TEA FOR ONE

まぁお茶でも飲みながら気ままに、好きなことを、すこ~しネタバレしながら、のんびりと………。

「二流小説家 シリアリスト」*猪崎宣昭監督作品



監督:猪崎宣昭
原作:デイヴィッド・ゴードン
脚本:尾西兼一、伊藤洋子、三島有紀子、猪崎宣昭
音楽:川井憲次
主題歌:「手紙」泉沙世子
出演:上川隆也、武田真治、片瀬那奈、平山あや、小池里奈、黒谷友香、賀来千香子、でんでん、高橋惠子、長島一茂、戸田恵子、中村嘉葎雄、佐々木すみ江、本田博太郎、伊武雅刀

☆☆☆ 2013年/東映/115分

    ◇

 映画初主演となる上川隆也の、ベストセラー海外ミステリを翻案したサスペンス映画。
 監督は『だます女だまされる女シリーズ』「女タクシードライバーの事件日誌シリーズ』などの2時間ドラマや、『ゴンゾウ~伝説の刑事』『相棒』『遺留捜査』など人気TVドラマを手掛ける猪崎宣昭が21年ぶりにメガホンをとった。


 エロ本の連載で食いつないでいる売れない小説家の赤羽一兵(上川隆也)のもとにある日、連続殺人犯の死刑囚呉井大悟(武田真治)から「告白本を書いて欲しい」という執筆依頼が舞い込む。この告白本を書けば一流の小説家になれるかもしれない、と欲望に駆られた赤羽は呉井に会いに行く。
 しかしこの話にはひとつ条件があった。
 それは、呉井を主人公にして彼を崇拝する女性たちとの官能小説を書くこと。しぶしぶ承諾した赤羽が女性たちの取材を始めたある日、頭部を切断され花をあしらわれた女性の死体と出くわす。しかも、その手口は12年前に呉井が起こした事件の殺害手口とまったく同じであった。 
 刑務所にいる呉井に犯行は無理。第一発見者として警察に容疑者として追われる赤羽は、身の純白を照明するために犯人を追うことになるが、果たして呉井は本当に12年前の事件の犯人だったのだろうか……。

    ◇
 
 二転三転する原作の面白さを知っているなかでは、原作にはないミスリードとか伏線の張り具合を楽しみながら、穿った見方ではあるが無邪気な平山あやや生意気で可愛い小池里奈をはじめ、美しい高橋惠子、ヒステリックな本田博太郎、不気味な伊武雅刀と個性的な俳優陣に注目していた。
 もちろん上川隆也と武田真治の数回ある面会シーンでの対決も、気迫あるふたりの演技は見応え充分であった。

 さて、ミステリの部分はほとんど原作に忠実に映像化されていたが、原作のキモである“文学論”“芸術論”など小説への強いリスペクトや作中小説は、当然ながらバッサリと省いてあった。表現のしようがないであろうから致し方ない。
 ただ、多様な登場人物と主人公との人間関係が充分に描かれていたかというと、残念ながらそうでもなかった。元婚約者(黒谷友香)や、原作で魅力的なキャラクターだった女子高生や弁護士助手と主人公のやりとり、母親(賀来千香子)へのマザコンぶりなど、描き足りない部分が多かった。
 多分、興行的に上映時間を2時間に納めたための弊害だろう。片瀬那奈と中村嘉葎雄の関係などはなかった方がよかったのではないか。脚本に4人もの名前が連記されているのだ、もっと練り込んで欲しかった。
 時系列の時間的配分や簡単に銃を手に入れるなどのご都合主義には目を瞑るとして、良きも悪しきもTVのサスペンスドラマ然となってしまっているのが至極残念なのである。
 クランクインが今年の1月で、ほぼ1ヶ月でアップし、公開が6月というのも問題あるのでは……?

 映像的には、斬首死体の残虐な殺人現場を真っ赤な薔薇の花びらに囲まれた美しき全裸の女性死体としてソフティケイトに映像処理がされ、曇天のモノクロームの中に浮かぶ真っ赤なマントや黒鍵と白鍵に飛び散る血しぶきなど、回想イメージの色彩処理は素晴らしく耽美だ。
 妖しく揺れる森、風に流される雲、自然現象に狂気を孕み、暗く重い真相に深みを持たせる巧みさが伺え、日本映画独特の情念と風土描写が施された辺りは、過去の名作ミステリ映画を想起させるとしても、美しい描写だった。


★「二流小説家」デイヴィッド・ゴードン★

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「藁の楯」*三池崇史監督作品

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監督:三池崇史
原作:木内一裕
脚本:林民夫
音楽:遠藤浩二
出演:大沢たかお、松嶋菜々子、岸谷五朗、伊武雅刀、永山絢斗、本田博太郎、高橋和也、余貴美子、藤原竜也、山崎努

☆☆☆★ 2013年/ワーナー・ブラザース/125分

    ◇

 面白い。
 ありえない荒唐無稽なストーリー展開だが、ハリウッド映画にも引けをとらないパワフルなサスペンス・アクションとして十二分に楽しめるエンターテインメント大作だった。


 8年前に少女への暴行殺人で服役したものの、出所したばかりにまたも少女暴行殺人を犯した清丸国秀(藤原竜也)。全国指名手配され警察の捜査がつづくが、行方はわからないまま。そんなある日、全国紙の朝刊各紙に清丸の顔写真と「この男を殺してください。謝礼として10億年お支払いします」という見開き全面広告が掲載された。
 広告主は日本の財界を牛耳る大富豪の蜷川隆興(山崎努)。「誰の目にも明らかな“人間のクズ”を殺せば10億円が手に入る」と日本中が殺気立った。
 福岡に潜伏していた清丸は信頼していた友人に殺されかけ、否応無しに警察に出頭してきた。しかしそれで、清丸の賞金首の有効が終わったわけではなかった。留置場のなかでも、警察病院の中でも命を狙われる存在になっただけだった。
 警視庁は清丸を東京へ移送するために特別チームを編成。警視庁警備部警護課SPから銘苅一基(大沢たかお)と白岩篤子(松嶋菜々子)、警視庁刑事部捜査一課から奥村武(岸谷五朗)と神箸正貴(永山絢斗)、福岡県警から関谷賢示(伊武雅刀)の精鋭5人。しかし日本を縦断する大規模な護送計画は、さらなる最悪の事態を引き起こすことになった………。

    ◇

 ストーリーはシンプル。護送車による高速道路通行や、新幹線、自動車による一般陸路などを利用して、5人がひとりの人間を目的地まで運ぶだけの単純明快なものだが、身内も信用できない存在になってくることからサスペンスが生みだされていく。

 冒頭、清丸が犯したという事件は描かれることなく、本題の指名手配と警護シーンへのスピーディな展開と、5人の警護チームのなかでは銘苅の妻が何らかの事故で亡くなっていることを示唆するだけで、ほかの4人のことは順次、言動だけで性格付けがされ人間性が表出されていく構成もすっきりしていていい。

 各所に甘い設定が見受けられるものの、序盤の高速道路上でのダイナミックなカーアクションや新幹線の中での銃撃戦などが好例を示すように、この手の作品は力づくで突っ走ることが正解である。
 台湾での新幹線撮影を見ていると、『新幹線大爆破』のリメイクを見てみたいと思ってしまった。

 5人各人が、幼い少女を惨殺した正真正銘のクズを命がけで護ることへの自問自答。護る価値があるのか。護るだけの大義があるのか。殺されるべきなのか。殺すべきなのか。その末、誰もが全員傷ついてゆく様は、観ていて本当に痛々しい。
 そしてラストの清丸の一言は、5人が貫いた職務とプライドへの返答としてはあまりに残酷なものだ。

 理性と希望を象徴する銘苅が、蜷川と対峙する最後の場面は設定が緩過ぎる感があるが、山崎努の狂気は遺憾なく発散される。

 人間的感情が欠落した性的倒錯者の清丸を演じる藤原竜也は出色。あの顔から放たれる邪悪さは半端なく凄い。

 殺伐とした人間たちのなかで、“良心”を灯すのが余貴美子。彼女のドラマの当たり役さながらに人への優しさと情の深いタクシードライバーは、ファンとして嬉しいキャスティングだ。
 本田博太郎も好きな役者。銘苅の上司というだけでなく、彼らしい見せ場も充分にあり楽しめた。

 序盤とクライマックスのシーンは、名古屋の官庁街の大通りを全面封鎖してのロケだろう。見覚えのある、多分あの地区で撮影がされたのだろうと見当がつく大通りだ。そう云えば、あの辺りは『ストロベリーナイト〜インビジブルレイン』も撮影されたところ。大沢たかおはふたたび名古屋で熱演してくれたわけだ………。

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「さそり」*ジョー・マ



蠍子 SASORI
監督:ジョー・マ
原作:篠原とおる
脚本:ジョー・マ、ファイア・リー
撮影:ジョー・チャン
音楽:吉川清之
主題歌:「怨み節」中村 中
出演:水野美紀、サム・リー、ブルース・リャン、エメ・ウォン、石橋凌、夏目ナナ、ディラン・クォ、ペギー・ツァン、ラム・シュー、サイモン・ヤム

☆☆ 2008年/日本・香港/100分

    ◇

 1970年「ビッグコミック」誌に連載がはじまった篠原とおるの劇画『さそり』が初映画化されたのが1972年。70年代を席巻した“女囚さそり”梶芽衣子の松島ナミ登場だった。
 梶芽衣子版は『女囚701号/さそり』『女囚さそり 第41雑居房』『女囚さそり 701号怨み節』『女囚さそり けもの部屋』と4作つづき、以降、多岐川裕美、夏樹陽子で新ヴァージョンが製作され、Vシネマとしても小松千春や岡本夏生(監督は池田敏春!)がヒロインを努めてきた。
 そして20世紀に入って最初の松島ナミが、吹替えなしでアクションに挑んだ水野美紀。香港オールロケーションによる日本/香港との合作映画となる。


 幸せな結婚を目前に、婚約者ケンイチ(ディラン・クォ)の妹と父親を殺す羽目になり、刑務所に服役する松島ナミ(水野美紀)。
 赤城(ブルース・リャン)、ソウロウ(サム・リー)、セイコ(エメ・ウォン)ら、自分を陥れた殺し屋たちへの復讐と愛する恋人への再会を願うナミだが、その思いも虚しく、刑務所のなかでのバトルに巻き込まれ、瀕死の状態で森の中に埋められてしまう。
 やがてナミは“死体収拾人”(サイモン・ヤム)に助けられ、彼から過酷な訓練を受け、完璧な殺人者へと姿を変えるのだった。
 そして遂に、ナミの殺し屋たちとその背後にいる黒幕への復讐が開始される………。

    ◇

 クールビューティーな梶芽衣子に対して水野美紀もアクションを目指す女優だけあって、タフな立ち回りや夏目ナナとの肉弾戦はそれなりに見応えがある。特に、日本刀をかまえるときの腰の入れ方は、日本人として恥ずかしくない殺陣の基本姿として美しい。

 共演者はバーのマスター石橋凌と、ナミと敵対する凶暴な女囚エリカで存在感を見せつける夏目ナナ以外は香港の俳優陣だが、その顔ぶれは豪華だ。
 ジョニー・トー作品の常連サイモン・ヤムはナミに武術を叩き込む謎の男、ラム・シューはオリジナル『女囚さそり』で渡辺文雄が演じたような執拗で悪辣な刑務所所長を演じ、殺し屋集団のサム・リーの冷徹漢ぶりも存在感豊かだが、妖しい美しさを放つ女殺し屋エメ・ウォンと黒幕ペギー・ツァンの上品で可憐な顔立ちに目がいくのは仕方がないか。
 そして殺し屋集団のボス役を、かつて70年代のカンフー映画で一世を風靡したブルース・リャンが演じているのだが、隠遁生活から復帰した60歳にして水野美紀とのカンフー・アクションのキレはさすがである。

 しかし、映画の出来はまったく感心できない。
 『女囚さそり』のヒロインを借り同じく梶芽衣子の『修羅雪姫』の復讐譚にした脚本は、『修羅雪姫』のイメージで撮りあげたタランティーノの『キル・ビル』の焼き直しにしか見えない稚拙さで破綻を露にしている。
 梶芽衣子の『さそり』は通俗娯楽映画以上に、官憲(恋人)と体制(国家)と権力に属する者たちへ刃を向けた新しいヒロイン像であったことと、『修羅雪姫』も“因果応報”と“女の業の深さ”と“宿命”が根底にあるドラマだ。その怨念と時代の空気を体現できるヒロインが、当時の梶芽衣子でしかありえなかったからこその“復讐のヒロイン”だったはず。後発の作品がただのオンナの復讐ドラマに終わってしまうのは道理であり、そこにリメイクの意味合いを見い出すことはできない。

 過去の『さそり』を意識しないところでのドラマづくりなのだろうが、スタイリッシュな映像に凝り過ぎた画面は、5~6分のミュージックPVならいざ知らず、フェイドイン/フィイドアウトのスローモーションとフラッシュ効果の多用は、ただ困惑と疲労を覚えるだけだ。
 後半、ナミと殺し屋ひとり一人とのバトルはワイヤー・アクションのオンパレードで、次第に笑えてくるのは必至である。まあ、これが香港アクション映画の神髄だと云われればそれまでだが、こんなシーンより、前半の刑務所内でのナミとエリカの身体を張った熾烈なアクションの方が何倍もの迫力がある。
 終盤、水野美紀とブルース・リャンとのカンフーアクションで、水野のひと太刀がブルース・リャンの胴体と両足を斬り離すところは、中原早苗の胴を真っ二つに切断した『修羅雪姫』藤田敏八監督へのリスペクトであろうが、『修羅雪姫』において藤田監督は、劇画原作を意識してあえて大量の血ノリ描写でスプラッターに徹したことに比べると何ともおとなしい表現。どうせ荒唐無稽な話なんだから、梶芽衣子にオマージュを捧げた『キル・ビル』のように潔さが欲しいところだ。

 ナミの後ろ姿に主題歌「怨み節」が流れるエンディング……ここが一番いいってどういうこと。梶芽衣子の無常感とはちがって、情念に震える怨恨節を聴かせてくれる中村中(なかむら あたる)。
 この歌声が聴けたことで、本編はこの歌のPVだったと思うことにして☆2つで納得しよう。

「透光の樹」*根岸吉太郎監督作品



監督:根岸吉太郎
脚本:田中陽造
原作:高樹のぶ子
撮影:川上皓市
音楽:日野皓正
出演:秋吉久美子、永島敏行、平田満、吉行和子、寺田農、田山涼成、戸田恵子、うじきつよし、村上淳、松岡俊介、唯野未歩子、高橋昌也

☆☆☆ 2004年/日本・シネカノン/121分

    ◇

 原作は、谷崎潤一郎賞を受賞した高樹のぶ子の同名小説。

 ドキュメンタリー番組の制作会社社長の今井 郷(永島敏行)は、25年ぶりに金沢の鶴来に立ち寄った。かつて取材をした高名な刀鍛冶・山崎火峯(高橋昌也)を訪ねるが、火峯は寝たきりとなり、離婚して出戻った娘の千桐(秋吉久美子)が看病をしていた。郷の脳裏には高校生だった千桐の姿が浮かぶ。娘と老人を抱え、借金に追われる毎日を送っている千桐にたいして、郷は援助を申し出る。
 「あなたの身体が欲しい」と云う郷に躊躇をしながらも、「わたしを買ってください」と申し出を受ける千桐。逢瀬を繰り返すごとに、ふたりの身体は求め合わずにはいられないものとなっていく。
 そんなある日、郷に末期となる大腸癌が見つかる…………。

    ◇

 秋吉久美子と永島敏行が濃厚なセックスシーンを繰り広げるR-18指定のこの作品は、萩原健一の降板劇もあり大いに騒がれたものだが、なんと言っても主演女優秋吉久美子に尽きる。

 萩原健一と共演した『夜汽車』('87)以来に見る秋吉久美子。
 その存在感は、70年代の藤田敏八の3部作『赤ちょうちん』『妹』『ヴァージン・ブルース』('74)からして大胆な脱ぎっぷりで他を圧倒していたし、この作品と同じ根岸吉太郎が監督した『ひとひらの雪』('85)での艶かしさは久美子31歳の時。
 しかしこの作品の久美子は50歳だ。
 とてもその年齢には見えない肌とプロポーションで、このあと何度も全裸と性愛のリアルな表情をさらけ出すのだが、その美しさとキュートな雰囲気は、あらためて同年齢の他の女優との格差を見せつけるものだ。

 主演男優云々など、どうでもいい。
 確かにショーケンだったらと想像をしてみると、デカダンな男の色香では永島敏行など到底足もとにも及ばないだろうが、あの時期のショーケンは声帯の問題もありやはり無理だったと思う。
 無骨な永島敏行も何だかなぁと想像はしたものの、神代辰巳の『噛む女』('88)や石井隆の『人が人を愛することのどうしようもなさ』('07)など見ていると、今は彼でもアリだなと思えてくる。強面ながら繊細さも合わせ持つ不思議な男優である。

 日野皓正のトランペットが流れる以外には自然音しか聞こえないくらい静かな進行と、心に残るいくつかの台詞が文学作品の格調を保っている。

 「この辺り寒いから、一気にくるんです。春が……。 だから、みんな狂っちゃう」

 平泉寺のカタクリの花を見せる千桐が、郷にお金を渡して初めて抱かれるシーン。何年もひとりでいた女の身体の初々しさを、秋吉久美子の表情は見事に応えている。

 最後の逢瀬をする民宿でのゆったりとした夕食シーンが、実はとても艶かしい。
 甘エビを食する永島敏行の台詞と、久美子が発する「すけべ………」という一言。その久美子の表情はとても妖艶だ。

「この右の耳は、ぼくの耳で、右の乳房は、ぼくの右胸で、この右目で見ているものは、ぼくの目で見ている」

 鄙びた駅舎と二両電車の中での最後の別れは、中年男女の狂おしいまでの熱情が伝わってくるシーンだが、大げさな音楽で感情を高ぶらせるようなこともなく、淡々と進んでいくところが根岸監督の巧さ。

 「あなたの身体の半分は僕なんだ。勝手に殺したりしないでくれ。」

 情念だけで生きようとしている久美子に、永島敏行が投げかける言葉の冷静さが切ない。

 ただ、「老い」と「性」がテーマになっていることで、永島が逝ったあと15年後の久美子の恋慕の濃さを表すラストシーンは、今時の59歳にしては老け過ぎたメイクの久美子に興醒めする。

「20世紀少年/最終章・ぼくらの旗」



20th Century Boys : Final
監督:堤幸彦
脚本:長崎尚志、渡辺雄介、浦沢直樹
原作:浦沢直樹(「20世紀少年」小学館ビッグスピリッツコミックス刊)
音楽監督:白井良明
主題歌:T.REX 「20th Century Boy」
出演:唐沢寿明、豊川悦司、常盤貴子、平愛梨、香川照之、木南晴夏、石塚英彦、宮迫博之、佐々木蔵之介、山寺宏一、藤木直人、石橋蓮司、古田新太、佐野史郎、中村嘉葎雄、黒木瞳、ARATA 、森山未來、小池栄子、福田麻由子、研ナオコ、高橋幸宏、遠藤賢司 …

☆☆☆ 2009年/日本・東宝/155分

    ◇

 “ともだち”が復活し、殺人ウィルスが世界中に撒かれて2年が経った“ともだち暦3年”(西暦2017年)、“ともだち”は世界大統領に君臨していた。
 “ともだち”の次なる予言は「8月20日正午、人類は宇宙人によって滅ぼされる。わたしを信じる者だけが救われる。」と、人類滅亡計画を宣言。
 立ち向かうのは“ゲンジ一派”を率いるヨシツネ(香川照之)と、方や、より過激な武力組織を率いる“氷の女王”ことカンナ(平愛梨)だった。
 逃走中のオッチョ(豊川悦司)は東京に潜り込み、カンナにケンヂ(唐沢寿明)は生きていると告げ、カンナは8月20日の武力闘争の代わりに万博広場でロック・コンサートを行うことを決意する。その日はケンヂの誕生日だった。
 春波夫(古田新太)のマネージャーをしながら“ともだち”暗殺を窺っていたマルオ(石塚英彦)は、行方不明になっていたケンヂの姉キリコ(黒木瞳)が同級生のケロヨン(宮迫博之)の下でワクチンの製造研究をしていることを突き止めた。
 同じころ東京の街に、オートバイに跨がりギターを背負った“矢吹丈”と名乗る男がやって来る。
 そして運命の8月20日、野外ロック・コンサートの幕が下ろされ………

 「やめろ! 終わっちゃうじゃないか!」
 “ともだち”の声が響く…………

    ◇

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 荒唐無稽、空想科学冒険映画3部作の完結編。
 子供の空想話に付き合って1年。最後の2時間35分は飽きることなく楽しむことができた。

 “ともだち”が2017年の東京の一部を、箱庭のように1969年から70年の街並に変貌させる。ミニチュア・セットとCGがよりリアルに迫ってくる近未来の都市と、貧しい木造家屋が集まる画面に、前2作以上のディテールで“昭和への郷愁”を満喫。
 「冒険王」とか「少年」などの雑誌で、小松崎茂が描く冒険科学物語の挿し絵を、まるで映画を見るように楽しんだ世代には、二足歩行ロボットと空飛ぶ円盤までもが懐かしく感じるのだった。

 その昔、ROCKは「反権力」であり「平和」「反戦」の旗印だった。あの時代、世界を変えるために歌は絶対的なものだった。
 だから映画のクライマックスは、1969年8月に行われたウッドストック・フェスティバルへのオマージュとも云える野外ロック・コンサート。
 ギブソン・レスポールを弾く唐沢寿明とドラムス古田新太、ベース高橋幸宏による3ピース・バンドが、結構イカした音を出していたのにはまいった。

 3作通じてヒーローぶりが格好良すぎる豊川悦司。木南晴夏は前作から気になる若手女優のひとりとなり、眼ぢからいっぱいの平愛梨にはもっと見せ場を作って欲しかった。
 一瞬、渡辺文雄かと見間違うくらいに変貌した佐野史郎の存在、古田新太のノリもさすがに可笑しい。そして遠藤賢司(!)……本物と出会うまでのケンヂの放浪は、そのまんま角川映画『復活の日』('80)のパロディ。

 さて、過去2作で広げた伏線はとりあえずは納得がいくように回収され、観客の一番の興味である“ともだちの正体”も想像通りに明かされクライマックスを迎える。
 しかしお楽しみはここから。エンドロールが流れた後、とどめの“真実”が語られる。
 だから、最後の最後まで席を立っては絶対にダメ。席を立てないようなライブシーンを交えたエンドロールなのに、それでも2組のカップルが帰っていった。もったいない観客である。

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 この最後の10分間、ヴァーチャルな世界だとしても、ケンヂのけじめがつき、幸福感に包まれた終り方。大きなパラドックスに陥ってはいるが、少年時代の“ともだち”として登場する某俳優の切ない演技と、主題を“友だちって何”にシフトチェンジした結末は正解だ。
 オッチョを助ける福田麻由子同様、この若手実力俳優も見事な表現力と存在感を兼ね備えている。キャスティングの成功である。

 ところで“ともだちの正体”は、第1章において分かりやすく観客の目の前で明かされている。写るべきところに登場しないことで確信を持てたはず。
 ひとの記憶の曖昧さをトリックにしたことで「そんなバカな」と突っ込みどころは多いが、このもうひとつのツイストで、ある程度の納得と満足が得られたのではないだろうか。


「20世紀少年/第1章・終わりの始まり」

「20世紀少年/第2章・最後の希望」



「ディア・ドクター」*西川美和監督作品

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監督:西川美和
原作:西川美和
脚本:西川美和
エンディング曲:モアリズム「笑う花」
出演:笑福亭鶴瓶、瑛太、余貴美子、八千草薫、井川遥、香川照之、岩松了、松重豊、笹野高史、中村勘三郎

☆☆☆☆ 2009年/日本・エンジンフイルム+アスミック・エース/127分

    ◇

 デビュー作『蛇イチゴ』('02)でも、絶大な評価を得た『ゆれる』('06)でも、人間に対する洞察力の鋭さと、深い心理描写で圧倒させられた西川美和監督の第3作目は、シリアスな題材をライトなミステリー感覚で仕上げた人間ドラマになっている。

 医大を卒業したての研修医・相馬(瑛太)が、山あいの小さな村に赴任したのは遡ること2ヶ月前。相馬は田舎の医療現場に戸惑いながらも、村中の人々から“神さま、仏さま”より頼りにされている医師の伊野(笑福亭鶴瓶)の働きぶりに、やがて共感を覚えるようになる。
 ある時、かづ子(八千草薫)という村の未亡人が倒れた。彼女は、自分の身体がもう長くないことに気付いている。東京で医師をしている娘(井川遥)の世話にならないよう、自分は“何もしない”で故郷で一生を遂げたいと思っている 。
 かづ子の嘘を引き受けた伊野だが、伊野自身にも、ずっと言えずにいたひとつの嘘があった………。

    ◇

 高齢化が進む過疎地の現実は、寒村の医療問題としてきれいごとではすまない事実なのだと突き付ける西川監督の気概は、“ニセモノ”を糾弾するのではなく、だからといって“ニセモノの中の善”を肯定する姿勢でもなく、問題提起のカタチで貫かれている。
 “嘘”の中にある“真実”、そして“ニセモノ”だからこそ“ホンモノ”以上になれること。“善”と“悪”をはっきり分けることができない人間の本質に迫ることで、人間の愚かさや、ひとへの愛しさが、巧妙な切り口で語られる。
 前2作同様に、全体にミステリー仕立てなのが西川流。真っ暗な田舎道を走るオートバイを先導するようにアコースティックなブルーズが流れ、捨てられた白衣がシンボルティックに浮きあがる冒頭。伊野が失踪したところから始まり、時間軸を遡り回想のかたちで過疎の村の日常を描きながら失踪の謎を探る構成が、実に素晴らしいエンターテインメント性を発揮している。

 笑福亭鶴瓶はアテ書きしたかのようなハマリ役で、落語家である鶴瓶が女優八千草薫と絡るあたりが絶妙なのである。
 “光”と“影”の心境を持った複雑な主人公の内面を見事に体現する鶴瓶は、「緊急性気胸」の処置をめぐるシーンでは、救急現場で長いキャリアを持つ看護師役の余貴美子とサスペンスあふれるシーンを作り上げる。医師と看護師の立場を明確にしながら、“ニセモノ”と“ホンモノ”の重責が対等になるシーンだ。

 終幕、伊野が実家に電話をするシーンから最後のかづ子の表情まで、この主人公の生き方に“ウソ”はなかったことが伝わってくる。
 素晴らしいラストである。


「スリ」*黒木和雄監督作品

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監督:黒木和雄
脚本:真辺克彦、堤泰之、黒木和雄
撮影:川上晧市
出演:原田芳雄、風吹ジュン、石橋蓮司、真野きりな、柏原収史、伊佐山ひろ子、平田満、香川照之

☆☆☆★ 2000年/日本・アートポート/112分

    ◇

 故黒木和男監督が『浪人街』('90)から10年ぶりにメガホンを取った作品で、挫折から這い上がろうとする男と彼をとりまく人々を描き出した人間ドラマである。

 かつては凄腕の“ハコ師”として名を馳せていた老スリ師の海藤(原田芳雄)だが、いまは酒に溺れ落ちぶれ、養女レイ(真野きりな)の世話になっている。幼い頃兄と一緒に海藤に引き取られたレイは、勤めている動物愛護施設で里親が決まらない捨犬の殺処分に心を傷めながら、海藤から伝授されたスリの技術で“ハコ師”として生きている。
 長い間海藤を追うベテラン刑事矢尾(石橋蓮司)は、海藤の仕事の現場を見つけても、若い刑事を制して捕まえようとはしない。
 「酒を辞めて、元に戻ったら引っ張ってやる。」
 ある日、海藤の愛人芳江(伊佐山ひろ子)のひとり息子一樹(柏原収史)が弟子入りを志願してきた。若い一樹を弟子にして育てることで、自分自身のカムバックを図る海藤は、自身のプライドのために断酒会に参加し、鋭い勘とテクニックを取り戻そうとする。
 海藤に再び、本物のスリに戻れる日がやって来るのか………。

    ◇

 特殊な世界の男の意地と、自己愛という美学に彩られている。
 海藤が一樹にスリの技を伝授するところとか、海藤自身が見せるスリのトレーニングなど、中々興味深いシーンがある。
 刃物を使った中国人スリグループを捕まえた矢尾が、取調室で中国人のリーダーに告げる。
 「日本の本物のスリってのはなぁ、コレ(指2本を中国人の鼻先につけて)だけで仕事するのさ。国に帰って出直してこいっ」。

 原田芳雄、風吹ジュン、石橋蓮司、伊佐山ひろ子と、何とも見事なキャスティングである。 
 原田芳雄の存在感は云うまでもないが、この作品においても石橋蓮司とのコンビネーションは最高。
 海藤をスリの職人として尊敬さえし、追う者と追われる者の間に生まれた同志関係に結ばれている石橋蓮司。震える指先で仕事ができない海藤の姿を見るときの、何とも寂しげな表情。海藤のことを、自分自身のことのように口惜しい思いで、ずっと見続けているその男気が格好いい。

 そして、愛人役の伊佐山ひろ子。出演シーンは少ないのだが強く印象を残している。特にマンションの一室で、キャミソール姿で煙草を吹かす伊佐山と酔って煙草を銜える原田芳雄がグダグダと会話するシーン。原田芳雄のダメ男的な仕草と、彼女独特のアンニュイな台詞廻しとの絡みは絶品である。このワンカットに、ふたりの人生がしっかりと見え、とても好きなシーンだ。

 海藤に密かな恋心を感じている断酒会を主宰する風吹ジュンは、彼女もまた表情豊かな芝居を見せてくれる。

 台詞による状況説明があまりなく、映画の筋立てとしては少し分かり難いところもあるのだが、登場人物たちの浮遊感とか所在なさ、焦りや戸惑いなど、監督が見つめる目はしっかりしている。海藤が管理する廃ビルの中、川に浮かぶ大きなガラス玉、壁いっぱいに飾られたデッサン画などをなめるカメラワークと、単調なパーカッションやピアノの単音が、登場人物の心象風景を浮き彫りにする。
 見えてくるものは、生きざまだ。