TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「天使のはらわた 赤い閃光」*石井隆監督作品



監督:石井隆
脚本:石井隆
音楽:安川午朗
出演:川上麻衣子、根津甚八、速水典子、鶴見辰吾

☆☆☆ 1994年/アルゴ・ピクチャーズ/87分

    ◇

 過去の忌まわしい事件のために、男性恐怖症に陥ってしまった雑誌社の女性編集者兼カメラマンの名美(川上麻衣子)は、馴染みのバーのママちひろ(速水典子)と愛し合ったりすることで、男性への想いを紛らわせている。
 そんなある日、ちひろのバーで酔い潰れてしまった名美が、ふと目覚めると裸でラブホテルの回転ベッドに横たわっていた。
 傍らにはハンディカメラと、店の常連客だった須川の残殺死体。とっさにビデオテープを抜き取り、部屋を後にした名美が帰宅してテープを再生してみると、そこに映し出されたのは見知らぬ女と須川の痴態、そして自分自身の姿だった。
 名美はあの晩、アドレス帳を落としたことと、ちひろの店に仕事で一緒になったフリーライターの村木(根津甚八)がいたことを思い出す。
 記憶の彼方に立つ名美…………果たして、男を殺したのはだれ?

    ◇

 1978年に日活で始まった石井隆原作の映画《天使のはらわた“土屋名美と村木哲郎の物語”》シリーズの第6作目は、Vシネ用に撮影された1本で、90年代までの“名美たち”の最後を飾ったエロティック・サスペンス。
 2週間ほどでこの作品の撮影を終えたあと、1~2日後にまったく同じスタッフで『夜がまた来る』が撮影された。
 
 余貴美子の儚気な名美(『ヌードの夜』)と夏川結衣の決然とした名美(『夜がまた来る』)の間に挟まれた形で、川上麻衣子の名美は血まみれのミューズとなり悪夢の中を彷徨いつづける。

 作品としては、石井隆がこれまで綿々と描き綴ってきた“男の献身と女の再生”の描き方が不明瞭だったりするのだが、決してその出来栄が悪いわけではなく、サイコ・サスペンスとして、村木への愛の渇望のあまり狂気に走った名美(余貴美子)が登場する『ちぎれた愛の殺人』('93 監督:池田敏春、脚本:石井隆)から、2000年のホラー・サスペンスの傑作『フリーズ・ミー』のちひろへと繋がる作品とみていいだろう。

 ドキッとするような唇のアップで始まり、カメラがゆっくり引かれていくと幼い顔だちの川上麻衣子が大写しとなり、ひとり暮らしのOLの日常の朝の風景が映されるタイトルバック。
 そして物語は、名美のリビングからちひろのバー、ちひろのベッドからラブホテルのベッドへと、外の喧噪を遮断した室内でくり返される。一歩外へ出るのは、土砂降りの雨をBGMにした名美の忌わしい悪夢。殺戮は、ビデオカメラのテープの中からテレビ画面の中へ移動する。毎度のことながら、石井隆のダークな世界が充満している。

 俳優津田寛治が絶賛するところの“石井ブラック”が見られるクライマックスは、パーティションの闇を抜け非常出口の階段から外へ飛び出す先にも、やはり底なしの闇しかない。

 宙を舞い、落下したちひろの身体をローアングルで撮らえ、同時に階段を降りる名美の姿を収めるワンシーン・ワンカットに、石井ファンとしては狂喜するしかないであろう。
 安川午朗の創り出す旋律は、ちひろの魂が名美に同化するララバイとなり、名美の悪夢は醒めることなく永遠につづくことになる。

 ちひろ役の速水典子がとてもいい。
 『ラブホテル』('85)の名美役以降、『死んでもいい』(’92)『ヌードの夜』('93)『夜がまた来る』('94)『GONIN2』('96)『黒の天使 vol.1』('98)『黒の天使 vol.2』('99)と、しっかり石井組の脇を担っている彼女が、この作品ではキイパーソンになる。
 また、このちひろ名は、以後『GONIN2』の喜多島舞、『フリーズ・ミー』の井上晴美へと受け継がれてゆく。

スポンサーサイト

♪ 地球の夜更けは せつないよ………

 テレビ東京「たけしの誰でもピカソ」の“ちあきなおみ伝説2”を見終ったところ。

 伝説で片付けてしまうには、まだまだ早過ぎる歌い手ちあきなおみ。
 2月のこの寒い日、こんなにもこころに沁みた夜はないねぇ。

   ☆   ☆   ☆

◆放送された曲目
01 黄昏のビギン  '92 NHK「愉快にオンステージ」
02 喝采 '72 「第23回NHK紅白歌合戦」
03 冬隣 '88 テレビ東京「にっぽんの歌」
04 紅とんぼ '89 CBC「すばらしき仲間II」
05 すり切れたレコード '81
06 ねぇ、あんた '74 TV初公開コンサート映像
07 紅い花 '92 テレビ朝日「華麗にAh! So」

 2005年に放送されたNHKの「歌伝説 ちあきなおみの世界」の映像が、その豊富さに勝るものはなかったのだが、今回のこの「誰でもピカソ」も凄い映像を発掘してくれた。
 「 ねぇ、あんた」は、関係者が撮影したコンサート映像をノーカット放送。確実に永久保存版だ。
 見逃した人は、永遠に悔しがれ。

 ♪ 地球の夜更けは せつないよ………

 と唄う、1988年のアルバム『伝わりますか』の中の名曲「 冬隣」の映像も貴重。
 今になっては、この詞はちあきなおみにしか唄えない
 好きだなぁ、この憂い。

 ♪紅い花 踏みにじられて 流れた恋唄……

  紅い花は、石井隆の映画『GONIN』の挿入歌で、大好きな唄であり、大好きな映画………このメロディが流れると、永島暎子の儚さ、根津甚八の悔恨、そして、本木雅弘の妖しさに身が震える想い……切ないねぇ………
 
 

「傷だらけの挽歌」*ロバート・アルドリッチ



THE GRISSOM GANG
原作:ジェームス・ハドリー・チェイス(「ミス・ブランディッシの蘭」)
脚本:レオン・グリフィス
監督:ロバート・アルドリッチ
出演:キム・ダービー、スコット・ウィルソン、トニー・ムサンテ、ロバート・ランシング、アイリーン・デーリー

☆☆☆★ 1971年/アメリカ/128分

    ◇

 60~70年代にかけて、男くさいアクション映画を中心に撮ってきた職人といえば、このロバート・アルドリッチだろう。

 アルドリッチの作品で最初に劇場で観た『特攻大作戦』('67)は、アクの強い個性的な俳優陣(リー・マーヴィン、J・カサベテス、A・ボーグナイン、R・ライアン、C・ブロンソン、T・サバラス、ドナルド・サザーランドetc)を縦横無尽に暴れさせた戦争アクション映画の大傑作だったが、続いて観たこのハ-ドボイルド作品は、また違った味わいのある哀切のギャング映画に仕上がっていた。
 原作は、英国の作家ジェームス・ハドリー・チェイスの処女作「ミス・ブランディッシの蘭」('39)で、実話を基にしたハードボイルド小説だ。そのあまりに過激な暴力と性描写が反発を買い、初版本は発禁処分になっている。非情なラストも問題になり、現在発刊されているものはラストを書き変えた改訂版だ。
 当時、映画を観た後にこの原作を読んでいるのだが、30年以上も前のことなのであんまり覚えていない。原作の過激さより、映画の方が好みだったのかもしれないな。

 原作より人間描写に比重が置かれているのは、儚い恋をしたことで破滅へ向かう凶暴なサイコキラーと、誘拐された娘が彼に抱く人間的な関係、そして現実の非情さ。
 極限にいる人間同士、欲望に飢えた者たちの怒りや苛立ち、心の深いところでみんな傷ついている者たちを苛烈に活写している。

 ★以下、ラストシーンに触れます。
TheGrissomGang_pst.jpg

 1931年のカンサス・シティ。大富豪の娘バーバラ(キム・ダービー)を誘拐するちんぴらギャングの話から始まる。チャールストンをバックにしたチェイス・シーンは、キッドナッピング(誘拐)・クライムの世界へ誘う魔法のロードランナーだ。 
 そして、フィルム・ノワールの匂いを充満させながら、凶悪グリッソム・ギャングの出現で二重誘拐へと発展。
 女ボスのマー(アイリーン・デーリー)を筆頭にした冷酷なグリッソム・ギャングには、頭が少々イカレたマーの息子スリム(スコット・ウィルソン)がいて、マザコンで性的不能者のスリムがバーバラの美貌に惹かれ、バーバラの屈辱の監禁生活が始まるのだが、スコット・ウィルソンの迫真の演技で、この一方的な異常愛が哀しいプラトニック愛に変貌していく過程が凄まじい。

 バーバラの父が私立探偵フェナー(ロバート・ランシング)を雇い、独自の捜査でグリッソムの悪事が暴かれていく。
 探偵役のロバート・ランシングは、エド・マクベインのTVドラマ「87分署シリーズ」('62~)でスティーブ・キャレラ刑事に扮していた。ぼくの世代で海外ドラマ好きな人には見覚えのある俳優。タフな役柄にはぴったりだ。
 ついでの話だが、キャレラ刑事の聾唖の妻の役は「グロリア」のジーナ・ローランズだった。

 一番印象に残るのは、スリムが兄貴分エディをナイフで殺すシーン。悲鳴を上げるバーバラの姿と切り返しのカットで見せるローアングル・カメラとライティングの美しさ。その構図が際立っている。

 スリムとバーバラが逃げ込んだ納屋での一夜は、バーバラにとって初めて人間的な感情をスリムに感じた瞬間。
 警官隊にボロぎれのように銃撃されたスリムの死体にひざまずくバーバラに対し、父親が放つ痛烈な言葉は「そんなにしてまで生きていたいか? 私には永遠に判らんね」

 さて、原作で問題になったラストだが、この映画にも2種類のラストが存在する。
 テレビ放送や現行のDVDでは、虚しさと哀しさでボロボロになったバーバラが、探偵フェナーの運転するロードスターの助手席から、父親を振り返る顔のストップモーションで終る。
 そして、1971年の初公開時に観たものには続きがあった。
 フェナーに送り届けられる途中、川に身を投げるバーバラ。救いのない結末のようだが、ある種、崇高な恋愛映画として終っていた。

 アルドリッチ監督が本当に描きたかったのはどちらだったのか……。

 

「ラブホテル」*相米慎二監督作品



監督:相米慎二
脚本:石井隆
挿入歌:「夜へ…」山口百恵、「赤いアンブレラ」もんた&ブラザーズ
出演:速水典子、 寺田農 、志水季里子 、中川梨絵 、益富信孝 、尾美としのり、 佐藤浩市 、伊武雅刀、木之元亮、萬田久子 (ノンクレジット)

☆☆☆☆★ 1985年/にっかつ:ディレクターズ・カンパニー/88分

    ◇

 流麗なカメラワークを得意とした相米慎二監督の唯一のロマンポルノであり、石井隆がこれまでに描いてきた20本近くの“名美の物語”の映画群のなかで、ベストワンに挙げられる映画だ。

 2週間足らずで撮り上げた本作は、そのほとんどがワンシーン・ワンカットで撮影されている。俳優のモチベーションを持続させ、登場人物のデリケートな心の動きをエモーショナルに伝える長廻しは、女と男の情愛の深さをえぐり、観る者の心の奥底を震わせ、心の襞に響いてくる。

    ◇

 経営していた小さな出版社が倒産し、愛妻を取り立てのヤクザに陵辱された村木(寺田農)は人生に絶望。ゆみと名乗るホテトル嬢(速水典子)を道連れに自殺を決意するが、女の生きていることの芳醇なエロティックさに魅入られ、思いとどまる。

 そして2年後、タクシー運転手になった村木は、借金の取り立てが及ばないように妻の良子(志水季里子)とは離婚をし、一人でひっそりと暮らしていた。
 ある日、村木は街で偶然にも2年前の彼女を見かけ、客として乗せる。現在、OLとしてアパレル会社に勤める彼女の名前は土屋名美。上司との危うい不倫関係を続けているが、2年前の一度きりのアルバイトが忌まわしい過去の傷として残っており、「きみは天使だ」と口にする村木に戸惑うのだった。
 しかし、次第に名美の心のなかには、村木を支えにする思いが芽生えてくる。
 
    ◇

 石井隆作品といえば、雨と暗闇とネオンが象徴だが、この相米作品においても“雨”がよく降る。
 冒頭、空っぽになったビルの事務所跡で、一匹のハエに自殺の邪魔をされる夜の雨。名美が上司との別れ話の後、村木の部屋の前で彼を待つ夜の土砂降りの雨。生きていることがぎりぎりの、こころの喪失感に叩き付けられる。

 映画は“名美と村木の物語”に終始するのだが、もうひとり、村木の別れた妻の良子にも注目したい。
 夜勤明けの村木を公園のブランコに座って待つ良子。村木の部屋の煎餅布団でしっとりと彼を待つ良子。健気に待つ女を演じる志水季里子の存在感。
 ここに“ふたりの名美”が居て、それでこそ、村木の愛の物語は成立する。

 不倫相手の上司の妻正代(中川梨絵)に無言電話をかけられたり、相手の上司の思いやりのない別れ話などに、もはや心がボロボロになった名美。彼女には、2年前のたった一度の経験で躰が覚えた行為が蘇る。
 あの日に着ていた黄色いカーディガンを羽織り、村木の部屋を訪ね「あの夜の続きをして欲しい」とせがむ名美。戸惑う村木。
 相容れない名美の“不純な愛”と村木の“無垢な愛”は、ふたりの間に時の流れとして存在する。「出逢いからやり直したい」と呟く名美に、村木は何も言うことができない。
 名美の嘘を知りつつ激しく躰を重ねる村木のこころは離れていってしまう。名美と村木、そして村木と良子の心のすれ違いは、結局、村木が純粋すぎるゆえなのか………。

    ◇

 村木と名美が思いがけずに再会した夜の、タクシーのラジオから流れる山口百恵の「夜へ…」。

 “修羅 修羅 阿修羅 修羅”
 “あやしく、あまやかな 夜へ……”
 “ひそやかに ひめやかな 夜へ……”

 この阿木燿子の詞の甘美さが一段と高まるのが、別れ話の電話で通話を途中で切られ、その後も延々と喋り続ける名美を、4分16秒間優しく包み込む山口百恵の情感豊かなヴォーカルだ。

 もともと、この映画はシナリオ段階でのタイトルが「夜へ…」と名付けられていたというし、通俗的な歌謡曲を名美の男に対しての恨みや諦め、意地と再生に浄化させる手だてに使用するのは、劇画時代の昔から石井隆の本領でもある。

 挿入歌ではもう1曲、もんた&ブラザーズの「赤いアンブレラ」が、名美と村木のこころが通じ合う埠頭のシーンで魂を揺さぶる。もんたよしのりの狂おしいハスキーヴォイスは、ラストシーンでも活かされる。

1985_LoveHotel.jpg

 雨の上がった日の朝。
 無人となった村木の部屋。
 アパートの前の石段ですれ違う名美と良子。
 「赤いアンブレラ」に被せるように、志水季里子が口ずさむ「赤い靴」。
 “ふたりの名美”に降る情念の桜吹雪。
 果てない哀切が滲む…………

 このラストシーンを音声を消して眺めてみると、そこには、阿木燿子の世界を透かして見ることが出来る。
 1979年に発表された山口百恵の『A Face in a Vision』には、甘美なクロージング曲「夜へ…」とともに、オープニングに「マホガニー・モーニング」という歌が収録されている。

 “はらはらと散っていく 花びらの下で”
 “起きたまま見る夢を 当ててみましょうか”
 “階段の踊り場では 子供が遊んでいる”
 “そっと そっとしてあげて マホガニー・モーニング”

 ここに、山口百恵&阿木燿子と石井隆の世界がリンクした………

    

「OL日記 濡れた札束」*加藤彰監督作品



監督:加藤彰
脚本:宮下教雄
音楽:樋口康雄
出演:中島葵、絵沢萠子、堂下かずき、叶今日子、浜口竜哉、賀川修嗣

☆☆☆☆ 1974年/日活/76分

    ◇

 大阪のある街の古びた安アパートに、「恵子」と名乗る女が住み着いた。四畳半の小さな部屋で、中年男とひっそりと暮らしている。
 彼女の本名は「北村潤子」。逃亡中の公金横領の元銀行員だ。
 
 潤子は高校を卒業してすぐに京都の銀行に勤めていた。離婚した厳格な母親と、婚約者を戦争で亡くした姉との三人暮らしの中、姉妹は性を封印していた。そして家庭環境のせいか、奥手で男を寄せ付けない潤子は、いつの間にか適齢期を過ぎてしまう。
 30半ばを過ぎたある日、同窓会の帰りに以前酔った時に介抱してくれたタクシー運転手の慎二に出会い、食事に誘われ、自然とホテルへ行き結ばれる。男に対して免疫のない潤子は慎二のテクニックに酔いしれ、虜になってしまう。
 そんな潤子に、慎二は何かと金をせびるようになり、いつしか潤子は銀行の金を横領するようになる。
 やがて事件が発覚。潤子が慎二に心中を迫るも、彼は有り金を奪いひとりで逃げていく。

 数ヶ月後、大阪のアパートで慎ましく暮らす生活に終止符が打たれる。
 何も知らず一緒に暮らしていた男宛に「お世話になりました。ごめんなさい。」と手紙を残し、訪れた捜査員に連行される潤子だった………。

    ◇

 これは1973年に現実に起こった、滋賀銀行公金横領事件をモデルにした実録ドラマだ。
 戦後史に残るこの事件の主役は42歳のベテラン行員奥村彰子で、5年間に横領した額は全部で約9億円にのぼり、現在でも史上最高額だそうだ。その総ての金を情夫はギャンブルに使ったというから、現実の話は凄い。

 逃亡先のアパートから始まり過去の半生をインサートしながら、男に喰いものにされ堕ちていく女の典型的なストーリーは、ロマンポルノということでスキャンダル性に満ちた煽情的なセックスシーンで埋め尽くされそうなところだが、ベテラン加藤彰監督はしっとりと落ち着いた演出で、亡くなった婚約者に操を捧げつづける姉を対比にして、性に溺れる一途な女の哀しみを丁寧に追っていく。
 終盤、情夫が逮捕されたことを知った潤子が、その夜同棲相手の男を駅に迎えに行き、彼が持つ弁当箱の中の箸をカランコロンと聞く場面は秀逸である。

 そして、何と云っても中島葵が素晴らしい。

 数々の一般映画やTVドラマのバイプレイヤーとして活躍した中島葵は、28歳で日活ロマンポルノ・デビューをし、この作品が5作目にして初めての主演作であり代表作になっている。名優森雅之と宝塚スターとの私生児として産まれた血筋以上に、文学座をはじめ小劇団で鍛えてきた演技には風格さえ漂っている。

 孤独な女性が性に溺れる狂おしい姿と、男に貢ぎ男に想いを寄せる感情の揺れをリアルに演じ、何度も繰り返される情夫との逢瀬では徐々に変化していく彼女の表情の美しさと、情夫に心中を持ちかけるシーンでの痛ましさが何とも愛おしい姿だ。
 中島葵……1991年享年45の若さで逝ってしまったのが惜しい。

 ところで、ここで使用されている樋口康雄の楽曲全てが、前年に製作された藤田敏八監督の「エロスは甘き香り」の流用であり、低予算のロマンポルノの実情を垣間みた思いだ。

「殺人者たち」

1964killers.jpg
The KILLERS
原作:アーネスト・ヘミングウェイ
監督:ドン・シーゲル
脚本:ジーン・L・クーン
音楽:スタンリー・ウィルソン
主題曲:ヘンリー・マンシーニ
   「Too Litlle Time」歌:ナンシー・ウィルソン

出演:リー・マーヴィン、アンジ-・ディッキンソン、ジョン・カサヴェテス、クルー・ギャラガー、ノーマン・フェル、ロナルド・レーガン

☆☆☆ 1964年/アメリカ/95分

    ◇

 アーネスト・ヘミングウェイの短編小説をB級映画の名手ドン・シーゲル監督が撮り上げた本作は、センチメンタリズムなど微塵もなく即物的に暴力が横行するハードボイルドとして、犯罪映画の傑作に仕上がっている。

 盲学校に乗り込んで来た初老の男と若い男が、そこで教師をしている男を撃ち殺すところから映画は始まる。
 初老の男チャーリー(リー・マーヴィン)はあっけない殺しを訝しげに思い、相棒のリー(クルー・ギャラガー)と共に、殺された男の過去と殺しを依頼した男の謎を探ることにする。

 殺された男ジョニー(ジョン・カサヴェテス)は元一流の自動車レーサーで、郵便配達の現金輸送車を襲った犯罪一味の片棒を担ぎ、100万ドルを横取りして逃げた男。
 チャーリーとリーがその100万ドルを横取りするために、探偵よろしく関係者を訪ねながら現金強奪犯らを追いつめていく。殺し屋ふたりが 無頼に聞き出す彼らの過去の話がフィードバックされながら、自動車レースだけに夢中なジョニーと、色仕掛けでジョニーに近づき犯罪の仲間に引き込む女シーラ(アンジ-・ディッキンソン)との儚い恋愛話や、黒幕ジャック(ロナルド・レーガン)の存在を描き出していく。この元合衆国大統領に上り詰めたレーガン氏の大根役者ぶりは微笑ましいかぎり。

 B級映画の低予算からくる経済性なのか、フランス映画のフィルム・ノワールのような情緒感を省き、ムダなカットがない効率の良い演出スタイルが、ハードな緊張感を生み出し観客を魅了する。

 クールさと渋さで異彩を放つリー・マーヴィンと、悪女に翻弄される哀れな男をニヒルに演じるジョン・カサヴェテスのふたりが、この作品に深い味わいを醸し出している。

 子供の頃テレビで観たときには、無骨なリー・マーヴィンが大きなサイレンサーを付けた拳銃を構えるシーンが恰好よく見えていたなぁ。特にラストの、瀕死の状態で銃を構えるアップのアングルは、何度観てもシビれるカットだ。

 ジョン・カサヴェテスは映画俳優として独特な存在感を残してきたが、映画監督の方が一流だったかもしれない。この映画の翌年に、ハリウッド式の映画製作を拒否し自ら製作・脚本・監督・編集などを行ない『フェイス』を撮りあげ、ヴェネチア国際映画祭で賞を受賞している。ニューヨークを代表するインディペンデント映画の父と言われてきた。

 主題歌として劇中のバーで、ナンシー・ウィルソンがヘンリー・マンシーニの「Too Litlle Time」を披露する。