TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

女性ロッカーの先駆者、麻生レミ「OWN LINES」


OWN LINES/REMI ASO

 名門アトランティック・レコードから1976年にリリースされた麻生レミの1stソロアルバムは、井上堯之が発足したWATERレーベルから井上堯之Water Bandの全面バックアップで発表されたもので、同時に発表された井上堯之の1stソロアルバム『Water Mind』共々、当時大きな話題になった。

 沢渡朔撮影のセクシーショットのジャケットに惹かれもするが、それよりも、60年代初頭のデビューから内田裕也との出会い、日本のロック黎明期のフラワーズを経て、単身アメリカへと旅立った潔さから身に付けた女性ロッカーの凄みがでた素晴らしい表情をしている。
 このアルバムが出た頃は、すでにカルメン・マキや金子マリらが女性ロック・シンガーとしてしのぎを削っていたときだが、彼女らに道筋を残してくれたのが麻生レミだと云うことを忘れてはいけない。

 麻生レミの歌声を生で聴いたのが、1971年7月のグランド・ファンク・レイルロードのオープニングアクトとしてステージに立ったとき。と言っても、当日券を求めて後楽園に出向くもチケットを買えず、球場の外から聴いていたのだが…。
 この時、麻生レミのバックを務めたのが、井上堯之、大野克夫、原田裕臣、山内テツらのスーパー・セッション・バンドだった(本来の彼女のバンド〈WYND〉のメンバーが入国できずにいたため)。
 2度目の渡米でふたたび日本のロックファンの前から姿を消したのもあっという間だったが、1976年、久々に彼女の名前を目にしたのが、このアルバムだった。

OWN LINES
SIDE A
01 NOTHING DOING
02 RIVER DEEP、MOUNTAIN HIGH
03 OWN LINES
04 STUCK FOR WORDS


SIDE B
01 EVERYTING I HAD
02 I’D RATHER GO BLIND
03 SAME AGAIN
04 HOW LONG WOUD I LAST


 アルバム・プロデュースは井上堯之と内田裕也。レコーディングは、井上堯之の『Water Mind』と平行して新潟県塩沢スキー場のロッジで行われた。
 全編英語詞のソリッドなロック・アルバムは、井上堯之、大野克夫、速水清司、PANTA(頭脳警察)らのオリジナル曲とカヴァー曲が2曲。
 知らずに聴かされれば日本人のアルバムとは思えない英語力と、圧倒されるソウルフルなヴォーカルは、伊達にアメリカ各地をクラブサーキットしてきたわけではない証だろう。

 カヴァー曲のアイク&ティナ・ターナーの「RIVER DEEP、MOUNTAIN HIGH」とエタ・ジェームスの「I’D RATHER GO BLIND」は、どちらもソウルフルな名曲をロックテイスト豊かに歌いあげている。
 ブルーズあり、サザンロック風味あり、ヘヴィーなブリティッシュ・ロックありと、それぞれのタイプで歌いわける麻生レミのヴォーカルは、フラワーズ時代のパワフル・ヴォーカルを評価されていたとはいえ、やはり若さゆえの単調さは歪めなかったが、本場を渡り歩いた経験と年齢によるヴォーカル技術が血肉となり、ハスキーで艶のある声で、可憐さや、力強さを変幻自在に操るソウル・フィールを漂わせている。
 それこそ、当時あげあげのカルメン・マキら後輩女性ロッカーを足元にも寄せ付けない貫録ではないだろうか。

★麻生レミ、1971年の貴重音源!★

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麻生レミ、1971年の貴重音源!

 1971年に渡米中だった元フラワーズの麻生レミと小林勝彦のことを、シンガー&ギタリストで写真家のRandy Bowlesという人のブログで見つけた。

https://randybowlestories.wordpress.com/category/flower-travellin-band/

 同時に、1971年ワシントンで麻生レミがジャニスの「Turtle Blues」を歌う音源がYouTubeにアップされているのだが、これ、かなり貴重なものだと思う。



    ◇

 女性ロッカーの先駆者と言われた麻生レミは、高校生のときにジャズ喫茶のステージに立ち、1962年、18歳のときに麻生京子の名前で歌手デビュー。1967年に、内田裕也の誘いで麻生レミと改名し、フラワーズにヴォーカリストとして参加。レコード・デビューには時間がかかったが、日本初の女性ロック・ヴォーカリストとして、陳腐な敬称だが〝和製ジャニス・ジョプリン〟の異名を付けられ、1969年6月、バンドは1stアルバム『Challenge!』をリリースした。 

 この『Challenge!』は1曲を除き、ステージ・レパートリーであるジャニス・ジョプリン、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、ジェファーソン・エアプレインなどのカヴァーで占められているが、もう1枚、1970年1月のステージを収めたライヴ・アルバム「ロックン・ロール・ジャム’70」でも、そのソウルフルな声で存在を際立たせていた。
 
 その後、麻生レミはメンバーのスティール・ギタリスト小林勝彦とともに、アメリカでの活動を目指すためにグループを脱退。
当時は、いろんなグループが結成と解散を繰り返していた日本のロック時代の黎明期でもあり、はっぴいえんどの誕生に伴い、内田裕也との間で「日本語ロック」か「英語ロック」かと、今考えれば馬鹿馬鹿しい論争が真剣に交わされていた時代。
 普遍的ロックの追及のためには、英語で本場のロックに対抗するのだという内田の考えを実践するかのように、1970年3月、麻生と小林が渡米。クラブ・サーキットのバンドで活動していたという話を聞いていたが、このブログと音源により、少しだけふたりの足跡を知ることができる。

 1971年7月、グランド・ファンク・レイルロードの日本初来日公演のオープニングアクトとして麻生レミは一時帰国をしているので、この音源はその数か月前のものとなるのだろう。
 とにかく、貴重な音源と証言ということになる。

 久々に、麻生レミのレコードが聴きたくなった…。

★ロックン・ロール・ジャム’70★
★伝説のグランド・ファンク怒濤の後楽園球場★

Rock'n Roll New Year 2016

あけましておめでとうございます

1970_milktime1.jpg
ミルク・タイム /柳田ヒロ

 干支に合わせたロック・アルバム・ジャケット
 2016年は申年…ということで、インパクトあるゴリラ・ジャケットの『ミルク・タイム』で年明け候

 日本のロック黎明期の一翼を担ったキーボード奏者・柳田ヒロが“エイプリル・フール”や“フード・ブレイン”で活動した後、1970年11月に水谷公生〈ギター〉、角田ヒロ〈ドラムス〉、石川恵樹〈ベース〉、玉木宏樹〈エレクトリック・ヴァイオリン〉、中谷望〈フルート〉のサポートでリリースした、初のソロ・アルバム…
 角田ヒロと石川恵樹は初期の“フード・ブレイン”メンバーで、若松孝二監督の『新宿マッド』('70)のサウンド・トラックを吹き込んでいる。

 アルバムは、4ヶ月前にリリースしたフード・ブレインのファースト・ラスト・ルバム『晩餐』と同じようにインプロヴィゼーションを主体に、鍵盤を縦横無尽に操る柳田の破壊的奏法と水谷公生のアグレッシブルなギターがプログレッシヴでアートなロック・サウンドを構築している…
 クラシカルな小品を交えたインタープレイは、70年代初頭の日本ロックの熱情を感じる一枚として語り継がれている…

1970_milktime21.jpg
01. LOVE ST.
02. RUNNING SHIRTS LONG
03. WHEN SHE DIDN'T AGREE
04. HAPPY, SORRY
05. YUM
06. LOVE T
07. FISH SEA MILK
08. FINGERS OF A RED TYPE-WRITER
09. MILK TIME
10. ME AND MILK TEA AND OTHERS


    

日本語BLUES ROCKに酔いたけりゃ、GRIM SPANKY

GrimSpanky_1st.jpg
SUNRISE JOURNEY/GRIM SPANKY

 NHK-Eテレビ『ミュージック・ポートレイト』で、みうらじゅんが選んだ10曲のなかにあったのがGRIM SPANKYの「大人になったら」だった。〝日本のジャニス・ジョプリン〟と紹介していたが、ぶっ飛んだよ…この歌声にはいっぺんに虜になった。

 ヤバい!この時代にこんなバンドがいたなんて……
 マズい!これまでこんなバンドを知らなかったなんて……

 GRIM SPANKY(グリムスパンキー)は、ヴォーカルの松尾レミとギターの亀本寛貴の2人組ユニット。この『SUNRISE JOURNEY』がフルアルバムでのメジャー・デビュー作となるようだ。

 調べてみたら〝SUZUKI ワゴンRスティングレー〟のCMに流れていたジャニスの「MOVE OVER」は、彼らがカヴァーした歌だったというではないか……あのCMは疑いなくジャニスと思って聴いていたから驚きだ。

01. 焦燥
02. サンライズジャーニー
03. 褒めろよ
04. MIDNIGHT CIRCUS
05. 踊りに行こうぜ
06. 夜が明けたら
07. さよなら僕の町
08. WONDER ALONE
09. ロルカ
10. 大人になったら
11. リアル鬼ごっこ


 シワ枯れ、締め付けるような発声で歌う松尾レミの声は、たしかにジャニスに近い。

 これまで〝和製ジャニス・ジョプリン〟と呼ばれてきたヴォーカリストは多く、麻生レミしかり、金子マリしかり、ハスキーヴォイスというだけで杏子だってそうだし、ジャニスに傾倒する夏木マリ姐さんは声質は違うのになんともジャニス的表現力だったりしたし……Superfly(越智志帆)は70年代テイストでデビューしていたわけだが、このGRIM SPANKYのヴォーカリスト松尾レミには〝再来〟という惹句を蹴散らすほどに圧倒的な凄みがある。止めを刺された感じか…。

 全曲松尾レミの作詞作曲(いしわたり淳治との共詞が3曲)で、「焦燥」は松尾が17歳の時に初めて他人(ひと)に聴かせることを意識して作った曲だという。幻想文学に傾倒していたという松尾レミの歌詞世界は感性豊かで、表現者としても、今どきのバンドにしては日本語での歌唱表現がしっかりしている。メッセージとして、きちんと歌詞が迫ってくるのだ。

 スピーディーなロックチューンとバラッドの兼ね合いもよく、存在感に酔うことができるヴォーカルはカッコいいのひと言だ。特に「大人になったら」が秀逸だろう。
 ブルージーなギターも60〜70年代の英国ブルースロックを彷彿とさせるもの。
 そして、どこか昭和歌謡テイストな楽曲があるところもクセになる。

[褒めろよ]


[焦燥]


[大人になったら(Live)]



村八分BOX 〈Limited Edition〉

01_村八分_CD-BOX
 今更ながらだが、2005年に購入した村八分のBOXセットを紹介しておこう。
 バンドが解散して42年が経ち、このBOXがリリースされてからも早10年。その間、ギターの山口冨士夫とベース担当の青木真一の二人が相次ぎ亡くなり、オリジナル・メンバー5人から既に4人が他界してしまっている時の流れなのである。

 日本で最もラジカルなロック・バンド村八分は、活動期間約5年の間に公式にリリースされたオリジナルアルバムはたった1枚しかなく、その唯一のアルバムもライヴ盤(2枚組)であり、ライヴバンドの名をほしいままにしていた証としてレジェンドな1枚として語り継がれている。

 村八分BOXの内容は、ELECレコードからリリースされたアルバム『ライブ』をリマスタリングしたアナログ完全復刻盤(紙ジャケ仕様の被せ帯付)と、スタジオ・セッション&未発表ライヴで充実させたCD6枚プラス未発表映像を収録したDVDを未発表写真を満載したベルベット生地の特殊仕様ブックレットに納めたもので、かなり高額な価格にも関わらず躊躇せずに買い求めたアイテムだ。

 disc1に収録された1971年のスタジオ・テイク6曲は、多分ファーストアルバムとしてリリースされるものだったのだろう。こうしてリマスタリングされ陽の目を見たわけで、現在では単体で唯一のスタジオ・アルバムとして『くたびれて』のタイトルでCDリリースされている。

 未発表ライヴCDの音質は、カセットなどのオーディエンス録音なのでコアなファン以外の人には辛い音質だと思うが、ロックンロールが不良少年のものとして生きていた時代の生々しい音には感慨深いものがある。

 動く〝村八分〟は強烈だ。断片的で物足りなさがあるものの、それまでサイレントの短い映像で目にしていたものが、たとえアフレコとはいえ音入りの映像で復刻されたことに歴史的価値があるってものだ。


02_村八分_CD-BOX
村八分 BOX Limited Edition (8CD+DVD)
Disc.1:1971年スタジオ&ライブ
01. どうしようかな
02. のんだくれ
03. くたびれて
04. あやつり人形
05. ドラネコ
06. あっ!
(1971年4月30日大阪 スタジオ)
07. 裸の街
08. あやつり人形
09. どうしようかな
10. 機関車25
11. はなからちょうちん
(1971年6月20日日比谷野外音楽堂ライブ)
12. インスト1
13. インスト2
(1971年 スタジオ)

Disc.2:1972年8月27日 京都円山野外音楽堂〝村八分No.1コンサート〟
01. あやつり人形
02. はなからちょうちん
03. 夢うつつ
04. あっ!
05. どうしようかな
06. ぐにゃぐにゃ
07. 機関車25
08. 水たまり
09. のうみそ半分
10. にげろ
11. ドラネコ
12. 馬の骨

Disc.3:1972年11月11日 京都会館第一ホール〝村八分公演〟
01. ぶっつぶせ
02. 夢うつつ
03. ねたのよい
04. あっ!
05. どうしようかな
06. ドラネコ
07. くたびれて
08. あやつり人形
09. んっ!
10. はなからちょうちん
11. のうみそ半分
12. にげろ
13. ぐにゃぐにゃ

Disc.4:1972年~1973年 京都ガロ
01. はなからちょうちん
02. にげろ
03. あやつり人形
04. ぐにゃぐにゃ
05. ゴミ箱のふた
06. インスト~あっ!
07. んっ!
08. のうみそ半分
09. ねたのよい
10. あくびして
11. 夢うつつ
12. どうしようかな
13. 水たまり
14. 馬の骨

Disc.5:1973年エレックスタジオ+1972年プライベートアコースティックテープ
01. 夢うつつ
02. はなからちょうちん
03. ぐにゃぐにゃ
04. あくびして
05. 機関車25
06. ゴミ箱のふた
(1973年エレックスタジオセッション)
07. 読人知らず1〈リハーサル〉
08. 読人知らず2〈リハーサル〉
(1972年プライベートアコースティックテープ)

Disc.6:1979年5月6日 京大西部講堂〝狂騒ロックコンサート〟
01. レッドレター
02. くたびれて
03. 夢うつつ
04. 水たまり
05. ツイスト&シャウト
06. ディジー・ミス・リジー

Disc.7:村八分ELEC『ライブ』完全復刻&リマスタリング
01. あッ!!
02. 夢うつつ
03. どうしようかな
04. あくびして
05. 鼻からちょうちん
06. 水たまり
07. のうみそ半分
08. 馬の骨

Disc.8:
01. ねたのよい
02. ぐにゃぐにゃ
03. のびてぶぎー
04. んっ!
05. どこへ行く
06. にげろ
07. どうしようかな
08. 序曲

DVD:
・1971年日比谷野外音楽堂、1972年円山野外音楽堂、1972年慶応大学三田祭前夜祭の未発表映像
・CD『Live '72 三田祭』 発売時に限定配布されたビデオ映像
・店頭演奏用に作成されたPV
・1972年慶応大学三田祭前夜祭・未発表フォト・ギャラリー

「泳ぐ人」大野轟二


SWIMMER / KEIKO'S THEME
大野轟二◆ 泳ぐ人/恵子のテーマ 1982年

 1982年10月に公開された工藤栄一監督『野獣刑事』の主題歌として、映画公開前の9月にリリースされた大野轟二(元ガロのヴォーカリスト大野真澄)のシングル。

  〝ビルの影から スイミング〟〝あいつは ダイバー〟
  〝ふられて スタンドバー〟〝うわずって フォービート〟
  〝いかれた ハイボール〟

 キャッチーな言葉を並べた歌詞はコピーライターの日暮真三(イラストレーター日暮修一の実弟)が書き下ろし、大野克夫が作曲したブルージーなバラードだ。
 演奏は大野克夫BANDが担当。大野轟二のダルな歌声が、映画のテーマに寄り添うように切なく、何度でも聴きたくなる傑作である。

 ジャケット写真は映画のオープニング。工藤監督お得意の逆光シーンから映画ははじまり、朝方の大阪釜ヶ崎地区の街中をカメラが移動するタイトルバックに「泳ぐ人」は流れる。

 B面「恵子のテーマ」も大野克夫作曲。大野克夫BANDが演奏する映画の挿入曲で、いしだあゆみが囮捜査のために出向くシーン…これも切ないぞ。

「タモリのワーク・ソング」タモリ


WORK SONG / DEAR OLD STOCKHOLM
タモリ◆ タモリのワーク・ソング/久美ちゃんMy Love 1981年

 31年以上にも及ぶ『笑っていいとも!』の司会を終え1年が過ぎようとしているなか、2014年10月から始まった『ヨルタモリ』につづいて、2015年4月からはNHK『ブラタモリ』がレギュラー放送復活となる。
 『ヨルタモリ』がかつての密室芸を披露する場とすれば、『ブラタモリ』は“知”のタモリの時空を超える探訪芸の場。毎日の帯番組の束縛から解放されたタモリには、この新シリーズにおいて全国を股に掛けた散策ロードを期待している。

 さて、タモリは『笑っていいとも!』放送開始前の1981年と1982年の2度にわたり、フュージョン・インストゥルメンタル・バンドThe SQUARE(現・T-SQUARE)を従えた〝RADICAL HYSTERY TOUR〟の全国ツアーを敢行している。
tamori_RHT_ticket.jpg

 このシングルは、ツアーの合間となる1981年12月にリリースされたもので、多趣味でジャズ好きのタモリが得意とする音楽芸のひとつだ。

 ナット・アダレイ作曲のA面「ワーク・ソング」は、素人時代に赤塚不二夫ブレーンとして知り合った朋友高平哲郎がナンセンスな詞をつけている。

 ~業務報告 産業広告 / 依頼退職 無芸大食 / 勤務評定 競輪競艇~
   四文字熟語で韻を踏み、
 ~ダラリ ダラリ デラシネヨ
   ハナモゲラで締める意味のない言葉の羅列である。
 
 B面「久美ちゃんMy Love」は、スタン・ゲッツの演奏で有名な「ディア・オールド・ストックホルム」に、妻子ある中年男とあどけない少女との禁断の愛といった危ない日本語詞を伊達歩がつけたもの。

 A/B面ともアレンジはジャズ・ピアニストの“コルゲン”こと鈴木宏昌。
 演奏は、アルバム『RADICAL HYSTERY TOUR』でコルゲン・バンドを改めたフュージョン・グループ〝ザ・プレイヤーズ〟と〝The SQUARE〟が担当していたことから、どちらかが務めていると思える。