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TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

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過ぎ去った虚い、「こんな風に過ぎて行くのなら」浅川マキ



浅川マキ◆ こんな風に過ぎて行くのなら/さかみち 1972年

 東京での猟盤では、以前から探していたシングル・レコードを何枚か見つけることが出来た…
 この浅川マキ「こんな風に過ぎて行くのなら」はその中の1枚で、1972年にリリースされた彼女の代表曲のひとつだ…

 当時、浅川マキのレコードはアルバム単位でしか聴いていなかったので、「こんな風に過ぎて行くのなら」は1973年リリースのアルバム『裏窓』で初めて耳にしたのだが、アコースティックなサウンドに乗せた若者の空虚な心象風景がとても切ない…

 このシングル・ヴァージョンはアルバム収録とは演奏メンバーが異なり、深町純、角田ヒロ、高中正義、萩原信義の4人のシンプルな伴奏に導かれる心地よさが格別で、日活ロマンポルノ『OL日記 牝猫の情事』(’72)において、ヒロイン中川梨絵のアンニュイなテーマとしても使われた逸品である…


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「TATTOOあり」の別ジャケ、見っけ…



宇崎竜童◆ TATTOOあり/ハッシャバイ・シーガル 1982年

 GW前の日曜と月曜に東京に出むき中古レコ屋巡りをしてきた…
 新宿ディスクユニオンの新ビルOPENに重なり、帯付き国内初盤やUK/US Rockの貴重盤などが放出されたセールの真っ只中においては、ただただ目の保養だけさせてもらい、もっぱら和モノ安レコの漁盤に励んできた…
 
 ということで、お高いオリ盤を2〜3枚買うよりも、お安いレコを量でカバーした次第で…買い直しもあったり、珍しいものはそれほどでもない…

 さて本盤は、映画『TATTOO[刺青]あり』のクロージングに印象深く流れる宇崎竜童の「ハッシャバイ・シーガル」(B面)であるが、珍しいのは映画の告知ジャケが付帯されていること…
 小説の映画化などで文庫本のカバーに見られるアレと同じ、まぁ、そんな程度のものだけどね…

★TATTOO[刺青]あり★

日本ポップ・ミュージックの源流となる1枚…

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キャラメルママ/ティン・パン・アレー 1975年 初回盤

 インストバンド “キャラメル・ママ”から名義を替えた、細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆、林立夫の4人からなる音楽ユニット・バンド “ティン・パン・アレー”の1stアルバム…
 各人がプロデュースした曲を持ち寄り、4人4色の楽曲で取り混ぜたアルバムのレコーディングに参加したメンバーは、後藤次利、今井裕、高中正義、桑名正博、桑名ハルコ、山下達郎、大貫妙子、矢野顕子、久保田麻琴、南佳孝……
 まさに時代を象徴、日本版Super Sessionの体制…
 日本ポップ・ミュージックの源流となる1枚である…

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SIDE A
01. キャラメル・ラグ (作曲:松任谷正隆/編曲:Tin Pan Alley)
02. チョッパーズ・ブギ (作詞/作曲・編曲:林立夫)
03. はあどぼいるど町 (作詞:松本隆/作曲・編曲:鈴木茂)
04. 月にてらされて (作詞:荒井由実/作曲・編曲:松任谷正隆)
05. チュー・チュー・ガタゴト’75 (作詞/作曲・編曲:細野晴臣)

SIDE B
01. シー・イズ・ゴーン (作詞/作曲:J.ザルスキー/編曲:林立夫)
02. ソバカスのある少女 (作詞:松本隆/作曲・編曲:鈴木茂)
03. ジャクソン (作詞:Gaby Rogers/作曲:Edd Wheeler/編曲:松任谷正隆)
04. イエロー・マジック・カーニバル (作詞/作曲・編曲:細野晴臣)
05. アヤのバラード (作曲:細野晴臣/編曲:Tin Pan Alley)

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Rock'n Roll New Year 2018

あけましておめでとうございます

NOBODY-LIVE_wan.jpg
LIVEワン! /NOBODY

 干支に合わせたロック・アルバム・ジャケットの紹介、2018年は戌年。
 日本のロックバンドNOBODYの、1984年リリースのライブ盤で新年を迎えよう。

 NOBODYは、1970年代後半に矢沢永吉の曲に詞を提供していた相沢行夫と木原敏雄のふたりが、1981年に矢沢と別れ結成したバンド。80年代を一気に駆け抜けたヒットメーカーのふたり組は、80年代では大好きなバンドだ。

 結成後いきなり、HOUND DOGに提供した「浮気なパレット・キャット」が大ヒットし、1982年に1stアルバム『NOBODY』をリリース。BEATLES好きのふたりだけあって、バックボーンはマージー・ビート。アルバムは全編英語詞で、自分たちのやりたいものを創るというコンセプトで、ビート・バンドらしいスタンスが恰好いい。

 1983年、角川映画『里見八犬伝』の音楽を担当したのち、アン・ルイスへの「LUV-YA」「I LOVE YOUより愛してる」「六本木心中」「あゝ無情」や、吉川晃司のデビュー曲「モニカ」など、立て続けにヒットを飛ばすヒットメーカーのバンドとして注目されていく。
 さまざまなアーティスト、アイドルへの楽曲提供(主に作曲)やプロデュース作品は、時代を捉えたビートとソングライティングで、どの曲もNOBODYらしいサウンド…そしてNOBODYの場合、セルフカバー曲はほとんど英語詞で歌われる。

 このライブ盤もNOBODYらしい趣きで、1984年に2度、小さなライブハウスで経験したNOBODYのライヴを思い出させてくれる。

    ◇

NOBODY「LIVE ワン!」
side A
01. Back To '64
02. Back To Back(アン・ルイス「女・Tonite」)
03 .Let Me Be(アン・ルイス「I LOVE YOUより愛してる」)
04. Baby, You're Mine(小泉今日子「風のマジカル」)
05. I'm A Loser(山下久美子「バンg バンg バンg」)
06. Pure Girl~My road show~Sad boy~MarliYn~You're my No.1t
side B
01. Too Far Away(山本達彦「Too Far Away」)
02. Palette Cat(HOUND DOG「浮気なパレットキャット」)
03 .Mad Dreamer
04.Welcom To My Party(山本達彦「Welcom To My Party」)
05. Shake Shake Shake
06. LUV-YA(アン・ルイス「LUV-YA」)
07. Good Night

クロスオーヴァーなヴォーカリスト、アンリ菅野


アンリ菅野◆ 街・彩めいて/優しい退屈 1985年

 ジャズ・ヴォーカリストのアンリ・菅野が1985年にリリースした「街・彩めいて」は、作詞冬杜花代子、作曲アンリ菅野の酒造メーカーのCMイメージ曲。
 B面「優しい退屈」も同じふたりの楽曲で、どちらも80年代特有のアーバンなAORポップスになっている。

 1970年代半ば頃から、日本の女性ジャズヴォーカリストのアルバムを頻繁に聴くようになった。きっかけは笠井紀美子の『WHAT'S NEW』(’73)で、「BUT NOT FOR ME」におけるドラマ性にジャズ・ヴォーカルの魅力を知ったというか……。で、そのあと中本マリや安田南、宮本典子、当時アイドル的存在だった阿川泰子などに嵌っていったのだよね。
 80年代に入ってフュージョン系ジャズが増えたなかでは、伊藤君子や金子晴美、そしてアンリ菅野に辿り着いた。アルバムは4枚所持している。

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 アンリ菅野は音楽一家に育ち、武蔵野美術大学で油絵を専攻し、卒業後はニューヨークで3年間モダン・バレエやジャズ・ダンスを学びながら正確な米語をマスターし、帰国後はニューロック・グループ〈アンリ&モーゼス〉を結成して音楽の道に進み、1978年にソロ・シンガーとしてアルバム『Anli:いち』でデビュー。このアルバムは所持していないのだが、日本語で歌った今で云うJポップなアルバムのようだ。

 1979年リリースの『SHINING WAVE』が、実質ジャズ・シンガーとしてのデビュー・アルバムと云われるが、これも純ジャズではなく、鈴木宏昌のファンキー・アレンジによるブラジリアン・フュージョン・サウンドで、コルゲン・バンドがバックを務めている。
 つづく『JUST GROOVIN'』(’80)は、筒美京平の曲に英語詞をつけた「Mr.PRINTER」がシングル・カットされ、L.A.録音の『SHOW CASE』(’81)では「ラ・ヴィ・アン・ローズ~バラ色の人生」をレゲエで歌ったり、ボサノヴァ・サウンドがメイン。クロスオーヴァーなフュージョン・ヴォーカリストとして、しなやかでエモーショナルな歌声が魅力だ。
 そして、5枚目となるサウンフランシスコ録音の『LOVE SKETCH』(’82)で初めて、本格的ジャズ・ヴォーカル・アルバムを制作。

 「街・彩めいて」をボサノヴァ・ヴァージョンで収めた『街・彩めいて』(’85)は、安井かずみを迎えたシティ・ポップなアルバムに仕上げ、相米慎二監督『魚影の群れ』のエンディング曲には原田芳雄とデュエットした「Bright Light,in the sea」など、ポップスも歌謡曲も歌うヴォーカリストして活躍していたアンリ菅野は、残念なことに1998年に肺線がんを患い、一度は復帰するも、2000年に51歳の若さで逝去している。

女性ロッカーの先駆者、麻生レミ「OWN LINES」


OWN LINES/REMI ASO

 名門アトランティック・レコードから1976年にリリースされた麻生レミの1stソロアルバムは、井上堯之が発足したWATERレーベルから井上堯之Water Bandの全面バックアップで発表されたもので、同時に発表された井上堯之の1stソロアルバム『Water Mind』共々、当時大きな話題になった。

 沢渡朔撮影のセクシーショットのジャケットに惹かれもするが、それよりも、60年代初頭のデビューから内田裕也との出会い、日本のロック黎明期のフラワーズを経て、単身アメリカへと旅立った潔さから身に付けた女性ロッカーの凄みがでた素晴らしい表情をしている。
 このアルバムが出た頃は、すでにカルメン・マキや金子マリらが女性ロック・シンガーとしてしのぎを削っていたときだが、彼女らに道筋を残してくれたのが麻生レミだと云うことを忘れてはいけない。

 麻生レミの歌声を生で聴いたのが、1971年7月のグランド・ファンク・レイルロードのオープニングアクトとしてステージに立ったとき。と言っても、当日券を求めて後楽園に出向くもチケットを買えず、球場の外から聴いていたのだが…。
 この時、麻生レミのバックを務めたのが、井上堯之、大野克夫、原田裕臣、山内テツらのスーパー・セッション・バンドだった(本来の彼女のバンド〈WYND〉のメンバーが入国できずにいたため)。
 2度目の渡米でふたたび日本のロックファンの前から姿を消したのもあっという間だったが、1976年、久々に彼女の名前を目にしたのが、このアルバムだった。

OWN LINES
SIDE A
01 NOTHING DOING
02 RIVER DEEP、MOUNTAIN HIGH
03 OWN LINES
04 STUCK FOR WORDS


SIDE B
01 EVERYTING I HAD
02 I’D RATHER GO BLIND
03 SAME AGAIN
04 HOW LONG WOUD I LAST


 アルバム・プロデュースは井上堯之と内田裕也。レコーディングは、井上堯之の『Water Mind』と平行して新潟県塩沢スキー場のロッジで行われた。
 全編英語詞のソリッドなロック・アルバムは、井上堯之、大野克夫、速水清司、PANTA(頭脳警察)らのオリジナル曲とカヴァー曲が2曲。
 知らずに聴かされれば日本人のアルバムとは思えない英語力と、圧倒されるソウルフルなヴォーカルは、伊達にアメリカ各地をクラブサーキットしてきたわけではない証だろう。

 カヴァー曲のアイク&ティナ・ターナーの「RIVER DEEP、MOUNTAIN HIGH」とエタ・ジェームスの「I’D RATHER GO BLIND」は、どちらもソウルフルな名曲をロックテイスト豊かに歌いあげている。
 ブルーズあり、サザンロック風味あり、ヘヴィーなブリティッシュ・ロックありと、それぞれのタイプで歌いわける麻生レミのヴォーカルは、フラワーズ時代のパワフル・ヴォーカルを評価されていたとはいえ、やはり若さゆえの単調さは歪めなかったが、本場を渡り歩いた経験と年齢によるヴォーカル技術が血肉となり、ハスキーで艶のある声で、可憐さや、力強さを変幻自在に操るソウル・フィールを漂わせている。
 それこそ、当時あげあげのカルメン・マキら後輩女性ロッカーを足元にも寄せ付けない貫録ではないだろうか。

★麻生レミ、1971年の貴重音源!★

麻生レミ、1971年の貴重音源!

 1971年に渡米中だった元フラワーズの麻生レミと小林勝彦のことを、シンガー&ギタリストで写真家のRandy Bowlesという人のブログで見つけた。

https://randybowlestories.wordpress.com/category/flower-travellin-band/

 同時に、1971年ワシントンで麻生レミがジャニスの「Turtle Blues」を歌う音源がYouTubeにアップされているのだが、これ、かなり貴重なものだと思う。



    ◇

 女性ロッカーの先駆者と言われた麻生レミは、高校生のときにジャズ喫茶のステージに立ち、1962年、18歳のときに麻生京子の名前で歌手デビュー。1967年に、内田裕也の誘いで麻生レミと改名し、フラワーズにヴォーカリストとして参加。レコード・デビューには時間がかかったが、日本初の女性ロック・ヴォーカリストとして、陳腐な敬称だが〝和製ジャニス・ジョプリン〟の異名を付けられ、1969年6月、バンドは1stアルバム『Challenge!』をリリースした。 

 この『Challenge!』は1曲を除き、ステージ・レパートリーであるジャニス・ジョプリン、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、ジェファーソン・エアプレインなどのカヴァーで占められているが、もう1枚、1970年1月のステージを収めたライヴ・アルバム「ロックン・ロール・ジャム’70」でも、そのソウルフルな声で存在を際立たせていた。
 
 その後、麻生レミはメンバーのスティール・ギタリスト小林勝彦とともに、アメリカでの活動を目指すためにグループを脱退。
当時は、いろんなグループが結成と解散を繰り返していた日本のロック時代の黎明期でもあり、はっぴいえんどの誕生に伴い、内田裕也との間で「日本語ロック」か「英語ロック」かと、今考えれば馬鹿馬鹿しい論争が真剣に交わされていた時代。
 普遍的ロックの追及のためには、英語で本場のロックに対抗するのだという内田の考えを実践するかのように、1970年3月、麻生と小林が渡米。クラブ・サーキットのバンドで活動していたという話を聞いていたが、このブログと音源により、少しだけふたりの足跡を知ることができる。

 1971年7月、グランド・ファンク・レイルロードの日本初来日公演のオープニングアクトとして麻生レミは一時帰国をしているので、この音源はその数か月前のものとなるのだろう。
 とにかく、貴重な音源と証言ということになる。

 久々に、麻生レミのレコードが聴きたくなった…。

★ロックン・ロール・ジャム’70★
★伝説のグランド・ファンク怒濤の後楽園球場★

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