドンキー]、小日向文世[ヤマネ]、佐々木蔵之介[フクベエ]、石橋蓮司[万丈目]、中村嘉葎雄[神様]、黒木瞳[キリコ]

☆☆★ 2008年/日本・東宝/142分

    ◇

 総製作費60億円を投じ、浦沢直樹のベストセラーコミック『20世紀少年』をシリーズ3部作で映画化。全24巻(本編22巻+「21世紀少年」2巻)の大長篇を誰が監督するのか、そして、カルト的ファンの多い原作だけにそのキャスティングに注目された話題作である。

 1969年、小学生だったケンヂ、オッチョ、ユキジ、ヨシツネ、マルオたちは、秘密基地を作りそこで人類滅亡の話を書いたりして遊んでいた。
 1997年、ロック・ミュージシャンを諦め、失踪した姉キリコの娘カンナの面倒を見ながらコンビニを経営するケンヂ。
 世間では、“ともだち”と呼ばれる教祖が率いる謎の教団が出現し、奇妙な事件が頻繁に起こるようになっていたが、その事件が、30年前にケンヂたちが作った「よげんの書」の内容にそっくりな事に驚愕。
 ケンヂは、原っぱで遊んだ同級生たちを集め“ともだち”の計画を阻止するために立ち上がるが、逆に“テロリスト”の汚名を着せられ地下に潜むことになる。
 世界征服を図る“ともだち”の正体は一体誰なのか? ケンヂたちと遊んだ仲間のひとりなのか?
 「よげんの書」に人類滅亡の日と書かれていた2000年12月31日。世界の運命を変える「血の大みそか」がやってきた。

    ◇

 映画のテンポが悪すぎる。
 それは、“原作に忠実”を徹底するために“完全コピー”をしたためだ。“マンガとそっくり”にするために、コマのカット、アングルまで似せている。そのために、映画としてのスピーディさが失われているのは明白だ。
 だからと云って、コンセプトだけ持ってきてストーリーや進行を組み立て直しては、この『20世紀少年』を実写化する意味がないだろうな。それだけこの原作の映画化は難しい。
 堤監督独特のビジュアル表現がもっとあれば、面白い画(え)になっただろうに残念だ。
 3部作の第1章が始まったばかりなので早計に判断はできないが、とりあえずは“偉大なるB級作品”と云っておこうか。

 漫画なのだから子供だましのお話は仕方のないこととして、原作どおりだからといってカルト教団の信者たちが画一過ぎる。カンナを奪いにくる箇所や、“ともだちコンサート”のシーンなど、観ていて恥ずかしくなるのだ。
 ほかにも退屈なシーンはいくつかあった。

 それでも、とりあえずの体裁としては、豪華なキャストは見応え充分。
 オッチョ役の豊川悦司がいい。また、ドンキーの子供時代の子役も印象に残る。

 羽田空港や国会議事堂の爆破シーンのCG特撮はリアルで、クライマックスの盛り上りも悪くない。

 ノスタルジックなディテールやセットも郷愁を誘っている。
 「万博」「エレキ」「ナショナルキッド」「平凡パンチ」etc……少年時代のエピソードは『三丁目の夕日』などよりは余程楽しめた。
 秘密基地遊びなどは、小学校低学年のときに自宅の近くにあったアメリカ村(駐留アメリカ軍の家族のための住宅地)跡地が遊び場だったことを、高学年になったら忍者部隊月光遊びをしていたことを思い出した。
 だから、面白さ半分と退屈さ半分で複雑な気分を味わっていた。
 
 そうは云っても連続ものとして第2章への期待はある。原作では1~5・7巻までを描いた第1章だったが、このあとの展開がこれまた荒唐無稽。文句を云いながらも、最後まで見届けたい何かはあるんだよなぁ。

 to be continued………

 エンドクレジットが終ったあとに第2章の予告編が上映されるので、最後まで席を立たぬよう………。