TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「あ、春」*相米慎二監督作品




監督:相米慎二
原作:村上政彦「ナイスボール」
脚本:中島丈博
音楽:大友良英
出演:佐藤浩市、斉藤由貴、藤村志保、富司純子、山崎努、余貴美子、三林京子、原知佐子、河合美智子、村田雄浩、寺田農、塚本晋也、岡田慶太(子役)、笑福亭鶴瓶(友情出演、三浦友和(友情出演)

☆☆☆☆★ 1998年/松竹/100分

    ◇

 相米慎二監督作品12作目は、「家族愛」「親子愛」「日常生活」といった平凡でありふれた市井の人々の生活で構成するいわゆる松竹大船調喜劇の趣きながら、現代人のこころに棲む不安や哀しさを捉えながら、本来人間が持つこころの豊かさやしなやかさを透くって見せ、人間讃歌としての温かみと美しさにあふれた珠玉の作品である。


 一流大学を出て証券会社に勤める韮崎綋(佐藤浩市)は、良家の娘瑞穂(斉藤由貴)と結婚し、妻の実家で一人息子と瑞穂の母親と一緒に暮らす平凡な男。趣味は庭先でニワトリを飼うことだ。
 バブル期に入社した綋は、不況の波がよせる今は悪戦苦闘中。会社の倒産が噂され、同期が次の就職先を見つけて自分を誘ってくれるも、不安を感じながらも“順風満帆な人生”はつづくものと、どこかで思おうとしている。
 そんなある日、綋は会社からの帰り道に浮浪者然とした男に声をかけられる。男(山崎努)は、5歳のときに家を出て行った父親の笹一だと告げる。母親から「5歳のとき父親は死んだ」と聞かされ成長してきた綋は戸惑うが、その日以来、笹一は家に住みつくことになる……。

    ◇

 奇をてらったと云われ続けた相米スタイルの長回しが、ほんわりと長閑な物語のリズムに見事に嵌り心地よいムードを醸し、春の日長一日の情景に聴こえるほのぼのと懐かしさを憶えるサウンドも心地よい。

 太った黒猫がノソリと一件の家に入り込み、猫の目線で廊下から庭に出て鶏舎に辿り着く。「コケコッコ~」の鳴き声と、笑福亭鶴瓶扮する住職が叩く木魚の乾いた音。
 この作品に通底するのどかな世界観が感じられる冒頭の数分間には、庭で飼われるニワトリとそれを少し訝る義母の言葉から綋の育ちも示され、見事な出だしである。

 映画の主軸は、現実から目を遠ざけどこかボンヤリした“普通の男”佐藤浩市と、図々しさが秀でながらどこかロマンチストな“無頼な男”山崎努のふたり。
 疎まれながらも惹き付けられる笹一は、山崎努の強烈な個性と色気があってのこと。際だっている。さすがに凄い。
 佐藤浩市はどこまでも受け身の演技。どこか弱々しく影の薄い佐藤浩市だが、病院の屋上での山崎努とふたりきりの長回しは素晴らしいシーンになっている。血縁だけではない人間関係のつながりと、家族の存在の大切さに気づかされる。
 そして、このふたりの人間性はもとより家族の在り方とか儚さに目を向けさせるのが、男たちを取り囲む“強い”女たちだ。

 おっとりと上品ながら仄かな色気を携えている義母の郁子には、かつての大映のスター女優だった藤村志保。未亡人になってからの新たな人生を嬉々として楽しんでいる様を、大真面目に演じれば演じるほど可笑しく、天真爛漫な姿からはしたたかさも見え隠れする。
 綋の母親公代には、かつての東映任侠映画で一枚看板を背負っていた富司純子。トラック運転手相手の安食堂を切り盛りする、勝気であけすけな女性だ。終盤、ある秘密を暴露するも(しら〜とした表情は絶品)、ラストの散骨シーンではその秘密さえ反故にするような不敵な笑みが凄い。
 このほとんど同時期デビューの大女優ふたりの芝居が、上手く物語を転がしてゆく。

 喘息を煩い少し情緒不安定気味ながら、優しくおおらかに家庭を守っている斉藤由貴もいい。家の中に起こった波風によって生気を取り戻していく様を、しなやかに演じている。
 
 そして出番は少ないが、公代の義理の息子(三浦友和)の嫁を演じ、蓮っ葉で不貞腐れた態度で迫力を見せる余貴美子と、笹一の内縁の妻だと言って現れる三林京子の存在も印象に残る。

 法事からはじまり散骨で終わるこの映画は、笹一の死と同時に卵からヒヨコが孵るエピソードのような輪廻転生の死生観や、家族としての共同体幻想も含んだ、春の憩いのファンタジーであろう。
 
[相米慎二作品]
★ションベン・ライダー★
★魚影の群れ★
★ラブホテル★
★台風クラブ★
★お引越し★


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「お引越し」*相米慎二監督作品



監督:相米慎二
原作:ひこ・田中
脚本:奥寺佐渡子、小此木聡
音楽:三枝成彰
出演:田畑智子、中井貴一、桜田淳子、笑福亭鶴瓶、青木秋美(現・遠野なぎこ)、森秀人、千原しのぶ

☆☆☆☆ 1993年/日本ヘラルド、アルゴ・ピクチャーズ/124分

    ◇

 ひこ・田中の児童文学小説を原作に、家族の崩壊と少女のこころの成長を描いた傑作。2013年のTVドラマ『夜光観覧車』(湊かなえ原作)で家族の崩壊を描いている脚本家・奥寺佐渡子の第1作目にあたる。
 両親の間で揺れ動く少女の行動を絶妙の長回しで見せていくホームドラマ的展開だが、安易に家族を再生させないのが相米慎二ワールドである。


 漆場レンコ(田畑智子)は京都鴨川近くに住む小学6年生。両親が離婚を前提に別居することになり、父親のケンイチ(中井貴一)が家を出て行く。
 母親のナズナ(桜田淳子)と一緒に新生活をはじめるレンコだが、いまいち実感が湧かない。勝気なナズナには不満がいっぱいで、次第にレンコの心の内にザワザワしたものが湧いてくる。
 同じように両親が離婚している転校生のサリーこと橘理佐(青木秋美)のことで級友たちと喧嘩したり、自分の存在を両親に認めさせようと篭城作戦を敢行したり、次第にレンコは学校にも家にも居場所を見いだせなくなってくる。
 ある日、昨年も行った琵琶湖への家族旅行に行けば、また元の平和な家族に戻れるのではないかと考えたレンコは、勝手に電車の切符やホテルの予約をする。
 ホテルのロビーで、もう一度3人でやり直したいと言い出すケンイチにナズナが怒りだす。いたたまれなくなったレンコはホテルを飛び出し、祭りをしている湖畔の町を彷徨う。
 そこで砂原という老人と出会い温かい言葉をかけられ力を得たレンコは、火祭りが最高潮を迎える中、ひとり森のなかに迷い込んでゆく……。

    ◇

 田畑智子のデビュー作である。
 実家の京都・祇園の老舗料亭に、たまたま来ていた相米監督から「彼女でなければ撮らない」と見初められた11歳の田畑智子が、とにかく素晴らしい。この年の新人女優賞を数多く受賞しているのは当然であろう。

 離婚する父と母の間で、小学生の女子の揺れ動く気持ちを無邪気に見せる前半から、様々な経験を経て両親と自分自身を乗り越え少女に変貌するまでの表情の移ろいは、演出の妙だけではなく田畑智子のセンス=存在感に尽きる。
 後年のインタビューによると、とにかく何処が悪いか指示もないまま、何度も何度も繰り返しの連続で、「タコ」(主演女優は必ず浴びせかけられる相米監督の口癖)「ガキんちょ」と罵られながら動いていたという。
 3ヶ月のリハーサル中には、中井貴一とボクシングごっこをするシーンのために立命館大学のボクシング・ジムに通ったという。女の子と父親の遊びのボクシングに、そこまで要求する冒頭のそのシーンは、11歳の女の子には見えないサマになった構えとシュート。母親桜田淳子へは全然子供らしくないジャブを浴びせるのだ。


 映画の冒頭は『家族ゲーム』の横一列の食卓に匹敵するような異様な夕食風景。二等辺三角形の変形食卓の底辺の位置にレンコが座り、頂点をカメラに向けてナズナとケンイチが向かい合わせに座っている。鋭角な構図から、大人同士の敵意と愛情の喪失感が象徴される見事な図である。

 レンコは父が大好きである。父が家を出て行く日の昼休み。学校を抜け出し様子を見に、全速力で帰ってくる。走る、走る、走り続けるレンコを、横移動のカメラが捉える。
 河原で転がっている父を蹴飛ばし、いつもしていたボクシングの練習で戯れる。二人がこれまで続けてきた触れ合いもこれでおしまい。レンコは「コーチ! 長い間お世話になりました!」と頭を下げる。
 ケンイチの荷物を乗せた軽トラックが走り出すと、レンコが追いかける。軽トラックからのカメラが走るレンコを捉え、カーブでスピードの落ちた頃合いに、レンコが荷台に飛び乗る。田畑智子の根性入ったシーンだ。

 学校の理科室で火事を起こしたレンコをナズナと担任の先生(笑福亭鶴瓶)が追いかける。延々と町中を走り抜けるレンコ。ここでも全力疾走の田畑智子。ついにはレンコだけがバスに乗車し、最後部席でしらっとした顔を見せる。とても過酷に走りまわされている田畑智子である。

 坂道を、レンコと同級生のサリーが1台の自転車を押しながらゆっくり登ってくる。サリーが離婚したパパに逢いにいった話をする。パパが結婚した新しい女のいる家に、どんな顔をしているか見に行ったのだという。だけどいなかったという。
 坂の上には、レンコたちより小さな子供らが遊んでいる。
 「どこ行ったん?」
 「病院」
 「え?」
 「赤ちゃんが出来たん」
 途端に土砂降りの雨が降ってくる。
 坂のうえから、レンコが走り出す。今来た坂を、全速力で下って行く。
 圧巻の長回しである。

 レンコの一生懸命さは田畑智子の躍動感と運動量で示され、動きのないシーンにおいては田畑智子の微妙な表情の動きがレンコの内面を表出させ、田畑智子の肉体は台詞以上を語ってくる。

 「満月 空に満月 明日は愛しいあのこに逢える」

 相米監督の演出のひとつに、よく歌を口ずさませるシーンがある。十朱幸代の「ちゃんちきおけさ」(『魚影の群れ』)や、志水季里子の「赤い靴」(『ラブホテル』)のように切なさが増幅してくるのだが、本作では、幼い田畑智子に「がんばれ、みんながんばれ」と井上陽水の歌でレンコの背中を押している。

 映画の終幕、森を彷徨うシーンは台本にはなかったという。物語のリアリズムを無視し、ホームドラマから幻想詩に逸脱する展開が、この映画の魅力のひとつでもある。
 琵琶湖畔に辿り着いたレンコの目の前に、過去の幸せだった家族の時間の情景が現れる。『フェリーニのアマルコルド』を連想する幻想的で荘厳な領域は、極めて美しいシーンだ。
 幻視するレンコはあの頃には戻れないことを悟り、過去の自分を抱きしめ決別する。それは父と母への決別でもあろう。
 新しい自分の誕生に「おめでとうございます………おめでとうございます」と、過去の自分に何度も何度も宣言するレンコの表情は、もはや子供の顔ではない。

 エンディングとクレジットタイトルも長回し、そして早変わり。
 街路樹が並ぶ遊歩道に、出演者たち(田畑智子の実家族までも)が様々な恰好で散らばり、その間をレンコが渡り歩く。

 「こんにちは。どこ、行きはるんえ?」
 「未来へ」


[相米慎二作品]
★ションベン・ライダー★
★魚影の群れ★
★ラブホテル★
★台風クラブ★

「台風クラブ」*相米慎二監督作品

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監督:相米慎二
脚本:加藤祐司
音楽:三枝成彰
挿入歌:「暗闇でダンス」「翔んでみせろ」Barbee Boys
    「Feel No Way」「Children of the World」
     P.J & Runnings
出演:三上祐一、紅林茂、松永敏行、工藤夕貴、大西結花、会沢朋子、淵崎ゆり子、谷川龍子、三浦友和、尾美としのり、鶴見辰吾、寺田農、小林かおり、きたむらあきこ、石井富子、佐藤充、佐藤浩市(友情出演)

☆☆☆★ 1985年/ディレクターズ・カンパニー/東宝、ATG/115分

    ◇

 ディレクターズ・カンパニーが公募したオリジナル・シナリオを相米慎二が担当。
 『魚影の群れ』『ラブホテル』のあとに(『ラブホテル』は本作の後に撮影されたが公開はほんの少し前だった)またしても「ガキの映画」かと思いきや、本作は、大人への扉を開きかけた中学生の思春期における不安定な心理と、台風の通過により学校に閉じ込められ高揚する少年少女らのエネルギーの炸裂を活写した傑作である。



 東京近郊のある町。木曜日、真夜中の中学校のプール。ひとり男子が、時折ポシャと音をたてながら、ゆっくりゆっくり泳いでいる。

 静寂のなか突然、更衣室から数人の女子生徒が水着姿で乱入してくる。理恵(工藤夕貴)、泰子(会沢朋子)、由美(谷川龍子)、みどり(淵崎ゆり子)、美智子(大西結花)の5人だ。持ち込んだラジカセのスイッチを入れると、大音量でバービー・ボーイズの「暗闇でダンス」が流れてくる。音楽に合わせ身体をくねらせ踊る少女たち。
 理恵がプールの中にいる明(松永敏行)を見つけ、泰子の指示で明はパンツを脱がされ、コースロープで身体を巻かれて溺れてしまう。
 近くをランニングしていた恭一(三上祐一)と健(紅林茂)が人工呼吸をして明は正気に戻り、みどりに電話で呼び出された数学教師の梅宮(三浦友和)からは叱られはするが、その場の話だけで片付いた。

 金曜日
 団地に住んでいる理恵と、近所の幼馴染み恭一が手を繋いで登校。恭一は「泰子たちとはあんまり付き合うなよ」と理恵を嗜める。
 梅宮の授業中。生徒たちはみんな好き勝手な事をしている。頭が少し幼い明は、鼻の穴に何本もの鉛筆を詰め込み鼻血を出す。
 そんな時、教室に中年の男女が押し掛けてきて、梅宮が自分の娘に金を貢がせているのに何故結婚しないのかと迫る。
 自習になった教室では、泰子とみどりと由美がベランダに出て「やなもの見ちゃったな」と話し合っている。
 下校時間。理恵は勉強をしている恭一の側で「台風来ないかなぁ」と話しかけている。窓枠に頭を挟み「痛い痛い」とふざける理恵に、恭一は「お前、最近ヘンだな」と呆れる。黒板にタヌキの絵を描きながら「どこかに行こうよ」と恭一を誘う理恵。拒否する恭一は「お前ヘンだな…最近」と再び言いおいて教室を出て行く。
 
 帰宅した恭一は東大に通う兄(鶴見辰吾)に哲学を問い、その夜、ランニングのついでに健の家を尋ねる。アル中の父親(寺田農)がいるだけのバラック家。建築用の足場の上で健は明と煙草を吸っていた。明が、泰子と由美が夜の教室で抱き合っていたのを目撃したと言う。「レズってどうするんだ?」と恭一。「う~ん………指入れるだよ」と健。
 女の話は好きな女子生徒の話になる。明は美智子が好きだと言えば、健も「俺もだ」と答える。
 健は、化学の実験中に美智子の制服の背中に熱した銅の欠片を入れて火傷をさせ、謝る健を尻目に通りかかった恭一にすがりついて泣いていた美智子を思い出していた。
 「理恵といい、なんでお前だけモテるんだ?』

 土曜日
 理恵を迎えに来た恭一だが、何度ブザーを鳴らしても返事がなかった。
 寝坊に気づいた理恵は急いで制服に着替えるが、突然諦め、スカートを脱ぎ、母親の部屋の布団の中に入りマスターベーションをはじめる。
 そして、学校に向う理恵は突然、踵を返しどこかに向う。

 学校では、泰子とみどりと由美が梅宮の授業には出たくないとボイコット。部室を出て行く。優等生の美智子は梅宮に昨日の説明を求め、授業が中断することで他の生徒たちと喧嘩がはじまる。

 いつしか、窓の外は風が強まり雨が降り出す。
 演劇部の部室で、外から戻ったみどりがびしょ濡れになった制服を脱ぎレゲエ(「Feel No Way」)に合わせて踊りはじめ、泰子と由美はレズごっこをはじめる。

 校内は台風の接近を知らせる放送により生徒たちは下校。
 梅宮との話合いをひとり教室で待っている美智子。
 そこに健が現れ、美智子は逃げ回る。美智子に惚れている健は彼女を職員室に追いつめ、彼女の制服を引き裂くのだが、美智子の背中の火傷の跡を見た途端、急に青ざめ暴れ狂うのだった。

 いつの間にか学校は全て施錠されてしまい、美智子と健を取りなす恭一らと、泰子、みどり、由美の6人だけが校内に取り残されていた。
 
 その頃、理恵は東京の原宿にいた。
 街で声を掛けてきた青年(尾美としのり)のアパートについて行き、無邪気に自分のことを話しているのだった。
 「わたし嫌なんですっ。閉じ込められるの。閉じ込められたまま年をとり、それで土地の女になっちゃうなんて、耐えられないんですっ」
 そして突然「帰ります」と言い出し、「いろいろありがとうございました。声を掛けてくれて感謝しています。さようなら」と土砂降りの雨の中、駅へ走り出す。
 しかし電車は、土砂崩れで不通になっていた。

 学校ではみどりと恭一が梅宮の自宅に、自分たちが学校に閉じ込められているのでどうしたらいいでしょうかと電話を入れるが、酔っぱらっている梅宮には通じない。
 「先生、ぼくは一度、あなたと真剣に話してみたかった。あなたは悪い人じゃないけど、でも、もう終りだと思います。ぼくはあなたを認めません」と宣言する。
 梅宮が「いいか若造。今はおめぇ、どんなに偉いか知らんけど、15年経てばこの俺になるんだ。あと15年の命だ」と言い放つと、恭一は「ぼくは、先生のようには絶対になりません、絶対に」と電話を切る。

 体育館に移動した6人。壇上に上がった泰子とみどりと由美と美智子は、ラジカセのレゲエ(「Children of the World」)に合わせてストリップを始め、健も恭一も一緒になって服を脱ぎ下着姿で笑い興じる。
 一旦雨の上がったグランドに出た6人は「もしも明日が」を大合唱し、再び降り出した雨の中では下着も脱ぎ捨て全裸になって踊り狂うのだった。
 深夜、制服に着替えた皆は、「台風が過ぎ去ったらどこかへ行こう」と話し合い眠りに就く。
 ひとり、起きて夜明けを待つ恭一。

 日曜日 朝
 みんなを起こした恭一は、みんなの日常の無目的さを指摘し「俺たちには厳粛に生きるための、厳粛な死が与えられていない。みんなが生きるために、俺が死んでみせる」と、窓から身を投じる。

 月曜日 朝
 台風一過の青空の中、理恵が登校してくる。
 途中で会った明から「今日は学校は休み」と聞かされるが、プールに泳ぎに行くという明について理恵も学校に向う。

 校門からみる木造の校舎は、朝陽を受けて輝いている。
 「まるで金閣寺みたい」と叫ぶ理恵。
 水たまりに逆さに映る校舎が、ジャブジャブとぬかるみを渡る二人の姿を迎えて映画は終わる……。


    ◇


 必ず自分たちも大人になるのだと認識しながらも、それに抵抗する力と、妥協する力の配分が上手くいかなくてどうしようもなくなる気持ちが、台風のエネルギーによって次第に高まっていくのが生々しく伝わってくる。
 実際、台風が来るというとワクワクして、何でもいいからぶち壊せって気持ちの高ぶりを感じていた時代をノシタルジックに思う自分がいる。
 だから理恵がポツリと言う「台風、来ないかなぁ」の台詞は見事にツボに嵌る。

 大人でもなく、子供でもない身体の中から湧き出てくる“性”と“生”。芽生えは大人になれば他愛ないことも、本人たちにとって深刻な気持ちが、あるところで暴力になったり、自己愛になったりする。彼らのエネルギーが哀しみを潜め画面を漂っている。時折バックに聞こえる水の音とか、雨の匂いを感じさせる木造校舎とか、風の音さえ官能的な情景になっている。

 愛情と狂気の境を見失った“性”は、健が美智子に対する行動で表現される。
 美智子が閉じこもる職員室の木の扉をガンガンと蹴りつづける健。長回しによる執拗なカメラは、健のいる廊下側から美智子のいる室内に移り、蹴られて穴のあいた隙間をカメラが潜り、健の足元を再び撮る長いシーンとなる。「お帰りなさい。ただいま」と呟きながら延々と蹴る健の姿には、もはや自分自身では抑えることが出来なくなった気持ちが痛い程見てとれる。

 オリジナルのシナリオと比べてみると、かなりの箇所を端折っている。特に東京に行った理恵のシーンは、シナリオでは電車が不通で帰れなくなったことで、ふたたびナンパ青年の部屋に戻ってくる。そこで恭一の話を詳しくすることで、恭一の自殺に意味付けがなされるのだが、相米監督は説明は不要として全面カットしている。
 自殺って本人以外には絶対に理解できるものではない。判らないからわからないようにした演出はこれでいいと思う。美化するわけでもなく、誰にだってある不可解で実感できない心象は、説明できるものではないのだから……。
 シナリオにおいては、グランドに落ちた恭一を泰子が抱きかかえるのだが、相米監督は『犬神家の一族」のパロディのように恭一の身体を逆さの両足屹立にし、ブラックユーモアで死をも吹き飛ばしてしまった。

 それまで真面目な好青年の役しか演じてこなかった三浦友和が、この作品では生徒たちから信頼と反発を得る無責任な教師役を演じている。
 恋人が台所で料理をしている手前の部屋で寝転がってクダ巻いている三浦友和が、近よってきた恋人に足を絡ませ倒して抱きつく長回しシーン。ほとんど大人が出てこない本編において、模範にもならない大人のダメさ加減がいい。

 中学生の男子女子の喫煙シーンが何度もあったり、少女同士のキスやオナニーとレイプ紛いのシーン、果ては少年少女たちが裸になったりと、そういった騒乱をリアルな中学生として14歳から17歳の子役・俳優たちが見せてくれる。今ではこの年代の子供たちには演じさせられない規制があるだろうが、この時代のこの魅力は何にも代えられない個性と瑞々しさとして輝きを放っている。
 因みに、恭一役でデビューした三上祐一は鶴見辰吾の実弟で、兄弟での共演シーンはリアルそのものだったのだろう。

 友情出演とクレジットされた佐藤浩市は、駅員としてワンシーンに映るだけである。




[相米慎二作品]
★ションベン・ライダー★
★魚影の群れ★
★ラブホテル★

「ションベン・ライダー」*相米慎二監督作品



監督:相米慎二
原案:レナード・シュレイダー
脚本:西岡琢也、チエコ・シュレイダー
音楽:星勝
主題歌:「わたし・多感な頃」河合美智子
挿入歌:「スクール・デイズ」永瀬正敏
出演:藤竜也、河合美智子、永瀬正敏、坂上忍、鈴木吉和、原日出子、桑名将大(正博)、木之元亮、財津一郎、村上弘明、寺田農、宮内志麻、伊武雅刀、きたむらあきこ、倍賞美津子

☆☆☆★ 1983年/東宝、キティ・フィルム/118分

    ◇

 『翔んだカップル』『セーラー服と機関銃』につづく、相米慎二監督の〈ガキ映画3部作〉の第3作。
 生来の喰わず嫌いから、先の『翔んだカップル』『セーラー服と機関銃』をスルーしていた当時、リアルタイムで初めて相米作品を観たのがこの映画だった。
 冒頭から「えっ?ナニ,何?』と目を疑う感覚になり、不可解でありなんとも魅力に富んだ映画なのである。


 ジョジョ(永瀬正敏)、辞書(坂上忍)、ブルース(河合美智子)の3人は、日頃イジメられているガキ大将のデブナガ(鈴木吉和)に仕返しをしようと考えていた。ところが、デブナガが3人の面前で暴力団に誘拐されてしまった。
 「デブナガへの仕返しを諦めるかって?」「冗談じゃない!」
 3人はデブナガとの決着をつけるために奪還作戦を決めた。
 横浜へ行った3人は、派出所の田中巡査(伊武雅刀)と知り合い、デブナガのオヤジが覚醒剤の精製をやっていていたために、組み同士の争いにデブナガが誘拐されたことなどを知る。巡査の誤解から3人は覚醒剤中毒の中年ヤクザを紹介される。巌兵(藤竜也)という名のそのヤクザは、組長(財津一郎)からの命令でデブナガを誘拐した山(桑名将大)と政(木之元亮)を追っていた。
 ブルースと辞書は、担任のアラレ先生(原日出子)が研究会で滞在する熱海を経て名古屋へ。ジョジョも別行動で巌兵を追って名古屋へ。
 熱田神宮近くの運河の貯木場に集結した5人は山と政を追いつめるが、逃げられる。
 怪我をした巌兵を含め組長の世話になるジョジョとブルースと辞書とアラレ先生だったが、デブナガの居所の情報を得たアラレ先生までが山と政に拉致されてしまった。3人は虚しく横浜へ戻る。
 覚醒剤中毒になった田中巡査と再会した3人は、山と政らが隠れている覚醒剤精製所を教えられ、乗り込むことに。デブナガとアラレ先生を救出するために大立ち回りを繰り広げ、果ては巌兵の再出現から銃撃戦に。山と政が死ぬなか、警察隊がやって来る……。

    ◇

 全編、ほとんどをワンシーン・ワンカットの長回しに徹した作法で、河合美智子、永瀬正敏、坂上忍らが、走り、跳び、踊り、歌い、弾む。すべてのシーンがドキュメンタリーのように嘘のつけない“画(絵)”となり、3人の少年少女たちの肉体が躍動する。ひとつの、アクション映画と云えよう。

 開巻から釘付けになるのが、約8分間のワンカットシーン。桑名将大と木之元亮がいる駐車場から道路へ、道路から学校のプールへ。辞書らをプールに沈めていたデブナガを捉えたカメラはそのまま校庭へ。校庭で爆音を鳴らし走り回る少年たちを追っかけているアラレ先生の原日出子。そこに水着から着替えた河合美智子、永瀬正敏、坂上忍が現れ、校門でデブナガたちと争いになる。桑名将大と木之元亮が再び登場し、別の車がデブナガをさらって行く。学校の外に走り出した河合美智子と永瀬正敏と坂上忍の背中をパンしたカメラが、校門に手書きされた「ションベン・ライダー」のタイトルを映し出す。
 興奮する以外にないこのシーンで、〈ストーリーを見るな、映画を感じろ〉と挑発する相米監督の気概が伝わってくるのである。
 まあ、ワンシーン・ワンカットにこだわり過ぎる監督の作品ははっきりと好き嫌いが別れるだろうが……。

 相米監督は公開当時のインタビューで「オトナが見たって意味ないこと。映画っても、子供が楽しめばいいんだから……」みたいなことを言っていた。アニメ『うる星やつら~オンリー・ユー』の併映作だという意識。だから好きなように撮るというスタンス。自由奔放に“遊んだ”映画ってことだ。だからって子供の映画なんかじゃない。
 現場では、大人が辛くなるような過酷な演出を、素人の中学生(永瀬正敏は当時高校1年)の4人にも強いる相米監督の執拗ぶり。すべてスタントマンなしだ。

 女の子がイヤでイヤでしょうがない少女役を1万数千人のオーディションで勝ち取った河合美智子(ブルースの本名がそのまま芸名になった)は、運河に架かる吊り橋の上から飛び降り、まだまだ可憐でお嬢様タイプの原日出子もワンピース姿のまま橋の欄干を跨いで飛び降りる。
 そして、語り種となっている貯木場での追っかけに繋がってゆく。
 舟からのカメラがゆっくり横移動していくなか、貯木場を河合美智子、永瀬正敏、坂上忍、原日出子、桑名将大、木之元亮ら主要人物たちが走り、何度も何度も川に落ちる。みんな本気で演っている。遊んでいる。付き合わされるのが大変と、藤竜也だけは悠々と歩いているのが面白い。
 穀潰しのような中年アウトローは『野良猫ロック』の成れの果てか。

 原日出子と村上弘明が桑名&木之元のアジトに乗り込むシーンの長回しは、低い位置からのカメラが真夜中から朝方までの時間をワンカットで見せる。相米監督の師匠でもある曽根中生監督の『天使のはらわた 赤い教室』での安旅館シーンを彷彿とさせてくれる。

 「手柄たてたと思うなよ」
 刑事に向かってデブナガが叫ぶラスト。画面の右端にポツンと置かれた「、」のエンドマーク。映画は、歪んだ大人の世界に迷い込んだ少年少女が、冒険の末に得た変貌と感傷と哀切で終わる。

 先のインタビューで相米監督は「これでガキの映画はお終い」と語り、この年の暮れ、骨太な人間ドラマ『魚影の群れ』を発表した。

    ◇
 
★天使のはらわた 赤い教室★

[相米慎二作品]
★魚影の群れ★
★ラブホテル★

「魚影の群れ」*相米慎二監督作品



監督:相米慎二
原作:吉村昭
脚本:田中陽造
音楽:三枝成章
エンディングソング:「Bright Light,in the Sea」原田芳雄&アンリ菅野
挿入歌:「遣らずの雨」川中美幸
出演:緒形拳、夏目雅子、佐藤浩市、十朱幸代、三遊亭円楽、下川辰平、矢崎滋、寺田農、木之元亮、レオナルド熊、石倉三郎、工藤栄一

☆☆☆☆☆ 1983年/松竹富士/135分

    ◇

 6月中旬頃になると、津軽海峡には太平洋側から黒潮暖流、日本海側から対馬暖流が流れ込んでくる。9月末までの三ヶ月間、この二つの暖流に乗って姿を現わすマグロの大群を求め、沿岸の漁港は殺気をはらんだ賑わいを見せる。

 津軽海峡のマグロの一本釣り漁は、若い強靱な肉体と鉄の意志が要求される。
 下北半島最北端の大間漁港。マグロ漁師の小浜房次郎(緒形拳)は、夜明けまで餌のイカを獲って帰り、仮眠後、再び沖に出る。いったんマグロが鉤に掛かると、肉体との格闘が極限までつづく……。
 ある日、娘のトキ子(夏目雅子)が結婚したいから男に会ってくれ言ってきた。町で喫茶店を営む依田俊一(佐藤浩市)というその青年は、養子になってでも漁師になりたいと房次郎に伝える。マグロ漁に命を掛けてきた房次郎には、その言葉は蔑まれたように感じるのだった。
 店をたたみ大間に引越してきた俊一は、毎朝房次郎の持ち舟〈第三登喜丸〉の前で待ち受け、漁を教えてほしいと頭を下げるのだった。10日以上も無視し続けた房次郎だったが、ある朝、ついに船に乗ることを許した。それはトキ子が、家出した妻のアヤ(十朱幸代)のように、自分を捨てて家を出て行くのではないかと怯えていたのだ。
 数日後、二人の船はついにマグロの群れにぶつかった……。

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 自然との死闘を繰り広げる過酷なマグロ漁に携わる男のダイナミズムと、ただひたすら寡黙に待つ女の深い情念を濃密に描き、命を賭けて生きている男と女たちの風情を活写していく生々しい人間ドラマである。

 当時気鋭の相米慎二監督にとって、原作の壮大なスケールに負けないためには、お得意のワンシーンワンカットの長廻しによる緊張感と興奮の持続が命綱であったろう。とにかく、半端ではない長いカットの連続だ。

 俳優にとっても、長廻しは小手先の演技ができない。
 緒形拳は矢崎滋と本気で殴り合い、マグロとの格闘シーンでは200~300kg近い本マグロを、実際にテグス一本で釣りあげる。息を呑む迫力は、ある意味ドキュメンタリーだ。

 夏目雅子は、父に従い育ち、男を愛したことで父と対立し、男と生きたことで父を理解する女そのものの生きざまを体現する。緒形とのシーンは、どれをとっても見応えがある。
 一番の見せ場はラストシーン。現実の時間通りに一昼夜で撮影され、彼女の鬼気迫る姿には圧倒される。女優として絶頂期であったことは間違いない。

 もうひとり、おんなの人生を見せてくれるのが十朱幸代。
 20年前、口より先に手が出る夫に我慢できず家を飛び出し、酒場を転々と流れるやさぐれ女を演じており、中盤、北海道の伊布港で娘に捨てられた緒形と再会する場面は、何度見ても印象深い名シーンとなっている。
 風情ある旅館の2階の一室の窓辺にいる緒形を、外からのクレーンカメラが捉える。雨が降り出す。上空のカメラがパーンして下の道を歩く女の足下を捉える。立ち止まる女。宿を見上げる十朱の顔。雨の音が消える。緒形に気づき走り出す十朱。一転、強く降り注ぐ雨とともに、緒形が旅館を飛び出してくる。カメラが下降し、そのままふたりを追う。この見事なカメラ移動には、息を凝らして見つめるしかない。
 強い雨に打たれながら、裸足で延々と逃げる十朱。追う緒形。十朱が精魂尽き果ててアスファルトの道に大の字になるまで、一切のセリフはない。撮影2日間、黙々とただ走るだけを繰り返した十朱幸代は、現場で過酷な指導を課す監督に見事に応えている。
 その後の緒形とのハードな濡れ場も凄いが、ひとりぼっちになった十朱が、夜の埠頭でくわえ煙草で「チャンチキおけさ」を口ずさむシーンは絶品。
 相米作品としては、『ラブホテル』('85)において志水季里子が口ずさむ「赤い靴」とともに、哀切あるシーンのひとつとして好きだ。
 
 おでん屋のオヤジ役で映画監督工藤栄一が出ている。前年に、緒形拳で『野獣刑事(デカ)』を撮影した縁での特別出演だろう。




「ラブホテル」*相米慎二監督作品



監督:相米慎二
脚本:石井隆
挿入歌:「夜へ…」山口百恵、「赤いアンブレラ」もんた&ブラザーズ
出演:速水典子、 寺田農 、志水季里子 、中川梨絵 、益富信孝 、尾美としのり、 佐藤浩市 、伊武雅刀、木之元亮、萬田久子 (ノンクレジット)

☆☆☆☆★ 1985年/にっかつ:ディレクターズ・カンパニー/88分

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 流麗なカメラワークを得意とした相米慎二監督の唯一のロマンポルノであり、石井隆がこれまでに描いてきた20本近くの“名美の物語”の映画群のなかで、ベストワンに挙げられる映画だ。

 2週間足らずで撮り上げた本作は、そのほとんどがワンシーン・ワンカットで撮影されている。俳優のモチベーションを持続させ、登場人物のデリケートな心の動きをエモーショナルに伝える長廻しは、女と男の情愛の深さをえぐり、観る者の心の奥底を震わせ、心の襞に響いてくる。

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 経営していた小さな出版社が倒産し、愛妻を取り立てのヤクザに陵辱された村木(寺田農)は人生に絶望。ゆみと名乗るホテトル嬢(速水典子)を道連れに自殺を決意するが、女の生きていることの芳醇なエロティックさに魅入られ、思いとどまる。

 そして2年後、タクシー運転手になった村木は、借金の取り立てが及ばないように妻の良子(志水季里子)とは離婚をし、一人でひっそりと暮らしていた。
 ある日、村木は街で偶然にも2年前の彼女を見かけ、客として乗せる。現在、OLとしてアパレル会社に勤める彼女の名前は土屋名美。上司との危うい不倫関係を続けているが、2年前の一度きりのアルバイトが忌まわしい過去の傷として残っており、「きみは天使だ」と口にする村木に戸惑うのだった。
 しかし、次第に名美の心のなかには、村木を支えにする思いが芽生えてくる。
 
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 石井隆作品といえば、雨と暗闇とネオンが象徴だが、この相米作品においても“雨”がよく降る。
 冒頭、空っぽになったビルの事務所跡で、一匹のハエに自殺の邪魔をされる夜の雨。名美が上司との別れ話の後、村木の部屋の前で彼を待つ夜の土砂降りの雨。生きていることがぎりぎりの、こころの喪失感に叩き付けられる。

 映画は“名美と村木の物語”に終始するのだが、もうひとり、村木の別れた妻の良子にも注目したい。
 夜勤明けの村木を公園のブランコに座って待つ良子。村木の部屋の煎餅布団でしっとりと彼を待つ良子。健気に待つ女を演じる志水季里子の存在感。
 ここに“ふたりの名美”が居て、それでこそ、村木の愛の物語は成立する。

 不倫相手の上司の妻正代(中川梨絵)に無言電話をかけられたり、相手の上司の思いやりのない別れ話などに、もはや心がボロボロになった名美。彼女には、2年前のたった一度の経験で躰が覚えた行為が蘇る。
 あの日に着ていた黄色いカーディガンを羽織り、村木の部屋を訪ね「あの夜の続きをして欲しい」とせがむ名美。戸惑う村木。
 相容れない名美の“不純な愛”と村木の“無垢な愛”は、ふたりの間に時の流れとして存在する。「出逢いからやり直したい」と呟く名美に、村木は何も言うことができない。
 名美の嘘を知りつつ激しく躰を重ねる村木のこころは離れていってしまう。名美と村木、そして村木と良子の心のすれ違いは、結局、村木が純粋すぎるゆえなのか………。

    ◇

 村木と名美が思いがけずに再会した夜の、タクシーのラジオから流れる山口百恵の「夜へ…」。

 “修羅 修羅 阿修羅 修羅”
 “あやしく、あまやかな 夜へ……”
 “ひそやかに ひめやかな 夜へ……”

 この阿木燿子の詞の甘美さが一段と高まるのが、別れ話の電話で通話を途中で切られ、その後も延々と喋り続ける名美を、4分16秒間優しく包み込む山口百恵の情感豊かなヴォーカルだ。

 もともと、この映画はシナリオ段階でのタイトルが「夜へ…」と名付けられていたというし、通俗的な歌謡曲を名美の男に対しての恨みや諦め、意地と再生に浄化させる手だてに使用するのは、劇画時代の昔から石井隆の本領でもある。

 挿入歌ではもう1曲、もんた&ブラザーズの「赤いアンブレラ」が、名美と村木のこころが通じ合う埠頭のシーンで魂を揺さぶる。もんたよしのりの狂おしいハスキーヴォイスは、ラストシーンでも活かされる。

1985_LoveHotel.jpg

 雨の上がった日の朝。
 無人となった村木の部屋。
 アパートの前の石段ですれ違う名美と良子。
 「赤いアンブレラ」に被せるように、志水季里子が口ずさむ「赤い靴」。
 “ふたりの名美”に降る情念の桜吹雪。
 果てない哀切が滲む…………

 このラストシーンを音声を消して眺めてみると、そこには、阿木燿子の世界を透かして見ることが出来る。
 1979年に発表された山口百恵の『A Face in a Vision』には、甘美なクロージング曲「夜へ…」とともに、オープニングに「マホガニー・モーニング」という歌が収録されている。

 “はらはらと散っていく 花びらの下で”
 “起きたまま見る夢を 当ててみましょうか”
 “階段の踊り場では 子供が遊んでいる”
 “そっと そっとしてあげて マホガニー・モーニング”

 ここに、山口百恵&阿木燿子と石井隆の世界がリンクした………