TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

心の砕ける音

 北陸の小さな港町を舞台に、性格の対照的な兄弟がひとりの女に翻弄されていく……。

 トマス・H・クックの原作を元にトリックや意外な犯人など登場しないこのドラマは、人間の奥深く潜む業を緻密に描くことでリアルな人物像を創りだし、日本的風土を背景にこころの襞に眠る孤独と哀しみを優しく描いた鄭義信の脚本と佐々部清の演出で、一級のミステリードラマに仕上っている。

 妻子ある弟・耕介(吉岡秀隆)は、控えめで実直だが心の奥底には孤独感を持って生活をしている。兄の洋介(香川照之)は、陽気で情熱家だが刹那的な愛しか知らない。そのふたりの前にふらりと現れた水原早紀(鈴木京香)という女は、自分を語りたがらない謎めいた女性。家財道具が何もなく、持ってきた赤いスーツケースひとつ、ぽつんと置いてある寒々しい早紀の部屋を見たふたりは唖然とし、洋介はその影のある部分に惚れてしまう。兄のために奔走する耕介も次第に、早紀に対して同じ寂しさや孤独の匂いを嗅ぎとっていくことになる。

 ありふれた日常が過ぎていく中で、静かに恋慕の炎が燃えていく様を複雑な心の機微として演じる吉岡クンはまさに“はまり役”。同じように、京香さんのファム・ファタールぶりも彼女以外には考えられない。だから、吉岡くんと京香さんのラヴシーンのなんと官能的なことか。
 早紀の家で扉を挟んで耕介が胸の内をぶつけるシーンも、 男と女の孤独と切なさで狂おしくなる。

 「ぼくの心が骨で出来ていたら、心の砕ける音がしただろう」

 なんて切ない言葉だろう。
 言葉にならない寂しさを抱えたもの同士、寄り添うことはできても報われることはない。
 さよならを云うための探求の旅路の果ては、哀しみへの共感として、見るもののこころに深く静かな余韻を残していく。

 「さよなら」を云えば、もう二度と会えないとわかっている。
 最後の瞬間(とき)を終えたあと、またいつもの日常に戻っていくふたりの後姿は、以前とは確実に変わったはず。
 ふたたび繰り返されていく日々にも、ふたりのラストシーンは明るい。

  ★        ★

 香川&吉岡に絡む女として3人のベテラン女優が出てくるのだが、これが皆さんいいです。危うい男たちと、しっかり地に足をつけた女性たち(アル中弁護士がいますが)という図式だろうか。

 真夏に白いロングコートの水原早紀が現れるオープニングは、同じトマス・H・クック原作のドラマ「緋色の記憶」を思い出し、また、その脚本を書いた野 沢尚の「青い鳥」をも連想するくらい、《運命の女》にお似合いな登場シーンだった。


原作:トマス・H・クック
脚本:鄭義信
監督:佐々部清
出演:吉岡秀隆、鈴木京香、香川照之、鶴田真由、池内博之
   銀粉蝶、絵沢萌子、山口美也子

☆☆☆☆ 2005年2月20日放送/WOWOW/110分

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ツェッペリン初来日

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 1971年9月23日木曜日。
 初めての武道館は2階の南東スタンドの席。中央に下がる日の丸を眺めながら、ステージが遠いことなんか気にならないほどに興奮していた。会場でちらほら見かけたヒッピースタイルが流行りだし、ぼくも髪とヒゲを伸しはじめたこの頃、後楽園球場のGFR公演で大騒ぎをしたとはいえ、本場のロックを聴くのはやっぱりツェッペリンしかないんだと思っていたのだから興奮するのは当たり前だ。開演時間を過ぎてもなかなか出てこないツェッペリンに対して、場繋ぎの故糸井五郎のアナウンスでさえ緊張した声に聴こえたし、会場を埋め尽くした観客も苛立ち、興奮し、騒然とした雰囲気が続いていたのだから。

 遅れること約40分。糸井五郎の“レッドッ、ゼッペリィン!”のアナウンスのあと、ピースサインをしながら登場したメンバーたち。ジョン・ボーナムの音出しからサウンドチェック。上半身裸に丈の短いシャツ姿のロバートの“Good Evening!!”を合図に、いきなりドカンと「移民の歌」でスタート。騒然としていた会場が一気に変わった瞬間だ。思ったとおり、いくら7月のGRFの演奏が大迫力の演奏であっても、ツェッペリンの前ではただのプロローグでしかないことを実感した。
 ロバートのエンジン全開のハイトーン・シャウトを聴けば、ツェッペリンはこの'71年までが全盛期と断言してもいい。実際、翌年10月の2度目の来日ではキーを下げて歌っていたと思う。ジミーはと云えば、1曲目からギターの弦を切るほどのハードぶりだ。曲が終わり、弦を張り替える間のロバートのMC に観客はやんやの歓声である。“All Right?”と声をかけて始まる“ハートブレイカー”のリフのカッコよさ。20分以上もの“幻惑されて”では、ヴァイオリンの弓を持つジミーの姿のなんと崇高なこと。その創造性に溢れた演奏こそツェッペリンだと思った。静寂の中で奏でられる“貴方を愛しつづけて”と、当時まだ未発表だった“天国への階段”。この緊張感のある演奏をツェッペリン以外の誰が出来ようか。
 そして、感動したボーナムのドラミング。武道館の中を反響しながら飛び廻る「モビー・ディック」のドラムソロは、PAの悪さを感じさせないほど重量感に満ちたもので、生でこそ感じられる圧倒さだった。
 アンコールでは観客のパニックで演奏が一時中断し、走り回る観客にロバートが指をさしながらなだめている。3時間近い最高にスリリングな初日公演は、至高の時間としてぼくたちを完全に魅了して終わった。
 これこそがまさに、ロックだったよなぁ。

AERA in ROCK



 『再びの、ロック。』と名打たれた雑誌でありますが、まぁ、70年代ロックおやじ(おばさんも)をターゲットにしたものとしては読み応えあります。
 ペニー・スミスの写真は見たことの無かったものだけに良かったし、ツェッペリン初来日時のプライベート写真も貴重なものです。
 「名盤と名ギター」の記事内で、レスリー・ウエスト(MOUNTAIN)が取り上げられていたのが嬉しかった。なんてったって、ナンタケットでしょう。
 「ロック・スタイリング術」はファッション誌のパロディなわけよね。でもって、ブライアン・ジョーンズの前に写っている男性がシュワちゃんに見えるトリミングには笑っちゃいました。

「恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」*スティーブ・クローヴス

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The Fabulous Baker Boys
監督・脚本:スティーブ・クローヴス
製作総指揮:シドニー・ポラック
音楽:デイブ・グルーシン
出演:ジェフ・ブリッジス、ミッシェル・ファイファー、ボー・ブリッジス

☆☆☆☆ 1989年/アメリカ/109分

    ◇

 ホテルのラウンジや場末のバーでピアノを弾いているベイカー兄弟。15年のプロ生活でもかなりの落ち目。起死回生を願い女性ヴォーカリストのスージーを加えたことで人気が出るが、徐々に三人の関係がおかしくなっていく………。
 ふたりの男とひとりの女の洒落た大人の物語。恋愛映画のような音楽映画のような、ちょっぴりほろ苦く、それでいてスウィートなドラマ。役者と脚本そして音楽が見事にマッチした映画だ。脚本が素晴らしく、三人の人物像がはっきりしているからそれぞれの人物に対して共感を覚える。若くはない男たちと女は、人生を知ってしまっている分お互いに本音を言えないもどかしさがある。それは兄弟の愛でも男女の恋愛でも同じで、その不安と焦りのようなものが三人三様のこころの機微として描かれていく。
 ベイカー兄弟をボー・ブリッジスとジェフ・ブリッジスの実の兄弟が演じていることと、ミッシェル・ファイファーが劇中で見事な歌唱力を聴かせてくれたことでも話題になり、この映画でゴールデン・グローブ賞の主演女優賞を獲得した。実際、ミッシェルの唄声には聴き惚れる。

 兄のフランクは、妻子と郊外に家を持つ中流意識が染み付いた堅実派。現状をなんとか無難に過ごすことを優先し、新しいことへのチャレンジをしようとしない。
 弟のジャックは、人生の目的も見いだせないまま日々無気力に過ごす無頼派。ピアノの腕は兄より上だが、人間関係の術は上手くない。唯一自分が生きていると実感できるのは、飲みにいくジャズクラブでのアドリブ演奏。しかし、それもスージーに逃避だと指摘されてしまう。
 スージーは、学歴もなく蓮っ葉で妖しくセクシーな女性だが、上昇志向が強く冒険的で、自分に正直に生きている“タフ”な女性。自分の意見をズバズバ云う彼女はたびたびふたりと衝突をするのだが、選曲の打ち合わせでフランクと「フィーリング」がパセリ以下だと云い合うシーンなんか面白い。

 クールだけど、少し情けないジェフ・ブリッジスが凄くいい。酔いどれ役(例えば「800 万の死にざま」でのマット・スカダー役)と同じくらい彼にはこういった役がお似合いで、男からみて、格好悪いことのカッコ良さみたいなものを醸し出す男優だ。


「ブルークリスマス」*岡本喜八監督作品



BLOOD TYPE:BLUE
監督:岡本喜八
脚本:倉本聰
出演:竹下景子、勝野洋、仲代達矢、八千草薫、小沢栄太郎、芦田伸介
   岸田森、天本英世、大谷直子

☆☆☆☆ 1978年/日本・東宝/133分

    ◇

 岡本喜八監督が亡くなった。享年81 歳。硬派で、それでいて風刺の効いた活劇映画を得意とした監督だ。
 リアルタイムで最初に観たのは「ダイナマイトどんどん」。「肉弾」「吶喊(とっかん)」「近頃なぜかチャールストン」「ジャズ大名」「大誘拐」など軽快なものばかりで、テレビでしか観ていないが、「独立愚連隊」は最高に面白いアクション映画だった。
そしてこの「ブルークリスマス」('78)は、倉本聰脚本の異色映画。

 UFOを目撃した人間の血液が青くなり、急速にそんな人々が増加してくる。果たして彼らは人間といえるのだろうか。普通ではないと云うことで生まれるのは、迫害と抹殺。
 東宝SF作品なのに特撮はもちろんUFOも宇宙人もいっさい出てこない、倉本聰独特の人間ドラマで1978年のぼくのベスト10中4位だった。興行的には失敗だったようですが……。

SOME GIRLS

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 LPレコードっていうのはヴィニール盤に刻み込まれた音を聴くだけではなく、それを包むジャケットデザインなども大きな魅力なわけであり、ロック系のアルバムはいろいろ凝ったものも多く、同じレコードでも国によってデザインが違ったり、再発で変更があったりと集めだすとキリがない。
 そんな中で、ハマってしまったのがローリング・ストーンズの78年のアルバム『女たち〈SOME GIRLS〉』。広告風イラストの女性の顔の部分を切抜いて中袋に印刷した写真が見えるようにしたジャケットだが、版権問題で顔をカットした修正版と初回のオリジナル版(通常モンロー版という)の2種類がある。モンロー版と修正版では色の濃さが違ったり、国によってバックの配色や文字色が違う。
 ここで、自分が所持しているものを覚え書きとして分類しておこうと思う。

[ON COLOR]
◆ブルー/ピンク/グリーン/イエロー
 ・UK盤……モンロー版/修正版
 ・US盤〈プロモ〉……モンロー版/修正版

◆グリーン/イエロー/ブルー/ピンク
 ・UK盤……モンロー版/修正版
 ・フランス盤……モンロー版/修正版
 ・フランス盤〈ピンクワックス〉……モンロー版
 ・オランダ盤〈オレンジワックス〉……モンロー版
 ・スウェーデン盤……モンロー版
 ・フィリピン盤………モンロー版
 ・日本盤………モンロー版〈THE ROLLING STONESの文字の上半分が白色〉
 ・日本盤………モンロー版〈THE ROLLING STONESの文字の上半分が赤色〉

◆ピンク/グリーン/イエロー/ブルー
 ・イタリア盤〈ピンクワックス〉……モンロー版

[OFF COLOR]
◆イエロー/グリーン/ピンク/ブルー
 ・UK盤……モンロー版/修正版
 ・US盤……モンロー版/修正版
 ・フランス盤〈ピンクワックス〉……モンロー版/修正版

◆ピンク/グリーン/イエロー/ブルー《SOME GIRLS:赤文字》
 ・UK盤……モンロー版/修正版
 ・US盤……モンロー版/修正版

◆ピンク/グリーン/イエロー/ブルー《SOME GIRLS:青文字》
 ・US盤……モンロー版
 
 コンディションの善し悪しもあるため、同じものでも複数所持をしている。
 これ以外にも、イタリア盤で一番上の色が「イエロー」っていうのもあるらしいので、長年探しているギリシャ盤ともども《女たち》の旅はつづくのである。

唄う梶芽衣子

 梶芽衣子さんが好きです。
 去年、クェンティン・タランティーノの「キル・ビル」で再び脚光を浴び、「怨み節」と「修羅の花」がCDシングルで再発されたり、レーベル を超えての全曲集のアルバムが発売された。なかでも一番嬉しかったのが、テレビ東京で放送された「なつかしの歌・年代別ベスト3」(みたいな番組)で、20年ぶりにテレビで唄ったことだろう。一段と凄みが効いた唄いっぷりでした。
 また、久々の現代劇で連続ドラマ「あなたの隣に誰かいる」も良かった。怪しい素振りの母親役だったが、キリリとした姿はさすがに格好いい。

 梶さんの歌は、“怨み一筋生きていく”“怨みの川に身をゆだね 女はとうに捨てました”と唄うように、情念の怨歌が代表になっているが、70年代末、流星を極めていた宇崎竜童&阿木燿子コンビで作られた「残り火」「欲しいものは」「袋小路三番町」なども結構いいのである。



 上記写真の右側は、梶さんの妹・太田とも子の2枚目シングル。A/B面とも、D.T.B.W.Bでブレイクする前の宇崎竜童が作曲している。梶さんの「野良猫ロック」シリーズの中で姉妹共演もありました。

「レイ」*テイラー・ハックフォード



Ray
監督:テイラー・ハックフォード
出演:ジェイミー・フォックス、ケリー・ワシントン、レジーナ・キング
   リチャード・シフ、シャロン・ウォレン、カーティス・アームストロング

☆☆☆☆ 2004/アメリカ/152分

    ◇

 冒頭、鍵盤を叩く指から奏でられる「ホワッド・アイ・セイ」のフレーズに心踊らされ、続くアトランタの色鮮やかな風景と、木からぶら下げられた色とりどりなガラスビンの幻想的な画面が目に焼きつく。このガラスビンの色彩とそれらが触れ合う音こそ、レイの原風景となり彼の音楽の源となっているのではないだろうか。

“ソウル・ミュージック”という音楽はレイ・チャールズによって創りだされた、という事実にあらためて気づかされる。ゴスペル(神への讃歌)とブルース(男女の愛の歌)を融合させることで黒人音楽を変革したレイの偉大な功績なのだ。当時こんなことが物議を呼んだとは、今では考えられない。
 そして、レイの音楽は彼の魂(ソウル)そのものだったこと、生きてきた人生そのものだったということ。結婚する妻への喜びの歌「ハレルヤ、アイ・ラヴ・ハー・ソー」。最初の愛人へ捧げたのが「メリー・アン」。ふたりめの愛人との別離では「旅立てジャック」。「アンチェイン・マイ・ハート」はこころの叫び。そして、故郷への郷愁を唄う「ジョージア・オン・マイ・マインド」。今まで聴き親しんできた曲もあらためてその背景を知ると、こんなにも純粋で素直な歌だったのだと驚き、力強くピアノを叩く彼の姿に感動する。

 レイの生涯は、7才にして弟の死と失明そして貧困と差別と、あまりにも過酷な運命を背負うことからはじまっている。労働者階級の人間が這い上がる(金持ちになる)には、ギャングになるかエンターティナー(スポーツや音楽)になるかのどちらかで、音楽に関して生まれ持っての“天才”だったレイにしても、神と悪魔の狭間をゆく苦悩の旅をつづけたようだ。母親の厳しい教育がレイの根本にありながら、弟の死というトラウマから悪魔(麻薬)に身を売ることにもなるが、レイは悲劇(差別・離別・中毒など)も音楽への糧にするという意思の強さで乗り越えている。

 映画は、レイに扮するジェイミー・フォックスがとても素晴らしい。レイ本人を見ているような錯覚におちいるほど迫真の演技だ。
 そして、レイに関わる4人の女性たちの演技も見逃せない。特に母親役のシャロン・ウォレン。アトランタの美しい風景の中で、凛として輝く女性像を力強く見せてくれる。
 レイの音楽スタイルを確立する弱小レコード会社(アトランティック)の重役とのエピソードは、レイを取り巻く人々のなかでも一段と魅力的だ。スピリッツ感あふれるレコーディング風景は非常に生々しく、ステージでの演奏シーンよりもドキドキする。鍵盤の一音が鳴るたびに自然と身体がスウィングする、何度でも観たくなる映画だ。

伝説のGFR日本公演

 1971年7月17日。
 グランド・ファンク・レイルロード(以下GFR)の日本公演が後楽園球場の特設ステージで催された。今のように 簡単に外国に行ける時代ではなく、ましてや海外ロック・アーティストが来日するなんて夢のような時代。'70年の暮れ東京日劇で行われたロックカーニバ ルの第1弾、ジョン・メイオール来日公演に続いて二度目に経験したロックコンサートだった。友人とともに後楽園球場に着いたときには、オープニング・アクトの麻生レミの歌声が聴こえていた。そしてこのコンサートが、後々ロックファンの間で“伝説”として語り継がれることになる。

 前座バンドの演奏も終わり、いよいよGFRのお出ましという時、いままで晴れていた空の雲行きがあやしくなってきた。ポツポツと降り出した雨は突風と稲妻を引き連れ、遂には雹(ヒョウ)を混じえた土砂降りの雨となり、近くに停まっている車のボンネットに音をたてて叩き付ける。さすがのハードロックバンドであるGFRも、演奏開始時間を大幅に遅らせざるえなかった。そして、豪雨の中で待たされる観客には興奮するに十分な効果となり、球場の外にいるチケットを持たない約2000人のファンの興奮も、いやがうえにも盛り上がっていた。後楽園球場には何やら不穏な空気が充満していたことは確かだった。
 待つこと1時間ちかく。開始の「ツァラトゥストラはかく語りき」が場内に響き渡り、ずぶ濡れの30,000人以上の観客の歓声と怒号の中、「Are You Ready」でコンサートはスタートした。セットリストはその後「Paranoid」「Heartbreaker」とつづき、アンコールが「Inside Looking Out」。たしか5~6曲ぐらいしか演奏をしなかったが、とてつもなく熱いコンサートだった。

 “伝説”と云われる所以は、この雷雨のなかでの大音量による演奏だけではない。三塁側ゲート近くのシャッターが壊され、会場になだれ込むファンで騒然となった公演でもあったのだ。会場の中からゲート破りを誘導した数人のファンの中に、小・中学校の同級生がいたことは後年知った。そしてぼくの“伝説”の実体験は、なだれ込むファンの中にいたということだ。東京に来て1年目。チケットを入手しないまま、とにかく噂の大音響バンドの生の音を会場の外からでもいいから聴きたい、という思いだけで後楽園球場に来ていた。
 真夏の夜の狂乱は、翌日の新聞の『ファンが暴徒化して会場に乱入。機動隊出動で乱闘騒ぎ』のタイトルで締めくくられた。

 こんな噂もある。感電を恐れたGFRの3人は、テープ録音の曲に合わせての口パクだったというものだ。今のように大スクリーンがあるわけではなく、ましてやグランドに観客席はなく、二塁ベース付近にセットされたステージを内野席の遠くから観ているだけのコンサート。さて真意のほどは。
 どちらにせよ、日本に定着する本格的な外タレ・ロックコンサートはこの伝説から始まり、いよいよ二ヶ月後にレッド・ツェッペリンが来日する。
 今度はちゃんとチケットを買ったのは云うまでもない。

STEIFF : 1906 BLOND 43



10月のロンドン 偶然に彼と再会した

日本で なにげなく入った店に彼は居た
何度か通っていたのだが 彼を連れて帰ることは出来なかった
そしてある日 彼はいなくなった

それから半年
きれいに澄みきったポートベローの空の下
ポツンと座っている老婆のとなりに
彼は居た

◆シュタイフ社製 1994年の限定レプリカ(オリジナルは1906年)

「パッチギ!」*井筒和幸監督作品

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監督:井筒和幸
原案:松山猛
音楽:加藤和彦
出演:塩屋瞬、高岡蒼佑、沢尻エリカ、楊原京子、真木よう子、光石研、
   笹野高史、オダギリジョー、余貴美子、前田吟、キムラ緑子、大友康平

☆☆☆☆ 2004年/日本/119分

        ◆

 戦いを征するには闘いだ。

 熱き青春の血潮がたぎるのは、遮二無二に向かっていく相手がいるからで、民族の壁って云う姿の見えないようなものには、どうしょうもなく無力だ。でも相手を理解することはできる。
 このベタな大青春物語は、喧嘩でも恋でも相手に怯むことなく懐に入らなければ何も進まないことを教えてくれる。大人(国家)が勝手にこしらえた不条理事を、嘆き哀しむだけの話じゃない。そんなもんニの次ぎでもいい。大事なことは、隔たりを乗り越えるためにわかり合おうとする姿勢だ。

        ◆

 舞台は1968年の京都。日本の高校生と朝鮮高校に通う生徒たちとの、喧嘩と恋愛と友情の日々を描いた青春群像劇だ。敵対する朝高へ親善サッカーを申し込みに行く主人公・康介は、そこで吹奏楽部でフルートを吹く少女に一目惚れをする。彼女が奏でていた曲「イムジン河」にも心奪われるのだが、彼女は朝高の番長アンソンの妹キョンジャだった。民族の壁に戸惑いながらも、康介はギターを練習して「イムジン河」を歌うことを決める。
 毎日毎日くだらないことで喧嘩をくり返すアンソンたちとも次第に心通うことになる康介だが、彼らとの間には常に深い河が存在している。彼らが心を許し合うようになっても、大人たちの世代は簡単に許してはくれない河が流れていた。
 在日朝鮮人が康介に日本人に対する恨みつらみを淡々とときに激しく語る言葉は、日本人全員が受け止めなければならないことだ。そして、在日のひとたちから丁寧に頭を下げられるときのショックは強烈だ。康介の母のように、息子が連れて来たキョンジャらに向ける冷たい眼差しなど、その頃の当たり前の日本人だったと思う。飄々と政治を語りフリーセックスで愛と平和を説く酒屋の兄ちゃんみたいなのも居た、と思う。

 この映画、冒頭からツボにはまり68年を同時代として送った世代には懐かしい。グループサウンズのオックスや赤松愛。マッシュルームカットに11PM。高校二年生の康介を自分自身に投影できる。当時の僕が民族や部落の問題を知ったのは、「チューリップのアップリケ」や「手紙」といったプロテスト・ソングからで、康介と同じようにギターを弾きながら「イムジン河」や「悲しくてやりきれない」も口ずさんでいた。

 鴨川をはさんでの大乱闘シーンからふたつの話が交差していくクライマックスシーン、傷ついた康介がラジオ局で熱唱する「イムジン河」に、僕の涙は止まらなかった。



なにわバタフライ



 少し前だが、三谷幸喜脚本・演出の一人芝居を観てきた。
 浪花の喜劇女優「ミヤコ蝶々」をモチーフにした女一代記を、おもろくも哀しく演じるのが三谷さんの大のお気に入り女優・戸田恵子。一人芝居の台詞の量 は膨大で、とにかく戸田さんの力量を見せつけられる芝居だ。
 一人芝居というと、加藤健一、白石加代子、渡辺美佐子、風間杜夫、市村正親と数々の名舞台があるけれど、残念ながら一度もそれらを観劇したことがな く、唯一毎回欠かさず観ているのがイッセー尾形の舞台。
 イッセーさんの一人芝居のアプローチも独特なのだが、今回、三谷版一人芝居はいろんな仕掛けが満載されている。小道具の使い方が面白く、セットの中に 置かれている数々のモノが全然別のモノとして早変わる、ある種ビックリ箱的工夫は実に楽しかった。生で演奏される音楽と効果音も、登場する人物を魅力的に見せるアイデアとして実に効果的だった。

 戸田さんが会話する“登場しない”登場人物たちとの掛け合いの妙は、戸田さんの演技力に尽きる。相手の言葉の反復作業がないことで、観客は戸 田さんと話す相手の台詞を考えながら観ることになるわけだが、その“見えない登場人物”の姿が、不思議とだんだんと見えてくる。そりゃあ魅力 的な人物像で、素晴らしい会話劇のホンに仕上がっている。
 連射砲のごとく飛び出す難しい関西弁もそれほど不自然さもなく(浪花っ子が聴いたらどう思うかは判らないが)、とにかく彼女のパワーとテンションが観る者を圧倒していく。終盤“記者”を飲みに誘う辺りからは、威勢のいいしゃべ くりやサングラスを掛けた戸田さんの姿が、野川由美子さんそっくりに見えてきて、うっかりすると誰の舞台なのか判らないほどの浪花の女になりきってい た。

 三谷コメディとは思えないようなストーリ展開も、いつの間にか三谷流の術中にはまり、後半の“はるちゃん”の登場が大いなる伏線となり最後の仕掛けに なる。果たして、“一人芝居”でしか出来ないオチである。

 さて、劇中で“ぼん”が出すナゾ掛けがある。

・兵隊さんとかけて 温泉に入ってのぼせた猿の親子ととく 
・カミナリ親父とかけて ミカンを食べ過ぎて手が黄色くなった猿の親子ととく
・花嫁とかけて アメリカ産まれの日本猿ととく

 そのこころは観客が推理するしかなさそうだ。三谷さんらしいナゾを残したまま、いつかどこかで解答が出されるのだろうか。

 三谷さんの巧みさと、戸田さんの変幻自在ぶり、そして、蝶々さんの波乱万丈な人生に敬服。

◆東京公演:パルコ劇場 2004年12月22日~2005年1月26日
◆大阪公演:シアタードラマシティ 2005年2月2日~13日

こんな風に過ぎていくのなら

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タイトルの「こんな風に過ぎていくのなら」は、ブルース・シンガー浅川マキの《裏窓》というアルバムのA面1曲目に入っている歌だ。同時にエッセイ本 のタイトルでもある。
 気ままに、こんな気持ちで過ごしたい僕の思いでもある。

 で、はじめてマキさんを知ったのは、漫画家・真崎守の「袋小路」という作品の中に引用されていた詩を読んだのがきっかけだ。1969年当時はよく永島 慎二や手塚治虫らの真似をしながら漫画を描いていて、その中のひとり、真崎守の暗いストーリーに感化されていた時期に出会ったのが寺山修司の「かもめ」という詩だっ た。真崎さんは他にも「夜が明けたら」「ちっちゃな時から」などを題材に作品を描いていた。それがきっかけでマキさんのレコードを聴くようになり、彼女 のモノクロームの世界にどっぷり漬かる青春が始まった。(暗いなぁ~笑)

 マキさんの歌はたしかに暗い。唄うというよりは物語る世界。酒と煙草とけだるい黒の世界。ブルースにつきものの、やさぐれて、落ちぶれて、捨てられ て、流されて、孤独と不安を表現する彼女だ。ただ、突き放されるような暗さではなく、真っ暗な闇の中でも真っ黒ではなく、うっすらと光のグラデーション が見えるような世界観なのですよ。ブルースからジャズ、シャンソンの「暗い日曜日」を唄うとおもえば、ロッド・スチュワートまで唄うマキさん。まぁ、実際に聴 いてみないことには感じることのできない世界なのだが、一度聴くと“ちょっと長い関係”になる。
 マキさんの数ある曲のなかで好きなのが「裏窓」だ。これも寺山さんの詩。バタンバタンと、閉じては開く扉から女と男の世界が見えてくる。「ブルー・スピリッ ト・ブルース」「暗い眼をした女優」「ちょっと長い関係のブルース」もクセになる。
 いまでも不定期ではあるがジャズ喫茶でライヴをおこなっている彼女。初期の名盤はほとんど廃盤状態 だが、どうやら今年、「闇のなかに置き去りにして」('98)以来の新作を予定しているらしい。
 時代とは関係のないところで唄われる歌。ひっそりとでいいから、沁みる唄声をいつまでも聴かせてほしい。