TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「ハンナとその姉妹」*ウディ・アレン

hannahandhersisters_pf.jpg

HANNAH and HER SISTERS
監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン
出演: ミア・ファロー、ダイアン・ウィースト、バーバラ・ハーシー、ウディ・アレン、マックス・フォン・シドー、マイケル・ケイン、キャリー・フィッシャー、モーリン・オサリバン、ロイド・ノーラン
☆☆☆☆★ 1986年/アメリカ/103分

    ◇

 人生の機微をベースに「生と死」「愛」「家族」「欲望」「不貞」「出産」「宗教」「芸術」など普遍的テーマを、ウディ・アレンならではの皮肉とユーモアを効かせて描いた一大家族群像劇。
 三姉妹の人生と恋愛、彼女らに絡む男たちの愚かで滑稽な姿をオムニバス風に、小説の頁をめくるように16の章に分けて各人のモノローグで展開していく構成で、生き生きとしたニューヨークのロケーションと、クラシックとジャズのスタンダード・ナンバーをあふれるくらいに敷き詰めた、見応え聴き応え充分な傑作である。


 オープニング・クレジットに「You Made Love You(恋のとりこに)」が流れ、つづいて聴こえてくるハリー・ジェイムスの「I've Heard That Songs Before(いつか聴いた歌)」に惹き込まれ、第1章はバーバラ・ハーシーの顔のアップではじまる。
 
 元俳優という芸能一家の感謝祭の家族パーティ。
 長女ハンナ(ミア・ファロー)は、『人形の家』のノラを演じ絶賛されるほどの女優でありながら主婦業もこなし、夫エリオット(マイケル・ケイン)と平穏な家庭を築いている。
 次女のホリー(ダイアン・ウィースト)は売れない女優。何をしても熱して冷めやすく、恋愛も仕事も中途半端で、ハンナにはライバルというよりも姉の才能に嫉妬心でいっぱい。
 三女のリー(バーバラ・ハーシー)は、厳格な歳の離れた画家フレデリック(マックス・フォン・シドー)と同棲中。
 父親(ロイド・ノーラン)が「Bewitched(魅惑のとりこに)」をピアノで奏で、母親(ミア・ファローの実母モーリン・オサリバン)がピアノの横で口ずさんでいる。
 パーティで久しぶりにリーに会ったエリオットは、彼女の若々しい魅力に惹かれている。中年男の浮気心……不倫の予感だ。

 ある日、ハンナの家に別れた元夫ミッキー(ウディ・アレン)がやって来る。ミッキーに子種がないことで人工授精で作ったふたりの子供たちがおり、その誕生日にプレゼントを持ってきたのだ。別れたとはいえ、今はよき友人として付き合っているミッキー。自分が病気なのではないかと悩む病気恐怖症だ。このあたり、メロドラマ的展開に笑いのスパイスを加えるウディの自己描写が面白い。
 ハンナの子らとして全員ミアの実の養子たちが出演していたり、ミア自身のアパートがそのままハンナの家として使われ、なんともウディの実日常そのままが描かれる態のようだ。

 さて、エリオットはリーに近づいていく。
 エリオットが偶然を装うためにソーホーの街なかを走り回るシーンとか、詩集を贈ったり、フレデリックのアトリエでキスを迫るシーンとか、妻の妹への気持ちと彼女へのアプローチにドキドキする男の不器用さと滑稽さには笑ってしまうのだが、どこか自分にも当てはまることに気づかされる。男ならこんな感覚って、みんな持っているのではないかと共感できる描写だ。
 エリオットの気持ちとして甘いムードに合わせレコードプレイヤーからバッハの「ラルゴ」が流れ、リーの戸惑いは揉み合った拍子に針が飛び「アレグロ」に変わるといった見事なBGM変換。この「チェンバロ協奏曲第5番~ラルゴ」はミレーユ・ダルクの傑作『恋するガリア』('65)のテーマとしての印象が強いが、ここではリーのテーマ曲として何度も流れてくるのが印象深い。

 実はリーの方も、厳格で排他的なフレデリックとの生活に息苦しさを感じているので、ふたりがベッドインするには時間はかからないのだが、そのあとのふたりの思惑の違いがまた可笑しい。
 エリオットにとって妻ハンナは心の休まる大事な存在だから「ああ、俺は何てことをしてしまったのだ」と思い悩み、真夜中に電話でリーに今日のことは無かったことにしようと伝えようとするのだが、その矢先にリーの方から先に電話があり「あなたのことを考えてる。今日はステキな日だったわ」なんて言われてしまうと、エリオットも「わたしもだよ」と言ってしまう。ここにも、平凡な男の愚かさに共感してしまう。

 プレイボーイで名高いマイケル・ケインが、不倫にウブな男を演じる可笑しさ。これは見事なキャスティングだが、当初はジャック・ニコルソンにオファーされたという。しかしJ・ヒューストン監督の『女と男の名誉』の撮影に入ったために、マイケル・ケインに白羽の矢。
 ジャック・ニコルソンは『女と男の名誉』でアカデミー賞主演男優賞にノミネートはされたが受賞はできず、マイケル・ケインはこの作品でアカデミー賞助演男優賞を見事受賞している。何が功を成すかわからないものだ。

 もうひとり滑稽な男ミッキーは、病気に関して誇大妄想になり本格的に検診を受けるが、結果はまったくの健康体。それが逆に虚しくなり、人生の意味を考えるような心の病に陥ってしまう。自殺用のライフルを買い求めたり、ユダヤ人なのにカトリックに改宗しようとしたり、ウディの右往左往ぶりが大いに笑えるのだが、これもまたどこか共感するところがあり、つくづく人間ってだらしない存在だと思うのである。

 コカイン中毒でパンク・ロックが趣味、歌がヘタなのにミュージカルのオーディションを受けるホリー。独身で自由気ままに生きているが、一見奔放そうで実は繊細で傷つきやすい性格の持ち主。このホリー役を、ダイアン・ウィーストがとてもチャーミングに演じている。結果、アカデミー賞助演女優賞のほか数々の賞を手にしているのも嬉しい。

 ホリーは女優を諦め戯曲を書きはじめる。
 エリオットとの関係を断ち大学に戻ったリーは、教授と仄かな恋に落ちる。
 ハンナは、エリオットと口論をするものの、夫への愛は変わらない。
 ミッキーはホリーと街で再会し、楽しく語り合う時間をもつ。

 「人生に答を求めてはいけない。神はいなくても、人生は生きて死ぬだけ。本気で悩むようなことはないのだから、暗い人生をおくることをやめ、命のある限り“今”を楽しめばいい」
 ミッキーがマルクス兄弟の映画から生き方を悟ったことをホリーに語るシーンは、セントラルパークの紅葉が美しい。

 ラストシークエンスも感謝祭パーティ。
 ハンナの父親と母親、ハンナとエリオット、リーは新しい恋人を連れ、ホリーはミッキーと結婚。

 「素晴らしいドラマだ。姉との結婚に破れた男が、何年か経ってその妹と結婚する」
 「ハートって、とても弾力性のある筋肉だね」

 ホリーがミッキーに「妊娠したの」と告げて映画は終わる。

 開き直りこそ、人生のラビリンスを楽しむ術だ。
 「人生捨てたものじゃない」と結論づけるウディ・アレンの前向きさが気持ちよく、エンディング・テーマはふたたび「I've Heard That Songs Before(いつか聴いた歌)」が聴こえてくる。

 後年、ウディ・アレンはいくつかのインタビューにおいて『ハンナとその姉妹』のエンディングは最悪だと語っているが、入り乱れた人間関係を軽いコメディで温かく描くウディ・アレンの悲喜劇はやはり素晴らしいと思うのだが。

1987-04_ハンナとその姉妹

[ウディ・アレン作品]
★アニー・ホール★
★インテリア★
★マンハッタン★
★ブロードウェイのダニー・ローズ★
★カイロの紫のバラ★
★マンハッタン殺人ミステリー★


★恋するガリア★

スポンサーサイト

「カイロの紫のバラ」*ウディ・アレン

thepurpleroseofcairo_pf.jpg

THE PURPLE ROSE OF CAIRO
監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン
撮影:ゴードン・ウィリス
音楽:ディック・ハイマン
出演:ミア・ファロー、ジェフ・ダニエルズ、ダニー・アイエロ、ダイアン・ウィースト
☆☆☆☆ 1985年/アメリカ/84分

    ◇

 ショウビジネスへのノスタルジアをかき立てた『ブロードウェイのダニー・ローズ』につづいて発表された本作は、映画への愛にあふれたファンタジー・ロマンスとして、すべての映画ファンを幸せな気分にさせてくれる作品になっている。
 現実逃避で映画館に通う主人公を見ながら、われわれ観客も虚構の世界から夢と幸福を共有させられるといった[映画の本質][映画の力]を感じさせてくれる傑作である。


 1930年代のニュージャージー。
 失業中の夫(ダニー・アイエロ)を、ウェイトレスの仕事で支える妻のセシリア(ミア・ファロー)。惨めな生活と夫との愛の無くなった生活を逃れるために、セシリアは映画館通いをしている。
 今上映されている『カイロの紫のバラ』という作品に夢中のセシリア。ある日、映画に夢中になり過ぎたために、ダイナーでヘマをやらかしウェイトレスの職をクビになってしまう。
 セシリアは自分の不甲斐なさに涙し、その辛さを忘れるために映画館に足を運ぶ。何度も何度も繰り返し観る『カイロの紫のバラ』。
 本編では上映のモノクローム作品のタイトルを何度も映し、その度に上映シーンも進む形でわれわれ観客にも『カイロの紫のバラ』を観ている感覚を味あわせてくれる。

 そして突然、スクリーンの中から冒険家のトム・バクスター(ジェフ・ダニエルズ)がセシリアに語りかけてきた。
 「君はいつも見に来てくれるね」
 「わたしの、こと?」
 「そう。これで5回も見ている」

 そう言うとトムはスクリーンを飛び出してくる。 
 「いつも君を見ていた」
 実際には俳優がカメラを見て愛の告白をしているのを、観客は自分を見ていると想像しながら夢心地になれるのが映画の力。
 現実世界に出て来たトム。スクリーンの中の人物たちが「戻れ!」と叫ぶが、トムはセシリアを連れて劇場を出て行く。
 「もう辞めた。2,000回も同じ芝居、やってられないよ」

 「どこへ行った?」
 「外の世界」
 「外はどうかな?」
 「楽しくなさそうよ」
 登場人物がひとり居なくなり、画面の中では登場人物たちが勝手なことを言い出す始末。
 スクリーンの中と観客との言葉の応酬が楽しい。

 映画館の喧噪をよそに有頂天なセシリア。ひと目惚れをして結婚を迫るトム。“映画のような”ロマンスがスタートするのだが、そこに、自体を収拾するためにトムを演じている俳優のギル(ジェフ・ダニエルズ:二役)が現れ、ギルもまたセシリアにひと目惚れをして愛の告白をする。 
 〈虚構の世界〉のトムと〈現実の世界〉のギル。

 ♪ 夢中になるのはやめましょう 夢はいつか終わるものだから
   その日を楽しくすごしましょう ふたりで ♪

 セシリアが選んだのは現実逃避していた〈虚構〉のトムではなく、金も名誉もある〈現実〉のギルの方だ。しかし、セシリアは〈現実の世界〉に打ちのめされる。夢の儚さと現実の厳しさを突きつけられたセシリアが向うところは、映画館しかなかった。

 ここからラストまでの数分間が秀逸。
 上映されているのは恋焦がれた『カイロの紫のバラ』ではなく、ミュージカル映画『トップハット』に代わっている。虚ろな目でスクリーンを見つめるセシリア。
 「Cheek to Cheek」に合わせて、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースが踊っている。徐々に、セシリアの顔にほんの少し笑顔が戻ってくる。

 至福の時を与えてくれる映画。辛い日常を忘れさせてくれる映画の力……その場限りの慰めでも、人間生きてくための幸福感はないよりあった方がいいに決まってる。
 セシリアが観る『カイロの紫のバラ』から得た幸せが、セシリアが出ている『カイロの紫のバラ』を観るわれわれ観客の心地よさになる。見事なエンディングである。

 ミア・ファローの、全身で喜怒哀楽を表現する存在感と、このラストの表情は素晴らしい。

 また、ウディ・アレンの作品には欠かせないダイアン・ウィーストが本作で初登場する。トムの純粋な心(虚像だから当たり前)にホロリとする気のいい娼婦エマを演じている。笑顔がとても可愛らしく、おっとりした感じが好きな素敵な女優だ。
 彼女はこの後、ウディ・アレンの『ハンナとその姉妹』『ブロードウェイと銃弾』で2度のアカデミー賞助演女優賞を獲得している。

1986-05_カイロの紫のバラ

[ウディ・アレン作品]
★アニー・ホール★
★インテリア★
★マンハッタン★
★ブロードウェイのダニー・ローズ★
★マンハッタン殺人ミステリー★

「ブロードウェイのダニー・ローズ」*ウディ・アレン

dannyrose_pf.jpg

BROADWAY DANNY ROSE
監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン
撮影:ゴードン・ウィリス
音楽:ディック・ハイマン
出演:ウディ・アレン、ミア・ファロー、ニック・アポロ・フォルテ
☆☆☆☆ 1984年/アメリカ/84分/B&W

    ◇

 先に紹介したウディ・アレン映画のマイ・ベスト3『アニー・ホール』『マンハッタン』『インテリア』は結果的にダイアン・キートン出演作になってしまったのだが、ミア・ファロー出演作も忘れてはいない。『ブロードウェイのダニー・ローズ』『カイロの紫のバラ』『ハンナとその姉妹』は、誰もが選ぶ珠玉の3作であろう。

 ビリー・ワイルダー映画のような人情コメディ『ブロードウェイのダニー・ローズ』は、ショウビジネスで働く人々の悲哀が描かれてゆく。
 50年代のイタリア・コメディを狙ったというモノクロームの映像は、『マンハッタン』同様にゴードン・ウィリスのカメラが陰影に輝くニューヨークの姿を美しく捉えている。

 ダニー・ローズ(ウディ・アレン)は、片足のタップダンサー、吃音の腹話術師、盲目の木琴奏者、解き方を学べない催眠術師など、ショウビジネスの世界の底辺にたむろする芸人たちのマネージャー。
 仕事は熱心で、芸人たちには親切。心優しい夢追い人の彼だが、少し芽がでた芸人たちは必ずみんな彼の許を離れてしまう。
 三流芸人を抱えたダニーの唯一貴重なタレントが、かつて消化不良を歌った「アジータ」というヒット曲を1曲だけもつイタリア人の歌手ルー・カノーヴァ(ニック・アポロ・フォルテ)だ。
 必死に売り込んだ末に、やっとウォルドルフ・アストリア・ホテルのショーの出演契約ができた。しかしショーの当日、ルーは愛人のティナ(ミア・ファロー)がいないと歌えないとダダをこねる。
 ティナは、大きく金髪をふくらませたカーリーヘアで、いつも大きなサングラスをかけ、タイトで派手な服を着て、がさつな言葉遣いのイタリアン・マフィアの未亡人。
 お人好しのダニーはティナのいるニュージャージーへ出かけるが、相手にしないティナはマフィアのパーティに出かけてしまう。このパーティにダニーも出席したために、ティナを恋慕するボスのひとりからダニーに自分の女をとられたと勘違いされ、マフィアのヒットマンたちに追いかけられるハメになる。
 ダニーらはなんとか追っ手から逃れ、当夜のディナーショーにティナを連れて行ったのだが、ダニーは思いもかけない裏切りを知らされる。
 自己中心的なティナだが長いことルーの才能を信じてきた彼女は、知り合いの有名マネージャーをルーに紹介していたのだ。そして、チャンスに飛びついたルーはダニーを捨てて去っていってしまった。

    ◇

 冒頭、老年のヴォードヴィリアンたちが“カーネギー・デリカテッセン”で、ダニー・ローズの噂話をするところからはじまる。この、ざわめきの中からはじまるシーンがとてもいい。
 “カーネギー・デリカテッセン”は、ブロードウェイの劇場近くにあるアメリカで一番有名なデリ。実際、ブロードウェイの芝居が終わったあとには芸能関係者たちの溜まり場になり、いつも満席。
 何度もニューヨークへ行ったわりに一度も入ったことはないのだが、はす向かいのウェリントン・ホテルの窓から“カーネギー・デリカテッセン”が見える部屋に泊まったときは、夜遅くまで賑やかだったのを見ている。
 撮影は実際の店舗のなかで撮影され、昔話に花を咲かせる男たちも本物のヴォードヴィリアンたちで、このなかには、ウディ・アレンがスタンダップ・コメディアンをやっていた頃のマネージャーもテーブルを囲んで出演している。
 
 エンターテインメントの世界で生きいくためには、3S[スター][スマイル][ストロング]のキイワードに支えられているという人生観で芸人たちに接するをダニーの優しさは、そのまま、ウディ・アレンのショウビジネスへの愛があふれる語り口で感じさせてくれる。
 風船アーティストやコップ演奏家など売れそうにもない芸人たちの売り込み、「セプテンバー・ソング」を弾くインコが猫に喰われてしまった調教師への労りなど、芸人たちを見つめる眼差しは優しい。

 もちろん義理や人情ばかりではなく、それと同じだけの不義理と不人情もある。ブロードウェイの小さな劇場から、ラスヴェガスの大きなステージに立つには大きなバックボーンがいる。だから苦楽を共にしたマネージャーを離れることは、それこそ日常茶飯事。
 ダニーにしても、ルーの裏切りの言葉を聞いた時は腹がたっても、これは致し方ないことだと彼を許してしまう。そして裏切りということで云えば、彼自身にも心当たりがあるからだ。

 ダニーとティナがマフィアに捕まったとき、ティナの相手の名前を稼ぎ頭のルーとは云えず、彼が抱える世界最低の腹話術師の名前で誤摩化してしまう。これはダニーにとって大きな罪の意識となる。
 そして、間違えられて暴行を受けた腹話術師へダニーはきちんと温かい手を差し伸べる。これもまた、マネージャーと云う仕事を知り尽くしているウディ・アレンの人物造形の深さが現れている。

 罪の意識としてはティナもまた、ダニーへの心残りがある。そして、この映画の最高のラストが待っている。
 1年後の感謝祭の日、ダニーの部屋では売れない芸人たちを招いて、こころばかりのパーティを開いている。「呼んでくれてありがとう」と芸人たちの楽しそうな顔から、ダニーの優しさが伝わってくる。そこに、ルーと別れたティナが訪ねてくる。
 「お詫びに来たの」
 「この1年ツイてなかった。このままでは失業さ」
 「友だちにならせて」
 「名案とは思えないな」
 帰ってしまうティナ。虚ろな顔のダニー。
 そして、7番街を走るダニーは“カーネギー・デリカテッセン”の前でティナに追いつく。
 ウディ・アレン映画にして、初めてのハッピーエンドと言えないかい。
 
 映画はヴォードヴィリアンたちの会話に戻り「ダニー・ローズ。彼は生きた伝説だ」の台詞で終わる。
 ダニーは、ブロードウェイで最高の名誉を得た。“カーネギー・デリカテッセン”のメニューには「ダニー・ローズ・スペシャル・サンドウィッチ」という名前が書いてあるのだから。
 そしてこのサンドウィッチは、今でも本当にある名物メニューだ。

 大きなサングラスでほとんど顔を見せないミア・ファローは、目が隠れているので、怒り、笑い、悲しみ、虚ろなど、表情での演技ができないのだが、タフでナイーブなセクシー美女を見事に演じている。女優の顔を隠したままの演出ってのが凄い。
 このティナ像は、ウディとミアが馴染みの有名イタリアン・レストランのオーナー夫人が、金髪にサングラスでいつも煙草を吹かしている姿を見て「いつかあんなキャラクターを演じてみたいわ」と言うミアの言葉がヒントで書かれたと云う。

 冒頭、劇中、エンディングに歌われる「アジータ」は、ルー役のシンガー・ソング・ライターでもあるニック・アポロ・フォルテのオリジナルで、チャップリン映画『ライム・ライト』の「ティティナ」に似た曲。軽快なイタリアーノ気分でウディの遊びごころが味わえるし、ショーの中で歌われる「マイ・バンビーノ」というオリジナル曲も、グッとくるカンツォーネである。

1985-09_ダニー・ローズ

[ウディ・アレン作品]
★アニー・ホール★
★インテリア★
★マンハッタン★
★マンハッタン殺人ミステリー★

「マンハッタン」*ウディ・アレン

manhattan_pf.jpg

MANHATTAN
監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン
撮影:ゴードン・ウィリス
音楽:ジョージ・ガーシュウィン
出演:ウディ・アレン、ダイアン・キートン、マイケル・マーフィ、マリエル・ヘミングウェイ、メリル・ストリープ、アン・バーン
☆☆☆☆☆ 1979年/アメリカ/96分/B&W

    ◇

 セントラル・パーク、摩天楼、クインズボロ・ブリッジ、エレインズ・レストラン(有名人御用達の高級店)、ニューヨーク近代美術館、メトロポリタン美術館、リゾーリ書店、ヘイデン・プラネタリウム、ロシアン・ティールーム、リトル・カーネギー・ホール………マンハッタンのあらゆる名所と華麗なガーシュウィンのメロディを背景に、ニューヨーカーたちの人間模様と、人生の哀歓を綴った大傑作である。


 2度の離婚歴がある中年の放送作家アイザック(ウディ・アレン)は、17歳の恋人トレイシー(マリエル・ヘミングウェイ)と付き合っている。現在の彼の最大の悩みは、レズビアンの元妻ジル(メリル・ストリープ)が暴露本を出版しようとしていること。
 アイザックの友人イエール(マイケル・マーフィ)は、12年の夫婦生活がありながら美人ジャーナリストのメリー(ダイアン・キートン)と不倫をしていると相談される。

 近代美術館でメリーを紹介されたアイザックだったが、インテリぶったメアリーの態度に第一印象は最悪。しかし、再びパーティで出会った時ふたりは意気投合する。
 日曜日、イエールにデートを断られたメリーはアイザックを誘う。ひと目惚れしていたアイザックは喜んでやってくる。セントラルパークを散歩中に雷雨に襲われ、ヘイデン・プラネタリウムに入って話すうちに益々親密になり、ふたりはメリーのアパートでベッドイン。
 妻(アン・バーン)を愛し別れる気のないイエールは、メリーにふたりの中を清算すると言い出し、メリーは嘆き悲しむ。アイザックはメリーを立ち直らせようと、映画と美術館巡りのデートに誘い、よせばいいのにトレイシーには別れ話を切り出した。

 しかし、アイザックとメリーの関係は一過性のもの。人生を誰にも邪魔されたくない現実派のメリーと、男女の関係に理想を求めるアイザックとは相容れるものがなく、メリーはやっぱりイエールを愛しているとアイザックに別れを宣言する。
 「好きになり別れて、好きになって夕食前にまた別れる。何て云う友達だ」とイエールを問いつめるアイザックは「神のつもりか? ぼくらは人間だ」とあしらわれる。
 トレイシーと別れたことを悔やむアイザックは、マンハッタンの街並みを走り抜き、彼女のアパートに向う。トレイシーは丁度、半年のロンドン留学に旅立つところだった。
 愛を告白するアイザック。しかし、トレイシーにはロンドン行を変える意思はなかった………。


    ◇

 ウディ・アレン映画の中では一番のお気に入り作品であり、ニューヨーク好きには堪らない映画だ。

 なんと云っても、夢の国のようにニューヨークを撮影したゴードン・ウィリスのモノクローム映像と、全編に流れるガーシュウィンの音楽の素晴らしさ。すぐにサウンドトラック盤を買い求めたのは云うまでもない。

 ウディ・アレンがクラリネット奏者としてプロ級なのは周知のこととして、その彼がニューヨークへの限りない愛を込めて「Rhapsody In Blue」をオープニングに流す粋なこと。
 真っ暗なスクリーンからマンハッタンの摩天楼がモノクロームで浮かび上がってくると、低いクラリネットの音色が響いてくる幕開け。
 朝から夜の時間が流れるニューヨークの街に、魔法が降り注ぐ至高の4分間である。

 朝まで語り明かしたアイザックとメリーのチャーミングなシーンには「Someone To Watch Over Me」が流れる。

 アイザックがビレッジから全速力で走るクライマックスと、ラストのアイザックとトレイシーとの会話……これもいい。
 「6ヶ月すれば戻ってくるわ」
 「半年は長い」
 「愛があれば大丈夫でしょ」
 「君は変わる。半年で別人になる」
 「経験を積めと云ったのはあなたよ」
 「いま、君が変わるのはイヤだ」
 「変わらない人もいるわ。……少しは人を信じなきゃ」

 別れの曲は「But Not For Me」。
 大人に変貌したトレイシーの成長に、半年経っても何も変わらないだろう中年男の哀感の顔で映画は終わる。この歳で再見すると、これもまたしみじみだな………

 アイザックとメリーがシネマ1で観る映画は、1962年に製作された稲垣浩監督の日本映画『忠臣蔵』。ネイティヴ・ニューヨーカーらしい選択かも……。


1980-04_マンハッタン

 我が名古屋には、テレビ塔を中心にしたエリアに1978年に開業したセントラルパークというファッション・プロムナードがあり、この映画の公開時は、そのセントラルパークが協賛というかたちで大々的に映画の宣伝がされていた。
 公開された劇場は名古屋ミリオン座で、カップルで入場の場合には同伴の女性ひとりが無料で鑑賞できるサービスを敷いていた。当時はなんとも太っ腹な特典だったんだなぁ。
 併映作はマーチン・スコセッシ監督の『ニューヨーク・ニューヨーク』('77)が再上映されていた。


「インテリア」*ウディ・アレン



INTERIORS
監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン
撮影:ゴードン・ウィリス
出演:ダイアン・キートン、ジェラルディン・ペイジ、E・G・マーシャル、クリスティン・グリフィス、メリー・ベス・ハート、モーリン・スティプルトン、リチャード・ジョーダン、サム・ウォーターストン

☆☆☆☆ 1978年/アメリカ/93分

    ◇

 アカデミー賞受賞の『アニー・ホール』から一転して、I.ベルイマン・スタイルのシリアス・ドラマに挑戦した作品。
 アメリカの知的で裕福な家族の崩壊を上質な舞台劇のように展開させた人間ドラマで、両親や姉妹との情愛と断絶、男と女の孤独、死と生の謎、自我との葛藤、コンプレックスと反撥……人生の機微が、背景音楽を一切流さずに静かに、厳粛に描かれる。


 ロングアイランドに住む裕福な実業家アーサー(E・G・マーシャル)と、高名なインテリア・デザイナーの妻イヴ(ジェラルディン・ペイジ)とは結婚30年。ふたりの間には3人の娘たちがいる。
 長女のレナータ(ダイアン・キートン)は売れっ子詩人でイヴの芸術家気質を最も受け継ぎ、姉妹のなかで一番感受性が強い次女のジョーイ(メリー・ベス・ハート)は、作家ながら中々才能が開花せずレナータに強いライバル心を持っている。三女のフリン(クリスティン・グリフィス)は恵まれた容姿を生かしてハリウッドで女優をしているが中身がない。3人は、それぞれ夫や恋人との間で問題を抱えている。
 ある日、アーサーがイヴに別居をしたいと告げる。イヴの、自分の美意識と生き方で支配してきた生活に耐えられなくなり、これからは自分の生き方をしていきたいと言うのだ。
 心理的圧迫感を感じていたのは、程度の差はあるにしても娘たちも同じ思いだった。
 イヴは家を出て行った。

 アーサーがある女性を娘たちに紹介する。パール(モーリン・スティプルトン)と名乗る女性は、知的だが冷たいイヴとは対照的に、無教養ではあるが温かく人懐っこい女性だった。激しく父を非難するジョーイだが、レナータには父の気持ちが理解できる気がした。
 イヴとの離婚が成立し、アーサーとパールの結婚式。複雑な気持ちで列席する三姉妹。その夜、みんなが寝静まったころにイヴがそっとやって来た。ひとり起きていたジョーイは、母親に対して自分の思いを投げつけるのだった。自己満足のために家を支配してきたと痛烈に批判されたイヴは、その朝、冬の荒れた海に入っていくのだった………。

    ◇

 タイトルの「インテリア」が複数形の「INTERIORS」になっていることで、登場人物たちの内面を象徴していると云うのがわかるだろう。

 アーサーが「氷の宮殿」と評する自分たちが住む家は、白を貴重に余計なものはない整頓された室内で、そこに住む人間の心の空虚感と冷たさがひと目でわかる。 
 冬の曇天空と、海の波の色も…白に近く様々に美しいが、怖い色彩だ。

 ふたりのベテラン女優、ジェラルディン・ペイジの淡いブルーの衣装と、モーリン・スティプルトンが着用する深紅のドレスも実に象徴的だ。
 空虚な世界に暮らす我々には、“温もり”だけが救いだといっているのだろう。

 海を眺める三姉妹の、沈黙とカットアウト………強烈な印象を残す素晴らしいラストである。

 この『インテリア』は、ウディ・アレン映画としてはマイ・ベスト3の1本(ベスト1は『マンハッタン』で、ベスト2が『アニー・ホール』)で、初見時の1979年には『ディア・ハンター』と『エイリアン]を抑えてベスト1に上げたほど感銘を受けた作品であった。


「アニー・ホール」*ウディ・アレン

anniehall_pf.jpg

ANNIE HALL
監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン、マーシャル・ブリックマン
撮影:ゴードン・ウィリス
出演:ウディ・アレン、ダイアン・キートン、トニー・ロバーツ、シェリー・デュヴァル、キャロル・ケイン、ポール・サイモン、クリストファー・ウォーケン、シガニー・ウィーバー、ジェフ・ゴールドブラム、トルーマン・カポーティ(ノンクレジット)

☆☆☆☆ 1977年/アメリカ/93分

    ◇

 それまでのウディ・アレンはスラップスティック・コメディ映画ばかりと見られたが、本作から、シニカルな大人の会話と長回しといった、現在のウディ・アレン映画のパターンが定められた。
 アカデミー賞の主要5部門を受賞したにもかかわらず、授賞式にアレンが出席しなかったことは有名。
 日本公開はこのアカデミー賞前の1978年1月に公開されたが話題にならなかったと思う。初見は4月の凱旋公開時だった。


 ユダヤ系のスタンダップ・コメディアンのアルヴィ・シンガー(ウディ・アレン)は、うだつの上がらない風采ながら女性関係に事欠かさない優雅な独身生活を送っている。
 ある日、アニー・ホール(ダイアン・キートン)という歌手志望の女性と出会い、いつも笑顔でファッションセンスもよく、気の利いた会話を話す彼女に興味を惹かれた。
 間もなくふたりはアルヴィのアパートで同棲。しかし、最初は快適だった生活も、新鮮さがなくなるにつれギクシャクし出し、セラピーに通ったりするがうまくいかない。
 そんな時、人気歌手トニー(ポール・サイモン)に褒められたアニーは、彼からLAに誘われる。取り残された気分になるアルヴィは、アニーと男友達の間を疑心暗鬼になってくる。
 アニーはLAに行ってしまい、彼女への愛が必要と感じたアルヴィもLAに飛ぶが、アニーはNYに戻る意思はなかった………。

    ◇

 屈折した自虐性に満ちた台詞の連発……愛に餓えた中年男の恋の行方。
 ウディ・アレン自身が幼い頃から抱えてきたコンプレックスが、中年になって女性関係にどう影響するのかを自虐的に描いたコメディで、都会に生きる男女の日常がカリカチュアされながらも、生き生きと描かれている。スノッブ層の知的遊戯感が強いのが鼻につくかもしれないけれど……。

 長回しのなかでずっと喋り続けるウディ・アレンの映画は、英語力のない日本人の字幕頼りには限界があるので、本当の面白さが伝わらないのだろうが(日本人にはユダヤ系のジョーク自体、本質を理解するには無理なところがある)、主人公がカメラ(観客)に向かって自己内面を語るところから映画がはじまり、幼年期、アニーとの馴れ初めなどの時間軸を前後しながら、ときにディズニー漫画の中に入ったり、街行く人に突然インタビューしながら自分の気持ちを観客に語ったり、子供のころの回想に現在の自分たちを登場させたりする語り口の面白さは堪能できる。

 映画術として、例えばアニーのアパートのベランダで語り合う会話に下心ある心の声を字幕で入れたり、ふたりがセックスをしようとするシーンでは、アニーの魂が身体から遊離し別の場所からそれを見つめていたり、意識の流れを自由に映像で表現している。

 アルヴィンとアニーがキッチンでロブスターと格闘する有名なシーンは、何度かの撮影で自然と笑いが止まらなくなったテイクを使用したということで、ダイアン・キートンが本当に楽しそうに素の笑顔を見せてくれる。
 馴れ初めとなるテニスクラブでの長回しも、シャレた会話が実にいい。ダイアン・キートンの可愛らしさに、男なら誰もが恋心を抱いてしまうだろう。


 映画は、ニューヨークに戻ったアルヴィがアニーとのことを戯曲にして、ふたたびふたりが結ばれると云ったハリウッド式ハッピーエンドのリハーサルシーンで終わる。
 「現実は上手くいかないんだから、せめて芝居くらい完璧を目指すんだ」

 その後NYに戻ったアニーと再会し、ロマンチックなシーンや出会った頃のシーンが回想的に映し出される。友達として語り合い、そして別れたこと。アルヴィは映画のはじまりと同じように、カメラに向い語りかける。
 「ぼくは、彼女がどれだけ素晴らしい女性だったのか、彼女と知り合えてどんなに楽しかったのか気付いた」と………。
 可愛らしく、インテリジェンスで、洗練されたダイアン・キートンの笑顔が素敵だからこそ、この苦い終わり方がとてもいい。


 ポール・サイモンが人気歌手の役で出演したり、シェリー・デュヴァルにローリング・ストーン誌の記者役でディラン論を言わせたり、また、当時は無名だったジェフ・ゴールドブラム(パーティの客)やシガニー・ウィーバー(フェリーニ批判をする男のデート相手)、公園を散歩するトルーマン・カポーティ本人など、今では豪華なキャスティングも興味深いだろう。

 ポール・サイモンのパーティ・シーンで「A HARD WAY TO GO」という曲が聴こえてくる。これは英国ブルーズ・ロック・バンドの雄サヴォイ・ブラウンの曲のはずなんだが、どう聴いてもフュージョンジャズ。後年、DVDでクレジットを探してみると、ティム・ワイズバーグというフュージョン系のフルート奏者の演奏だった。



1978-04_アニー・ホール


「マンハッタン殺人ミステリー」*ウディ・アレン



Manhattan Murder Mistery
監督:ウディ・アレン
出演:ウディ・アレン、ダイアン・キートン、
アンジェリカ・ヒーストン、アラン・アルダ

☆☆☆★ 1993年/アメリカ/109分

    ◇

 ウディ・アレンのとっておきのミステリーコメディは、ボビー・ショートが歌うコール・ポーターのI Happen To Like New Yorkからはじまる。くっきりとライトアップされたマジソン・スクェア・ガーデンの空撮からしてドキドキしてしまう。ウディ・アレンの小難しい会話は苦手と云う人でもこの映画は楽しめる。音楽と風景も最高です。
 
 アイスホッケー観戦のラリー(ウディ・アレン)とキャロル(ダイアン・キートン)の会話で倦怠期の夫婦とわかる。アパートメントに帰ってくると隣室の老夫婦にお茶を誘われるのだが、「今夜はボブ・ホープの映画を見よう」と決めていたラリーはハウス氏の趣味には上の空。早く帰りたいのにキャロルは全然察してくれない………。冒頭からここまでの笑いでこの作品に嵌まった。
 さて翌日、隣室の老婦人が心臓マヒで亡くなるのだが、ハウス氏の明るい振る舞いを見てキャロルが不審を抱くことになる。何かにつけてハウス氏を疑ってかかるのだが、これがまた本気だから面白い。キャロルは自分に好意を持っている友人の劇作家テッド(アラン・アルダ)と仲良く探偵気取り。夫のラリーは少し嫉妬が……このあたりのドタバタも面白い。
 そして、次第にキャロルのペースになり、編集者のラリーが担当する女流作家マーシャ(アンジェリカ・ヒューストン)を交えて4人で事件の解明へ乗り出すことになる。

 ミステリーとはいっても意外な犯人やトリックなどはなく、ヒチコック風味のサスペンス度もなんとなく凡庸なんだけど、これはコメディの味付けとして見るべきもの。描いているものは、中年夫婦の日常風景とニューヨークのアッパークラスの人間たちの姿だ。夜のレストランで作戦会議なるものを繰り広げるシーンが最高で、饒舌な登場人物たちが実に魅力的だ。

ウディとダイアン・キートンとのコンビは「アニー・ホール」「マンハッタン」も最高にステキだが、大笑いできるのはこの作品。