TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「女優たち」*イ・ジェヨン


ACTRESSES
監督:イ・ジェヨン
脚本:イ・ジェヨン、ユン・ヨジョン、イ・ミスク、コ・ヒョンジョン、チェ・ジウ、キム・ミニ、キム・オクビン
出演:ユン・ヨジョン、イ・ミスク、コ・ヒョンジョン、チェ・ジウ、キム・ミニ、キム・オクビン

☆☆☆ 2009年/韓国/104分

    ◇

 クリスマス・イヴ……ファッション誌[ヴォーグ]の特集グラビア撮影のために、韓国を代表する20代から60代の女優たち6人が一堂に会した。
 さて、常にスポットライトを独り占めしてきた女優たちに、何が起きるのか。

 慣れないグラビア撮影にスタジオに早めに到着するユン・ヨジョンは、誰かの代役ではないかと疑念を持ち、若いスタッフからの扱いに自分の居場所に困る。
 そんなユジョンから「早く来て」と電話をもらうコ・ヒョンジョンは、愛想がよいだけでなかなか現場に出向かない。
 自分で愛車を運転しながら悠然とやって来るのはイ・ミスク。
 オートバイで颯爽とやってくるのはスタイル抜群の若手キム・ミニで、地下の駐車場のワゴン車内でビビりまくっているのがキム・オクビンだ。
 日本で大人気の最中のチェ・ジウは、連日の忙しさに顔のむくみを気にして撮影を断りたい気分。一番遅くに到着することで、皆から厳しい目を向けられる。

 60代のユン・ヨジョン、50代のイ・ミスク、40代間近のコ・ヒョンジョン、30代のチェ・ジウ、20代後半のキム・ミニ、20代前半のキム・オクビン。この6人の女優たちが、本人の役として自分自身を演じている。
 また、終盤に6人がドンペリを呑みながら韓国における女優の立場や、離婚の話など自分の名前をかけて私生活を晒す展開となっているので、6人の女優たちの名前が共同脚本として載っている。

 同世代は互いを牽制し、若手はベテランと互角に対決しようと遠慮がない。その場が緊張感で膨らみ、会話は整形の話や人気への嫉妬心、偏見など際どいまでに一触即発状態がつづくが、これは一種のモキュメンタリー(フィクションを元に作るドキュメンタリー風表現方法)であり、あくまで映画だ。だから、サスペンスにもなったり、日本の韓流ブームを皮肉ったりするところなどはコメディとして笑える。

 韓流ドラマは観たことがなく、韓国映画もごく限られたものしか観ないので、ここに登場する6人の女優の作品は観たことがないのだが、本人たちを知らなくても、6人のどこまでが現実でどこからが演技なのかを探りながら観ていた。

 コ・ヒョンジョンは初対面のチェ・ジウに対して、韓流ブームで人気が高かったことをかなり意識して本気で怒らせようと演じていたというが、それに対してのチェ・ジウの反応が鋭く、また、女優みんなの赤裸々な想いは切ない。

 キム・オクビンは可愛くあって、イ・ミスクは姐御肌…

 総じて、女優は麗しくあれ……

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「スリ」*ジョニー・トー

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SPARROW/文雀
監督:ジョニー・トー
脚本:チェン・キンチョン、フォン・チーチャン
撮影:チェン・チュウキョン、トー・フンモ
音楽:ザヴィエル・ジャモー、フレッド・アヴリル
出演:サイモン・ヤム、ケリー・リン、ラム・カートン、ラム・シュー、ロー・ホイパン、ロー・ウィンチョン、ケネス・チャン

☆☆☆★ 2008年/香港/87分

    ◇

 『スリ』という邦題からサスペンス・ドラマを期待すると見事に肩すかしを喰う。これは、ジョニー・トー監督のほかの作品のようなダークサイドなフィルム・ノワールではなく、スリグループの4人の男たちが謎の美女に魅せられていく大人のお伽噺である。


 香港の街をテリトリーにスリを働くケイ(サイモン・ヤム)、ボー(ラム・カートン)、サク(ロー・ウィンチョン)、マック(ケネス・チャン)の4人組の男たち。
 ある日ケイが街中の階段で趣味の写真を撮っていると、フレームの中に何かに追われているかのように走り去る美女が映り込んできた。
 同じように、ほかの3人の前にも謎の美女が現れる。惹かれる男たち。
 彼女の名はチュンレイ(ケリー・リン)。香港を牛耳る男フー(ロー・ホイパン)の情婦だが、まるで籠の中の鳥のように自由を奪われていた。
 チュンレイは、自由になるためにボスの首にぶら下がる鍵をスリ取って欲しいと依頼。しかし見事に失敗する。
 チュンレイに翻弄された男たちだったが騙されたことが判っても彼女を許し、もう一度チュンレイを自由にするために、そして、プライドを取り戻すためにフーと勝負する………。

    ◇

 お喋りな中国人にしては台詞が最小限にしかなく、古き良き時代を感じさせる香港の風景を、詩的に、美しく描いた映画だ。

 サイモン・ヤムが自転車で古い街中を優雅に走り、ローライフレックスの二眼レフで風景を撮るシーンは、「いつかなくなってしまう美しい香港の街並みを残しておきたい」と云うトー監督の思いにあふれたノスタルジックなシーンで、随所にフランス映画の香りを漂わしながら、遊び感覚にあふれた映像になっている。
 クロージングに映されるモノクロのスナップ集を見ていると、まさに香港の街が主役だったと思えるだろう。

 そのほかにも数々の映画へのオマージュが感じられるから楽しい。

 主人公が鳥を飼うのは、トー監督が大好きなJ・P・メルヴィル監督の『サムライ』('67)を踏襲。
 オープニング、釦付けをするケイの部屋に一羽の文雀が飛び込んでくる。そっと捕まえて窓の外に放してやるが、すぐに舞い戻り部屋の片隅に止まる文雀。軽快なオーケストラ曲が流れるだけのパントマイムな芝居にまずは惹き込まれる。
 原題の〈文雀〉は“スリ”を意味する隠語らしいが、もちろんこの飛び込んできた文雀は、これから登場する美女の化身を意味するものだ。
 
 ケイと仲間たちが集う食堂シーンは『レザボア・ドッグス』('92)のような空気感。 冒頭のスリを行うシーンは流麗なダンスの如くワンシーン・ワンカットで撮影され、ターゲット4名に対して4人の呼吸が見事に揃った手際の良さに息を飲む。

 古い街の坂の石畳にハイヒールを鳴らし、あるいは、跳ねるように街を駈けるチュンレイ。ケリー・リンの端正な美しさが映える。ただただ綺麗。
 ファムファタール的美女の捉え方は、お洒落感覚として『黄金の七人』('65)のよう。6人の男と1人の女の騙し騙されのエンタメ性がここにも感じられるし、『黄金の七人』の「ロッサナのテーマ」風スキャットと口笛が、ケイとチュンレイの官能的なドライヴシーンで効果を上げている。

 『めまい』('58)をイメージする俯瞰カメラで見せるアパートの三角階段も印象的。男を誘う入り口のようであり、美女に魅せられた男たちの滑稽さが覗かれる。

 そしてクライマックスは、約10分間の雨中のスリ・バトル。お得意のスローモーションは銃撃戦ではなく、幾本の傘と水しぶきによるダンシング。これは「当初は『シェルブールの雨傘』のようなミュージカルにしたかった」と語る監督の思いが凝縮された優雅な美。

 チュンレイをタクシーに乗せて逃がし、少年のようにはしゃぐ男たちの友情関係が微笑ましく、『明日に向って撃て!』('69)を連想する自転車乗り(それも4人乗り)が爽やかなエンディングになっている。
 
 




「エグザイル/絆」*ジョニー・トー

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EXILED/放・逐
監督:ジョニー・トー
脚本:セット・カムイェン、イップ・ティンシン
撮影:チェン・シウキョン
音楽:ガイ・ゼラファ、デイヴ・クロッツ
出演:アンソニー・ウォン、サイモン・ヤム、リッチー・レン、ジョシー・ホー、ラム・カートン、エレン・チャン、ラム・シュ、チョン・シウファイ、ニック・チョン

☆☆☆★ 2006年/香港/109分

    ◇

 日本公開は2008年。スタイリッシュな映像美に魅了され、中年に近いオヤジたちの色気と立ち振る舞いに、男が惚れる映画だ。
 
 1999年、中国への返還が迫るマカオ。黒社会を牛耳るフェイ(サイモン・ヤム)を裏切り逃走していたウー(ニック・チョン)は、妻と生まれたばかりの赤ん坊と静かに暮らすため街に戻っていた。
 ある日、ウーの家に4人の男たちが現れた。フェイからウーの殺害を命じられたブレイズ(アンソニー・ウォン)とファット(ラム・シュ)。そして、ウーを守ろうとするタイ(フランシス・ン)とキャット(ロイ・チョン)。
 ウーを含めたこの5人は、幼馴染みであり少年時代から共に過ごしてきた仲間だった。
 「妻と子どものために大金を残してやりたい」というウーの最後の言葉に動いた男たちは、フェイと敵対するボスのキョン(ラム・カートン)の殺害を引き受けるのだが………。

    ◇

 冒頭から、フィルム・ノワールというよりも、まるっとマカロニ・ウエスタンの匂い。
 ポルトガルの植民地だっただけに、古いヨーロッパの香りが漂う街並が一層のムードを盛り上げるから堪らない。
 中盤からラストに至っては、サム・ペキンパー監督の名作『ワイルドバンチ』('69)を彷彿とさせ、“滅びの美学”に酔いしれるのである。

 ストーリーは実に簡単で、その多くは見せ場となる銃撃戦だが、何度と繰り返される銃と銃との殺陣が単調にならないように随所に工夫が見られる。さすがにカッコいい。
 闇医者のところで治療を受けるウーと仲間たちが、同じく負傷したフェイの一団と鉢合わせするシーンは、あり得ないと一笑されるような構図を組み立てて、魅せる絵面で徹底される。それは鈴木清順の様式美に通じる奇抜さで楽しい。

 金塊強奪へと流れる思いがけない展開も、余韻のあるラストも文句なくキメてくれる。
 古い写真と新しい写真だけで5人の友情の証を語らせる手法で、ほとんどセリフらしい台詞のない寡黙な映画は、ときおり流れるハーモニカの音色が叙情感にあふれ、このマカロニ・ウエスタン風味が実に味わい深い。

 ダンディでクールな大人が少年のようにハシャぎ、命を賭けて守る友情と仁義。男の美学が徹底して貫かれた秀作である。

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「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」*ジョニー・トー



VENGEANCE/復仇
監督/ジョニー・トー
脚本/ワイ・カーファイ
撮影/チェン・シウキョン
美術/シルヴィー・チャン
音楽/ロオ・ターヨウ
編集/デイヴィッド・リチャードソン
出演/ジョニー・アリディ、アンソニー・ウォン、ラム・シュ、ラム・カートン、サイモン・ヤム、ミシェル・イェ、チョン・シウファイ、フェリックス・ウォン、バーグ・ウー、マギー・シュウ、シルヴィー・テステュ

☆☆☆★ 2009年/香港・フランス/108分

    ◇

 香港ノワールの鬼才ジョニー・トー監督が、フランスのロック・シンガーであり俳優のジョニー・アルディを迎えて、クールでストイックな男たちの友情と復讐を描いたハードボイルド作品である。
 本場フレンチ・ノワールの巨匠ジャン=ピエール・メルヴィル監督の熱烈なファンだというトー監督の、様式美あふれる世界を堪能できる。

 マカオの住宅地で一家4人惨殺事件が起きた。娘婿と孫2人を失ったフランス人のレストラン経営者コステロ(ジョニー・アリディ)は、異国の地で偶然に出会ったクワイ(アンソニー・ウォン)、チュウ(ラム・ガートン)、フェイロク(ラム・シュ)の3人組の殺し屋を雇い、全財産を報酬に敵討ちを依頼する。
 しかしコステロには、かつて殺しを生業にしていた頃に受けた銃弾が脳の近くに残っており、いつ彼の記憶が失われていくか分らなかった。
 やがてコステロの復讐の相手が、クワイら3人の組織のボスであるファン(サイモン・ヤム)の仕業と判明する………。

 大雑把で甘いストーリーとはいえ、記憶が失われた男と約束を交わした男同士の生き様は、鮮烈に美しく、哀しく、崇高な死で人間の運命を謳いあげている。
 その哀愁を漂わすムードは、主人公のジョニー・アルディよりも断然3人の殺し屋の方が魅力的。
 コステロと3人の出会いのシーン、ホテルの一室で仕事を終えたクワイたちが、コステロとジッと睨み合う無言の間合いの緊張感が素晴らしい。

 フィルム・ノワールは、寡黙のドラマであること。

 寡黙であるからして、少ないセリフのなかに“人生”が語られなくてはならない。3人の殺し屋とコステロが意気投合する食事シーンでは、無言で互いを理解し認め合う“男の世界”が築かれる。

 フィルム・ノワールは、スタイリッシュな様式美であること。

 ブルートーンを基調にした映像、サム・ペキンパーを彷彿とさせるスローモーション・シーン、特異な銃撃アクション、どれも見せ場だ。
 銃器を手配されるゴミ処理場で、自転車を標的に試し撃ちをするシーンは芸術的に美しい。

 月夜の森の中での銃撃戦では、雲から月が出たり隠れたりの光と影の使い方が素晴らしく、照明もない暗闇のなかで敵なのか味方なのか判断できない危うさが観客にも緊張感を強いられる。敵と互いに小康状態を繰り返し攻撃するスタイルからは、工藤栄一監督の『陰の軍団/服部半蔵』を思い出した。

 土砂降りの雨の中の銃撃戦は、黒ずくめの雨合羽姿の敵の軍団との上下移動のアクション妙技。4人が逃げ込む繁華街の雑踏のなか、無数の傘の群れのなかで戸惑うコステロ。記憶が薄れた男の悲哀が滲むカットにゾクゾクさせられる。

 「彼が覚えていなくても、俺は約束した」

 ハードボイルドに欠かせない“カッコいい台詞”が、クワイの口からクールに、そして熱い想いとして響いてくる。
 クワイらは、復讐をも忘れたコステロを友人のビッグ・ママの元に預け、自らは死地に出向く。かつての日本の任侠映画にあった“仁義”が浮き上がってくるように、一度交わした“約束”は命を賭けて守り通す。
 3人と無数の敵がゴミ処理場の圧縮されたゴミのキューブを使って銃撃戦を繰り返す様は、インディアンに囲まれたカウボーイのようなウエスタン風味もありシビれる展開だ。

 残されたコステロはビッグ・ママと混血の子供たちの力を借りて、クワイら3人の“滅びの美学”に応えるかのように“約束”を昇華させる。
 最後まで、男の哀愁が魅力の映画である。


「テイキング・ライブス」*D・J・カルーソー



TAKING LIVES
監督:D・J・カルーソー
原作:マイケル・パイ『人生を盗む男』
脚本:ジョン・ボーケンカンプ
音楽:フィリップ・グラス
出演:アンジェリーナ・ジョリー、イーサン・ホーク、キーファー・サザーランド、ジーナ・ローランズ、オリヴィエ・マルティネス、チェッキー・カリョ、ジャン=ユーグ・アングラード

☆☆☆ 2004年/アメリカ・カナダ/ 103分

    ◇

 結末に、誰もが驚くB級サイコ・スリラー。

 1983年、カナダ。マーティン・アッシャーという一人の少年が家を出た。数日後、母親のもとに彼が交通事故で死亡したという知らせが届く。
 それから20年以上が経過した現在、モントリオールの建設現場で白骨化が進んだ死体が発見される。モントリオール警察のルクレア(チェッキー・カリョ)はFBIに捜査協力を要請、特別捜査官イリアナ・スコット(アンジェリーナ・ジョリー)が派遣されてくる。イリアナは殺人現場と死体、あるいは現場の写真だけで犯人像を分析するプロファイリングの専門家だった。
 死体が発見された現場に横たわり、犯人像を絞り込むイリアナ。徐々に捜査は進展するが、その矢先、第二の殺人事件が発生する。イリアナはこの事件の目撃者で美術画商のジェームズ・コスタ(イーサン・ホーク)を尋問するのだが、一方で「19年前に死んだはずの息子を、今日、目撃した」という老婦人アッシャー夫人(ジーナ・ローランズ)が現れた。
 アッシャー夫人に会ったイリアナは、マーティン・アッシャーが生きていることを確信。マーティンは、自分の死を偽装するため最初の被害者に成り済まし、以降“人生を乗っ取る〈テイキング・ライブス〉”ことを繰り返し生きているのだった。他人の人生に飽きたら次の犠牲者を捜すマーティン。果たして今は誰に成り代わっているのか……。
 イリアナは、マーティンの次の目標がジェームズらしいと推理する。そして、ジェームズの前に謎の男(キーファー・サザーランド)が現れた。
 イリアナの人生までをも翻弄する事件の決着は、想像を遥に超えるものだった……。

    ◇

 サスペンスとしての仕掛けが効いていないために、展開の予想は大方出来きてしまう拙作なのだが、アンジェリーナ・ジョリーの頑張りだけで見せてくれる。
 それでも、ショッキングなラストに向かって、ただただ突き進むスピーディーな感覚には目を離せないので、楽しむことは充分にできる。

 ひと言で、アンジーだけ見ていれば、最高にいい。

 チャームポイントの唇と、徘徊する瞳と、たわわな乳房。
 大スターになっていても、この脱ぎっぷりは半端ないので潔い。
 プロファイラーとして、前半はクール・ビューティーを貫いているが、後半からは、事件関係者に女性としての感情を抱いてしまうアンジー。こんなB級作品で、濃厚な全裸愛欲シーンも厭わないのだから敬服するしかないだろう。

 目につくのがジーナ・ローランズ。お年を取ったグロリア姐さんが真ん丸顔になっての登場だが、彼女らしい妖しさは健在で貫禄充分である。


「瞳の奥の秘密」*フォン・ホセ・カンパネラ



EL SECRETO DE SUS OJOS
監督:フォン・ホセ・カンパネラ
原作:エドゥアルド・サチェリ「瞳の問いかけ」
脚本:エドゥアルド・サチェリ、フォン・ホセ・カンパネラ
音楽:フェデリコ・フシド
出演:リカルド・ダリン、ソレダ・ビジャミル、パブロ・ラゴ、ハビエル・ゴディーノ、ギレルモ・フランチェラ

☆☆☆☆ 2009年/スペイン=アルゼンチン/129分

    ◇

 2009年に本国アルゼンチンで大ヒットし、2010年のアカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞した文学性豊かなミステリーである。

 刑事裁判所を定年で退官した元書記官ベンハミン・エスポシト(リカルド・ダリン)は、家族も兄弟もなく有り余る孤独の時間のなかで、過去の忘れられない殺人事件を小説に書くことを決意し、かつての上司イレーネ・メネンデス・ヘイスティングス検事(ソレダ・ビジャミル)を訪ねた。
 小説の題材は、銀行員リカルド・モラレス(パブロ・ラゴ)の最愛の妻が暴行され殺害された事件。担当したベンハミンは、夫リカルドの妻に対する深い愛に心揺さぶられていた。捜査は暗礁に乗り上げたまま一年を過ぎたのだが、容疑者発見に執念を燃やすリカルドの姿に突き動かされ、犯人を割り出し、逮捕することができた。しかし、当時のアルゼンチンの政権悪化状況により、政治的駆け引きによって犯人は釈放されてしまい、それによって、事件に関わった者たちの人生が変わっていく………。

    ◇

 優雅な音楽と、スローモーションとフィルター処理をした美しいオープニングで始まる映画は、ベンハミンが25年間ぶりにイレーネに会いに来た“現在”(1999年)と、小説を書くためにベンハミンが思い起こす“過去”(1974年)を行き来する構成だ。
 過去に向き合うベンハミンの心のなかにはイレーネに対する想いが甦り、また、新妻を殺されたリカルドの“失われた愛”に耐える姿が思い起こされたりして、自身の“秘めたる愛”の決着と事件解決への思いを強くする。
 そして、ふたつの真相を知ったとき、それが愛の残酷さだと示される。

 「結末は誰も想像できない」と映画評論家のおすぎが絶賛していた本作だが、ドラマに魅入られているうちにそんな事は忘れてしまう。そして、その時、誰もが言葉を失う衝撃を味わうのは確かだ。

 しかし、この映画の本質はミステリーではない。
 イレーネに対するベンハミンの報われない愛と、リカルドの亡き妻への不変の愛。“究極の愛の物語”が、“衝撃的なミステリー”と“崇高なラヴストーリー”として交差しながら、深い余韻を残す人間ドラマとして心揺さぶられるはずだ。

 タイトルの「瞳」は一体“誰”の瞳なのか………。眼差しがいろんな意味を持つことになるので、このタイトルの暗示するところは興味深い。
 日本語は、男とか女とか複数や単数など“誰”を特定しないでも意味をもつ言葉になるので、その曖昧さが邦題として上手く嵌っている。これは原題のスペイン語も同じらしい。ちなみに英語タイトルは「The Secret of Their Eye」となり、これでは仕掛けも何もなくストレート過ぎないかい。


 サッカーチームや選手の名前が謎解きのひとつに使われるのは、サッカー王国であるアルゼンチンらしいアイテムだろうが、その後の容疑者追跡はハリウッド映画さながらのダイナミズムがある。
 夜間の上空から、超満員のサッカー・スタジアムを俯瞰カメラがぐんぐんと近づき、そのままカメラが群衆のなかに傾れ込み、容疑者確保までをワンショットで収めるスリルは、ヒッチコックやデ・パルマを彷彿とさせる。もし、このシーンの大群衆がCG処理されていたとしても、映画でしか味わえない醍醐味とインパクトで上級のサスペンスを味わうことができる。

 遺族となるリカルドが「死刑には反対だ。犯人には長生きしてもらいたい。この空虚な日々を同じように味わせたい」と吐露するシーンがある。お国柄の違いで、苦しみや憎しみを捉える意味が随分と異なる。
 
 日本のこととなると、2010年8月27日に法務省が死刑を執行する東京拘置所の「刑場」を初めて報道機関に公開し、新聞では「死刑制度存廃」の記事を読んだばかりだ。
 死刑制度の存置を望む遺族らの「死んで償ってほしい」気持ちや「執行ボタンを押させてほしい」という思いは、どれも「加害者が生きていることが許せない」という感情の上に成り立っているようで、それは確かに理解できることなのだが、「死刑を受け入れる代わりに反省の心を捨てた」と記した死刑囚がいたというほどに、殺人者が何の反省もないままに死刑を執行され、それも、被害者遺族には知らされないままに葬られてしまう虚しさはどうしたらいいのだろう。

 このリカルドの言葉は映画を観ている間ずっと頭に残るのだが、最終的にこんなにも力強く心に響き、そして、男の深い愛への感動としてずっしりと残るとは思わなかった。

 キーが壊れて“A”を打てないベンハミンのタイプライターと、彼が夜中に「怖い」と走り書きした文字の言葉遊びが、粋なサインを導きだすラストとなり心が癒され、最後のイレーネのひと言に新たな展開を想像するのだった。

「NINE」*ロブ・マーシャル

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NINE
監督:ロブ・マーシャル
脚本:マイケル・トルキン、アンソニー・ミンゲラ
作詩・作曲:モーリー・イェストン
原作戯曲:マリオ・フラッティ
原案:アーサー・コピット
美術:ジョン・マイヤー
衣装:コリーン・アトウッド
振付:ジョン・デルーカ、ロブ・マーシャル
出演:ダニエル・デイ=ルイス、マリオン・コティヤール、ペネロペ・クルス、ジュディ・デンチ、ケイト・ハドソン、ファーギー、ニコール・キッドマン、ソフィア・ローレン

☆☆☆☆ 2009年/アメリカ/118分

    ◇

 1965年のイタリア。ローマの名門撮影所チネチッタ・スタジオで、天才映画監督グイド・コンティーニ(ダニエル・デイ=ルイス)は新作映画『イタリア』の撮影開始前に、脚本がまだ一行も書けておらず頭を抱えていた。もがき苦しむ彼が選んだ道は、自分の弱さを受け止めてくれる愛する女たちの許へ逃げ込むことだった。

 かつて女優だった良き妻ルイザ(マリオン・コティヤール)、悦楽で何もかも忘れさせてくれる愛人カルラ(ペネロペ・クルス)、ミューズ的存在の女優クラウディア(ニコール・キッドマン)、9歳のときに人生の喜びを教えてくれた娼婦サラギーナ(ファーギー)、長年の友人で良き助言をしてくれる衣装係のリリー(ジュディ・デンチ)、セクシーなヴォーグ誌の記者ステファニー(ケイト・ハドソン)、そして心から甘えられるママ(ソフィア・ローレン)。

 プレッシャーに押しつぶされそうになるグイドは、多くの女性の愛に溺れ、そしてある決断を下す………。

    ◇

 1982年ニューヨーク・ブロードウェイで初演され、そして再演も含めトニー賞を数多く受賞したミュージカルの映画化だが、映画ファンなら、登場人物の名前とストーリーからピンとくるように、これは、フェデリコ・フェリーニ監督の自伝的映画と云われる『8 1/2』('63)のミュージカル版だ。モーリー・イェストンがフェリーニの承諾を得て、『8 1/2』に歌とダンスを加えて作り上げたのがブロードウェイ版『NINE』。
 映画からミュージカルになった作品に、今度はゴージャスな女優陣を配し、ダイナミックなダンスとスタイリッシュな演出で、ふたたび映画として再生したわけだ。
 もちろん『8 1/2』とも舞台版『NINE』とも細かな箇所は違っているし(反対に細かなセリフやカット割を踏襲ししている箇所もある)、ラストも大きく異なってはいるが、『シカゴ』を監督したロブ・マーシャルは、現実と記憶が混然とした夢と幻想に生きる男の姿を描き少し難解だった『8 1/2』を、自由に発想した絵づくりで豪華なエンターテインメントな映像作品に仕上げている。

 ストーリーは、『8 1/2』からしてあってないようなものだから、本作も二の次でいい。ダンスシーンや衣装が華麗なように、キャスティングの豪華さが第一。英国人のダニエル・デイ=ルイスのイタリア男性ぶりは見事だし、まぁ、とにかく7人の女優の歌とダンスを、大スクリーンで観て、感じるのでいい。

 過去の記憶や夢の幻想をフラッシュバックと、ところどころモノクロの映像を挿入するスタイリッシュなカメラワークは、ファーギーの「ビー・イタリアン」とケイト・ハドソンの「シネマ・イタリアーノ」のシーンが印象深く残るが、特にケイト・ハドソン。キャリア的には他の女優たちに引けをとってはいるが、その歌唱力には驚いた。ゴールディ・ホーンの娘として、ただの2世女優ではないことを証明している。
 ダンスシーンも、ファーギーの「ビー・イタリアン」が一番見応えがあり好きだな。
 この2曲のためにサントラ盤を買おうと思う。

 ジュディ・デンチのシャンソン風の「フォリー・ベルジェール」も巧いし、ペネロペ・クルスはエロ過ぎる。

 黒の衣装のオープニングと白い衣装のカーテンコール風エンディングが見事で、特にエンディングは、バックステージから最後のグイドのカットに至るまでの演出に、映画的興奮をおぼえゾクゾクさせられた。

 最後にグイドが静かに口にする言葉には、すべての映画への愛を、そして、巨匠へのオマージュを感じる。

    ◇

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