TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「牝犬のブルース」命 みさお

1969_mesuinu-no-blues.jpg
命 みさお◆ 牝犬のブルース/愛のくさり 1969年

 作詞・作曲は佐伯一郎。

 これも何年か前の猟盤で見つけた1枚で、タイトルを見た時に突然手を止めてしまったシングルだった。
 東芝の赤盤で、ジャケ写も演劇的なフォルムで何か曰くありそうだし、そのうえ歌手の名前が「命(いのち) みさお」だよ、インパクトに参ったね。
 プロフィールを見ると本名は飯尾佐代子、特技は短距離陸上競技で、趣味はパチンコだそうだ。60年代のこの手のプロフィールって面白いんだよね。

 肝心の楽曲はというと、これがまた凄いヴォーカル。B面「愛のくさり」を聞く限り、青江三奈の流れにある低音ハスキーヴォイス歌手だが、A面「牝犬のブルース」はまさに、牝犬が吠えるディープなやさぐれ歌謡。
 東芝レコーディング・オーケストラによるフルバンド演奏のイントロから、リズミックで迫力あるR&Bメロディが実に素晴らしい!

スポンサーサイト

謎の女、たまき・ゆり


環(たまき)ユリ◆ 銀座の落葉/その時わたしは
 1973年

 A/B面ともに、作詞は服部鋭夫、作曲は小林賢治。
 何年も前に、中古レコード店の100円コーナーで見つけた1枚で、ジャケットの様子からグルーヴあふれるR&B歌謡かと思ったのだが、思惑はハズレた。
 よくある夜の街の女を歌った歌謡曲で、可もなく不可もなく……。
 プロフィールの経歴には、“サングラスの謎の女”とだけの表記がナゾを呼んだが、結局レコード棚の奥にしまわれたままのシングルだった。

    ◇

1977_TamakiYuri_ep.jpg
たまき・ゆり◆ 夜の落し子/都会のカモメ
 1977年

 環ユリを“たまき・ゆり”と改名し、1977年8月にリリースしたのがこのシングル。
 ジャケットのイラストが目にとまり手に入れて来たのだが、価格カードに上村一夫のイラストって書かれていたが、本当にこれ上村一夫なのか?
 ジャケットには表記もなく…イラストとしての艶っぽさもなく…上村一夫風に描いただけではないのか?……ま、いいか。

 相当にやさぐれたタイトルの「夜の落し子」は、作詞遠山すばる、作曲中山博之。
 母の形見ひとつ持って故郷を捨てた女が、夜の街の片隅に辿り着き、ろくでもない男からは逃げるも、どこにも行けない悪い女になったと嘯く…刹那的に荒んだ怨み節だ。
 
 B面「都会のカモメ」も同じふたりの楽曲となる。
 別れた男の行く末に思いを馳せる、女の諦が凝縮したやさぐれ歌謡。

「つまみ喰い」三浦弘子


三浦弘子◆ つまみ喰い/倖せなのね 1978年

 1978年8月にリリースされた、三浦友和の実姉三浦弘子の「つまみ喰い」。作詞は遠山すばる、作曲は中川博之。
 牧陽子の名で1975年「新宿二丁目曲り角」で歌手デビューした彼女が、本名の三浦弘子に戻って再デビューした1作目だ。
 
 ふらっと居なくなった男(年下の男とみた)の悪い癖を思い出しながら、己を俯瞰で語る捨て鉢ぶり。やさぐれた歌声がぴたりとハマっている。
 

ガールズ・バンドの草分け、ピンキー・チックス

PinkyChicks_ph.jpg

 ピンキー・チックスは、ダンサー丘なおみのダンスチームがGSブームに乗って1967年に結成した6人組バンドで、米軍キャンプやクラブショーなどで活動。
 GSブーム真っただ中において全員女性のバンドはまだまだ珍しく、ときどき平凡パンチなどでGOGO喫茶のバンド紹介でいくつかのバンドを見るくらいのなか、唯一レコードデビューしたガールズ・バンドがこのピンキー・チックスだった。


ピンキー・チックス◆ ヨッパラッタお嬢さん/そばにいて 1968年

 「ヨッパラッタお嬢さん」の作詞は三木かおる、作曲は新井はるコ。

 1967年から68年にかけてフォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」が空前のミリオンヒットを遂げたあと、同じようにテープの早回しを使った歌が何枚もリリースされ、この「ヨッパラッタお嬢さん」もそんな雨後の筍のように、深夜放送でコミックソングとして流れていた。
 残念なのは、流行のコミックソングを歌う女性バンドということだけで、不当な色モノ扱いされていたのが現実だったろうか、話題になってもヒットには繋がらなかった。

 当時、ジャガーズ「マドモアゼル・ブルース」、スパイダース「あの時君は若かった」、ゴールデン・カップス「長い髪の少女」を買いに行ったとき、レコード屋さんでこれらGSバンドがポピュラーのジャンルにおいてあったのに対して、ピンキー・チックスは邦楽・歌謡曲のなかでも、「ケメ子の唄」(ザ・ダーツ)、「水虫の唄」(フォーク・クルセダーズの変名バンド、ザ・ズートルビー)、「主婦のブルース」(高石友也)、水森亜土らのレコードと並んでいたんだよね。
 上記のシングルは同時期に買ったんだけど、ピンキー・チックスの購買意欲を駆り立てたのは、2面ジャケの裏面のミニスカート勢揃いに食指が動いたっていうのも、まぁ、事実…やっぱり色モノとみてたかな。

1968_PinkyChicks_1st-ep1.jpg

 でも、楽曲・歌の実力を知るには、B面「そばにいて」のほう。GS歌謡の大傑作だ。
 いまでは60年代のキューティー・ガールズ・ソングとして「そばにいて」が重宝されている。作詞は谷もとこ、作曲は新井はるコ。
 ヴォーカルの糸乗美和の歌の巧さは確かなもので、当時からB面ばかりを聴いている。

 結局、バンドとしては売れることなく、このデビュー盤含めて3枚のシングルを残したのち、71年ころに自然消滅している。アルバムが残されなかったことが実に残念だ。
 糸乗美和は1971年にソロ歌手いとのりかずことして、新人作詞家であったちあき哲也の楽曲「女の旅路」で再デビューし、そして、ちあき哲也の原作を歌謡史に残る12の名曲で構成し歌った『小説・女の旅路』というアルバムは、カンツォーネやシャンソンまで歌いこなす彼女の歌唱力で、聴き応えある名アルバムとなっている。シングルでは、筒美京平や宇崎竜童(DTBWBでデビューする前)の楽曲もある。

 ピンキー・チックスの動いた姿は、2本の映画で見ることができる。

●松竹映画『喜劇 初詣列車』(’68/瀬川昌治)より「ソーラン節・ア・ゴーゴー」


 レコードデビューする前に公開されている。

●大映映画『女賭博師乗り込む』(’68/田中重雄)より「星を探そう」


 江波杏子の『女賭博師シリーズ」の6作目…江波の妹役の安田道代(現・大楠道代)がピンキー・チックスのヴォーカルを担当している設定。7人目のメンバーとして糸乗の隣でタンバリン持って歌っている風だが、口パクだろう。

「愛かしら 恋かしら」香月サコ


香月サコ◆ 愛かしら 恋かしら/サコの泪 1969年

 1969年3月リリース…ポリドールのビートガール香月サコ3枚目のシングル。
 作詞水木かおる、作曲城美好、アレンジをクニ河内が担当したグルーヴ歌謡の傑作で、男性コーラスを従えた低音ハスキーヴォイスが魅力。
 〝アアアドゥワ~シュビドゥ シュビドゥワ〟
 ドスが効いた歌唱で達観した世界が構築される。

 B面「サコの泪」も重めのビートに乗せたひとりGS歌謡で、こちらも高水準その歌声は完璧。

「キリスト・神様・仏様」大田美喜


大田美喜◆ キリスト・神様・仏様/おんな無宿 1971年

 現在演歌歌手として活躍している北見恭子が、1971年にリリースした大田美喜名義唯一のシングル盤で、A面B面ともに作詞青木一大、作曲さいとう徹。
 
 ジャケット写真のズベ公まがいのスレた感じがフェロモンを漂わせ、これは完全にジャケ買いしたもの。
 そして、タイトルからして一筋縄ではいかないままに、いきなりの「許して~」にコミック・ソングの様相と明るいメロディ…それは、ただごとではない昭和歌謡の奥深さ。傑作といわずして何と云えよう。 

 B面「おんな無宿」は、ピアノジャズのイントロに導かれ、ブルージーに展開するやさぐれブルース歌謡。無常感にあふれている。

「螢火」藤圭似子


藤圭似子◆ 螢火/恋狂い 1981年

 1979年に突然の引退宣言をし渡米した藤圭子が、2年後、〝藤圭似子(ふじ けいこ)〟と改名してムバック宣言。このシングルは、復帰のために用意された主演ドラマ「新・海峡物語」(原作五木寛之)の主題歌で、1981年にリリースされた。
 作詞は阿木燿子、作曲は三島大輔。未練を灯しながら情念の川に揺られる女の業が、阿木燿子らしい詞世界に息づいている。
 B面は作詞一文字まこと、作曲森川範一。純情女の色気が漂う、メロトロンが心地良く耳に残る楽曲。

 この後リリースされた藤圭似子名義唯一のアルバム『螢火~右・左』には、「螢火」と対になった世界が展開する「螢子…その後」など、阿木燿子作詞の歌が3曲収録されている。

Fuji-Keiko_Hotarubi_lp.jpg