TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「白いドレスの女」



BODY HEAT
監督:ローレンス・カスダン
脚本:ローレンス・カスダン
出演:キャスリーン・ターナー、ウィリアム・ハート、リチャード・クレンナ、テッド・ダンソン、ミッキー・ローク

☆☆☆☆  1981年/アメリカ/113分

    ◇

 ジェームズ・M・ケイン(「郵便配達は二度ベルを鳴らす」)のミステリーを映画化したビリー・ワイルダーの『深夜の告白』を下敷きに、脚本家ローレンス・カスダン(「スターウォーズ/帝国の逆襲」「レイダース/失われたアーク」)が、悪女に翻弄され自滅していく男の姿を描いた監督デビュー作で、ハードボイルド小説あるいは犯罪小説に不可欠な、細部に練られたプロットと扇情的であり上質な台詞が詰まった“80年代のフィルム・ノワール”として賞賛できる傑作。
 我が愛しのキャシー、キャスリーン・ターナーの映画デビュー作でもあり、主人公の弁護士同様、堂々とした悪女ぶりのキャシーの妖艶な姿と官能的なハスキー・ヴォイスに完全に魅了された作品だ。

 ジョン.バリーが奏でる気だるくジャジーな音楽をバックに、主人公のネッドが情事のあとにホテルの窓から近くの火事を眺める導入部は、これから起きる熱く扇情的な愛の顛末を予感させるに十分なオープニングで、クレジット・デザインの官能性も美しく監督としてのセンスが光るところ。

 むせ返るように暑い常夏のフロリダで、うだつの上がらない弁護士ネッド(ウィリアム・ハート)がある夜野外コンサートホールで白いドレスの美女マティ(キャスリーン・ターナー)と出会う。彼女は二十も年上の男を夫に持つ人妻。夫に不満を持つマティは、ネッドの強引な誘いに躰を許すことになる。
 ふたりの演じるラヴシーンは官能美に溢れ、原題の“BODY HEAT”の名の通り熱く濃密。大胆なセックス・シーンとエロティシズムの香りがふんだんに立ち込めるメロドラマ性も、キャシーの強烈にしてセクシーな存在感に尽きる。

 やがて、マティが邪魔な夫を始末して欲しいと誘うようになりエロティック・ドラマが一転、サスペンスに変わる。マティの躰の虜になったネッドは完全犯罪を目指し夫を殺害。それは、巧妙な罠に誘い込まれたネッドの転落のはじまりで、マティは富豪であった夫の全財産を受け継ぐことになり、今度はエロティック・サスペンスがミステリーの様相に変わる。

 ネッドの不審がマティの素性を徐々に暴いていくのだが、遺産目当ての完全犯罪にネッドを利用したことを認めたマティも、ネッドへの愛に偽りはなかったと告白。そして、マティの死。
 
 ラストの留置所でマティのアルバムを見るネッドの姿が印象的で、そのあとのワンカットに、クールでセクシーで知的な悪のヒロイン誕生を鮮烈に残す出来栄になっている。

 全体の倦怠ムードが、後半に緊張感の欠けるような感じがしないでもないのだが、これは監督の意図したとおりの雰囲気に一貫性が見られると云うことで納得できる。

 どうしようもなく女好きで、マティにいいように利用され、潔く堕ちていく男をサラリと演じたウィリアム・ハートも素晴らしい。哀れな男の性を好演している。

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「恋人たちは濡れた」*神代辰巳監督作品



監督:神代辰巳
脚本:神代辰巳、鴨田好史
出演:中川梨絵、大江徹、絵沢萠子、堀弘一

☆☆☆☆★ 1973年/にっかつ/76分

    ◇

 かつての日活ROMAN PORNO の作品が随時DVD化されている。30年近く前、青春を過ごした時の長さを感じながらいくつかの作品を改めて見てみると、同時代に生きていた頃に共感した感覚がひとつも色褪せていないことに気付く。根底に流れているそれぞれのテーマにブレがなく、いつの時代にも感じることができる普遍性を持った作品の力強さを感じるのだ。
 特に、神代辰巳監督自身が「一番好きな作品」という本作品は、神代作品の世界観を見事に創造した逸品で、70年代学生運動の挫折から生み出された“無気力”“無感動”なシラケ世代の姿が見事に描かれる青春映画の大傑作である。
 この作品で時代を感じるとしたら、それは作品全体のセックスシーンに無用に大きな修正が入ることだろうか。不粋で野暮なことなど忘れていたのだが、こんなにも大きな黒ベタには笑ってしまう。

 「お客様は神様です」と映画館の舞台上でおどける主人公。路上でギター片手に弾き語る春歌や、「さようならさよなら、達者でいてね」と中川梨絵が口ずさむ流行歌のフレーズなどが、主人公たちの虚無に彩られた心情に重なり情感とともに作品効果となるのが神代辰巳の世界だ。まさに神代節のエッセンスに満ちた作品。

 海沿いの田舎町で映画館のフィルム運びをしている克(大江徹)は、何かから逃れて来ているような感じの若者で、名前を捨て過去を捨てただヘラヘラと自分を嘲笑しながら日々を送っている。町の若者たちが久しぶりに帰郷した彼に親身に話しかけるが、彼は頑として否定し続ける。

 ふと知り合ったひと組の男女、光夫(堀弘一)と洋子(中川梨絵)。過去の詮索もしない洋子に、克は自分と同じ匂いを感じるようになる。中川梨絵の美しさと妖しさ、そして浮遊感が不思議な魅力となって記憶に止まることだろう。

 こんな町は嫌いだと云う克に「もう少し居なさいよ。みっともないじゃない。」と洋子。
 「俺はみっともないこと、きらいじゃないよ。」と克。
 カッコ悪いことがなんてカッコ良いことなんだ、という時代が云わせる台詞……。

 忠霊塔で首を吊る映画館主の妻(絵沢萠子)は、首に廻した帯紐がスルスルと解け自殺に失敗する。若者の無力感とは違い、英霊の碑の下で不様に生き残る中年女の挫折感には滑稽さが漂う。

 目的のない、意味のない行動をし続ける若者たちの心象をとらえ、忘れることができない浜辺での全裸の馬跳び。カッタるい日常をイメージする名シーンである。このシーンのみ、チラチラと中川梨絵の股間を飛ぶ白いボカシが優雅だ。

 そして、防波堤でカッコよく仁義を切る中川梨絵の姿から「明日に向かって撃て」のように情緒豊かな自転車の二人乗りへと繋がり、洋子と克は海に沈んでいく。
 「俺、本当はあんたとしたいんだよ。だけどよ……」唐突のラストシーンは、アメリカンニューシネマの如く鮮烈な終幕だ。

STONESからROMAN PORNOへ

 ROLLING STONESの来日公演も無事開催されました。いきなり初日からレアなセットリストでファンを驚かせているようで羨ましいです。今晩は2回目。いかにセットリストが変わるか楽しみです。

 楽しみだ、羨ましいとはいえ、今回の公演に関しては主催者側の対応や手際の悪さ、誠意のなさなど、かなりの問題が噴出しています。今晩のチケットが届かないという声をファンサイトで見つけるなど、特に、STONESの公式ファンクラブ側と日本の興行側との信じられない関係が明るみに出ています。
 実はぼくも、4月2日のさいたまスーパーアリーナのチケットが未だ届いていないのが現状………信じられないです。
 WBCの運営に怒るどころじゃない!!

 さて、昨日は日活名作ロマンシリーズ第3期として、名作・話題作・傑作揃いの15本が発売になりました。特に今回は神代辰巳作品が4本もあり、STONESの紙ジャケなど買っている余裕などなく早速数本を購入。
 あらためて鑑賞する感激に、こころ躍っております。

WBC世界一!

お、おおお~
王ジャパン世界一です。
やりました~、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の初代チャンピオン!

一度は死んだチーム。
それを、韓国チーム撃破の狼煙となり決勝へ導いた福留孝介のホームランにはシビれたよ。
今日の決勝戦でも、キューバに追い上げられたあとの9回の追加点は、サスガ!

見ていてこんなに疲れた試合はなかったです。
今季一年分の興奮を使った感じ………
最高です!
 
みんな、おめでとう!!

夏木姐さんジャニスを歌う



 成熟した音楽をオマエは喰えるか 唯一無比の表現者「夏木マリ」
 カッコいい本物の女がバンドを結成 JANIS JOPLIN をカバー
 

 GIBIER du MARI なるバンドがデビューした。カッコばかりのサウンドが蔓延るJポップに、喝を入れるような大人のバンドです。

 ヴォーカルは夏木マリ。1973年に『絹の靴下』でデビューし、お色気歌謡を我がものにしたひとりだが、女優としての存在感もピカ一のアーティストだ。小西康陽プロデュースによるシャンソンやジャズで独特の世界を確立したヴォーカルも素晴らしかったけど、今度はブルース・ロック。それもジャニス・ジョプリンを歌っているのだ。その表現力の凄さに圧倒される。
 日本語訳は夏木マリ自身で、この詞の世界も素晴らしいです。

 彼女を支えるバンドのメンバーも、一筋縄ではいかない顔ぶれ。
 久米大作(キーボード)は、スクェアなどフュージョンの分野で活躍。ちなみに父親が俳優の久米明氏。
 樋口晶之(ドラム)はブルース・クリエイション、竜童組、ミッキー吉野グループに在籍していたのがぼくの知っているところか。
 斎藤ノブ(パーカッション)は云わずと知れたパーカショニストの第一人者。
 高橋 “Jr”知治(ベース)& ichiro(ギター)この二人は知らなかったのだが、プロフィールを見るとこりゃ強者だ。

   ☆    ☆


Blues
 先行発売されたシングルで、ジャニスの「KOZMIC BLUES」を日本語詞で表現。このエモーショナルな歌い回しには参ります。


ジビエ・ド・マリ
 9曲を納めたアルバムで、ジャニスの「KOZMIC BLUES」にインスパイアされたこのジャケットが妖しくていい。
 マリ姐さんの歌声は、いままで何人ものジャニスを歌ってきた女性シンガーとは全然違う表現力で圧倒されます。
 真似ているわけではないのに、声質も違うのに、なんてジャニス的なのだろう。日本語を織りまぜて歌っているのも気にならない。歌を伝えるのは言葉だということを認識させてくれる。
 今の、現代のトーキョーから発信されるブルース・ロックのひとつのカタチだろうか。絶賛するよ、これには。

CRY BABY
MOVE OVER
 まず2曲つづけてジャニスの曲。ガツンとくる姐さんのロッキン魂。
ヴィソツキー
 この曲は仲井戸“チャボ”麗市が作曲。
神さまへ
 作曲が忌野清志郎なのだ。
CONNE
 アート・アンサンブル・シカゴとの前衛ジャスとシャンソンの融合した傑作『ラジオのように』がインパクトあったブリジット・フォンテーヌの曲で、これは1995年の『GENRE HUMAIN』(邦題:ふたたび、ラジオのように)からの一曲。
 詩人でもあり女優でもあり歌手のブリジット・フォンテーヌの曲に、こんな歌詞をつけて歌えるのは姐さんしかいません。どちらも表現力の巧いアーティストだなぁ。
Blues(KOZMIC BLUES)
TOKYO
GIBIER (Instrumental)
SUMMER TIME '06
 ガーシュインの有名曲だが、ジャニスのライヴでは「Ball & Chain」とともに歌われるスローブルースの名曲が、ここでも見事な歌声で蘇る。日本語モノローグにシビれる。

 どちらのアルバムにもPVを納めたDVDが付いており、BluesにはBluesのシングル・ヴァージョン(5min)が、ジビエ・ド・マリにはアルバム・ヴァージョン(7min)が収められています。
 倖田来未のエロさなど見た目だけ。大人の艶を姐さんが魅せてくれますよ。

STONES紙ジャケ



 ストーンズ・ファン待望の、60年代のアルバムの紙ジャケット仕様アルバムが発売された。

 今回の紙ジャケに関して、重要ポイントがいくつかあった。そのあたりは路傍の石さんのストーンズ紙ジャケのポイントはここ!という記事を参照にしてもらうことにして、いざ、実際に出来上がったものを検証してみると、いや、店頭で手に取ってみると…………。

 なんとかしてくれ~。期待と希望は大きく外された。全品予約しておかなくて良かった(ほっ)。

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 一番の目玉だった「サタニック・マジェスティーズ」の3Dジャケの写真は、この程度であきらめるしかないと割り切れるのだが、仕様がUS盤A式Wジャケだったことが許せない。「ベガーズ・バンケット」がUS盤E式Wジャケになっているのなら、なぜ同じようにE式Wジャケにしないのか。納得できない。「サタニック・マジェスティーズ」の扉側の紙質がこんなに厚くてはいけないのだ。
 「ベガーズ・バンケット」がトイレ・ジャケなのも不本意なのだが、E式Wジャケなのが唯一の救い。これは許しましょう。22枚全部購入すれば、馴染み深いホワイト・ジャケットがもらえるそうだが、これ一枚のために大金は出せません。
 「レット・イット・ブリード」にはポスターが付属されたが、ならば、なぜジャケに黒ラベルのシールを貼らない?
 「イングランズ・ニューエスト・ヒット・メイカーズ」には、USモノラル初回盤に付いていたポスターが封入される喜び半分、厚紙のA式ジャケなのだから刻印くらい押したら?
 ラベルやシール、エンボスなど、ブルース・スプリングスティーンの紙ジャケの方が余程丁寧に忠実に制作してあった。やろうと思えば出来るのになぁ~。きっちり作り込んであれば大金でも払えるのに、残念!

 不満ばかり出てくる今回の紙ジャケ・シリーズですが、昔からのファンには多くのこだわりがあるものです。ましてや、ビートルズと並んでアルバムの多さと、各国でのジャケ違いからくる蒐集度はひと様々。基本的な米国盤と英国盤で作られたとはいえ、これじゃあ、はっきり云ってダメ、ダメ。やっぱり英国盤を中心に作ってもらいたかったと思うものが、ほとんどのファンだと思う。
 オリジナルのLP盤を手に眺めている方が精神衛生的に良いです。

 全22枚で61,969円。これだけの大金を出すファンがどれだけいるのだろうかと思っていると、ジャケの検証をしている横で全アルバムをカゴに入れている、ぼくより年下の男性がおりました。金持っているファンいるのですなぁ。
 

寺内貫太郎一家

 昨晩、故久世光彦氏の追悼番組として放送された「寺内貫太郎一家」の第一話と最終話の2本を見た。当時、毎週欠かさず見ていたはずなのだが、最終回は覚えていなかった。

 ドラマの前後合間には小林亜星と樹木希林のふたりがスタジオで故人を偲びながら当時の模様を語っていたのだが、この番組が「時間ですよ」の後番組だったこともスッカリ忘れており、第一話の中にいろいろなお遊びが隠されており面白く見る事ができた。

 “古き良き日本”と云うにはアナクロ的で好きな形容ではないが、確かにいまの日本にこんな父親を見つけることはできない。いや、1974年当時でも見ることのできない父権家族の姿だった。だからといってこのドラマ、父権家族へのノスタルジアではない。

 あらためてこの2作品を見てみて気付いたのは、昭和の父親の哀しさ。
 向田邦子と久世光彦が描く寺内貫太郎は、日本の父親であり、父親としての理想像だ。
 絶対的に正しくなければならない、泣き言や弱音を吐いてはならない、厳しい父親の姿。
 最終回、静江(梶芽衣子)の足の不自由な原因をテーマに語られるのも、やるせなく哀しい父親の姿だ。

 理不尽なことで怒り素直に謝れないとしても、スジの通ったことは曲げない。もちろん義理人情には滅法弱く、しかし誰よりも一番憎まれる。そんな姿を、お約束事と分かりやすい展開で笑わせてくれる。あんな父親が居たらいいなぁとは絶対に思わないけれど、居ないと寂しいかもしれない父親像だ。
 
 そう云えば以前梶芽衣子の記事内で、梶芽衣子がこのドラマにそぐわないと書いたのだがそうでもなかったな。
 「さそり」時の輝く梶芽衣子はとても美しかったし、“さそり”の眼で藤竜也と並んでいると「野良猫ロック」を思い出され、久世流のお遊びをうれしく思った。
 樹木希林のコメントで『梶さんの眼が第一回のときには、さそりの恨みがましい眼だったのが、最終回にはちゃんと娘が父親を見る優しい眼になっていた』と語っていたが、これも久世演出の賜物か。このドラマのあとの映画「無宿」では、やさしい眼差しの梶芽衣子がいたのは確かだ。

 左とん平の姿がユースケ・サンタマリアにダブるところがあり、役回り的に同じ匂いがした。

 当時内田裕也と再婚したばかりの樹木希林が、ドラマの中で「ユーヤ」をギャグにしていた。岸田森と結婚をしていたのを覚えている人はいないだろうな。
 
 全39話。いつ頃から連続ドラマがワンクール(11~12話)で完結するようになったのだろう。
 

「ミュンヘン」



MUNICH
監督:スティーヴン・スティルバーグ 
脚本:トニー・クシュナー、エリック・ロス 
音楽:ジョン・ウィリアムズ 
主演:エリック・バナ、ダニエル・クレイグ、キアラン・ハインズ、マチュー・カソヴィッツ、ミシェル・ロンズデール、マシュー・アマリック、ジェフリー・ラッシュ 

☆☆☆☆ 2005年/アメリカ/164分

    ◇

 “報復からは何も生まれない。報復には報復があるのみ”

 映画のほぼ全編が暗殺とその計画、準備、殺しのシーンに費やされる。大義名分の殺しがいつしか、ただの“殺し屋集団”へと変わっていくことで、憎しみや哀しみの連鎖を断ち切ることが出来ない無力感と無意味さをじっくり味わうことになる。
 観客も嫌と云うほどに打ちのめされるだろう。
 スピルバーグ作品だからと云って、決してエンターテインメントな作品ではない。『プライベート・ライアン』の冒頭シーンと同じようなリアルな殺戮シーンが全編にオンパレードで、悲劇とは何かが徹底して描かれる。

 1972年、パレスチナゲリラ“黒い九月(ブラックセプテンバー)”がミュンヘン五輪の選手村を襲撃し、イスラエル選手団 11名を虐殺した。これに対してイスラエル諜報機関モサドは、アラブのテロ指導者11人を極秘裏に暗殺する計画を企てる。

 若きアヴナー率いる暗殺チームは、爆弾のプロフェッショナル、車両のスペシャリスト、偽造のプロ、後始末のプロの5人。愛国心に燃える者、プロとして仕事を受け持つ者らと、そのスペシャリストたちがひとつひとつ計画実行をしていく………。

 暗殺の対象になるパレスチナの要人たちの描き方が“人間的”に描かれるのがこの映画の特徴だ。それまでのアメリカ映画に出て来るアラブ人のテロリストたちは、かつてのナチスや冷戦時代のロシア人のように徹底した悪人としか描かれてこなかった。
 ここに出て来るアラブ人たちが詩人だったり、知識階級で娘がピアノの習い事をしていたり、宿泊するホテルで隣人に対して気さくに話しかけてくる人となりなど、ある意味普通に扱わうことがスピルバーグの描きたかった世界のひとつだろうし、それに対しては評価のできることでもある。

 情報屋から隠れ家と指定された一室でアヴナーたちとパレスチナ人が鉢合わせするシーンも、この映画の見どころのひとつだ。ここでアラブのリーダーが語る言葉こそ彼らの悲痛な叫びでもあり、その言葉を封殺することは決して出来ないはず。アヴナーがその対話の中からアイデンティティーに疑念を抱き始めたことから、その後のシーンでのふたりの成り行きがとても非情だ。

 情報屋のしたたかさは諜報活動の裏舞台を垣間見せる。イスラエルだろうがアラブだろうが、アメリカCIAであれ金さえ出せば情報を売る地下組織のファミリーが実在しているということだ。

 暗殺チームのリーダー、アヴナーの家庭が描かれることで、ごく普通の人間が犯していく過ちがとても恐く感じられる。そして暗殺の見返りは、アヴナーたちが命を狙われることだ。綿々と繰り返される報復。その恐怖が、生々しいセックスシーンとして描かれる。

 社会派映画として見るととても暗く陰鬱になるのだが、スリラー映画として見れば一級品であるのも間違いない。
 こぼれたミルクに鮮血がひろがる甘美な絵づくりや、電話爆弾におけるスリリングさはヒチコックを思わせるほどだ。 
 女暗殺者を殺すシーンの陰惨さも凄い。
 家族が和気あいあいで見ることができる映画ばかりがスピルバーグ映画ではないことを思い知るだろう。元来子供っぽいスピルバーグが、子供が持つような残虐性をも持ち合わせていても不思議ではない。

 ラスト、延々と映るニューヨークの摩天楼。そこに映るツインタワーからひとつのことが想像できる。
 いま、30数年前の事件でアラブとイスラエルの報復を描くことで、9.11から起きている世界情勢の愚かさをあぶり出している。
 それは、ミュンヘンも、ニューヨークも、テロへの報復の言い訳にしてはならないのだ。

「うしろ姿」志水辰夫



 7編の人生が詰まっている短編集。
 志水辰夫の短編はいつも長篇ドラマの一部分を読んでいるかのようで、文字として書かれていない登場人物の過去や未来の人生までが読者の脳裏にくっきりと浮かんでくる。
 叙情感あふれるその文体が“シミタツ節”と云われ、この短編集でもいかんなく“シミタツ節”に浸ることができる。

 『人生の終着が見えたとき、人は何を思うか。人の弱さや哀しさ、たくましさを独特の筆致で描き切る』(惹句より)

 初老の逃亡者が人生を振り返る『トマト』は、ハードボイルドな展開のなかに男が関わってきた人間たちとの惜別が描かれる。
 不肖息子が母親のために、父親が借した金を取り戻す『香典』は、母と息子が父親の通夜の日にそっと語り合うラストに胸がつまる。
 『もう来ない』は、16歳で母親を亡くし故郷を捨てた娘が水商売をしながら子を育て、亡くなった母親の年になった頃に故郷の遺骨を引き取りに来る。二度と戻らない地で、わずかな温もりに触れて去る人生。
 危篤状態の姉を見舞いに来た弟の回想から姉弟が共有する過去が浮き彫りになる『ひょーぅ!』。“ことばで伝えられるものなど、ほんのわずかしかない”と突き放しながら、過酷だった人生のただ中に読者は放り込まれる。

  人生を生きていくなかで忘れたいもの、忘れなくてはいけないもの、避けられない哀しみや決断、郷愁と決別、それらが映画のワンシーンのような情景として差し出される珠玉の作品集です。

 あとがきに『この手の作品はこれが最後になります。』と著者の言葉がある。
 これまでに何度となく作風を変えてきた志水辰夫だが、氏と一緒に歩んで来た読者は新しい“シミタツ節”を待ってます。

うしろ姿/志水辰夫
【文藝春秋】
定価 1,600円(税別)

Can't Stop Rollin'

 3月3日の首都圏主要新聞に、ローリング・ストーンズの4月2日さいたま公演が告知され、これで一応は全ての日本公演が決定発表されたことになる。

 今回ぼくは、地元名古屋でのストーンズ公演この1公演だけで満足って気持ちでいた。
 思えば、中学生でストーンズに出会いずっとレコードを買い続けてから、初めて生の姿を見たのが1988年のミック・ジャガーのソロ公演。1973年の幻の日本公演を体験してから15年を要してやっと拝めた姿だった。それも、大阪まで出向いたおりにはミックの風邪が原因で中止になり危うくなりかけた体験も、名古屋での追加公演では前から3列目ほどの好位置での興奮は忘れられない。
 それからわずか2年で、ストーンズ本体に出会えるとは夢のような体験だったのだが、この1990年のストーンズからチケットの価格が10000円を超えるようになったと思う。ちなみにミックのソロのときは6500円で、89年のミック・テイラーは4500円。クラブ・クワトロの最前列で太ったテイラーを見させていただいた。

 1995年『Voodoo Lounge Tour』、1998年『Bridges to Babylon Tour』と据え置かれた価格が遂に、2003年『Licks Tour』で13200円(S席)となったわけで、念願の武道館公演も特別価格だった。ぼくの場合2階A席17000円で十分満足したわけで(偶然にも'71年のZEPPELINを見た席と同じエリアだった)、今回の『A Bigger Bang Tour』は確かに異常な価格高騰である。ダフ屋で購入するような前ブロック55000円に、少し退いたのは確かだ。
 
 実は今回の名古屋公演のチケットは、まだ購入をしていない。
 前回の武道館公演で一区切りついたとしているぼくには、ナゴヤドームならどこの席でも構わない気分なのだ。見ることさえ出来れば………。

 しかし、簡単に気持ちを整理できないのがストーンズなのだろうか。
 さいたまスーパーアリーナが決まったら決まったでアリ-ナのステージが見たくなるのだ。どんなにミックたちが自分たちファンと違うところに行こうとしていようと、彼らに見切りをつけることはできない。価格に見合う演奏は期待できないだろうと分かっていてもだ。

 S席(35000円)1枚を購入して意地を通す事にした。日曜の夜公演だから、翌日(月曜)の朝一番の新幹線で帰名という、武道館の時と同じスケジュールになるわけだ。
 『夜をぶっ飛ばせ!』のシングルを初めて買って以来の関係を、そう簡単に断ち切ることは出来ない。

 惚れた女がどんなに変わっていこうと、その悪女ぶりから逃れることができない。そんなとこだろうか。
 この例え、合っているのかな(笑)。

'78年の映画ノート

◆1978年/邦画マイ・ベスト・テン
01 サード 
02 冬の華 
03 曾根崎心中 
04 帰らざる日々 
05 ブルークリスマス 
06 はなれ瞽女おりん 
07 最も危険な遊戯 
08 人妻集団暴行致死事件 
09 肉体の門 
10 好色五人女

◆1978年/洋画マイ・ベスト・テン
01 帰郷 
02 ミッドナイト・エクスプレス 
03 グッバイガール 
04 結婚しない女 
05 ローリング・サンダー 
06 ミスターグッドバーを探して 
07 未知との遭遇 
08 新・サイコ 
09 ザ・ドライバー 
10 愛のメモリー