TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「ダディ・クール」鎌田みゆき


DADDY COOL / MAMA ROCK'N ROLLER
鎌田みゆき◆ ダディ・クール/ママはロックンローラー 1984年

 2016年GWのレコードフェスで入手した1枚。
 1984年9月リリースの鎌田みゆきのデビュー・シングルで、ツッパリ歌謡路線のひとつだが、両面とも作詞ちあき哲也、作曲宇崎竜童の作品だというのが肝。

 ちあき哲也と宇崎竜童のコンビといえば、まだ両氏がプロになる前の1970年、太田とも子への楽曲提供で鮮烈な印象を残してくれたお二人。このコンビで作った曲は数少ないはずで、知る限りでは太田とも子の「とおく群衆を離れて」「恋はまっさかさま」「ねむいのは悲しいからさ」の3曲と、大橋恵子のデビュー曲「愛の教室」くらいしか思い浮かばないのだが……。

 追記:1973年にリリースされた、いとのり かずこのアルバム『いとのり かずこの世界』にこのコンビによる楽曲が収録されている。「わたし流れ花」と「何て孤独な朝」の2曲、どちらも演歌風な小ブシが聴かれるものの歌唱力のしっかりしたやさぐれ歌謡の佳曲。

 この鎌田みゆきのシングルは、売れっ子になってからの二人がふたたびコンビで作った作品。そう言う意味で、買わずにはおけない盤だ。
 中森明菜の不良少女路線を再現するかのようなアイドル感と、どことなく寺島まゆみ似のシャープな声で叩きつける歌唱は、ツッパリ歌謡の王道を高飛車に疾走しているかのようだ。

 鎌田みゆきは、1984年4月公開のにっかつエロス大作『夕ぐれ族』(監督曽根中生/春やすこ、松本ちえこ)に出演しており、歌手デビュー後には同じくロマンポルノの『ヴァージンなんか怖くない』(監督那須博之)で主演を務めている。この後、テレビドラマにも何本か出ていたようだ。


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「ミオ・ミオ・ミオ」たちばな麻紀


たちばな麻紀◆ ミオ・ミオ・ミオ(忘れられない貴方)/私は一人 1984年

 「ミオ・ミオ・ミオ」は、「釜山港へ帰れ」のチョー・ヨンピルが1982年にヒットさせた韓国産歌謡曲。
 日本の多くの歌手(青江三奈、八代亜紀、北原ミレイ、小金沢昇司、美川憲一、渥美次郎ら)も歌っているこの曲を、“たちばな麻紀”名義で1984年3月にリリース。「レコード・マンスリー」にも記載されているので、これは正規にキング・レコードから発売されたものだ。
 B面「私は一人」は自主制作盤「わたしは女」のB面と同じもので、発売はこちらの方が先なのかもしれない。

 80年代になってからはテレビの時代劇「悪党狩り」とか「斬り捨て御免!」などに名前が残っている橘麻紀。その後の活動はあまり知られていないのだが、1990年にはCBSソニーから、歌謡曲まっしぐらに「麻紀の夢は夜ひらく」や「津軽海峡冬景色」「時には娼婦のように」などを収録したLP「盛り場演歌」をリリースしている。いつか見つけたい1枚である。

★「汽笛が泣いている」加納エリ子★
★「わたしは女」橘麻紀★

「わたしは女」橘麻紀


橘麻紀◆ わたしは女/わたしは一人 198?年

 1970年代の東映プログラム・ピクチャー女優の橘真紀。『県警対組織暴力』(’75)以降は、加納エリ子から2度目の改名橘麻紀として活躍。

 このシングル盤は、キング・レコードの自主制作歌謡NCS品番シリーズとしてリリースされたもの。
 たまたまデッドストックになっていたものを見つけたのだが、どういった流通で発売されていたのか詳しいことはまったくわからないし、発売年さえ不明。多分、1980年代中頃にリリースされたものと推測する。

 ♪私も女 恋するわ 私も女 夢を見たの
    抱いて 抱いて 抱いて 甘い甘い言葉で

 「わたしは女」は、インパクトのあるリフレインが甘く耳に絡みつく歌唱で、リズミックなフェロモン歌謡になっている。
 「わたしは一人」は、演歌フォーマットの王道をゆく聴きごたえある歌謡曲。


 橘麻紀の歌声が聴ける『極道社長』(’75/監督中島貞夫、主演若山三郎)の劇中歌「酔いどれ女の流れ歌」(みなみらんぼう作詞作曲、加藤登紀子、森本和子歌唱)はレコード化には至っていないが、現在ではCD「中島貞夫の世界~鉄砲玉の美学」の中に収録され、貴重な音源となっている。
 あと貴重なものとして、三上寛プロデュース、坂本龍一がアレンジを担当したピラニア軍団のアルバム(’77)に「菜の花ダモン」という歌を収録しているのだが、これは残念ながら未所持だ。

★「汽笛が泣いている」加納エリ子★

「汽笛が泣いている」加納エリ子


加納エリ子◆ 汽笛が泣いている/太陽が沈むまで 1972年

 1970年代に東映のプログラム・ピクチャーで活躍した女優の橘真紀。
 彼女が女優になる前に、加納エリ子名義で歌手として1972年5月にリリースしたのがこのデビュー曲「汽笛が泣いている」。千家和也の作詞、都倉俊一作編曲によるビート感あふれるグルーヴ歌謡の逸品だ。

 都倉俊一といえば、山本リンダのアクション・グラマー路線で一時代を築くことになるのだが、「どうにもとまらない」のリリースと同時期のこの曲は、リズムとメロディ構成などに同様なものがあり、やはり同じ年にリリースされた千家和也とのコンビによる恵美「犯ちは一度だけ」とイメージが似ている。
 加納エリ子の美脚に1億円を掛けたプロモーションが行われたが、同年代の山本リンダや夏木マリ、安西マリアなどのようにパフォーマンスや攻撃的な歌唱が伴えば、もう少し世に知られていたかもしれない。

 B面「太陽が沈むまで」も千家和也作詞、都倉俊一作編曲で、こちらは完全なるアイドルポップス。路線が定まっていなかったことは明白で、歌が上手いだけに惜しいところ。加納エリ子としてのシングルリリースは、2枚で終わっている.


 1973年、加納エリ子(本名折笠春江)は橘真紀と改名し東映の女優に転身。
 映画初出演の『ジーンズブルース 明日なき無頼派』(’74)では、梶芽衣子と渡瀬恒彦を執拗に追いかける4人組として、室田日出男、川谷拓三、内田良平らに囲まれ存在感を示していた。内田相手にヌードも辞さぬビッチぶりと、ラストに梶芽衣子のライフルに倒れる見事な死にざままで、その存在は鮮烈だった。
 その後、東映大部屋俳優たちが集まったピラニア軍団唯一の女性メンバーとして(女ピラニアとか御巫女と呼ばれる)、深作欣二、中島貞夫らの作品に多数出演している。

 深作欣二監督『仁義なき戦い 完結編』(’74)では金子信雄の情婦、『新仁義なき戦い』(’74)では若山三郎の情婦と、女ピラニアの名をほしいまでに脇役の重要ポストを担っていたが、『県警対組織暴力』(’75)では成瀬正孝を匿うホステス役で、アパートを襲撃されテレビから「こんにちは赤ちゃん」が流れる部屋のなかをもんどりうって逃げ惑うシーンは印象深い。

「最後の一時間」范文雀


范文雀◆ あなたが憎めない/最後の一時間 1971年

 1971年2月にリリースされた范文雀のレコード・デビュー作だが、この「最後の一時間」はB面曲で、作詞:なかにし礼、作曲:中村泰士。

 裏ジャケットに魅了され購入したこのシングル盤は、太ももを露に鋼のように射す眼差しからもわかるように、そのアダルトな肢体から発せられるクールな歌唱が素晴らしい昭和歌謡である。

 “ハン・ザ・摩耶”の芸名でTV「プレイガール」に出ていた頃から気になっていた范文雀を、映画でそのエキゾチックな容貌を十二分に堪能したのが「野良猫ロック」シリーズとなるわけで、梶芽衣子とともにクール・ビューティーの虜になったのは至極当然なこと。そしていつしか、同じ魅力で従妹となる余貴美子のファンになったのも必然だった。
 2002年11月、悪性リンパ腫からの心不全によって亡くなる。享年55はあまりに早すぎた。

 ちなみにA面「あなたが憎めない」は、「サインはV」のジュン・サンダース役や「アテンションプリーズ」で人気を博した彼女が、ふたたび中山仁と共演した「打込め!青春」の主題歌。作詞は久仁京介、作曲は薊けいじで、サスペンスフルなポップス系歌謡曲となっている。
 

「女優」増田惠子


増田惠子◆ 女優/くれないチャイナタウン 1984年

 1984年6月にリリースされたケイの4枚目のソロシングルは、事務所移籍とともにレコード会社もワーナパイオニアからフォーライフへ移籍し、名前も〝けい子〟から〝惠子〟に変えての第1弾。

 A面「女優」は作詞・作曲が桑田佳祐。
 ソロ・デビューから3作を中島みゆき、松任谷由実、竹内まりやとニューミュージック路線で歌ってきたケイが、今回はしっとりと、桑田佳祐流の歌謡曲を歌う。
 これはTV『欽ちゃんのどこまでやるの?』の劇中劇から生まれた曲なのだが、ヒットには繋がらなかった。

 この年は同じ6月にMIEが「NEVER」をリリースした。これはTV『不良少女とよばれて』の主題歌として大ヒット。コンビを離れてお互いそれぞれの道を歩んでいたふたりだが、ここにきてMIEはソロ・デビューの雪辱を果たしたことになる。ケイへの想いは如何にってところだが、やはり、この頃のふたりの仲は最悪だったという。

 B面「くれないチャイナタウン」は作詞が峰岸未来、作曲は佐藤準。
 ベンチャーズ歌謡を思わす軽快なビート歌謡で、実は「女優」よりこちらの方が断然好きだ。

「蒲田行進曲」松坂慶子・風間杜夫・平田満


SONG OF THE VAGABONDS / Stars On KAMATA
松坂慶子・風間杜夫・平田満◆ 蒲田行進曲/蒲田組曲 1982年

 1982年10月にリリースされたサウンドトラック・シングル。
 深作欣二監督作品『蒲田行進曲』は原作者のつかこうへい自身が初シナリオ化したもので、撮影所を舞台に華のある役者〝銀ちゃん〟(風間杜夫)と大部屋役者の〝ヤス〟(平田満)と、ふたりの間で揺れ動く女優〝小夏〟(松坂慶子)が繰り広げる映画製作の舞台裏を描いた傑作。
 松坂慶子がもっとも輝いていた時期、風間杜夫はロマンポルノ以外で主演格の映画は初めてだったろうし、もちろ平田満も同じく舞台以外で初めて認知された作品。
 3人が歌うオープニング曲「蒲田行進曲」から、エンディングの「恋人も濡れる街角」(桑田佳祐作詞作曲、歌・中村雅俊)が流れるまで、映画のエンターテインメント性がいっぱい詰まっている。

 演奏者に〝深作欣二& KAMATA ORCHESTRA〟と明記されたB面「蒲田組曲~Stars On KAMATA」は、劇伴「蒲田行進曲」「別れの決意」「Drive In The Night」「小夏 My Love」「恋人も濡れる街角」をディスコ風にメドレーで繋いだ楽曲で、冒頭「さぁ、いこか……よ~い、スタート!」と深作欣二のかけ声ではじまる。


 松竹蒲田撮影所を舞台にした映画『蒲田行進曲』は、プロデューサーの角川春樹は当初東映に企画を持ち込むものの、東映・岡田社長の「当たらない」のひと言で松竹が製作することになるのだが、監督は東映の深作欣二ということで軋轢を避けるために撮影所は東映京都撮影所で敢行されている。
 のちに松竹の野村芳太郎監督が、我が蒲田撮影所を舞台にした作品を東映の監督に持って行かれたと嘆き、1986年に『キネマの天地』をプロデュースしたと云うわけだ。

 映画の初公開は1982年10月9日で、初見は11月8日。
 1982年度のマイベストテンを並べてみるとこんな具合……
 さらば愛しき大地
 野獣刑事
 TATTO0〈刺青〉あり
 蒲田行進曲
 水のないプール
 疑惑
 悪魔の部屋
 生きている小平次
 キッドナップ・ブルース
 誘拐報道

 1982年度の日本アカデミー賞、キネマ旬報賞では主要部門を独占し映画も大ヒット……1983年3月には森崎東監督の新作『時代屋の女房』の併映作としてアンコール上映がされ、2度目の鑑賞に至った。

1982_蒲田行進曲

 しかし、そのあおりを喰ったのが本来『時代屋の女房』の併映作だった根岸吉太郎監督の『俺っちのウエディング』で、上映は1ヶ月後に伸びたと記憶する。

1983_時代屋の女房